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【真珠】夏の夜の夢 1

本日、3話更新しています。

宜しくお願いします。


 わたしは熱病に浮かされるように、助けを求めるように、この人に――葛城貴志に何を伝えたのだろう。


 何と告げた?

 わたしは自分の名前を――


 一気に意識を取り戻した。

 サーッと血の気が引いた。


 本名を言わなかったのは、不幸中の幸いだ。



 この人は将来、教育者として『この音』の舞台の私立愛音学院高等学校へやってくるはずだ。


 交響楽団のプリンシパル・チェリストとして活躍し、実力もさることながら彼の容姿も相俟って、絶大な人気を誇ることになる。

 そして、時折学院の学生達の指導にやってきて、そこで『主人公』と出会う。



 こんな一瞬すれ違っただけのような関係のわたしを覚えているとは思えないが――


 わたしの名前――月ヶ瀬真珠は珍しい名前だと思う。


 しかも家名の影響力は絶大だ。


 月ヶ瀬グループに思い当たらない人は、おそらくいないのではないかと思われる。



 月ヶ瀬真珠としては、下手に近づくわけにはいかない。


 彼が高校での指導時、いつ、どこで、わたしの名前を耳にするか分からない。


 自意識過剰と言われようが、自衛は必要だ。


 伊佐子と答えてしまったことは消せないが、彼が気紛れにこの名前を探したとしても、この世界には存在しない人間だ。


 そもそも彼は――彼等は『主人公』のために「在る」のだ。


 いくら「私」が『主人公』としてゲームをプレイし、優しい笑顔を向けられていたのだとしても、それは私への笑顔ではなく『主人公』への笑顔だ。


 そこを履き違えてはいけない。

 彼に縋るのは間違っている。


 この目に見つめられて、自分は「分かった」のではないか。


 伊佐子は――真珠の「前世」なのだと。


 助けてほしかった。でも、それではダメなのだ。

 自分の足で、しっかり地に立たなくてはいけない。


 もう分かったのだ。分かってしまったのだ。

 「私」は――伊佐子は、もういないのだ。


 これは抗いようのない事実。

 

 正気を取り戻させてくれた。それでだけで十分だ。


 これ以上、この人に何を望むのか。



 そう。そもそもわたしは悪役令嬢ポジションにいる。『主人公』ではないのだ。



 ――わたしは息を吸い込んだ。



 どうやって誤魔化そう。

 どうやって、ここから離れてもらおう。



 わたしは彼と交わした視線を、スーーーっと逸らした。


 挙動不審だと思われようが、これ以上関わってはいけない。頼ってはいけない。


 例えこの態度が失礼なことだったとしても。




 そんな心を見透かしたのか、貴志はもう一度声をかけてくる。


「すまない。怖がらせたか? 迷子なんだよな? きっと……」


 そんな、穏やかな声で親切にしないでほしい。


 自分が『主人公』になったのではないかと、また勘違いしてしまうではないか。



 これから大変失礼な対応をすることになるのだ。ここから離れてもらうために。



 私は緊張と申し訳なさに震える声で、どこかで読んだナンパをかわすテクニックを披露する。



「あなた……わたしが……見えるの……?」



 ――と。



         …



 夏、夜、お寺――とくれば、思い浮かぶのはこの世のものではないアレ、だ。ひゅ〜どろどろどろという効果音が流れるアレである。それしか思いつかなかった。


 そもそも伊佐子の存在自体が、アレのようなモノなのかもしれない。


 葛城貴志は、鳩が豆鉄砲をくらったような顔になった。


 腐っても攻略キャラ、そんな顔さえも美男子補正がかかる。羨ましい。


 「電波」だと思われようと、もうこれで乗り切ろう。


 お花畑恋愛脳に陥っている両親の遺伝子を引き継ぐわたしは、所詮ポンコツでしかないのだ。嘆きたい。(穂高少年だけは、おそらく鳶が鷹を生んだのだろう。)


 こんな親切にしてもらっている状況で、こんな残念対応しかできない自分が心底うらめしい。



 貴志よ、君の優しさだけは絶対に忘れない。

 例え高校生になっても、絶対に近づかないけどな。



 これで気味悪がって離れていくだろう――そう思うと、申し訳なさで涙が零れそうになった。



 ――そこで何故か彼は突然笑いだした。



 ビックリした。彼は、こんな笑顔を見せる人だったのだろうか。



「そうか……わかったよ。それでいい。お前は――伊佐子は。その方がシックリくる」



 そう言って彼は、私の隣に――石段に並んで腰かけた。



 彼は背中に背負っていたケースを横倒しにして、私たちの前に置いた。


 チェロのケースだ。黒く艶のあるケースだった。これは――


「アコードのウルトラ・ライト」


 つい、口をついて出てしまった。


「え? 何を……?」


 彼は、とても困惑した表情で私を見返した。


「良い……チェロケースですね」


 それだけ答えた後、彼に笑いかける。そしてわたしが黙り込むと、今度は貴志がフッと柔らかな微笑を返してくれた。


「すごいな。よくチェロのケースだってわかったな。メーカーもケース名も当たりだ」


 バイオリンのケースは、割と認知されることは多いが、チェロのケースは背負っていても、その中に何が入っているのか、知る人はあまりいない。



 「前世」のわたしがバイオリンケースを背負い、弟がチェロケースを背に歩いていると、「それは楽器が入っているの? 何の楽器?」と、よく質問された。


 常に、わたしにではなく弟に、だ。


 チェロはバイオリンほどメジャーな楽器ではない。

 コントラバスとの区別がつかない人もいたくらいだ。



「わたしの弟が、使っていたのと同じ。色は違うけれど」



          … 



 自分はアレだと伝えたのだ。

 離れていくかと思ったが、隣に陣取るとは予想外だった。


 攻略対象の心根の良さを侮っていたわたしを許してほしい。



 それもそうだ。こんな時間に、こんなに小さな子供が一人でいたら、どんなに気味悪かろうが見捨てることなどできないだろう。



 いくらわたしだとは言え、気づかいを見せてくれる人に対して、電波な対応をそう何度もできるほど、心臓に毛は生えていない。



――もう私は幽霊だということにしよう。



 頼ったり縋ったりはしない。


 そのかわり今日だけ――今夜だけは、『主人公』のかわりに、わたしを見てほしい。


 そんな思いも少しあったかもしれない。




 夏の夜の夢だ――きっと彼の中でも、電波な幼女との不思議な思い出くらいになってくれるだろう。


「そういえば、あれは何だったんだろう?」と思って、そのうち忘れてくれれば、それで良い。



 それに、もう、この五歳児の幼女姿で会うことは二度とないのだから。



「高価だけど、良いケースよね。大切に使えば何十年も使える。わたしの弟のチェロの先生も20年以上使っているって言っていたわ」


 貴志は「そうか」と言って、嫌な顔もせずに静かにわたしの話に耳を傾けてくれた。



 こんな五歳児に、分数サイズではないフルサイズ・チェロを扱える弟などいる筈はない。


 チェロ奏者であるならば、すぐに思い当たるであろう矛盾に気づきつつも、彼は黙って話を聞いてくれた。



 幼女の世迷言だというのに、この落ち着いた包容力のある対応――さすが最年長の攻略対象だ。


 敬服に値する。





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