第三話
その時、ようやくショーの主役が舞台に現れた。
隣の部屋からやって来た人物は、背丈はババアと同じくらいに見えるが、シートと同じく緑色の割烹着のような服……たぶん手術着とか術衣とかいうやつだろうが、それで全身を隈なく包み、頭には緑色の手術帽を目深く被り、口元に青いマスクをしているので、こちらからは顔はさっぱり見えない。
よってババアか孫かの判別すらしかねるが、何やら身体から黒い煙のようなものが立ち上っているように感じられるのは、暗い空間から出現したためだろうか?
その謎の人物は、白いゴム手袋をはめた両手を、掌を身体側に向けて胸のあたりに上げたまま(いわゆる手術前の医者のポーズってやつだ)、ゆっくりとベッドに近付いて行く。
よく見ると、ベッドのわきにはこれまたステンレスで出来た小さな台があり、そこに何やらごちゃごちゃといろんな器具が並べられ、鈍い光を放っていた。俺は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「こいつは大当たりのプラチナチケットだぜ」
つい独り言を呟いてしまう。滅多にお目にかかれる代物じゃない。とくと同業者のお手並みを拝見しよう。
ちょっとは運勢が上向きになってきたかな? 黄色い財布は別に買っちゃいないんだけど。
まずそいつ(面倒だから以下緑野郎と呼ぶ)は、台の上にある青い溶液で満たされた注射器を手に取ると、シートから飛び出した右の乳房をむんずと掴み、迷いなく針先をその餅のような皮膚にずぶりと突き刺した。
「!」
途端に、今まで閉じていた女の目が開いた。声を上げたいのだろうが、自分の置かれている状況が全く理解できていない様子で、首を振って左右を見渡している。
謎の緑野郎は全く動じることなく、片手で器用にシリンジを押して液体を注入し、注射器を引き抜くと、乳房を激しく揉みしだき出した。
たちまちのうちに白い皮膚上に青い葉脈のような線が走っていく。想像以上の展開に、俺は裸で馬に乗って街をかけるチョコレート会社の語源となったご婦人を覗き見する、西洋版出歯亀の語源となったトムくんの如く、静かに観察行動を続けた。
まん丸おっぱい全体に、まるでマスクメロンのように網目状の青筋が浮かび上がり、色素が一通り行き渡ったのを確認すると、ショーの主催者は台の上から光り輝くメスを取り上げると、もがき続ける犠牲者の同意を得ずに、右乳輪と皮膚との境目にそっと切っ先を当てる。
「……!」
女の眉間の皺がひときわ深くなり、駄々をこねるように激しく首を動かす。しかし身体はよっぽど頑丈に縛り付けられているのか、びくともしない。
あれは恐らく、病院などで使用する拘束帯を使用しているのだろう。俺も購入を検討したことがあるのでよく分かる。
「っ!」
メスが無情にも一気に乳輪の下に挿入され、女の目玉がおっぱい同様飛び出さんばかりに見開かれ、同時に血がたらたらと流れ出す。
狂気の主治医は全く意に介さず、側に会った、コードのついた、半田ごてのような細長い銀色の器具を取り上げると、傷口にさっと押し当てる。
たちまちジュッという音と共に出血は止まり、食欲を刺激する、焼き肉のような芳しい匂いがこちらまで伝わって来た。
あれは多分レーザーメスというやつだな。俺も包茎手術の時、お世話になって、ひとつウエノ男になったから知っている。
見る見るうちに闇の手術はてきぱきと進み、メスはスパスパと皮膚や、体内の組織を切り出しているようで、傍らの銀色の盆の中に、赤黒い塊が次々と放り込まれる。
しかし時々あの肉の焦げる音と匂いはするものの、肉体からの出血自体は全く見られなかった。
俺が肉屋のように解体する時は、いつも風呂場中血塗れになって洗っても中々綺麗に落ちず、しばらく銭湯通いするはめになるのに、まったくこのお方は手際がよい。
本当に参考になる。俺も今度尼で買ってみようかしら、アレ。
そのうちメス先はどうやら脇の下まで進行した様子で、女は最早白目を剥いていた。
そんなに出血してないからこれくらいで死ぬことはないだろうが、既に気が変になってる可能性はあるだろうな。
何しろ乳首の裏側まで、緑野郎は丁寧に脂肪をかき出していた。
あれじゃ皮一枚になっちゃって感覚も無くなり、俺みたいにチ○ニーを楽しむことは今後一切出来ないだろう。合掌。
しかし最近いじり過ぎたせいか、胸が固くなってきた気がする。そろそろ制限するか。
「なっ!」
その時、俺でもびっくりするような奇怪な出来事が生じ、思わず小さく叫んでしまった。
先程から緑野郎の身体全体を覆っているように思われた黒い気体のようなものが一段と濃くなったかと思うと、メスを通してズズズズズっと女の肉体の中に忍び込んでいった。
まるで寄生虫が宿主に侵入するが如き奇妙な光景で、俺は固唾を呑んで見守った。目の錯覚か?
待つことしばし、傷口から血に染まった脂肪らしきものがにゅるにゅると自動的に押し出されてきた。
今度は例えるなら心太のようだ。どういう原理か知らないが、うまいこと盆の上に溜まっていく。
それがある程度出たところで、俺はある言葉を思い出した。
「い・も・ほ・り……」
ひょっとして、これがそうなのか? 芋堀りに女が必要という狂った話は、これのことなのか?
次の瞬間、女が爆ぜた。
何の前触れもなく、まるでケツの穴に爆竹を詰め込んだ蛙のように、無残にも血と脂肪と肉と臓物と骨と汚物のぐちゃぐちゃのどろどろの混合物と化した。
緑のシートに血飛沫がこびりつき、鮮やかな紅色に染め上げる。
手術用のシートや衣服が緑色なのは、補色の関係で血がついた時判明しやすいためっていうのは、どうやら本当だったようだ。
「あああああ……」
だらしなくも、俺は失禁していた。もう耐えられなかった。
俺はベランダの戸に手をかけた。鍵は意外にもかかっておらず、俺は何の抵抗も無く、文字通り屍山血河の室内に足を踏み入れた。
「お、俺にも、今のやつを教えて下さい、先生……」
先生だって? そうだ、この人は、いや、このお方は教えを請うべき相手だ。
俺の如きチンピラ少女監禁殺人鬼なんぞとは格が違う。
ずっと行き詰まりを覚えてもがいていた暗黒の先に、一筋の光明を発見した思いがした。
俺はずっと師事する人を捜していたんだ。今ようやくそれが分かった。
頭でなく、魂で理解出来た。
「あら、あなたにお教えすることなんか、何一つありませんわよ、山崎光雄さん」
燃え盛る真夏の太陽も一瞬で凍りつかせるような冷たい口調で、緑野郎は俺に返答した。
俺は、心底ついてない。