【真珠】そして、新たな幕が開く!
世間一般では、お盆休みにはあともう少しという頃――真珠の父親は夏休みに入った。
一週間の休暇で、お盆の中日までノンビリできると伝えられたのはつい先日のこと。とは言っても、海外の取引先や現地法人にはお盆休みなど無いので、名目上は休暇であっても完全な休みではない、と父は母と話していた。
本社が長期休暇に入っても、海外に拠点を構える支店支部は現地のカレンダー通りに業務が遂行される。
その間に重要案件が進行して、可否の判断を本社経営陣に仰ぐ必要も出てくるので、いつでもコンタクトがとれるよう指示を出してあると、秘書さんと電話で話している内容も耳にしていた。
我が家の父、娘には甘いが、仕事はキッチリこなしていると知り安心する。
そう言えば、「私」伊佐子の父親も「日本はまた連休だ。うぅ……米国は休みなどないのに。羨ましい」と、よくボヤいていたっけな、と思い出す。
その父とも、つい数週間前までは普通に会話をしていた筈なのに……と暗くなりかけるが、頭を振り、気持ちを「今」へと切りかえる。
今年の誠一の夏休みは、どうやら我が家にとっては特別なものとなるらしい。
今迄、父母の不仲により、夏休みはおろか他のどんな休みでさえも、家族四人での旅行になど出たことがなかった月ヶ瀬家―――なのだが、今年は父母の仲直り記念に何処かに出かけよう、ということになったのだ。
でも、旅行と言っても一泊で、ごく近場のお出かけだ。
真珠の体調はすっかり全快しているが、退院してからまだひと月と経っていないこともあり、あまり無理をさせないほうが良いと、祖父母も含めた家族会議で決まったようだ。
お盆中は毎年、お祖母さまのご実家を墓参していたから、旅行には行かなくてもいいんだけどな。お父さまとお母さまの二人で行ってくれば良いのに、と思ったが、そこはおとなしく両親の決定に従うことにした。
両親は、ただいま絶賛ラブラブ中――子供には目の毒であるが、仲良きことは美しき哉、の精神で生暖かい目で見守ることにした。
美男美女の両親二人が人前にもかかわらず、見つめ合ったり、抱擁を交わしたり、仲良しこよしをしている姿は、傍から見れば一枚の絵画のような風情なのだが――正直、その二人の実の子供としては、とてもいたたまれない気分になるのだ。
これは所謂、精神修行なのだと思うことにした。
心のどこかがガリガリと削られていく気がするのは、きっと気のせいだ。家族仲良し計画のために、この我慢大会にも耐えてみせよう。
今日も朝から、見つめ合い、微笑み合い、手を絡ませ合いする二人と同じ空間にいるのが辛かった。
お祖父さまは「うぉっほんっ」と咳払いをして、早々と朝食の席を立ち、逃げた。
お兄さまは、お手伝いの木嶋さんに「仲が良い夫婦は、人前でこんなことをしないといけないのでしょうか。僕は将来できるのでしょうか」と真剣に悩み相談を繰り広げていた。
穂高少年の教育上、あまりよろしくないのではないか、と心配にもなる。
両親は、そんな周りの気まずさもどこ吹く風だ。
周囲が全く目に入っていない。
完全に二人の世界に浸っているのだ。
ある意味、尊敬に値する――それぞれ、両親、義両親の前で、よくぞここまでのことができたものだ。
お祖母さまは「真珠、そのうち弟か妹ができて、お姉ちゃまになれるかもね」とウインクしてきた。
わたしは、えへへ……と引き攣った顔で笑った後、神妙に頷くしかなかった。
ただでさえ酷暑――日本の夏の湿度と温度は地獄模様なのに、二人の熱気にあてられるのだ。
食欲もわかない。
「穂高、真珠、あの二人は放っておいていいから、旅行の準備をしてしまいましょう。わたしが手伝ってあげるわ」
お祖母さまがそう提案して、荷詰めをすることになった。
一泊分の荷物は、お抱え運転手の榊原さんがホテルに運んでくれることになっている。
自分で持つ荷物は、小さなリュックサックだけだ。
今日は穂高少年の希望により、東京上野の国立科学博物館に行き、浅草で一泊する予定になっている。
国立科学博物館の常設展には、小・中・高生は無料で入れるのだ。あの展示量を無料で楽しめるなんて「日本は太っ腹だな〜!」と、伊佐子の小学生時代に感動した覚えがある。
お土産売り場に置いてある、恐竜のマグカップは今でもあるのだろうか?
そもそも、乙女ゲーム「この音」の世界の国立科学博物館が「あちら」の博物館と同じ仕様なのかさえも不明だ。
置いてあるお土産が一緒なら、お湯を注ぐと描かれた恐竜が化石に変身するマグカップを手に入れたい。
恐竜は浪漫だ。
夏休み特別展も開催されているようだが、今回はパスすることになった。
わたしの体調が万全ではないから、人混みに入り、入場待ちの列に並ぶのは得策ではないとの判断からだ。
(穂高少年を、ガッカリさせてしまうかもしれない)
悲しく思って、お兄さまのシャツの裾を掴み「わたしのせいでごめんなさい」と伝えたところ――ギュムッと抱き締められた。
「僕のこと気にしてくれたの? その事だけで嬉しいよ。ありがとう。真珠」
密着してるだけでも、心臓がバクバクして大変なことになっている。
爽やかな笑顔でそう宣う姿は、もう神――七歳なのに、小学生なのに、なんと尊いことか!――やはり乙女ゲームの攻略者は子供の頃から、キラリと輝く何かがあるようだ。
…
荷詰めをしていると、お祖母さまが「良いことを思いついた!」と言うように手を叩いた。
「来週は、穂高と真珠の曾お祖母ちゃまのお墓参りに行くでしょ? その荷詰めも一緒に済ませて、宅配便で送っちゃいましょう!」
お祖母さまは、新たなダンボール箱を取り出し、そそくさと準備に取りかかる。
「そうそう、この前お話したタカシ叔父ちゃま、その頃に外国からお墓参りに来てくれるらしいの。一緒に遊んでもらうといいわ」
今年のお盆休み――「休み」とは名ばかりで、家族行事が沢山待ち受けていることが、たった今、判明した。
 







