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【真珠】『Je Te Veux - あなたが欲しい - 』 1


 ドレスに着替え、理香に髪を整えてもらう。

 ヘッドドレスには、貴志から贈られた黒蝶真珠と白蝶貝のブローチを忘れずにつける。


 演奏時には緩い編み込みを右肩に流していたけれど、今は髪をおろして毛先を巻いている。

 理香の準備に対する気合いの入りようが怖いくらいで、わたしはされるがままになっている。


 本館のブライダル専用美容室にお世話になったこともあるが、あそこのスタッフのお姉さんよりも理香が熱い。

 絶対に逆らってはいけないことがヒシヒシと伝わる。


 晴夏も着替えが完了し、わたしの準備が終わるのを待っていた。


 鏡越しに彼と視線が合った。

 目を逸らされる前に、急いで笑顔を作る。


 晴夏は、仕方がないなという表情をしたあと微笑んでくれた。


 彼が怒っている時の笑顔には竦み上がってしまったが、鏡越しで目にした彼の微笑みは、いつもの見慣れたものに戻っていた。


 準備が終わると、理香が加山の部屋に内線電話をかけた。

 貴志と加山の二人も準備中らしく、そろそろチャペルに移動する頃合いらしい。


 加山の宿泊棟は、理香の部屋の三軒隣。チャペルへ移動する経路の途中にあるため、わたしたちがそちらに向かう。


 部屋を出る時、晴夏が条件反射のように手を差し出した。

 わたしは、躊躇いながら彼の顔を見る。


「怒っているんじゃなかったの?」


 わたしの質問に、晴夏は「怒っている」と返す。


 怒っているにも関わらず、わたしの世話を焼くつもりなのだろうか。


 恐る恐るではあるが、いつものように彼の掌にわたしの手を重ね、歩き出す。


「怒っているけど、シィに対してというよりは自分に対してだ。貴志さんの忠告を受けながらも、君に振り回されている自分の不甲斐なさが……嫌になった」


 貴志が、わたしに関する何かを晴夏に忠告したようだ。

 自分が取扱要注意人物になった気がして、地味にへこむ。


 晴夏の先程の怒りは、わたしに対して怒っていた訳ではなかったのか──と、彼の言葉に安堵の表情を見せた途端、彼はチクリと釘を刺す。


「君の鈍感力に対しても、勿論怒っている。でも、僕があんな態度をとっても、君は僕を遠ざけようとしないんだと思ったら、怒っていること自体が、馬鹿馬鹿しくなった」


 晴夏は、そう言ってわたしの手を引き、森の小径を移動する。


 理香の先導により早々に加山の宿泊棟に到着し、ベルを鳴らすと玄関が開けられ、わたしたちは入室した。



          …




 貴志は黒いシャツを身に着け、右手でボーイングをなぞっている。

 滑らかな運弓の邪魔にならないよう、袖口に窮屈な箇所はないか最終確認をしているようだ。


 貴志も加山も、黒のシャツに黒のスラックスを合わせている。今日は、ジレもジャケットも羽織っていないラフな出で立ちだ。


 加山は理香に選んでもらって、真紅のネクタイをつけることにしたようだ。


 貴志は千景おじさまから贈られた、古代紫のシルクタイを首元に結んでいた。

 落ち着いた渋い色合いの紫が顔周りを艶やかに彩り、彼の華やかな容姿を更に引き立てる。

 ネクタイを留めるピンは、わたしのブローチとお揃いのようだ。


 貴志の準備完了を確認した晴夏が、わたしの手を引き、貴志の近くまで誘導する。


「貴志さんが母に伝えたアドバイスを、着替えの時に理香さんから先に聞きました。ありがとうございます」


 貴志が晴夏に何かアドバイスをしたようだ。

 晴夏は兄とも仲良しだが、貴志とも親しいのだなと、三人の関係を羨ましく思った。


 お礼の言葉を貴志に伝えると、晴夏は何故かわたしの手を貴志に託した。


 彼のその行動に一瞬の戸惑いを見せた貴志は、自分の手にのせられたわたしの手をほどき、移動のために抱き上げてくれた。


 五人でチャペルへ向かう途中、貴志がおもむろに口を開いた。



「真珠、勝負だと言ったが、そのことは忘れて──音色だけを聴いてほしい。褒美については……検討しておく」



 わたしは彼の首にまわした腕を緩め、彼の横顔を見詰めた。

 彼の目線はこちらではなく、真っ直ぐ前を向いている。



「うん、わたしもそのつもり。勝負に集中し過ぎて、貴志の音を聴き逃したくない」



 ご褒美が欲しい──そう思ったのも本当のこと。



 でも今は勝負よりも、彼がわたしに伝えようとする真摯な気持ちを感じたい──そう思っている。



「勝負を持ちかけられて、貴志のことをずっと考えてた。多分、誰か一人のことを、こんなに一生懸命考えたのは、生まれて初めてだと思う」



 貴志は驚いたような表情で、咄嗟にわたしを見上げた。

 彼の口元が、少しだけ震えたような気がした。



「……そうか、ありがとう。それだけで……充分だ」



 貴志はそれだけ言って微笑むと、奥歯を噛みしめ、視線を真っ直ぐ前に向けた。



 わたしは彼の横顔を見詰める。


 前世も現世も含めて、自分の心を許し、ここまで濃密な時間を共に過ごした人間が貴志以外に存在しただろうか。


 何の忌憚もなく言葉を交わし、遠慮のない交流をしながら、同じ時を刻んだ人物が彼のほかにいただろうか。



 わたしにとって『葛城貴志』とは、どんな存在なのだろう。



 彼は、誰にも言えなかった秘密を打ち明け、共有した人。

 わたしの心の叫びを聞いてくれた人。


 ──とても大切な存在だ。






 石のチャペル『天球館』──森の木立に隠れていた建物が前方に現れた。


 教会に着いたら、わたしは貴志と離れて演奏開始を待つことになる。

 彼は演奏者用の入口に向かい、わたしは観客席に座らなくてはいけないのだ。



 もう少しだけ、一緒にいたいな──そう思いながら、貴志の首に腕をまわし、その肩に自分の頬をコテリと乗せる。



「ねえ、貴志。どんな曲を演奏するの?」



 彼の耳元で、演目を教えてほしいと伝える。




 貴志は優しく微笑むと──



「『Je(ジュ) Te(トゥ) Veux()』」



 ──そう一言だけ、わたしに告げた。





 『Je Te Veux』──『あなたが欲しい』


 


 その言葉に心が震えたのは、何故だろう。



 










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