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馥郁たる  作者: 15cc
11/16

11 再会



 香助の風呂はだいぶ苦戦した。

 絡まった髪を執拗に梳き、引っ張られる頭皮が悲鳴を上げる。食い縛って声を抑えても、流されて行く髪の毛の束に泣きそうになった。風呂から上がったとき、自分の頭に髪は残っているんだろうか……と、ごしごしと洗われる肌の痛さより、香助は絶えて行く様に気が気ではなかった。

 すると、顔面蒼白の香助がおかしかったのか、垢を懸命に落としていた下女の一人がふふふと笑んだ。


「心配しなくとも、まぁだ、たっぷり頭に乗っかってますから。私等だって、これが寂しくなったお客さんなら櫛も用意しませんて」


 下女が自分の頭に手を当て、つるんと後ろへ流す仕草をしてみせると、残り二人の下女も声を上げて笑った。「櫛すら持ったらえらい叱られますもんね」などと楽しそうであった。

 下女等は、それから幾分洗う手を緩めてくれた。そのおかげで時間は延びに延びたが、紫の大輪が咲く着物に着替えさせられて向かった先にいた律は、怒ったりせず、むしろもっとゆっくり入って来たらよかったのにとアイサに晩酌させながらにこやかに言った。


「――それにしても、見違えたなあ」


 律は右手側に用意させた膳のところへ香助を座らせ、感心した。

 真っ黒けであった肌は本来の色を取り戻し、湯上がりの頬になんとも唆られる。おろされた黒髪はまだ濡れてしっとりと恥ずかしそうに俯いた香助を引き立てていた。


「俺がもう少し若ければな」


 見惚れる律が言うと、アイサがぴしゃんと胡座の膝を叩いた。「あら、私がいるというのをお忘れで?」怒りはしていないが、着物の袖で口元を隠し、香助を見遣った目は意味深長な笑みを浮かべていた。

 それも律が宥め出したらばすっと消えたが……


「ところでアイサ――」


 律が話を変えた。「この間、連れて来た奴はどうだい?」

 彼の口調で聞かれたアイサは持っていた漆器の徳利を揃いの盆に置き、満足げに頷いた。


「ええ、前のことも煩く言わなくなりましたしね、よおく仕事も頑張ってくれるようになりましたよ」


 アイサは律から襖へと目を滑らせて一つ手を叩いた。

 襖は、そのぴったりと合わさっていた雅な絵をゆっくりと崩し、頭を垂れる女を一人招き入れた。

  

(みず)の、挨拶をし。お前を救って下さった御方だよ」


 女はアイサに言われて幾つもの簪をつけた重そうな頭を上げた。

 

「旦那さま、ご挨拶が遅れてすみません。瑠璃――改め、瑞の(・・・)と申します」

「そうか…良い名を付けて貰ったな」

「はい、女将さんにはよくしていただいて、あの日のことはもう忘れてしまいそうです」


 朗らかな律に対し、瑞のと名乗った女も笑顔で答えたが、その厚く塗られた化粧の上からでも香助は懐かしさを思い出し、女を呼んだのだった。


「……奥さま」


 それまでじっと律と見合っていた目が、驚きに見開かれ香助に向けられた。

 瑞のは、マチマンが奴隷商に売った妻であった。


 あの頃の瑞の、瑠璃は清楚という言葉が似合いの女だった。磯臭い港町で彼女だけはいつも花の香りを纏い、同性からは嫉妬と憧れを、異性からは口説かれ、マチマンの自慢の妻であり、子供らにとっても同じく、また香助は心内で密かに母への思いを抱かせる――そんな女であった。

 だが、目の前にいる女はどうだろう。

 美しさは以前のまま、いやそれ以上に着飾った姿は声を失うほどに神々しく、けれども混じる女の色香に身震いする。涎が出るほど美味そうな――港の男らが噂する通り、まだ子供心を抱えた頃ではわからなかった彼女の魅力を香助は知った。


「……奥さま、なして此処(こご)さ…」


 わかりきったことだと頭では理解しているが、香助は堪らず聞いてしまう。

 呆けた香助と、いまだ驚きに硬直した瑞ののかわりにアイサが口を開いた。


「おや、知り合いだったとは。瑞のはね、律さんが『これくしょん』とか言う気持ちの悪い輩からわざわざお助けになったんですよ。人形みたく飾られて、弄られて……そうなってしまってはアッチには戻れないだろうから私にお預けになったの、律さんがね」


 嫌味たっぷりに吐かれた言葉に律は苦笑いを浮かべ、瑞のは俯いたが、香助はそんなことなど構いやしなかった。気になるのは彼女のことも勿論であったが、一緒に売られた子供らのことだった。

 全員が全員、それはそれは美しかった。

 皆で同じ馬車に乗せられ、荷物にもならない邪魔にしかならなずに捨て売られた香助とは違う。だから、自分とは違う何か(・・)になっているだろうと思っていた。あの華と佳菜子のように、例え売られても堕ちることなどないだろうと、香助は自分の生き様と比べて願うように心のどこかで思っていた。


「奥さま、あの子らは……」


 今一度、香助が言う。

 俯いた顔の下、ぎりりと結んだ唇に気付くことなく、香助は彼女を見つめたのだった。



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