16 かえる道
一晩中、飲み明かし、歌い続けた三人であったが朝日が昇る前には鎮まり、香助と律はアイサに見送られながら馬車へ乗り込んだ。アソギは、もう起き上がれず、けれども眼光鋭く畳に寝転びながら「お頼み申します」と言っていた。
向かうは、香助の故郷――
街を出る際、今ではとても懐かしく思うミトノの屋敷が一瞬ではあったものの目に入った。屋根も壁ももっさりと生えた蔦に覆われ、あれでは手入れも大変だろうと窓からじっと見つめたのだった。
街の外へ出たとき、香助はふと聞いてみた。「ミトノ様の奥様は」と。
隣に座り、顔を真っ赤にさせた律は、酒臭い息を長く吐くだけで青い顔して口元を押さえていた。なんとか耐えようとしていたが、石でも踏んだか、流石の馬車でも揺れたために律が激しく壁を叩いて止めさせ、道端の草に顔を埋めた。
「あーあ、みっともねえ」
随分、吐き続け、そのお陰でましになった律が乗り込んで来たと同時にぼやいた。しかし、そのせいで独特の臭いと酒の臭いとが混じったなんとも言えないものに香助は襲われ、眉を顰めてしまった。
律に気付かれることはなかったが、勢い良く座ってまたぼやき、香助まで気持ちが悪くなりそうだった。
「……ミトノの坊主なんて、知らねーな」
律儀なのかなんなのか。一応は話を聞いていた律が酷く冷めた口調で告げる。
不愉快さを瞬きだけで追い払おうとしていた香助は、「そうですか」と答えるのがやっとで、勘違いをした律が意地悪く笑った。
「人の心配をしている場合かよ、お前はもっと自分のことを考えなきゃなあ」
律と目を合わせた香助に、彼は尚、「幸せか?」と言った。
香助の瞬きが止まった。
「お前の生まれ育ったところへ行こうというんだ、これほど嬉しいことはないだろう、俺だって帰るものなら帰りたいが……どんな形であれ、最後が慣れ親しんだ場所なら嬉しかろう」
わははと無遠慮に声を上げる律は、別段、香助の答えは必要なかったのだ。彼がそう言って香助を見た目には、馳せる熱と漂う嫉妬が微かにあったのだ。
だけれども、どうせという気持ちが香助を埋め尽くす。
香助は、貴族の――しかも皇女のためにたった一枚の木札と派手な装束を着せられ放たれるのである。喜べと言われたところで頷けるはずもなく、律がまざまざと言い表した「最後」にビクンと体を震わせた。
その振動で律がまたも笑った。
「そんなに怖がることなどないさ。生きてることも死ぬことも何も考えなけりゃサッと終わる。おい、知っているか――」
彼は香助の膝を叩いた。
「この世がちっせぇことをさ」
香助は首を振った。「おらにはわかりません」
律は「馬鹿だなあ」と二度膝を叩き、胸元から煙草を取り出した。
締め切られた中に充満する焦げた臭い。吐き出された煙に香助が咳をすると、律はしょうがねえなと窓の留め具を外して隙間を開けた。
香助に纏わりついた渦巻く白煙が、冷たい風に拭われる。
いつの間にか景色は冬になりつつあった。
季節を遡っているのか、追い掛けているのか……気付けば話し出そうとしていた律を遮り、「速いなあ」と呟いていた。
ぐんぐん行くんだ。枯れ木としつこく残った緑と、徐々にかさを増す雪と、一線になって香助を連れて行く。
呆けたまま、律を通り過ぎた一心に向けて「当たり前だろう」とふかす。香助の耳に届いているのかいないのか、構わず「馬でさえ生きる場所では違うものだ」と言った。
その通りに馬車は港通りの町に着いていた。




