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馥郁たる  作者: 15cc
8/16

8 堕ちる



 香助の生活はまるっと変わった。


 早朝、誰よりも早く起き、赤子一人分あるだろう重さの壺を専用の出入り口に運ぶ。数は、ミトノの部屋、奥さまの部屋、五つある客室、使用人等の部屋、奴隷の大部屋分あり、大変なのは奥さまと何十人といる使用人、奴隷の壺の交換であった。


 汚物壺はミトノと奥さまの分だけ洒落た絵柄が描かれ、客室の分は真っ白なもの、あとのそれ以外は薄汚れた客室のお古だった。

 その壺を専用の道――まるで獣の道ような、中庭を囲む垣根の裏をコソコソと反復し、運ぶ。一歩道を逸れれば、秋晴れの朝日が紅葉しつつある緑を映す。風はひんやりとしているが、あのど真ん中で胸いっぱい空気を吸い込む心地よさ、石鹸の匂いと混ざって堪らなく幸せにしてくれるものだった。

 だが、今の香助は世界から弾かれた気分でいた。

 奥さまは日に日に病んでいっているようだ。

 ミトノが仕事から帰っても顔も見せない。食事も共にしない。夜に彼の部屋へは行かず、一日に何度も香助を呼び付けては詰った。

 ときには、発狂してその手に握られたものを投げつけられた。ガリの実のときもあれば、自ら出したものも……そのせいで奥さまは風呂と便所を繰り返し、汚れた洗濯物も当然増えた。

 すると、噂話を奥さまに吹き込んだ使用人の女が、別の洗濯女等からなんやかんやと責められるようになった。

小雀(こがら)がそんなことを言ったせいだ。黙っておればよかったのに」と、臭う香助や小屋で寝たきりの華に近付きたくないばっかりに、女――小雀が責め苦を受けた。


 それを切っ掛けに、屋敷は闇に溺れていった。


 執事である老人ではどうにもならず、注意したと思えばまた別のところで。使用人女等をとりまとめる頭もいたが、蔓延した負には敵うまい。

 ミトノが屋敷に寄り付こうとしなくなりそこで初めて使用人らは香助と華の無実に気付いたのだが既に遅いこと……、奥さまの当り散らす相手が小雀にかわっただけで、汚物の処理とぶち撒けられて潰れたガリの実は一向に減ることはなかった。


 今日も奥さまが憎しみに駆られ、力一杯に物を投げ付ける。


 当てがある者は逃げるように屋敷を去り、使用人の数より奴隷が多くなった。

 しかし、香助にも他の奴隷にも行く当てなどない。どうせ逃げても売られ、買われるだけだ。

 小雀は絶対に逃げられないように奥さまが自分の寝台の柱に繋いでしまい、華は気付けばミトノと奥さま用の肥溜め池に浮かんでいた。

 慌てて彼女を引っ張り上げたが、「うちはこれで綺麗さなった」と気を失うように息を引き取った。


 

 そして、いつの間にか屋敷の朝は奥さまの叫びで揺り起こされるようになった。


 汚物係の香助より早く目覚める彼女は、悪夢に囚われ、たえず不機嫌だった。


 その日も香助は、ぎゃあぎゃあと喚き声が止まない部屋の隅にある便所で壺の交換と、片付けをしていた。昼前だというのにもう四回もなみなみ溜まった壺を抱える。

 奥さまの世話は古参の執事と使用人頭、そして奴隷の何人かが交代がしており、部屋を出るときにはボロ雑巾の如く床に無造作に置かれた小雀に握り飯を与えるところであった。

 小雀は上手く口を動かせず、いや、開ける気がないようでぎゅっと瞼も同様にかたく閉ざしていた。しかし、抵抗も虚しく無理矢理こじ開けられて飯を食わされている。

 死なれては困る――廊下の端で執事と使用人頭が小声で話しているのが聞こえた。小雀がいなくなったら誰かがその役をしなければならない。狂気に満ちた奥さまはきっと手当たりしだいに縄で繋ぐだろうと、こんな家など捨ててしまいたいがミトノの奥さまは都に住むやんごとなき方の血筋だそうで、「旦那さまは上手いこと言って誤魔化しているに違いない、助ける気などないんだ」と鼻を啜っていた。


 奥さまには、一応、悲しんでくれる者がいた。


 狂った奥さまに対してではなくとも、彼女が正常に戻ってくれたらと心底願っているのだ。

 だから、彼女が気の済むまで、どうか気が済んでくれよと小雀を捧げている。


 香助は、そっとその場を立ち去った。


 

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