出会い
「…ということで今日の授業は以上だ、号令」
「起立」
生徒がガタガタと椅子の音を立てながら立ち始める。
「気をつけ、礼」
「……ありがとうございました」
大抵の生徒が軽く会釈をして、または会釈もしないで他の生徒のところへ行きおしゃべりを開始する。
「はあ……」
俺は理科ノートと名付けられたテキストファイルを閉じ、タブレットの画面を消した。気づくと俺の目の前に男子生徒が立っていた。
「どうした、クウ。テンション低いぞ」
目の前のこの男子生徒は新田誠。小学生からの付き合いで、俺の数少ない友人の一人だ。黒髪短髪で、少し切れ長の目にフレームレスのメガネをかけた姿は、中学生にしては少し大人びて見える。
「テンションが低いわけじゃないけど、依頼が三件もあるとな……」
「商売繁盛じゃないか」
「ボランティア活動のどこが商売だ」
俺は溜め息混じりにそう言うと、消したばかりのタブレットの画面をつけて、依頼ボックスのフォルダを見せた。
「どれもしょうもない依頼ばっかりだな。もうちょい胸躍るクエストはこないかなー」
「ああ、『キャラクターの装備変更の仕方を教えてほしい』とかヘルプ見ろよ、って言いたくなる」
その時、タブレットの校内メール受信ボックスに一通のメールが届いた。
「おっ、依頼増えたぞ。次はどんな依頼だ?」
「できたら依頼じゃないことを祈る」
俺が、再び溜め息をつくと、今届いたメールを開けた。
『2年4組藍海空人君。放課後、第三会議室まで来てください』
「……」
「……」
「依頼じゃなくてよかったな」
「皮肉にしか聞こえねえよ」
「……クウ、お前何かやらかしたか?」
「心当たりはないが…」
「そういえば、担任が昨日『美化委員はグラウンド大掃除があるから放課後集まるように』って言ってたな」
「……ああ、そういえばそうだったな」
「お前何委員だ」
「……美化委員です。すいませんでした」
「ま、どんまい」
そう言って、誠が席に戻ると、キーンコーンカーンコーンと昔ながらのチャイムがスピーカーから流れた。他の生徒も慌てて席に着く。
「起立。気をつけ、礼」
こうして、十分休憩はテンション低めな俺に結果的に更なるストレスを与えていった。
俺が通う、私立喜桜学園中等部は中高一貫の進学校で、高等部の大学進学実績は県内公立高校のトップと大差ない。そんなこの学校はIT時代の流れで、生徒全員に校内用のタブレット端末を用意している。先ほど依頼が届いたのもそのタブレットだ。
授業の板書も基本的にこれで済ませるし、学内ネットワークもある。メールアドレスさえ知っていれば誰にでもメールを飛ばすことも可能だし、これで欠席の連絡もできる。スマートフォンやタブレットができてから約20年経った2030年現在、公立校は別として私立のほとんどの学校が学校生活にタブレットを導入していた。
しかし、それだけの理由で俺がわざわざ中学受験をしたわけではない。この学校はもう一つ大きな特色があった。というのも、この学校は年に一回全校で「喜桜学園中等部ゲームカップ」、通称「喜桜杯」と称されるものが開催されるのだ。昔の生徒会が無理を言って教師に掛け合い実現してから、今日まで続いてきている伝統行事である。公立校では絶対に考えられないこの行事に、ゲーマーの俺は大いに興味をそそられた。そうして、入試倍率2,4倍の壁を乗り越えて晴れて去年の春にこの学校に入学したのだ。
もちろん、進学校なだけあって勉強は普通の公立校よりレベルは高く進度も速かったが、小学校のころから勉強ができた俺は予復習をすることでしっかりと学校の勉強についてきた。そうして待ちに待った1年の3月の喜桜杯に参加したのだ。
喜桜杯はクラスで12月に行われる予選を勝ち抜いた4名と、去年上位入賞して中等部に在籍している4名が、本戦のトーナメントで戦うシステムになっている。この学校は1学年が5クラスあるので全校で64名の生徒がしのぎを削ることになる。そして、不運な事に、俺はトーナメントの第二シード下、前年度3位のパッキンになってしまったのだ。
対戦で使われるゲームは当日まで秘密で最新のゲームから昔に流行ったレトロなゲームまで幅広い。学校内で行われるので、FPSといった銃撃ゴリゴリのゲームは扱われないが、以前には20年ほど前の有名な配管工のレースゲームが使われたらしい。クラスメイトが「どんまい」だの「来年があるさ」など声をかける中、俺と前年度3位の先輩との対戦で使われたのは、約30年ほど前に発売されて昔ケータイゲームで流行った5色の落ち物パズルだった。家にそのソフトがあり一時夢中になっていた俺にとって、あまりにもラッキーすぎるチョイスだった。
そのようなことがあって、皆の予想を裏切り第二シードを初戦で屠った俺は、そのまま1年生にして決勝の舞台にまで上り詰めてしまったのだ。さすがに決勝では昨年の準優勝者である第1シードの先輩に敗れたものの、大会が終わってから『番狂わせ』だの『シードキラー』だの『ゲーム廃人』だのと呼ばれるようになり、しまいには「ゲームで分からないことがあったら、あいつに訊けばいい」なんていう事態になってしまった。どこからか漏れた俺のメアドは全校生徒のほとんどに知れ渡り、4ヶ月経った2年の7月になっても『依頼』として俺の元にメールがやってくるようになってしまったのだ。
「とはいえ、まさか呼び出しを食らってしまうとは……」
俺は第三会議室に向かうため、前館と後館を繋ぐ渡り廊下を歩いていた。
「そもそも、なんで会議室が3つもあるんだよ。絶対2つあれば十分だろ」
そんな独り言を洩らしながら階段を上っていく。何故会議室が職員室から最も遠い後館4階にあるのかは、会議室の数と同様謎である。
人気のない廊下を進んでいくと突き当りに『会議室3』の文字が見えてくる。気が重くなった俺は服装を正すと、会議室のドアを開けた。
「ん、来たか」
「……こんにちは」
会議室に来た俺を待っていたのは3年生の国語教師である橋本先生だった。30過ぎの働き盛りの女性で、サバサバした性格が生徒から評判のいい先生だ。
「藍海君、そこの空いてる席に座って」
俺は凛とした声をかけられて少々驚いた。なにせ、その声の主は、俺とは違う意味で有名な喜桜学園美化委員長、3年3組16番、白金優奈だったからだ。
白金優奈――――金髪碧眼の美少女で成績も学年で10番に入る秀才。人当たりの良さと純真な笑顔が男女問わず人気を集めている。生徒の間でファンクラブも出来ているという噂もあるぐらいだ。
「橋本先生、なんで白金先輩までここにいるんですか? 普通こういうのって先生と一対一で怒られるものですよね?」
「怒られると分かっているとは察しがいいね。さては、ゲームで鍛えられた推察力かな?」
橋本先生はよく生徒を茶化す。それが評判を上げている理由の一つだった。
「呼びだされた時点で誰でも分かります。それより、質問に答えてください」
「分かった、質問に答えよう。本来は君が言ったとおり生徒と教師の一対一で行うが、今回は美化委員長として話したいことがあるというので同伴してもらった、それだけだ」
「……分かりました」
先生の答えにイマイチ納得がいかなかったが、俺は白金先輩に言われたとおり、先生の向かいにある席に座った。正直、先生に怒られるところを誰かに見られるのは、あまり気持ちのいいものではない。
「では、仕切り直すか。藍海君、何故昨日の大掃除に来なかったのかな?」
「担任の連絡を聞いてませんでした」
「本当にそれだけか」
「はい、それだけです」
「んー、なら私は君に怒らなければいけなくなるじゃないか」
「はい?」
橋本先生は少し困った表情を見せると、足を組み替えた。
「いや、正直君のことは真面目だと思っていたから多分体調が悪かったのだろうなどと考えていた」
「普通に学校来て普通に授業受けてました、すいません」
「そうか……これからは担任の話を聞いてしっかりと来る事」
「はい」
「以上」
「はい?」
「なんだ、君はまだ私に怒られたいのか? もしかしてそういうのが好みなのかな?」
先生は教師に似合わずニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「違いますけど。なんか呼び出されたわりにあっさりしてません?」
「別に説教なんて長くても誰も得しないだろう」
そういうと、橋本先生は席を立ってドアへと歩いていった。
「じゃあ、後は白金さんによろしく頼むよ」
「わかりました」
白金先輩が頷くと、先生は足早に会議室を後にしていった。会議室には俺と先輩の二人だけが残された。
「えっと、俺に何か用ですか?」
「うん、と言っても大した用じゃないんだけどね」
彼女はそう言いながら窓際に近づくと窓から生徒が部活に勤しむグラウンドを見下ろした。
「藍海君もこっちにきてみてよ」
予想していたものとは違う朗らかな声のトーンに幾分か気を緩めながら、俺も窓からグラウンドを見下ろした。
「ここって景色が綺麗だよね。遠くの山とか海とか見えてさ」
「そうですね」
俺も視線を遠くへ向ける。夕焼けに染まる海と山並みを一望できるこの部屋は、確かに景色が綺麗だった。
「用事って何なんですか」
そう言って彼女の方を向くと顔が気のせいか近くにあった。彼女もこちらを向き見つめ合う状態になる。染めたものではない天然のブロンドの髪がさらりと流れ、あどけなさと大人っぽさが同居した端正な顔が間近に見て取れた。
「なんだろう、なんかいい雰囲気だね」
彼女が何気なくポツリと言った。俺は冷静を装っているものの、内心は『美少女と至近距離で夕焼けを見てる』という状況に頭が軽いパニックに陥っていた。なんだ、これってもしかしてどこかでフラグ立ててたってやつか、俺いつの間にそんなことしたっけ?
その時、不意に彼女がこちらに体を寄せた。肩と肩が触れ合い、ブロンドの髪が頬を撫でる。母親に幻想だと言われた女子特有の理解を超えた甘い香りが鼻腔をくすぐり、俺の思考は完全にキャパオーバーになっていた。
「ちょ、先輩?」
「藍海君、目を閉じて」
彼女が消え入るような声で言った。顔を見ると、夕焼けに照らされているせいなのか、頬が赤い。童貞の俺はそのシチュエーションの圧力に押されて、静かに目を瞑った。
先輩の呼吸音が聞き取れる。口から出た吐息が微かに顔に当たる。彼女が俺のすぐ前にいることは明らかだった。おそらく、少しでも前に踏み出せば触れてしまえる距離だった。だが、俺はただその場に待った。というより、俺にはその選択肢しか取れなかった。幸か不幸か、俺はギャルゲーで選択肢を選ぶ練習はしてなかった。
人生で今まで感じたことのない濃密な時間が過ぎていく。こんな感覚はゲームの中でも味わったことがない。なんでこんな事に、と考える余裕はとっくに消え失せていた。長い長い十秒が過ぎた後、俺はたまらず、口を開いた。
「せんぱ…」
「キスはしてあげなーい」
「うわっ!?」
左耳に吐息とともに直に伝えられたその甘い囁き声に俺は驚いた。とっさに左を向くと先輩がイタズラ成功と言わんばかりの小悪魔スマイルを見せていた。
「キスしてほしかった?」
「――っ、別にキスしてほしかったとかそういうわけではなくて…」
「素直に『してほしかった』と言えば、しようかなとも考えたのに」
「えっ、ちょ、それって」
「ま、よくてほっぺにだけどね」
俺は、安堵と落胆の入り混じった深い溜め息をつき、先輩から距離をとった。
「で、先輩はこうして下級生の男子を弄ぶのが趣味なんですか」
「弄ぶとは失礼な。少しからかっただけだよ」
「からかうにしては、度が過ぎてると思いますけど」
俺は、恥ずかしくて真っ赤になった顔を汗ばんだ手で無理矢理冷ますと、ジト目で先輩を見た。
「それで、結局のところ用は何なんですか」
「あ、それなんだけどね」
彼女は窓際から離れると、長い髪を指で弄りながら、再び小さい声で言った。
「今から言うことは、他の人には秘密にしてほしいの」
さっきのやり取りがあったせいか、今の発言も先輩の甘い罠だと疑ってしまう。しかし、今回はからかいではなく本当のお願いだった。
「藍海君は『インフィニティ・ライフ』って知ってる?」
インフィニティ・ライフ、通称ILは2年前にリリースされた仮想大規模オンラインロールプレイングゲーム―VRMMORPG―だ。発売から僅か半年で500万本を売り上げた大ヒットゲームで、今では日本人の10人に一人は持っているという。ファンタジーが舞台でプレイヤーキルありのハードな仕様となっているが、武具の多様さ、月に2回アップデートされるフィールドやダンジョン、数多あるジョブやスキルが評価され、中高生から50代まで幅広い年齢層で支持されている。
「はい、僕もやっていますよ」
「なら、話が早いね」
彼女は最後に言うべきかどうか迷う素振りをしてから、話を切り出した。
「『IL』のチャンピオンズトーナメントに一緒に参加してほしいの!」