7『クサイ』
使用人の女は華の噂話もそのままに、香助と二人でミトノを誑かしていたと奥さまに告げ口していた。「本当の効能も知らずにガリの実を喰らう奥さまは意地汚い」とまで付け足して。
香助はまず、奴隷の大部屋から汚物係専用の小屋へ移された。そこには風呂にも入れず、体も拭かず、薄汚れて臭いを放つ華が横になっていた。布団とは程遠いただの布を敷いただけの上で、華は目を見開いて「うちは綺麗だ。うちは綺麗だ」とぶつぶつ呟いていた。
香助はそんな華の姿にも、小屋にこもった臭いにも顔を逸らし、袖口で鼻を押さえた。
心はもう這い上がれないほどに落ちている。叩き落としたのは思い上がっていたと叱る自分自身であった。
香助は小屋からだいぶ離れたところから急かす女の声に押され、そろそろと入り口の側に置いてあった壺を一つ抱えた。
壺の中はピカピカに磨かれており、場違いなほど、どこかへ飾れるのではないかというぐらいに輝いていた。
「昨日の分もあるんだから、さっさとおし! 奥さまのモノが一番酷いんだから、取り替えたら肥溜めに捨てて、綺麗に洗って次の部屋に行ってちょうだい!」
女は早口で言うと「ああ臭い臭い」と笑って立ち去った。
確かに女の言う通り、奥さまの便所は酷い有り様だった。発狂した彼女が壺をひっくり返し、またぶつけれたガリの実の汁と混ざり合って、臭いのか甘いのかわけのわからない臭いを漂わせ、それは部屋の前に立つ香助にもわかるほどだった。
扉を叩き「香助です」と尋ねる。しかし、奥さま付きの使用人からは返事がなく、香助は一瞬考えた後、「…『クサイ』です」と幾分小さくなった声を出した。
「遅いじゃないの! さあ、早くやってちょうだい!」
扉を開けた使用人が扉を開けてほっとした顔を見せた。部屋の臭いは廊下に漏れていたものより、より一層濃く、香助は「うぐっ」と耐えられずに呻いてしまった。
すると、風呂上がりの奥さまがその微かな音に気付き、石鹸の香りを纏わせ香助の前に立った。
――びしゃん。
しっとりとした手が香助の左頬を打った。
よろめいたのと驚いたので壺を落としそうになったのをなんとか堪え、恐る恐る奥さまと目を合わせた。
奥さまは無表情だった。
手のひらには怒りがあったのに、目には何の色も見えなかった。
「大変遅くなり申し訳ありま――」
「お前はそんな上品な女ではないだろう」
壺を丁寧に床へ置き、土下座をしようと屈むと、奥さまが聞いたことのない低い声で言った。
「…ど田舎の、山の向こうから来たっていうじゃない。そこには獣はいるけれど、私と同じ言葉は喋る人間などいはずよ。お前は上品な人間ではないでしょう? どうしようもない、人様のものに手を出して満足しているような獣よ」
奥さまは、もう一度香助の頬を打つと「汚れてしまった早く綺麗にしなければ」とのそりのそり部屋の奥の風呂場へとまた歩いて行った。
香助はその背に何を思うか……
どうしてこうなってしまったか、と後悔すること以上に自分は『香助』ですらなくなってしまったのだと、胸にぽっかり穴が空いたように意識が霞んだ。どこか遠くにいるようで、使用人に促されて壺を拾い上げ、部屋の便所ヘ向かった。
中は散々たるものであった。華が汚物係をしていた頃よりも、無性に泣きたくなるぐらいに、便所は汚物とガリの実でぐじゃぐじゃになっていた。




