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【真珠】エルとシエル

ブクマ、評価をいただき、ありがとうございます!



 廊下を歩いて移動する。

 少し緊張してはいるけれど、不思議と気持ちは落ち着いていた。


 そういえば、スイートルームが並ぶこの高層階。

 さきほどから廊下を歩いているのに、宿泊客とすれ違わないことに気づく。


 不思議に思って貴志に問うと、彼は答えてくれた。


「それは、この階をすべてアルサラームが借り切っているからだ」


 その回答に更に疑問が生まれる。


「じゃあ、貴志の部屋はどうして、同じ階なの?」


 貴志が手を伸ばし、わたしはその掌を握った。

 ほんのり冷たい手が、わたしの子供体温に心地良い。

 

「アルサラーム国王が急遽来日することになったのが先々週のことで、スイートルーム予約客については他の階への割り振りができたんだが、部屋数が足りなくてな。一室だけ譲って貰ったんだ。俺もこのホテルの関係者ではあるし、国王陛下とは子供の頃に面識もあったから、恩情をかけてもらったようなものだ」


 なるほど。だから廊下で誰ともすれ違うことがなかったのか。ワンフロアを借り切れば、安全面でも憂慮がない。


 ラシードの滞在する部屋の前に到着し、周囲を見回す。

 誰もいない。勿論、宿泊客のことではない。

 警護をする厳ついおじさま方がいらっしゃるのか? と勝手に想像していたのだが、扉の前には誰もいなかった。


 貴志が扉に取り付けられたインターフォンを鳴らそうとした時、部屋の玄関口が内側へと開かれた。


「お待ちしておりました」


 そう言って腰を折り、恭しく一礼したのはエルだった。


 先程着用していた黒衣の神官服から着替えたようで、現在彼は簡素な服装──侍従装束とでもいうのだろうか──を纏っている。


 着る衣服によって左右されない、エキゾチックな美しさと気品は感嘆に値すると正直に思った。


 主への訪問客を察知し、客の手を煩わせることなく対応する姿も流石だと感じる──が、浮世離れした彼がこの行動をとると、空恐ろしものを感じてしまう。


 先程あの廊下で、わたしを見ながらも、別の何かを確かめているようなエルの視線を思い出すと、少しだけ怖かった。


 入室を促され、足を踏み入れる。

 玄関扉の正面には中扉があり、奥へ進むと広々とした居間が広がっていた。


 貴志が使用しているスイートよりも倍以上広い空間が現れ、ソファセットと大きなダイニングテーブルが目に入った。

 窓際の一角には、グランドピアノも置かれている。


 調度も豪奢だ。スイートルームのなかでも最高級ランクの部屋なのだろう。

 ソファに座ることでさえも、尻込みしてしまう程だ。


 失礼にならない程度に周囲へと目を向け、その部屋の様子を観察していたところ、玄関口で感じた違和感が再び訪れる。


 室内にも、エスピーはおろか侍女のような存在ですら一人としていないのだ。


 エルがラシードの侍従で世話係になっているとはいえ、王族の周りにこんなにも人がいなくて良いのだろうか。


 それとも、わたしはお伽噺の読みすぎで、王族は召使いに(かしず)かれるものだと勝手に勘違いしていただけなのか?


 どちらが正しいのか、まったくの謎である。



 エルに先導されて居間を通り抜けると、目の前に再び扉が現れる。


 その扉を開けると、室内であるというのに目の前に廊下が伸びていた。

 廊下を真っ直ぐ進み、二枚の扉を横目に通り過ぎたあと、二十畳程の一室に通された。



 促されて入室する際、正面の壁に掛けられた見慣れないタペストリーが目に留まる。



 この大きな壁かけの織物に描かれた絵は、どこかで見たことがあるような気がした──ゲームプレイ中、目にしていたのかもしれない。



 そう思って足を止めて見つめていると、そのタペストリーの下──ソファに座る、黒髪碧眼の王子と目が合った。



 とりあえず会釈をしておこうかと思ったのだが、彼はフイッと目を逸らしてしまう。


 眉間に皺が寄せられ、怒っているのだろうか──顔が赤く、憤怒の様相だ。


 でも、ラシードが怒るのは当たり前のこと。


 突然現れた見知らぬ子供に、将来愛する者に与えるはずだった『祝福』を奪われてしまったのだから。


 そこは本当に申し訳ないと思うが、相当嫌われているだろう様子が分かり、わたしはホッと胸を撫でおろす。

 この分であれば、祝福の辞退は問題なくできるのではないか? と推測できたからだ。


 ソファの背もたれに置かれた大きなクッションに、埋もれるように座る王子殿下は一向に目を合わせようとしない。


 どうしたものかと思って、貴志とエルを交互に見る。


 エルが、わたしと貴志についての紹介を王子殿下にむかって伝えるが、それでもこちらを見ない。


「殿下、ご挨拶を。ご友人として月ヶ瀬会長のご親族をお招きしたのですから、ホストらしい振る舞いをなさってください」


 よし──ラシードと会話をする前に、訊かなくてはならないと思っていたことが、エルの口から語られた。



 王子殿下として対応するのか、それとも、友人として遊ぶのか──事前に確認する必要があったのだが『友人』として対応をすればよいことが分かり、とりあえずホッとする。



 エルからは「友人として対等に、殿下のことは『ラシード』とお呼びください」と伝えられた。



 シードが彼の真名であるが、尊い身分の為、シェ・ラの末裔ということにあやかって、真名の前にラをつけることで尊称とし、ラシードと呼ぶのだそうだ。



 王子殿下を名前で呼ぶのだ。

 わたしのことも名前で呼んでほしいと伝えないと非礼にあたる。

 エルに対しても「レディ」は付けずに、ファーストネームで呼んでほしい旨を伝えた。



 レディ真珠──と呼ばれるたびに、むず痒い気持ちになるので、そう呼ぶのをやめてほしかったのだ。



 エルはわたしの申し出を了承すると、今度は貴志に向き直る。


「ミスター葛城、どうぞ私のことはエルとお呼びください」


 けれど、貴志は頑なに固辞し続ける。


 慣れ合うわけにはいかない──そんな様子が伝わったのだろう。エルは少し困ったような笑顔を見せた。



「私が『ミスター葛城』と呼ぶよりも、ファーストネームで呼ばせていただきたいのですよ。日本語の発音は難しい。『貴志』と呼ばせていただく方が言いやすいのです」



 こう言われてしまっては貴志も断ることができない。


 エルが見せた困ったような笑顔は、どこか演技めいていた。


 自分がへりくだることによって、自らの意見を相手に飲ませる手腕を見るに、なかなか(したた)かな人物のようだ。


 大人二人が呼称についての話をしている間、わたしはチラリと部屋の様子をうかがった。




 こちらの部屋には、アップライトのピアノが一台あるようだ。その隣の棚には、子供用のバイオリンケースが置かれていた。


 これがラシードのバイオリンかと思った瞬間、突如として奇妙な違和感に見舞われた。



(あれ? 高校時代、ラシードの専攻していた楽器って、確か……)



 ──ピアノだった筈。



 ピアノとバイオリンの両方を習っているのだろうか?


 弦楽器を習う際、ピアノも同時進行で習い始める人の割合もかなり多い。かくいうわたしも、伊佐子時代には短期間ではあるがピアノを習っていた。


 なんとなくしっくりしないものを感じながら、わたしはピアノに吸い寄せられるように近づいた。



 彼が、亡くなった母親を偲ぶシーンで弾いていたのは、あの曲──いや? ちょっと待って?


 彼が懐かしんでいた人物は、もう一人いた。


 彼を見守り、導いてくれた人物がよく弾いていた曲だと言って、『主人公』にピアノ演奏を聴かせてくれたのだ。


 ラシードの母親と共に、不慮の事故で落命した人物。


 それは──



「そうだ。シェ・ラ・シエル第三王子殿下だ」



 わたしの呟きを拾ったラシードが弾かれたように顔を上げ、一瞬だけ狼狽した表情を見せた後、噛み付くように声を荒げた。



「お前! 何故その名を知っている!?」



 あれ?

 知っていたらいけないの?


 そうか!

 わたしはお子様だから、そういう情報を知っているのは、おかしいことなのかもしれない。


 そう思い至ったわたしは、どうにか誤魔化すべく貴志に助けを求める。



 が、貴志は声を絞り出すので精一杯の様子だ。



「真珠……教皇聖下の真名は……お前の祖父から聞いていた。それで間違いない、な」



 貴志の顔は、何故知っているんだ⁉ と物語り、困惑に彩られていた。


 どうして教皇聖下の名前を、祖父から聞いて知っていると言わねばならぬのだ?


 貴志は何か、勘違いをしているのかもしれない。



「へ? 違──」

「──わないな!? 真珠!」



 有無を言わさぬ、貴志の迫力に負け。

 わたしは、首を何度も縦にふる。


 いかん!

 これは絶対に逆らってはいけないヤツだ。

 


「そうです。そうなんです! 祖父から聞きました。それ以外は絶対にありえません。ラシードの教育係もしていらっしゃるんですよね。彼が十歳の誕生日を迎えるまでは、ご存命でいらし──」



 いつの間にか隣にやって来た貴志が、その手でわたしの口を塞いだ。


 美しい笑顔だが、間違いなく怒っている。



 ものすごくマズイことまで口走ってしまったのは、残念なわたしの頭でも理解できた。

 いや、ポンコツ故に口をついて出てしまったと言う方が正しい。



 ラシードは蒼い目を大きく見開き、わたしのことを凝視している。



 突然、エルが小気味好く笑い始め、颯爽とわたしの目の前に近づくと突然跪いて、わたしの手をとった。



「見つけた──レディ真珠、やはり貴女だった。わたしの『天命の女神』」



 エルはわたしの手の甲に、その額を当てた。



 その様子を目にしたラシードが慌てて駆け寄り、その背にしがみつく。



「シエル! お前が跪いてよいのは、太陽神シェ・ラだけだ!」



 エルを立ち上がらせようと躍起になるラシードを視界で捉えるが、それどころではない。



 ラシード、お前はエルに向かって何と言ったのだ!?

 今、彼のことをシエルと呼ばなかったか!?


 貴志が息を呑む音が響く。



「シェ・ラ・シエル……第三王子──教皇聖下……?」



 貴志が唖然とした声で呟いた。




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