白金優奈
一瞬の無感覚。そして、暗闇。機械の匂いとタイツの感触が体に纏わりつく。
シロナこと白金優奈は全感覚投入型VRマシン、ロッキーの中にいた。
ILからログアウトした彼女は、灰色のボディのロッキーの中から出てくると、全身を覆っている淡い水色のタイツを脱いだ。
絹のように滑らかな肌が、金色に煌めくロングヘアーが、窓のレースの隙間から差し込む微かな月光によって薄く照らし出される。
足先からタイツを外すと、優奈は部屋の片隅に備えられている白いベッドの縁に腰を下ろした。
机の上の時計を見ると、早くも9時を示していた。普段ならもう少しログインして、経験値を稼いでいることだろう。
「ふうぅ……今日は疲れたな……」
溜息を吐きながら、一糸纏わぬまま両手を投げ出して、ベッドの上に仰向けになる。普段は近く見える天井が、今日は少し遠く見えた。
「せっかく、空人君と話すことができたのに、最後は自分からログアウトしちゃうし……もう!」
右手で枕を軽く叩いた。低反発であるそれは、優奈の力ない拳を優しく包み込んだ。
「アイク君、どうしてるかな、怒っちゃったかな……それとも呆れられちゃったかな……」
あれこれと空人のことを考えては思考がマイナスな方向に働き、掛け布団のいらなくなったベッドのシーツをぎゅっと握った。
「でも、また明日になったら中で会えるよね……」
そう呟く声は徐々に小さくなる。気がつけば右頬に熱い雫が流れていた。
「私、どうしたらいいんだろう……」
優奈はそのまま転がって両足ををベッドの上に乗せると、浅い眠りについた――――――――
優奈が藍海空人を知ったのは、今年の3月、喜桜杯のことだ。
優奈自身、クラス予選は1位で突破し、本戦へと駒を進めていた。しかし、一回戦の相手、今年卒業した3年の先輩に格ゲーでストレート負けを喫し、あえなく観戦する側に回った彼女が目にしたのは、一年生が第二シードを倒すところだった。
ゲームが強いと有名になるというこの学校で、無名の一年生が第二シードを倒すことは、考えられないことであった。
優奈は驚くと同時に、画面の向こうの彼に対して興味が湧いた。
なんで今まで噂にならなかったのだろう、どうしてあれほどまでに強いのだろうなど、疑問がたくさん出てきた。しかし、それは周りも同じで、あちこちから「アイツ誰だ?」「一年らしいよ」「チーターキター\(・∀・)/」などと会話が聞こえてくる。
優奈はただ彼がプレイするのを黙って見ることしかできなかった。
その彼は次の試合もその次も勝ちを重ねて、気がつけば準決勝まで上り詰めていた。担任が言っていたが、1年生がベスト4に入るのは数年に1度あるかないかの事らしい。
準決勝の相手は、2年生暫定一位と称される、3組のメガネ男子だった。この生徒は昨年の喜桜杯で学年最高のベスト16に入った男である。
その試合で使われたのは、今となっては物置の隅に眠っているであろう、初のリモコンセンサー付きテレビゲームだった。
純白のその本体がモニターの前に据えられ、赤、黄、白の三色のコードが繋げられていく。メガネの方は、なんだこれ?、といった表情だったが、噂の1年生はそれを見た瞬間、フッと薄い笑いを浮かべるだけだった。
本体にアクションゲームと思わしきディスクが吸い込まれ、ウィーンと読み込む音がクラスのモニターを通して全校に響く。その普通ではない状況に対して、彼は笑みを浮かべたままだった。
簡単な操作方法だけが説明され、キャラ選択が始まる。どれがいいのだろうと悩むメガネとは対照的に、1年生は慣れた手つきで素早くキャラを選択。この時点でこの試合の勝敗は決まったも同然だった。
ステージはまっ平らの基本のものになり、ゲームが開始する。このゲームは相手の体力を削るのではなく、相手を場外に出した方の勝ちになる。
一年生のキャラが滑らかな動きで、相手キャラに迫る。メガネは覚えたてのコマンドでぎこちなく回避を試みるも、失敗。ダッシュ攻撃を受け、キャラが少し空中に浮いた。
その瞬間、一年生のコントローラーを持つ手が閃いた。彼の操るキャラが僅かに空中に浮いた相手に空中で蹴りを入れ、ステージの外へと押しやっていく。
そして、地面が途切れ、眼下が虚空となった所で、右足を大きく振り上げると、相手の脳天に痛烈な踵落としを見舞った。
メガネのキャラは為す術なく、そのまま落下。ストック1での戦いだった試合は僅か8秒で決着がついた。
試合が終わり、メガネは画面を見つめたまま唖然としていた。
そして、それはモニターを通じて試合を見ていた、生徒も同じだった。
「何だ今の!?」
「相手何もできなかったじゃん!」
「てかあんなハードみたことないんですけど」
「あれだ、20年ぐらい前の……」
「なんで、アイツあんなに操作上手いんだよ!」
「トイレ行ってすぐ帰ってきたら、もう試合終わってたんだけど、何があったん?」
優奈も驚かずにはいられなかった。なんでそんなにも操作が上手いのか、そもそも、生まれる前のハードをあれほどやりこんでいるのか、疑問と興味が湧くのを抑えられなかった。
皆の興奮冷めやらぬまま、いよいよ決勝。対戦者は第1シードの3年生と、”エイトキラー”の異名を早速授かった1年生。
会場である視聴覚室は生の試合を見ようと、たくさんの生徒でごった返していた。その喧騒の中、教師が運んできたハードは、まさかのロッキーだった。
「嘘だろ!?」
「まさかのロッキーキター!!」
「学校は一体何に金をかけているんだ」
「てことは対戦するゲームってもしかして……」
会場の騒ぎが一層大きくなる中、教師は決勝を戦う二人に黒いタイツを渡すと、奥の部屋で着替えるように促す。しばらくして、タイツ姿で戻ってきた二人を見て、誰かが「イチモツでけえな!」と叫び笑いを獲っていた。
二人は真剣な表情でロッキーの中へ。魔法の言葉を唱えたのか、ロッキーがウゥーンと起動する。
数十秒後、ロッキーの奥にある大きなスクリーンに表示されたのは、ILのアバターを纏った二人だった。
刹那、会場から歓声があがる。それは各教室も同じのようで、学校全体が歓声の渦に飲み込まれた。
二人のアバター――――クリフとアイクが各々の武器を構え対峙する。決勝のために作られた特設フィールドに浮かぶカウントが0になった瞬間、戦いの火蓋は切って落とされた。
クリフは2メートルはあろう巨大な両手剣を構えると、雄牛の如く猛然とダッシュした。
対するアイクは手に何も持っていない。それをみたクリフが舐めプレイと思ったのか、怒りに身を任せて刀身が紅く輝く両手剣を振りかぶった。
しかし、当たり前のようにアイクは短い横ステップでそれを躱す。そして、こめかみを突いてステータス画面を開くと、次の瞬間には右手に小さい空色の短剣が握られていた。
「君、短剣なんかで俺の両手剣が防げるとでも思っているのか」
「別に両手剣を防ぐ必要はないと思いますけど」
今度はアイクから仕掛けた。右手にもった短剣を左脇腹に構える。短剣が緑色に輝き、スキルが発動した。
「せあぁぁ!!」
「フッ、甘いわ!!」
アイクが左下から右上にかけて緑色の斬撃を放つ。短剣の初級スキル、クイック・エッジ。
その斬撃はクリフが構える両手剣に阻まれ、僅かに拮抗した後、両手剣にいとも容易く押し戻される。
しかし、アイクは止まらなかった。短剣が両手剣を防いだわずかの時間に、スライディングの要領で相手の股下へ。押し戻してきた両手剣をいなすと、相手の右太腿を斬りつけた。
クリフのHPが一割程減り、観客が湧いた。
「スキルをブラフに使ったか。次も通用すると思うなよ」
クリフが両手剣を構え直し、アイクとの距離をとる。アイクは短剣を逆手に持ち替えて、クリフめがけてダッシュした。
逆手に持った短剣を左肩に構える。短剣と同じ空色の輝きを放ち、短剣の2連撃スキル、ダブル・リンゲージが発動した。
対するクリフは両手剣を顔の高さに構え、相手のスキルに備える。
スキル発動により加速されたアイクの短剣が、クリフが構える両手剣にヒットする。
すると、本来、体の軸を中心に一回転して、再度同じ軌道で斬撃を見舞うはずのスキルが中断され、短剣が空色の輝きを失う。と同時に、アイクは地面を蹴った。足が地面から浮き、そのまま短剣と両手剣が火花を散らすところを支点として、体操の演技の如く体が宙を舞った。
クリフが目を見開いて、頭上を跳ぶアイクを見上げる。アイクは天地逆になった状態で、短剣を引き絞る。紅く輝き、短剣突進スキル、ソニック・スタブがクリフの脳天を狙った。
しかし、クリフは先程まで短剣を受けていた両手剣を、高ステータスが可能にする常人には不可能な速さで上に振り上げた。クリフまであと10cmと迫っていたアイクの腹を深々とえぐり、剣先にアイクを引っ掛けたまま、地面に叩きつけた。
アイクのHPは今の一撃で4割程消えた。そして、クリフの両手剣のアビリティ、『灼熱』がアイクを火傷状態にする。
火傷により、毎秒の固定ダメージが90秒、ATK20%減少が発生する。勝敗は決したも同然だった。
数十秒後、3年生が喜びの表情で、1年生が悔しげな顔で、それぞれロッキーから出てくる。タイツから制服に着替えなおすと、視聴覚室へ戻った二人は改めて大観衆が見守る中、握手を交わした。その時は、両者とも清々しい笑顔があった。
その瞬間、優奈の彼に対する好奇心が別の感情に変わっていた。何故かは彼女にも分からない。彼のプレイを見たからだろうか、それとも彼が見せた笑顔にときめいてしまったのだろうか。しかし、多感な時期の女の子が誰かを好きになる理由は、案外簡単なことなのだろう。
それから、優奈は空人のことを調べた。どこの小学校出身なのか、血液型はなんなのか、好きなゲームは何か、好きな女の子はいるのか。学校の廊下で彼を見かけると、見えなくなるまでずっと見続けてしまうこともあった。
喜桜杯以来、すっかり有名になった彼の校内メールアドレスは、依頼を頼む人の間で瞬く間に広まり、生徒のほとんどが知ってしまっている状況のため、優奈も知っていた。しかし、依頼の形だとしても彼にメールを送ることは、告白するわけでもないのに何故か恥ずかしくてできなかった。
優奈が委員長を務める美化委員会に空人が所属したと分かった時は、思わず教室の中で大声を出しかけた。そして、昨日の大掃除では一緒になれるかな、などと淡い期待を膨らませていた。
しかし、昨日の大掃除に彼は来なかった。優奈はがっくりと肩を落とした。そして、いよいよ彼女から空人に対してアクションを起こした。
その結果、彼とインフィニティ・ライフで会う約束をした。舞い上がってしまい、プレイヤーネームも訊かずに会議室を飛び出してしまい、帰った後かなり焦ったが、無事に会うこともできた。優奈の初恋がようやく動き始めたはずだった。
なのに、最後でやらかした。優奈は彼にひどいことを言って勝手にログアウトしてしまったのだ。彼女の心境は語るに至らないだろう。
しかし、憂鬱な彼女とは反対に、明日の学校で問題は起こるのだった――――――――
そろそろ、物語が動き出したいです(希望的観測)。