【葛城貴志】欠けた記憶 と 友情の『祝福』
真珠がタペストリーの部屋へ戻り、現在この廊下には俺とエルの二人が残っている。
彼が何を考えているのか、確かめなくてはいけない。
「一体どういうつもりだ──エル」
自然と口調も詰問するような響きになる。
「どういうつもりだ──とは?」
エルは腕組みをして、こちらを見据える。
彼の口調もガラリと変わり、先程までの慇懃さが消えた。
俺は、彼の不可解な行動に対し、静かに問い質す。
「真珠に『祝福』を与えようとしていただろう? 少なくとも俺にはそう見えた」
その言葉を受けたエルは、先程まで湛えていた笑みを、その秀麗な面から消し去った。
お互いの視線が交差する。
俺の放った言葉の意味が解せなかったのか、エルが首を傾げて口元に拳を当てる。
先ほどの状況を思い出しているようで、彼は眉間に皺を寄せた。
「『祝福』を与える? 私が? 彼女に? ……まさか──何故?」
今までの威圧感のあった態度とは打って変わり、彼は当惑した様相を覗かせる。
「何故?──いや、それは、こちらが理由を聞きたいくらいだ」
エルのその様子に面食らい、こちらまで困惑を隠せなくなる。
彼の態度に嘘は見えない。
誤魔化そうとしているわけでも、演技をしているわけでもないようだ。
俺の見間違いだったのだろうか。
いや、真珠の歩みを止めなければ、おそらく彼は真珠に『祝福』を与えていただろう。
彼が唇を寄せたように感じた部位は、瞼──ラシードが与えた頬への祝福よりも優先される位置だ。
教皇からの接吻が、王族としての『祝福』と同等の扱いになるのか、もしくは、まったく別の意味があるのかは分からない。
けれど、その行動の直前──彼の中で生まれた真珠に向けた歓喜の感情と、その後柔らかく微笑んだ表情には何か理由がある筈だ。
無意識のうちに『祝福』を与えようとしていたのであれば、ラシードからの事故で受けた物とは異なり、かなり面倒なことになる。
『切り札』を使わずに、『祝福』を辞退する方向で話を進めようと決めたばかりだが、エルの出方如何によっては、早々にその決断を覆すことになるかもしれない。
自分の中で、ジリジリとせり上がるような焦りが生まれるのが分かる。
右手で麻のジャケットの左胸を触ると、指先に封筒が触れた。
──まだだ、これを使うのは時期尚早。
自分の力の及ばない事態になった時の最終手段だ。
エルは納得がいかなかったのか、訝し気にこちらを見つめている。
「何を勘違いしているのか分からないが、私には女性に『祝福』を与える資格など……ない。今まで異性に対して将来を誓う『豊穣の契り』を与えたこともない。私はこの運命のもと、国と民にこの身を捧げる為に生きてきた。自らの伴侶を得て家族を持つことなど、私には叶わぬ──」
全てを言い終えぬうちに、何かに思い至った彼は息を呑んだ。
勢いよく吸い込んだ空気に反応して、喉からヒュッと音が洩れる。
「いや、そうか……わたしは『女神』によって救われたのだ……認識を改める必要が、ありそうだ……」
半ば独り言のように呟くと、エルは動きを止め、何事かを思案している様子だ。
ほんの数瞬で何かを結論付けた彼は、顔を上げ、こちらを真っ直ぐ見据える。
「わたしは真珠を、シードの第一夫人としてアルサラームに迎えるつもりだ。彼女が何不自由なく暮らせるよう、わたしが後ろ盾に──親代わりとなろう。
彼女が『祝福』を受けるに値する人物なのか否かを判断する必要があったため、未だ国王陛下に奏上していなかったが──今夜、この件を伝え、早急に準備に取り掛かる。
真珠の宮廷教育のため、王宮への輿入れを月ヶ瀬に打診す──」
「エル──建前の答えなどいらない。何が本当の目的だ?」
溜め息をつき、彼の言葉を皆まで聞かず、問いかけた。
エルは何を思い出しているのだろうか、遠い目をしながら穏やかに笑う。
「……彼女を傍に置きたいと、ただ、そう思ったまで──彼女の魂は理から外れた存在。運命を創造神の掌の上で転がされるようにして生きる私達は……いや、私ならば、彼女を理解することができる──その反対も然り。彼女ならば、私を理解してくれる──未来の拓けた私のもとへ、シェ・ラが遣わし、巡り合えた、奇跡のような存在──それが私にとっての真珠の価値」
神の掌の上で転がされる──か。確かに彼女は、数奇な運命に弄ばれているのかもしれない。
けれど、真珠はそれでも自分の足で立とうと必死に藻掻いている。
神であろうと何であろうと──誰かに左右されるような人生を歩んでいるなどと、彼女は思ってはいないだろう。
真珠とエルの二人が持つ不可思議さは、俺の入り込む余地のない未知の領域だ──そんなことは承知している。
けれど──
「真珠に、後ろ向きに慣れ合うような関係を求めるな。あいつは常に前を向いて、必死に生きようとしている。奇跡のような存在だと思うのならば、彼女の意思を──尊重してほしい」
十年後の世界を知ると語った彼女が、どういった存在なのか、俺には知る由もない。
だが、ひとつだけ分かることがある──真珠は、誰に対しても、傷を舐めあうような関係を求めてはいない。
彼女が望むのは、同類相憐れむ相手ではなく──高めあえる相手。
慣れ合うだけではなく、好敵手にもなれる存在だ。
彼女は意図せず──周囲の人間の傷を包み込み、癒していく人間だ。
本人はまったく気づいていないが、彼女がそこにいるだけで周囲が照らされ、救われていく──彼女の心を大切にするのであれば、王宮という鳥籠で囲い込み、その手足を捥ぐような真似が何故できるのだろう。
「相憐れむような関係を望むのならば、他を当たってくれ。後ろ向きな関係は、真珠には相応しくない」
エルに対して言い放つと、彼はその黒い瞳に剣呑な光を宿す。
「相憐れむ? これは『祝福』を受けた『女神』のためにできる最大限の配慮だ。一度、養女として私の許に迎え入れて教育を施し、彼女には揺るぎない立場を与える。これ以上、何を望むというのか?」
常に冷静であろうと心掛けていた彼の、感情の揺れが伝わる。
エルは心外だとでも言うように、語気を荒げ、更に言葉を続けた。
「貴志、何故分からない? これは『女神』たる彼女への貢献だ。彼女は今後は王族として扱われ、何不自由ない生活を送ることができる。それを望まない人間がいる筈もない。皆一様に『祝福』を欲するものだ。だから初見、エレベーターホールでは事故に見せかけて、彼女をその有資格者とさせたのかと……これが月ヶ瀬グループのやり口かと、その狡猾さを疑ったのだ」
彼の国では『祝福』は絶対的な価値のある物として捉えられているのだろう。
王族との婚姻を結ぶということは、女性としての栄耀栄華を極める地位に就くということ──とても名誉ある資格を得たことになるのは理解できる。
けれど──ここは、アルサラームではない。
アルサラーム側と月ヶ瀬側での『祝福』に対する考えが、あまりにもかけ離れている。
「エル、どうやら双方の『祝福』に関する認識がかなり乖離しているようだ。
月ヶ瀬の総意として伝える──我々は、真珠に『祝福』を受けさせるつもりは微塵もない。そもそも、次期総帥の誠一氏は、愛娘の真珠を一夫多妻制の国に嫁がせる気はない」
エルの科白によって判明した事実を皮切りに、俺は『祝福』辞退の突破口とするべく畳みかけた。
俺の言葉を受けて、エルは動きを止め、こちらを凝視する。
まさか『祝福』を月ヶ瀬側から辞退されるとは思いもよらなかったのか、その表情には焦りが見て取れた。
「シードに一夫多妻の権利を放棄させることはできない。それは個人の意思に関することだ──が、仮に、娶る相手を真珠のみと誓約するならば『祝福』を受けると考えても?」
なおも引き下がらないエルに違和感を覚える。
『祝福』辞退について、何某かの焦燥を感じている様子が垣間見られた。
──他に何か目的があるのではないか?
ふと、そんな考えが過った。
教皇を務める第三王子の切れ者振りは有名らしい。義兄も言っていたではないか。
しかし、彼が何を成そうとしているのか、まるで見当もつかない。
「『祝福』を与えたラシード殿下は、お前に『握り潰せ』と言っていた。 何故、当の本人の意見を差し置いて、そこまで真珠にこだわる?」
エルは口元に手を当て、言葉を詰まらせたが、一瞬の逡巡の後、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「まずひとつ──『祝福』を辞退した場合、シードは将来的に後悔することになる……これが最初に感じたことだ。そして、新たにもうひとつ、先程彼女を『視た』時に感じたこと──真珠の身を……守る為、だ」
不穏な言葉に、俺は怪訝な顔で彼の瞳を見つめる。
「身を守る? それは一体どういうことだ?」
「分からない──けれど、彼女には『祝福』を与え、その身に『印』を残さねばならない。それが将来、彼女を守る──これは彼女に触れた時、伝わった予感。
シードが完全に拒否をした場合、教皇預かりとして、私が一旦その『祝福』を保留という形でもらい受ける。たとえ我が国に嫁がないとしても──これだけは譲れない。
『女神』は守らねばならない──いかなる手を使っても」
彼は自分に対して、苛立ちを覚えているのか、険しい表情をしている。
「真珠を守る? 彼女の身に何が起きるというんだ?」
「それが分かれば、こんな回りくどい方法で『祝福』を受けさせようとはしない。分からないからこそ『祝福』の『印』を彼女の身に残したい。これがあれば、彼女は無事に──戻る。分かるのはそれだけだ。
そもそも、彼女とシードの今後の関係によって、シェ・ラからの天命が果たされるのだ。真珠の身に何か起きては意味を成さない」
俺の目を射るように見つめたエルは、その後、何故か深い溜め息をついた。
「嘘偽りのない本心を言うのであれば、私は彼女を傍に置きたい。彼女が王族としてシードの隣に立ち、その責務を果たすのであれば、惜しみない協力を約束しよう。
けれど、彼女自身が、それを望まないというのであれば無理強いするつもりもない──だが『祝福』の『印』は必要だ。
王族の伴侶となる為にある『祝福』は、彼女の居場所を示す標となる──シェ・ラとの繋がりがあれば、私は彼女を助けることができる。この件に関しては、『祝福』がある限り、何ら問題はない」
どういうことなのだろう。
エルの言葉に、裏は見えない。
将来、真珠の身に起きるであろう事態を避けるため、必死に考えを巡らせている様子が伝わる。
「何故、そこまでして彼女に肩入れをするんだ?」
俺の疑問を耳にした彼は、不思議そうな表情をこちらに向けた。
「何故? 『女神』に対して抱く、この気持ちが『敬愛』でないとしたら──如何様なものなのか……正直私もよく分からない。
ただ、この繋がりを大切にしたい。真珠は、私にもたらされた奇跡──毎夜、夢に現れた彼女の魂に救われ、癒やされたのは私自身だ」
そこで言葉を切った彼が、苦笑いを口元に刷かせる。
「ああ……そうなのか……彼女の魂に囚われているのは──私の心、なのかもしれない──」
その呟きに息を呑んだ俺に気づいたエルは、ハッとしたように言を紡ぐ。
「私を捕らえているのは幼子の『器』ではなく、彼女の中にある魂のひとつだ。お前のように彼女のすべてに囚われている訳ではない──それだけは、断言できる」
エルとの間に数歩の距離を保っていたのだが、彼はゆっくりとこちらに近づいてくる。
俺は静かにその動きを眺め、彼が取ろうとする次の行動に身構える。
エルは、何故か楽しげに口を開く。
この笑顔を、どこかで見たことがあるような気がしたのは何故なのだろう──王宮でラフィーネに連れ回された時の、欠落した記憶。
そこに大切な何かが隠されている気がしてならない。
「安心しろ。私は一度『祝福』を与えた相手は、例えその者が記憶を失ったとしても、悪いようには扱わない。ただ、こちらだけが覚えているという事実が、かなり癪に障っているだけだ」
エルは俺の二の腕を掴むと、振り払う間さえ与えられずに、勢いよく手前に引いた。
彼がまさかそのような行動に出るとは思わず、受け身をとれずに体勢を崩す。
自立のバランスを保てなくなった俺は、倒れ込むようにしてエルに抱きとめられることとなった。
何が起きたのか理解できず、咄嗟に顔を上げた瞬間──左の瞼の上に、彼の唇が当てられたことに気づき、ひどく狼狽する。
「エルっ お前は! 何を⁉」
彼は俺をその腕の中から離すと、してやったりという態度で腕組みをし、ニヤリと笑った。
「私は幼き頃、お前に友情の『祝福』を与えている。お前がその事を覚えていないことは承知しているが、その可愛げのない態度を変えてみたかっただけだ。
昔はフィーネに連れ回されて、泣いてばかりいたお前が、だいぶ……変わったものだ」
懐かしそうに眼を細めたエルの言葉に、反射的に問いかける。
「昔? 俺はお前に会ったことが、あるのか……? いつ?」
俺の言葉に、エルは柔らかく笑った。
先ほど真珠に向けた微笑に似た眼差し──それと同じものが、自分に向けられたことに驚く。
どこかで、この笑顔を見た気がする。
だが、まったく思い出せない。
「遠い昔の話だ。お前がその時の記憶を欠落しているのはフィーネの責任。気にするな。ただ、私だけが覚えているという状況が、気に入らなかっただけだ」
先程、真珠の髪を結っている時に、自らが語った内容を思い出す。
王宮にて、とんでもない遊びをラフィーネから強要された時に生じた、あの曖昧な記憶──そこで俺は、エルに会っていたのだろうか。
更新が滞っていた2週間余り。その間にも、ブクマと評価をたくさんしていただけたようで、大変ありがとうございます!
また、新たなレビューもいただきまして、大感謝であります!
また、改稿期間にプレゼントしていただきました拙作キャラクターの★ファンアート★を、ご許可いただいた作品のみになりますが、近日中に活動報告に掲載させていただきます。
真珠、貴志、穂高の美麗イラストを贈っていただきました。ありがとうございます。とても嬉しいです。
また、親族編についても、読みやすくなるよう改稿致しました。宜しくお願い致します。







