【真珠】『祝福』と火花
ラシードの言葉を受け、黒衣の民族衣装を着た美青年エルは、こちらを振り返ると動きを止めた。
貴志は溜め息をついている。
わたしが何かとんでもないことを仕出かしてしまった事は分かった。
次にどう行動に出ようかと逡巡している大人二人を見守りつつ、わたしはラシードに目を向けた。
彼は不安そうな表情で、エルの背中を見つめている。
高校生の頃の、あの傲岸不遜な態度は微塵も感じられない。
わたしの視線に気づいたラシードは、こちらを見た瞬間、キッと睨んできた。
幼い見た目にそぐわない鋭い視線だ。
けれど、猫の子供が毛を逆立ててフーフー唸っている姿と重なる。
あの柔らかそうなウェーブのかかった黒髪を、この手で撫で繰りまわしたいほどの愛くるしさには驚くばかり。
この現在の稚い姿から、あの憎たらしいほどの傲慢さがどのように製造されるのか、大変興味深くもある。
その姿を見詰めていると、王子殿下は更に険しい視線を向けてくる。
「レディ真珠」
エルと呼ばれた民族衣装の美青年が、溜め息交じりの声でわたしの名前を呼んだ。
奇妙な感覚を覚えて、一歩後ろに下がる。
(何故、わたしの名前を知っているのだ!?)
疑問に思ったけれど、今日わたしとラシードはプレイデートの約束があるので、事前に写真等の情報が先方にわたっている可能性にも気づいた。
貴志が警戒し、わたしを庇うように背後に隠すと、その青年の前に一歩出た。
こちらの様子を観察していたエルは、微かに笑う。
けれどそれは、先ほどの優しい微笑みではなく、不快感を伴う嘲笑混じりの表情だ。
「ミスター葛城ですね? 本日の付添人ということで、話はうかがっております。私は、エル=ハマット──訪日中、国王陛下より侍従職に任じられ、殿下に近侍しております。
そして、こちら──レディ真珠に『太陽神シェ・ラの祝福』をお与えになったのが、我が国の第五王子シェ・ラ・シード殿下であらせられます。
大変に誉なことでございます故、後ほど然るべき手続きをいたしましょう。
しかしながら、このような手段で『祝福』を手に入れるとは、その狡猾さには恐れ入るばかり──これが世界に名だたる月ヶ瀬グループのやり口とは、品位の欠片もない。正直、開いた口が塞がらない」
『祝福』?
然るべき手続き?
狡猾さ?
一体、何の話をしているのだろうか。
しかも、こんなにも侮辱される謂れはない筈だ。
どこのどいつだ!?
貴志と競えるほどの美貌の持ち主だなんて言ったのは!
貴志の足元にも及ばないぞ!
中身の人間性が伴っていないではないか!
先ほど自分が思ったことに対して非常に申し訳なくなり、わたしは貴志の横に立って、その手を握った。
エルと対峙する貴志は口角をゆっくりと上げ、嫣然とした笑みをその面に浮かべる。
壮絶なまでに美しい笑顔はどこか冷たさを漂わせ、零す言葉まで凍てつく温度──晴夏の絶対零度ヴォイスにも勝るとも劣らない声音に、悪寒が走る。
「ミスター・ハマット、あなたは何を勘違いなさっているのか──そちらの思惑が動いての画策かと思っておりましたが、そうではないと?」
雰囲気を豹変させた貴志に、エルは一瞬呑まれたようだが、すぐに不敵な笑顔を浮かべる。
貴志対エルの視線が交錯し、バチバチッと火花が散ったような気がした。
美青年同士の睨み合い──何とも見ごたえがあるのだが、不穏な空気であることには変わらない。
沈黙の中、いがみ合う二人の雰囲気をぶった切るように、わたしはエルに声をかける。
「お取り込み中、大変申し訳ありませんが、ハマット……さん? 『祝福』とは一体なんのことでしょうか?」
わたしの質問に、エルは「おや?」という表情を見せた。
「何も聞いていないと? レディ真珠?」
聞いていないも何も、ラシードが王子であることすら開示して貰えていないのだ。
エルに射抜かれるように見つめられた後、彼は何故かわたしの背後を確認すると、ハッと息を呑む。
背後に何かいるのか? と、ちょっとゾクッとしたが、誰もいない。
負けてなるものかと、自分の心を叱咤し、わたしは目力を込めて毅然と言い放つ。
「ハマットさん、わたしは何も──ただ一緒に遊ぶように言われてこちらに伺ったまで。それ以上のことは存じあげません。『祝福』が何を意味するのか分からなければ、話が先に進みません。教えていただきたい」
子供だと思って舐められたくない。
こんなにも無礼な態度をする人間に、下手に出るのも癪だった。
わたしの怯まない姿勢に、エルは表情を変えていく。
先程の不快感を表した様子は鳴りを潜め、今は楽しそうな──いや、かなり好意的な表情にかわっているのだ。
「これは失礼いたしました。レディ真珠、貴女は殿下から『祝福』を与えられた尊き御身、どうぞ、エルとお呼びください」
訳がわからん!
だから、祝福とは何ぞや!? と訊いているというのに。
先ほど、貴志の部屋での会話中に生まれた、苛立ちと空腹。
そこに、このエルという男の態度が重なり、不機嫌マックスだ──が、それを表に出さないよう堪える。
この男の態度は腹に据えかねるものがあったので、遠慮なく呼び捨てにさせていただく。
「では、エル。『祝福』とは? そこからして分からないので、話が繋がりません。ご説明を!」
何故だろう?
エルは先程から、わたしの背後を見つめては、時々首を捻っているのだ。
「我が国の直系王族は、すべて太陽神シェ・ラの末裔。現人神にあらせられます。
いわば生き神である王族からの接吻は、その者に豊穣と繁栄が約束されたことになります。それを女性に与えた場合、恐れながら妹背の契りの約束を交わしたと解されるのです」
妹背の契りの約束?
それは、つまり──結婚の約束、ということか!?
冗談ではない。
それだけは避けたいと、ラシード王子の『嫌な女ブラックリスト』に載る計画を練っていたというのに、まさかの激突で婚約者にされてはたまったものではない。
阻止しなければ……。
でも、どうやって?
わたしは貴志の手をギュッと握った。







