6 どん底
抗うことは簡単だった――
ただ、結果を受け入れることが難しい。
香助が使用人の女と口論したその夜、女の言葉が頭の中をぐるぐる、ぐるぐると襲った。まるで唸りを上げて徘徊する獣のように――そういえば、故郷でも夜中に村の周りを野犬が腹を空かせてこちらの様子を窺っていたな。棒で威嚇しても、石を投げ付けても、するりと合間を抜けて、朝になると夜守りの誰かが殺れていた――それと同じだと、香助は薄い布団に潜って体を小さくさせた。
自分はいい気になっていたのかもしれない……
香助はもぞりと動いて、頭を抱えた。
銀山で華に牙を剥いたときとは違い、今は香助が華の立場であった。可愛がってくれる者は誰もいないが、マチマンの元にいた頃よりももっとマシな生活をしている。
洗濯場は外にあり、風が少しずつ冬を運び、冷たくなる水が一層指先に傷を作るが、そんなことなど香助にしてみればなんてことはない。自分は華よりもずっと悪いところを知っている――知っている分、彼女に嫉妬していたのだ。
いつだったか……他の奴隷に「奥さまなんて呼んでいるから酷くされるんだ」と心配された。だが、香助はたった数ヶ月のリオウンでの幸せなときを忘れたくなかった。それに華のように佳菜子に猫なで声で擦り寄ることなどしたくなかった。どんなに折檻されようとも、たとえ自分がそういう人間であると理解していても、満ち足りた日々を知ってしまった香助の心の端には見栄が住み着いていた。
奴隷であっても、奴隷の中にいても、他とは少しばっかり違うのだと思っていた。
それを剪定された、いやきっと嬉々として佳菜子が連れて来たのだろう華に崩されてしまった。
だから、おかしくなっていく彼女の吐き捨てられる愚痴をただ聞いていた。いい気味だ――なんて。
いくら高級石鹸の匂いを漂わせても、いい子ぶって香助だけが使用人のように『クサイ』と呼ばずにいても、結局は華を見下せる人間ではないのだと知る。
香助はやはり奴隷は奴隷でしかないのだと、小さく、さらに小さく小さく丸くなった。
――朝が怖い。
きっと自分は、あの無惨にも野犬に食い千切られた夜守りと同じになってしまうかもしれない……
はて、そのとき悲しんでいた村の人間はいただろうか?
はて、自分が死んだとして泣いてくれる人間はいるだろうか?
ああ仕方ないことだ、よくあることだ、どうせいつものことだ、「代わりに誰かいるべさ」の村長の言葉を思い出して香助は胸が苦しくなり一睡も出来ずにとうとう朝を迎え、
「おはよう『クサイ』、今日からお前が汚物係だよ」
と、這い出した布団の先で見下して笑う女に、どん底へ突き落とされた。
女は、香助をミトノの浮気相手に仕立てていた。




