【葛城貴志】月ヶ瀬誠一について
真珠を見送り、ひとり残った化粧室。
取り出したスマートフォンを、洗面台に連なる大理石のカウンターに置く。
壁一面に嵌め込まれた鏡に映る自分の姿が目に入り、羽織っていた上着の胸元に視線が吸い寄せられる。
着用していた麻のジャケットの左胸にそっと手を当てると、平面状の硬い質感が指先に触れた。
内ポケットに手を入れ、取り出したのは、淡い青地の封筒。
『切り札』と伝えられ、義兄から渡された代物だ。
彼は「開けてはならない」と言っていた──が、あれは本意だったのだろうか?
封筒の中身について、彼は一切言及せず、首席秘書と共に去って行った。
──ずっと腑に落ちなかった。
『切り札』とするには、その手札の内容をカード所持者が熟知していなければ、ここぞという時に意味を成さない。
あの義兄が、そんな詰めの甘いことをするのだろうか?
何故か、父親である義兄に対しての真珠の評価は、あまり高くない。
それは、真珠に対しての溺愛ぶりから来る認識のようだが、世間一般から見た彼の印象は、彼女の持つであろうイメージと、大きくかけ離れているのだ。
月ヶ瀬誠一 ── 三十代の若さで月ヶ瀬グループ次期総帥として、巨大な財閥系企業を実質率いている経済界の寵児。
財界の風雲児とも評され、かなりの辣腕家としてその名を轟かせている彼が、只者である筈がない。
開封するな、と念押しはされた。
だが、それで本当に真珠を守れるのだろうか。
(──俺なら、どうする?)
封蝋に触れながら数瞬考えを巡らせた後、迷うことなくシーリングを剥がす選択をとる。
開封した中には、手書きのメモと写真──更には、もう一通の封筒が入っていた。
水色の封筒から、それら三種類の物を全て取り出し、ひとつずつ確認していく。
メモには電話番号が記され、同封された写真にうつっていたのは、今朝方まで滞在していた星川リゾート『天球』──石のチャペル内部の祭壇だった。
もう一通の封筒は、厳重にシール付けされていたので、未開封のままカウンターに置く。
メモの携帯番号をスマートフォンの画面に打つが、どうやら義兄のものではないらしい。
おそらく、俺がこの封筒を開けると予測した義兄が入れたもの。
ここに連絡しろと言うことか。
次いで、同封された写真を確認する。
石のチャペル『天球館』内部を、入り口から撮影した構図だ。
手前に参列者用の椅子が並び、後方には祭壇。
更にその奥には、太陽系の惑星を象った色鮮やかなステンドグラスが存在感を放つ。
ここに、『祝福』を辞退する根拠が隠されているのだろうか。
穂高からのメールを再度確認し、最後に示された内容に目をとめる。
『過去、王族からの『祝福』を辞退した女性あり。
太陽神の神殿で一般男性との婚約の儀式を既に行っていた為、『祝福』は無効となった。』
義兄が、穂高と同じくこの情報を持ち、これを根拠に辞退を願うのだとしたら、真珠は既にラシード王子以外の人間とこの儀式を行っていないと成り立たない。
穂高からのメールを再読するために読み進めた処、ある文言が心の琴線に触れ、『何か』が共鳴した。
『太陽神シェ・ラのシンボルマークの元での誓いが最優先。(シンボルマークについては調査中)
太陽神への供物として『音』の奉納を行う必要がある。』
「音の、奉納……」
これは、つまり──演奏を意味しているのだろうか?
脳裏に浮かんだのは『クラシックの夕べ』──そのコンサートの中で起こった一連の出来事。
これは──
「そういうことか……」
先程、案内された部屋に掛けられたタペストリーに描かれていたのは、デフォルメされた太陽だ。
どこかで見たことがあると思っていたのだが、目撃した場所は、石のチャペル『天球館』──
写真を手元に手繰り寄せ、巨大な太陽を背景に惑星が散りばめられたステンドグラスを確認する。
「同じだ……」
このステンドグラスの太陽とタペストリーの紋様が、ピタリと一致する。
月ヶ瀬幸造と葛城千尋の結婚式の際、現アルサラーム国王から贈られた、あの教会。
まさか、チャペルに太陽神シェ・ラの象徴が隠されているなど、誰が想像できただろう。
次いで、厳重にシーリングされた封筒を手に取る。
俺の予想が正しければ、この中には二枚の写真が入っている筈だ。
一枚は、真珠と晴夏。
もう一枚は、真珠と俺の──接触事故の写真。
その双方の背面には、ステンドグラスの太陽──シェ・ラを現すシンボルマークが映っているのは間違いない。
いや、もしかしたら、写真は一枚のみ──真珠と俺の写真だけの可能性も高い。
俺と真珠の二人が、事故で接触した箇所は──唇だ。
これだけで最上の誓約としての用を成す。
シェ・ラの象徴前での誓いに見せかけた、あの一瞬を切り取った写真は、『祝福』辞退への大きな理由になるだろう。
指示された番号に連絡を入れるべく、スマートフォン画面に触れる。
着信音が一度鳴ったかと思うと、応答した相手が『お待ちしておりました』と丁寧に挨拶を返してきた。
先程、部屋まで足を運び、義兄を迎えに来た首席秘書の声だ。
俺は息を吸ってから、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「会談中に失礼します。急ぎの要件になるかと思い、取り急ぎこちらに連絡させていただいた次第です」
『葛城様からのご用件のみ、会談中でもお取り継ぎするよう月ヶ瀬からは承っております。少々お待ちくださいませ』
首席秘書の声が返され、暫く待っていると義兄の声が耳に届いた。
『貴志くん、待っていたよ。君なら必ず開封すると思っていた──取り敢えず、合格だ』
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