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【真珠】晴夏、怒る


「真珠、晴夏、着替えたらドレスとスーツをこっちに貸して。シワにならないようハンガーにかけておくから」


 理香が昼寝の準備をテキパキと進めていく。


 チャペル前で昼食を摂り、晴夏と共に理香の部屋に移動してきたばかりだ。


 わたしのヘッドドレスを一旦外し、髪も梳いた。

 昼寝後にドレスを着た後、再度結い直すらしい。

 そこまでしなくても、と正直思いはしたのだが、理香の気合いの入りっぷりがそれを許してくれなかった。

 理香の熱の入りようが、今日はちょっと怖い。


 もう発表も終わったことだし、鑑賞用ワンピースに着替えようと提案したところ、凄みのある笑……ではなく、それはそれは可愛らしい笑顔で阻止された。


 理香曰く「折角みんなでお揃いなのに」とのこと。


 そういえば、貴志のネクタイ、兄のアスコットタイ、晴夏のタイ及びわたしのドレスのリボンカラーがお揃いだったことを思い出す。


 貴志との勝負に気を取られていたので、そういった細かい話題を完全に失念していた。


 やはり理香も女の子。

 お揃いという一体感の持つ抗い難い魅力に弱いのかもしれない。


 わたしも色を統一するのは好きだ。

 何色も入って乱雑に見えるより、単色にはシンプルな潔さがあるからだ。

 理香のような女子的な可愛さの追求でないのが非常に残念だが、わたしに女子力を求めるほうが間違っているので、そこはご容赦願いたい。


 そんなことを考えている間に、理香の手によって昼寝の準備が整えられた。


 晴夏に目を向けると、彼はスッとわたしから視線を逸らしてしまう。


 先程から晴夏が口をきいてくれない。

 それは、わたしが彼を怒らせてしまったから。



          …




 時は少し遡る。


 見知らぬ少女と話をする晴夏の元に走り寄った涼葉が、ヤキモチ光線をその目から発したのはつい先程のこと。

 何故か涼葉はわたしに視線を向けて、必死の形相で詰め寄ってきた。


「シィちゃんは、いいの? ハルちゃんが他の女の子と一緒にいてもいいの?」


 わたしは首をコテリと傾げるしかなかった。


 晴夏が誰と一緒にいて会話をしようとも、それは彼の選択であって、わたしが良し悪しを決める問題ではない。


 わたしのその態度に、涼葉は少しだけ悲しそうな表情をした。

 それ以降、宿泊棟へ戻る道すがら、涼葉は晴夏にベッタリくっついて離れなかった。


 彼もそのまま涼葉と一緒に昼寝をするのかと思っていた。

 けれど突然、涼葉が彼の腕を離したのだ。曰く、わたしと晴夏が別々の部屋で昼寝をするのは良くないとのこと。


 怪訝に思った晴夏が涼葉にどうしてそう思うのかと訊ねたところ──



「ハルちゃんは、シィちゃんと結婚したんでしょ?」


 ──と、涼葉は汚れのない眼差しで、そう(のたま)った。



 涼葉の盛大な思い違いに、わたしも晴夏もピシリと固まった。


 そうか、だからさっき女の子たちの前でわたしに対して、晴夏が他の女の子と一緒にいてもいいのかと訊いてきたのか。

 なるほど、合点が入った。


 涼葉は多大なる誤解をしているようだが、おそらくわたしと晴夏が着ていた衣装が原因かと思われる。


 まるで花嫁と花婿のような統一感ある衣装で、しかも紅子の「我が家の花嫁」発言もあったものだから、色々と勘違いが重なったのだろう。


 可愛い妹の涼葉に、あらぬ誤解をうけた衝撃は相当なものだったようで、晴夏から激しい動揺が伝わった。


 晴夏よ、お前は涼葉の尻に敷かれていそうだな──と、こっそり笑ってしまったのは内緒だ。


 仕方ない。

 世話が焼けるが、ここはわたしが助けてやるか──と口を開こうとした途端、今度は涼葉の言葉の暴力にノックアウトされたのはわたしの方だった。


「だって、ハルちゃんとシィちゃん、教会の神様の前で、お鼻にチュウしてた。あれは結婚のお約束なんだよね?」


 お鼻にチュウ──そういえば、その後の貴志との勝負のことで、この問題についてもすっかり忘れていたが──そんなことも……確かにあった。


 今度はわたしが微動だにしなくなったことで、晴夏が我に返り、涼葉に申し開きを開始する。


「あ……あれは、いつもシィが僕にしてくるので、それに対抗したまでで……」


 晴夏の科白に対して、わたしの中で疑問が生まれる。


「ハル……ちょっと質問していい? わたしが、いつもしてたって? なにそれ?」


 わたしの言葉に、今度は晴夏が絶句した。


 その直後、彼の瞳に青白い炎が見えた──気がした。


 熱い炎だと思ったのに、何故か漂ってくるのは冷気。


「シィ、君は、あれだけのことをしておいて、まさか覚えてないっていうのか!?」


 声が──声が、晴夏サマになっている。


 あのゲーム中、わたしの夢見を悪くさせた絶対零度ヴォイスが部屋の中に響き渡る。


 こわい怖い!──が、しかし、まったく身に覚えがない。


 あれだけのこと?


 なんだそれは──という気持ちが顔に出てしまったようで、晴夏のお怒りスイッチが完全にオンになった。


 もはや逃げることさえ不可能だ。


「初めてガゼヴォに練習に行った時、僕の腕に抱きついてきたり、そうかと思うと突然鼻先をつけてきたり。トウモロコシの時だって──君はあれをっ あれを、まったく覚えていないとでも言うのか!?」


 へ!? どういうことだ?

 あれ、とは何だ?

 まったく身に覚えがない。


 ど……どうしよう。


 晴夏が、憤慨している。

 あの、感情を表さなかった晴夏が──だ。


 わたしの驚愕ぶりは、推して然るべきだろう。


 しかも、そんなセクハラまがいのことを、わたしが本当に行っていたのか!?


 晴夏の勘違い?


 ごめんなさい。多分、今わたしが思ったことも、晴夏に伝わった。

 この凍てつくような冷たさは、ツンドラ気候の永久凍土も斯くやとばかりに思われる。


 ああ、そうだった──と、自分の罪を思い出し、わたしは冷や汗をかく。


 罪とは、貴志の部屋で晴夏と涼葉とお昼寝中におきたこと──わたしは無意識のうちに、ソファで眠っていた晴夏の手を握っていた前科がある。


 自分でも気づかないうちに、わたしの手が勝手に動き、彼の柔肌をお触りしていた事件があったではないか!


 無意識下で、晴夏に対して鼻をくっつけるという行為をしていたとしても不思議ではない。非常に残念なことに。


 どうしよう。

 どうしたらいい?


 わたしは小さく縮こまり、肩を落として、大人しく叱られる覚悟を決めた。


 晴夏は腕組みをして、わたしのことを上から見下ろしている。

 氷の(つぶて)のような彼の視線が、非常に痛い。


「君は少し、自分の行動を反省した方がいい」


 絶対零度の冷気がわたしの心を責め立てる。


 これは錯覚なのだろうか。彼の背後にブリザードが見えた気がした。


 この氷雪のような冷たい眼差しは『氷の王子』どころではなく、まるで『氷の魔王』だ。



 彼の身の内にて燃え盛る青白い劫火は現在は鳴りを潜め、彼の表層を覆うのは凍てつく冷気──通常時は、『氷の王子』のままらしい。



 わたしが力なく項垂れていると、今度は涼葉が何故かわたしの援護にまわってくれた。


「女の子をいじめちゃ駄目でしょ! スズはちゃんと知ってるよ。ハルちゃんがシィちゃんのことを大好──」


 涼葉が全てを言い終わらぬうちに、晴夏はその手で彼女の口を塞いだ。壮絶なまでの美しい笑顔に、何故か凄味を感じる。


 ──美人、怖い!

 怒りを帯びた美人の笑顔は凶器にもなるようだ。

 

 しかし、ハルがわたしのことをダイス、って何だろう?


 ダイスって、キューブ状の立方体──サイコロ……だよね。


 わたしはハッと息を呑んだ。

 自分のはじき出した考えの恐ろしさに固まった。


 まさか!?──晴夏がわたしのことをダイス型に切り刻みたいほど怒っているということなのだろうか。

 いや、でも彼がそんなことを考えるような人物には思えない。


 一瞬浮かんでしまった考えを、頭の隅に無理矢理押しやる。


 けれど、晴夏がわたしに対して怒っている様子はヒシヒシと伝わる。そして、何故か涼葉のこともたしなめているのだ。


 これは相当まずい。


 緊迫したわたしの心を知ってか知らずか、黛さんが寝室から声をかけてきた。


「あらあら、喧嘩でもなさっているのですか? 涼葉さん、ベッドの準備が終わりましたよ。一度、お昼寝しておきましょうね」


 理香も黛さんと一緒に寝室から出てきた。手には紙袋を持っている。

 彼女はその袋を指差してから軽く振る。


「晴夏が昼寝で使うシャツを出していただいたから、そろそろわたしの部屋に行きましょう」


 理香に促され、わたしは晴夏と共に彼女の部屋へ移動し、冒頭のように服を着替え、昼寝の準備をしていたのだ。



          …



 晴夏はソファで既に寝入っている。

 わたしと一緒のベッドで昼寝をするのは、どうしても嫌だったようだ。


 彼のその態度で、わたしに対して相当怒っているだろうことが伝わり、わたしは溜め息を洩らした。


 昨日の失言で晴夏を茫然とさせ、本日は憤慨させるというダブルコンボを成し遂げてしまった。彼の怒りは当たり前なのかもしれない。


 これは、どうにかして謝って、仲直りをしないといけない。

 そうしなければ喧嘩をしたまま『天球』から去ることになってしまう。

 やっと仲良くなれ、魂が溶け合う最高の演奏ができたというのに、それではあまりに後味が悪い。


 明後日の月曜日には、トウモロコシを受け取りに紅子と共に月ヶ瀬家に遊びに来ることになっているが、仲直りをするのはできるだけ早い方が良い。

 もうまさしく『善は急げ』の心境だ。



 貴志のことといい、晴夏のことといい、わたしはどうしてこうも問題ばかり起こしてしまうのだろう。



 貴志との勝負。晴夏への謝罪──それから、わたしにはもう一つ大切な役目があることを思い出す。



 兄からの依頼で、わたしは彼のために想い人の代理をすることになっているのだ。



 兄は今頃、紅子と共に貴志の部屋のピアノを借りて、ウォーミングアップをしているのだろう。


 こうしてわたしが悶々と悩んでいる間に、他のみんなはそれぞれ自分のやるべき事と真剣に向き合っているのだ。



 わたしが今すべき事は──休息をとること。

 とにかく今は眠らなくてはならない。

 それが最優先事項だ。


 苦しくはあるけれど、対策については起きてから考えよう。

 

 睡眠不足で頭が働かないという事態だけは避けたい。そんな状態では、頼まれた役目を果たすことも、問題を解決することもできない。


 今は、眠ろう。

 何も考えずに。


 自分の中ですべきことを決めると、心がホッとしたのか、瞼が急に重くなる。



 徐々に眠気の膜に包まれるなか、ゆっくり目を閉じていく。


 瞼には何故か、貴志の穏やかな笑顔が浮かんだ。






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