15 流され行く
馬車から降り立った律は、上等な洋服を身に纏い、一人の細身の男を従えていた。
腰を曲げ、出迎えに並んだ隙間から盗み見ると、男は見てくれは少年と青年の狭間――しかし、屈んだ体を伸ばすと神経質そうな顔に皺を刻ませていた。歳は律と同じか少し年上か、ただ彼の身分は律よりも下なことがわかった。何やら顔を近付けて話す律に対して、目を伏せて「畏まりました」と答えていたからだ。年配の下女もそれを見逃すはずがなく、彼女は「皇居で働く執事の一人に違いない」と言い、訝しげに訊ねる香助にそっと襟元を見るようにと付け足した。
そこには、小さな雫の形をした金色の記章が付いていた。
二人は、傍らに立つアイサへ目配せすると店の門を潜り、背が見えなくなったところで、今度は「さあ、仕事だ仕事」と下女は腰を叩きながら呟いた。
香助は、うんともすんとも答えられず、俯いたまま勝手口へと足を向けた。
あれは、きっと、おらば……
アイサに言われた「迎えが来る」の言葉が脳裏に浮ぶ。――その夜、思った通りに香助は綺麗に着飾られてお座敷に呼ばれた。
*
「こ、香助にございます」
襖を開ける前に隣に座したアイサから真似ろと言われ、ひんやり冷えた廊下に額をつける。
幾つも挿した簪の一つがしゃらんと鳴った。
「おう、待っていたぞ」
律の楽しげな声が掛かり、横目でアイサの頭が上がるのを見て香助も倣った。
律は、以前と同じ着物をきせられた香助に満足な笑みを見せ、向かいに座った男に顎をしゃくって言った。
「アソギ、これぞ“美の尾山の巫女”だ。皇女様の仰った通りだろう」
名前を呼ばれた男は、口元に運んでいた盃を膳に戻し、香助を見据えた。
アソギは一言「確かに」と放つと、顔を律へ向けた。彼は、盃にまた手を掛け、「明日にはすぐに参りましょうか」と尋ねた。
男二人が香助の話をしている。
だが、どこか上の空で、香助はアイサに肘で突かれるまで律の言葉を反復した。
“美の尾山”、麓は香助が生まれ育った土地だ。それが何故、目の前の男達が話題としているのか、“巫女”など聞き覚えのない言葉にも不安が掻き立てられ、香助はいよいよ自分の役目というものがぞろりと背中に這い上がり覆い被さって来るのを感じた。
健康的な生活。一回りはふくよかになった体。綺麗に着飾らせられ、迎えに来た皇族の馬車――奴隷の自分に舞い降りた身分不相応の扱いは、それだけに重みがある。更には“皇女様”となったとき、香助に残った道は……
「しっかりおし」
アイサの声に我に返ると、香助は律の隣に座らされた。すると、ずずいっと前に出て来たアソギから手のひら大の木札を渡される。
「お頼み申します」
彼は、そう頭を下げると自分の席に戻り、顔を綻ばせたのだった。
木札には――願――と一文字。
じっと見つめる香助の耳に、肩の荷が降りたと興奮したアソギの声が入った。
「これでこの国も安泰です。皇女様のお子も無事にお産まれになるでしょう」
「ああ、任せてくれ」
一杯煽ったアソギに律が胸を張って返した。
おめでたいことだと宣う二人と、祝宴に華を咲かせるアイサ。香助は、三人の禊の詞を聴きながら小さく体を震わせた。




