【真珠】「今夜、話があるんだ」
本日2話同時更新です。(このページの前に一話未読話があります。)
やはり兄の『想い人』は──理香?
気になる人物でなけれは、事前に名前を調べるなんて熱烈なことはしないと思う。わたしには誰かの名前を知りたい、と必死になって調べた経験は皆無なので、あくまでも予想でしかないが──
よし! ここはわたしが兄の為に一肌脱いでさしあげよう!
想いは本人から伝えるのは当たり前だが、まずは演奏を聴いてもらわないことには何も始まらない。
わたしは意を決して、理香に笑顔で話しかける。
「理香、明日は、穂高兄さまの演奏もしっかり聴いてあげてね。きっとお兄さまは理香に聴いてほしいと思っている筈だから」
わたしはお兄さまのお手伝いをするべく、兄の演奏を是非聴いてほしいと熱意をもって伝えた。
兄は、この援護射撃を喜んでくれるだろうか?
「は? シィ?」
「え? 真珠?」
わたしの言葉を受けて、晴夏と理香が同時に怪訝な顔をし、素っ頓狂な声をあげた。
「何を勘違いしているのか分からないけど、それは穂高に言っちゃ絶対駄目なヤツよ。さすがにアンタが後ろから撃っちゃ駄目でしょう?」
「シィ……、君は……っ」
んんん?
なんだ?
何がどうして二人揃ってこんな態度なのだ!?
二人から、ものすごく残念な眼差しを向けられている。これはきっと気のせいではない。
なんだかとても居たたまれない。
特に晴夏からの視線が突き刺さるようだ。とても痛い。
どうしよう。
兄だけじゃなくて「僕も応援してくれ」と、彼はあの視線で訴えているのだろうか?
たしかにそうだ。いくら兄がわたしの身内だからとはいえ、今のままだとわたしのアシストにより兄一人だけ抜け駆けしていることになる。
恋の駆け引きにおいてはフェアじゃないのかもしれない。
これは、晴夏の応援もわたくしめがしてあげないといけないのだな。
晴夏から送られた痛い眼差しに納得したわたしは、よし! と気合を入れる。
わかった、任せて!──親指を立てて、自信満々の笑顔で晴夏に頷く。
晴夏は、何故か益々不安そうな表情になる。
大丈夫。わたしは君の理香への想いを口にするわけではない。ただ、彼女に晴夏の演奏も気にかけてほしい──そう伝えるだけだ。
「ハルも理香に伴奏してもらうんじゃなくて、本当は演奏を聴いてほしかったんだもんね? 理香、ハルの演奏もしっかり聴いてあげてね!」
二人は更に困惑顔になる。
晴夏に至っては目を見開いて呼吸を止め、かなりの動揺が見て取れた。
わたしの発した科白は、悉くよろしくない選択肢を選び取っているのだろうか?
何か間違ったことを言っているのか? わたしは。
少し自分の予測に対する自信が揺らぐ。
いや、でも、今までの兄と晴夏の理香への関心度合いを考えると、二人の『想い人』は理香──そこにしか行きつかない。
理香が深い溜め息をついて、晴夏の肩をポンポンと叩く。
晴夏は、ハッと我に返り、胸に手を当てて深呼吸を数回繰り返している。
わたしは、彼らの態度がまったく理解できず、いかんともしがたい気持ちになる。
二人して、どうしたのだろう。
気まずい空気感漂う部屋に、内線電話のベルが鳴り響いた。
理香が慌てて電話に近寄り、受話器をとる。
晴夏は何故か少し恨めしそうな表情で、わたしの顔を眺めている。
「えーと……ハル? どうしたの?」
晴夏は目を閉じて、眉間に皺を寄せて頭を左右に振るだけだ。
晴夏はわたしとの会話を放棄したようだ。
どうしよう。既に婉曲に質問できる雰囲気じゃない。
もう、これはストレートに訊くしかない。
勘違いしたまま話を進めては、纏まる話もまとまらない。
「えーと? あのね。もし違っていたらごめんね。穂高兄さまとハルは、理香のことが好き──なんだよね?」
晴夏が大きく息を吸い込み、その動きが完全に止まった。
「ち……ちがう、の? え? じゃあ、なんであんなに理香を気にして……?」
どうしよう。それならば、わたしはまったく見当違いの科白を吐き続けていたことになる。
非常に残念な婦女子に成り下がってしまう。
これはマズイ!
どうにか失地回復および名誉挽回をせねば!!!
動転した頭でアワアワしていると、晴夏は苦笑いを浮かべる。その苦笑いでさえも美しい。
本当に美人さんだなーと見とれていたところ、彼はわたしの左手に触れ、ゆっくりとした動作でその手を持ち上げる。
大切に包まれたわたしの掌。
その手を見つめながら、晴夏はハッキリした声で断言する。
「理香さんに対して、僕も穂高も──そういった気持ちは、ない」
え!?
二人揃って理香が好きなわけではないという事実に衝撃をうけたのだが、それよりも、彼と兄がそういう情報を共有していたことに驚きを隠せなかった。
…
「真珠、晴夏! 柊女史が部屋に来いって。衣装を準備したから、一度合わせたいっていう連絡よ。行きましょうか」
理香がそう言って内線電話を切り、外に出る準備を始める。
彼女はスマートフォンのメッセージも確認しているようだ。
「良ちゃんは、貴志と咲ちゃんと何か話込んでるみたいで、こっちの午前中のリハには参加できないって連絡きてたのよ。まだかかっているのかしらね? 結構時間経つのに。一応彼等にも連絡しておくから、先に晴夏の棟に移動しちゃいましょう」
…
「お! 来たな。お前たち。どうだ、この衣装は!」
晴夏の宿泊棟へ戻って開口一番、紅子が得意げに晴夏とわたしの衣装を披露する。
結婚式のフラワーガール用のドレスと、リングボーイ用のスーツが壁にかけられていた。
彼女が本館のドレスショップで見繕ったようだ。
純白のサテン生地のドレスだ。光沢のある生地の上は、花柄のレースで覆われている。そのレースには色糸で刺繍が施され、角度によって紫色にも銀色にも見える。散りばめられた刺繍が芸術品のようで息を呑む美しさだ。
刺繍と同系色の光沢のある太めのリボンが、ハイウェストの切り替えに使用された上品なデザインだ。
晴夏は濃紺のスリーピースのスーツ。ジレはグレーだ。
シンプルなデザインが、彼の美しさを更に惹きたてる。ネクタイとポケットチーフがわたしのドレスの刺繍と同系色──光沢のある古代紫だ。
わたしがドレスの素敵さにうっとりしていると、紅子が満面の笑みでわたしの顔を覗いてきた。
「真珠、気に入ったか? お前のこのドレスは、穂高が選んだものだ」
紅子の科白にわたしは目を丸くする。
「え? お兄さまが? わたしの為に?」
ソファに座っていた兄が、わたしの視線を受けて優しく微笑む。
「ありがとうございます! お兄さま」
わたしは嬉しくなって、少し赤面しながら笑顔を返す。
感動だった。兄がわたしの為にドレスを選んでくれるなんて!
「紅子さんと一緒に探したんだ。出資者は千景おじさんだから、後で二人でお礼を伝えに行こう」
お兄さまが選んでくれて、更に千景おじさまからプレゼントしてもらえるとは──愛されているんだな、と幸せな気持ちで胸がいっぱいになった。
大人女子二人に急かされて、晴夏とわたしはこれらの衣装を試着をすることになった。
わたしは寝室を借りて着替える。
理香が衣装替えを手伝ってくれ、更に髪もセットしてくれた。
コットンパールのカチューシャをつけ、後れ毛を出しながら緩やかな三つ編みで髪をひとつにまとめて右側に流した。この髪型はドレスとの相性も良く、かなり気に入った。
着替えが終わった晴夏と一緒に並ぶと、何故か写真撮影会が始まることと相成った。
「うわっ 可愛いわね。まるで新郎新婦みたいよ」
理香が大興奮だ。
「これは、いいな。美沙子に写真を送らねば」
紅子も写真を撮りまくっている。
何枚か撮影が終わった頃、理香のその両目が弧を描いた。
なにか楽しいことを思いついたようだ。
「この写真、貴志にも送っちゃおーっと!」
その科白を受けて、紅子が機嫌よく笑う。
「それは最高に面白そうだな! 理香、貴志にもっとジャンジャン燃料を投下してやれ!」
「かしこまりました! 柊女史!」
いつの間に仲良くなったのだろうか。犬猿の仲だったはずなのに──悪戯目的でこの二人がタッグを組むと最強で最凶なのかもしれない。
その様子を横目に見ていると、ソファから立ち上がった兄が隣にやって来た。
「真珠、可愛いよ。とても……似合ってる」
目を細めて、とても穏やかな笑顔で褒めてくれた。
その瞳から伝わる感情で、彼がお世辞ではなく本当に可愛いと思ってくれていることが分かる。
身内贔屓もあるだろうが、お兄さまからそう言ってもらえるだけでとても嬉しい。
わたしは、はにかみながらもお礼を伝える。
「ありがとうございます。嬉しい」
兄はわたしの横に流した三つ編みを手に取ると、少し考えながら言葉を紡ぎ始めた。
「真珠、今夜、話があるんだ。今日は、少し早めに『星川』まで戻ってこられるかな?」
話?──改まって、どうしたんだろう。
わたしは不思議に思いながらも、兄に了承を伝える。
「はい。わかりました。貴志に早めに送ってもらいます」
兄の瞳を見詰めていると、わたしの心の中に、何故かとても切ない感情が流れ込んだ──何かを決意したような気配を見せる彼の双眸は、今まで見たことのない、不思議な光を宿していた。







