【真珠】ピー助と『浅草寺』
「ねえ、ピー助。どうしようか」
わたしは国立科学博物館にて、父から強引に買い与えられた恐竜のぬいぐるみに話しかけた。
可愛らしくデフォルメされた円らな瞳が、明後日の方向を見ている。
――勿論、返事はない。
場所は浅草寺――お堂の手前の石段の端っこ。
時刻は夕刻過ぎ。人通りも既にまばらだ。
夏の夜、まだ湿度も温度も下がっていない。
…
時刻は数時間前に遡る――
博物館を出た月ヶ瀬家四人組は、榊原さんの運転する車ではなく電車で、上野から浅草まで移動することになっていた。
父が選んだ巨大なぬいぐるみは、何故かラッピングされることなく値札を外し、むき出し状態で手渡された。
その後、科博の出口にそびえる巨大なシロナガスクジラのオブジェを見た父親に、そのぬいぐるみを持っての写真撮影を強要されることとなった。
「しぃちゃん、ほらこっち、パパを見てー!」
父・誠一がカメラを向ける。
何故こんな巨大なぬいぐるみを自分で運ばねばならないのか、そして、何故笑わねばならぬのか、と暑さのため少し不機嫌になっていたわたしなのだが――
「真珠。可愛いね。笑ってごらん」
兄・穂高の一声でスイッチが切り替わり、満面の笑顔でぬいぐるみと一緒に記念撮影に応じる――相変わらず残念なほどにチョロいわたしだ。
その後、駅まで移動し浅草まで無事に到着したが、穂高少年は疲れが出たようで、電車の座席で眠っていた。寝顔も、まごうこと無き天使だったとお伝えしておこう。
穂高少年は相当疲れていたようで、なかなか起きない――それもそうだろう、科博では号泣するわたしのお守りに徹していたのだ。本当にすまぬ。
よって父が彼を抱きかかえ、そのままホテルに移動することになった。
わたしは巨大ぬいぐるみを――フタバススキリュウだったので『ドラえ〇ん』の映画に肖り――ピー助と命名した。
そのピー助を必死に抱きしめ、背中にはリュックを背負う。この中には、祖父母からもらったお小遣いが入っている。
母は、父と兄の荷物を持ち、ホテルへの道を急いだ。
時刻は午後三時過ぎ――
「美沙子、夕方涼しくなってきたら、四人で浅草寺まで歩いて行こうか」
「そうね、誠一さん」
前を歩く両親はそんな他愛もない会話している――が、侮ることなかれ。二人の会話のすべての語尾には、もれなくハートマークがついているのだ。
砂糖を吐きそうになる。
お祖母さまの言うとおり、私たち兄妹に弟妹ができる日は、そう遠くないかもしれない。
道路を横断し、雷門の前を横切る。
待ち合わせをする人や写真撮影をする人、人力車の客引きの厳ついお兄さんたち、海外から観光に来たであろう人、人、人が山のように聳え立っていた。
伊佐子時代にも来たことがあるので、それを思い出すと感慨深い。
当時、雷門と書かれた名物の提灯が、想像していたほど大きく感じず、違うコレジャナイ感でいっぱいになったのだが、今のわたしの体は5歳サイズ――提灯は、かなり大きく見えて、お得感があった。
そんなことを思って、雷門を見つめていたら、なんと両親を見失ってしまったのだ。まさかの迷子だ。
責任感の強い穂高少年がいたら、絶対にならないであろう迷子になってしまった。
もう一度言おう、穂高少年がいたら間違ってもならなかった筈の迷子になってしまったのだ。
ホテル名と住所を記入したものを持たせてもらうんだったな、と思ったが後の祭りだ。
でも、伊佐子時代に何度か来たことがあるので、まったく不安はない。
交番も雷門脇にあるし、何かあればそこに駆け込もう。
それに、今はお互いしか目に入っていない両親だが、ホテルにチェックインする時にはさすがに気づいてくれるだろう。
(気づく……よね?)
最近の二人の「お互い以外はアウト・オブ眼中」な状況を思い出して、少し不安になった。
しかし、喉が渇いた。とりあえず冷やし抹茶を買おう。
お店の前にピー助を持って移動した。
「おばちゃん、冷やし抹茶ひとつね」
お店の人は恐竜のぬいぐるみに驚いたようだ。
「お……お嬢ちゃん、一人……なの?」
と聞かれたので、
「そうなんです。今日は本当に暑いですね」
と世間話をしながら、お財布を取り出した。
ピー助を地面に置いて、腰に手を当て、ぐびぐびと飲み干した。冷たくて美味しい。
「おばちゃん、ごちそうさまでした。このカップお願いしてもいいですか?」
「う……うん、捨てておくけど、お嬢ちゃん一人で大丈夫なの?」
「うん、平気。何度か来たことがあるから」
「そう……、気をつけるんだよ」
と見送られた。
ひとりで浅草観光だよ。とワクワクし過ぎて、気分は伊佐子に戻っていた。口調も真珠のものではない。
(芋羊羹も食べたいし、人形焼きも食べねば!)
食欲という人間の三大欲求のひとつは、実に恐ろしいものである。
祖父母からもらった軍資金をリュックに、仲見世通りをひやかすことにした。
すっかり自分が迷子になっていることを忘れて、目一杯楽しんでしまったのだ。
お店のカウンターに、わたしの身長は届かないが、そこはピー助が活躍してくれた。少し上に持ち上げるとお店の人に見えるのだが、皆一様にビックリしていた。
それはそうだろう。恐竜のヌイグルミが買い物に来たのだ。驚かない訳がない。でも、それは致し方ない。わたしの背が低いから。
お店を覗くと必ず、
「ひとりなの?」
と尋ねられるため、
「大丈夫ですよ。ちゃんとお金持ってますから」
と安心させるところから始めなければならない。
それがちょっと面倒だ。
「え〜とね……、そういうことじゃないんだけど……」
と渋られるので、そこは世間話で乗り切った。
「猛暑でお互い辛いですね〜」
「お盆はご実家に帰られるんですか〜?」
などをその都度使い分け、頑張った。
すると渋々ではあるが物品購入ができ、お店の前で舌鼓をうち、また目的のお店を目指しては前述のことを繰り返した。
ひとしきり食べたい物を食べ、穂高少年へのお土産もキチンと取り分け、最後はソフトクリームも食べることができた。
もうお腹いっぱいだ。
御朱印を購入できる社務所もあったので、ピー助と一緒に浅草寺に参拝後、御朱印だけ購入した。
御朱印帳は後でお気に入りのものを購入しよう。
伊佐子時代の趣味が復活してしまった。
日本へ一時帰国時には必ず神社仏閣巡りをし、御朱印集めに精をだしていたのが懐かしい。これからも集めていこう。
お寺用の御朱印帳はどこで買おうか?
神社用は伊勢神宮の紫色の物が欲しい。袋もつけて購入しよう。
さて、いつ買いに行こうかと計画を練ろうとしたその時、そういえば自分が五歳児で、迷子の真っ最中だったことを思い出した。
駄目だ。どうやら誰かストッパーがいないと、タガが外れてしまうらしい。わたしには穂高少年が必要なようだ。
気づくと靴擦れも出来ていた。痛い。
何故こんなに皮がめくれているのに気づかなかったのだろう。自分の食への欲求がおそろしい。
そういえば、両親も探しに来ない。
それはそうだろう。まさか五歳児が迷子になって泣きもせず、仲見世通りをひやかしていたとはきっと誰も思うまい。
そして冒頭に戻る。
そう、わたしはそれだけのことをして、今夕暮れ時の浅草寺の石段に座っていたのだ。
ちょっと泣きそうになった。
靴擦れも痛くて、交番まで歩けそうにない。
途方に暮れていたその時だった。
「おい、お前。やはり……迷子なのか?」
昔どこかで聞いたことのある声が聞こえてきた。
(こんな大変な時に、誰だよぅ……)
ベソをかきながら座り込んで蹲っていたわたしは、ゆっくりと顔をあげる。
そこには――
(ひぃぃぃぃぃ!?)
攻略対象のひとり――葛城貴志が、目の前でわたしの顔を覗き込んでいたのだ。
…
わたしの心を揺さぶる、嵐が起きようとしていた――
今日だけは、会いたくなかった。
精一杯の虚勢をはっていた、今日だけは――
真珠のおばちゃん口調には、ちょっと意味があります。後ほど回収致しますので、宜しくお願いしますm(_ _)m
 







