面談
「お母さんです、どうしましょう!」
「どうするもなにも俺が聞きたいよ!」
靴を履いた状態で玄関であたふたする俺達。俺は逃げ隠れしようとすることをやめることにした。というか、逃げも隠れもできなかった。
重いドアが音を立てずにスーッと開いた。
「こ、こんにちは……」
先に挨拶をして、会話の主導権を握ろうと試みた。が、
「え、えーっと……桜夜の彼氏さんかしら?」
「全然そういうのじゃないから!」
とんでもない方向に話が飛んでいきました。というか、そんなにガッツリ否定しなくても……
「じゃあ、どちら様で?」
「葉月さんの同級生の藍海です」
「藍海……もしかして幼稚園は青嵐幼稚園かしら?」
「そうですけど」
ん、全然話が見えてこないぞ。
「あぁ、あの藍海さんの子どもさん、確か名前は空人くんだったわよね?」
「え、はい、そうですけど」
「あの時はあんなに小さかったのに、今はこんなに大きくなって……ここで立ち話もなんですから、もしよかったらリビングでお茶でもどうかしら?」
桜夜は母親に似たんだな、とひと目で分かるぐらいに、桜夜のお母さんと桜夜は似ていた。
桜夜と同じ長い黒髪を今は後ろでゴムでまとめており、ゆったりとした口調で話す姿は、優しい母親のイメージを現実にそのまま起こしたようである。
「空人くんは紅茶とコーヒーどちらがいいかしら」
「持ってきたオレンジジュースがあるので大丈夫ですよ」
「桜夜は?」
「私もオレンジジュースで」
桜夜がジュースを取りに2階に上がる。リビングは俺と桜夜のお母さんの二人きりになった。
「そういえば、空人くんはどうしてうちに来たのかしら」
「葉月さんに、ロッキーの調子が悪いので直してもらえませんか、と頼まれたんです」
「昨日、桜夜がタイツ姿で家の中をウロウロしていたのは、そういうことだったのね」
俺は桜夜がタイツ姿で家の中をウロウロしているのを想像して、何故かマンティコア戦でのあの姿が思い出されて、すぐに想像するのをやめた。
その時、桜夜がオレンジジュースのペットボトルとコップを2つ持って降りてきた。
「藍海くんはこちらの席にどうぞ」
俺が促された席に座ると、桜夜が隣に座り、向かいに紅茶を淹れた桜夜のお母さんが座った。
「それで、ロッキーは直ったのかしら?」
「はい、ロッキーのWi-Fiのスイッチがオフになっていただけだったので」
「そう、じゃあ、今夜は桜夜がタイツでウロウロしなくて済むわね」
「お、お母さん、恥ずかしいからそれを言うのはやめて!」
隣で桜夜が顔を赤くする。先程消したはずの桜夜のタイツ姿が、頭の中で再び思い起こされそうになった。
桜夜のお母さんは微笑むと、紅茶を一啜りして話題を変えた。
「桜夜たちは覚えてないかもしれないけど、あなた達は幼稚園が同じで、私は空人くんのお母さんと仲が良かったのよ」
そう言って、小型のタブレットで一枚の写真を見せた。
「あ、私と藍海くんだ」
「俺のお母さんも写ってる」
「そうそう、これは運動会の写真だったわね」
画面をスクロールして、次の写真を見せる。
「あ、この写真の俺、何を持ってるんですか?」
「これは、空人くんがかけっこで一番を獲ってトロフィーみたいなのをもらった時の写真よ。この時、桜夜は最下位だったかしら」
「それはいちいち言わなくていいから!」
桜夜が怒るのを見て、桜夜のお母さんは微笑んでいる。もしかして、楽しんでるんじゃないだろうか。
「小学校は学区が違ったから、卒園してからは会うことはなかったんだけど、まさか、また会えるなんて思ってなかったわ。お母さんは元気にしているかしら?」
「はい、勉強しろ、って毎日うるさいです」
「そう、元気でよかったわ。また近いうちに、ランチにでも行こうかしら」
少しウキウキしした様子で、桜夜のお母さんが話す。その後も、幼稚園の時の話や、小学校に入ってからの事を聞いたり話したりした。
「あら、もうこんな時間、そろそろ夕飯を作らないと」
リビングのテーブルに置いてあるデジタル時計を見ると、5時半を示していた。
「それじゃあ、俺もこのへんで帰ります」
「帰り道はわかるかしら?」
「駅目指して歩けばなんとかなると思います」
「それでは、お気をつけて。また好きな時にいらしてください」
「はい、お邪魔しました」
最後に、小さく手を振る桜夜に手を振り返して、俺は桜夜の家を後にした。
桜夜の家に行った翌日、木曜日。ちなみに家に帰った後、誠とモブ狩り1000体をこなした。
学校に着いてタブレットの画面をつけると、メールが1つ来ていた。
『昨日、サクヤちゃんの家に行ったってほんと!?』
……なんでバレてるの。
まあ、原因なんて一つしか思い当たらないんだけども。
俺は元凶であろう橋本先生に一言『なんで言ったんですか』と送信。数十秒した後に、返信が来た。
『どうせ君のことだから、後ろめたい気持ちでも抱えて彼女に伝えてないだろうと思ってな。だから、昨日私に行っていいかどうか尋ねたのだろう。それに、どちらにしろ、彼女に内緒というのはよろしくないだろうし』
相変わらず返信が早い。一日中タブレット見てるんじゃないのか。
しかし、先生が言ってる事はもっともだ。そもそも、先輩に言わずに済まそうとした俺が悪い。
『それと、今日の放課後にあの会議室に来てくれ』
俺は『わかりました』と返信して、タブレットをしまった。
木曜7限を終えて、会議室に向かう。
扉を開けると、橋本先生の姿があった。
「今日は俺の方が早かったみたいですね」
「ん、なんの話だ?」
「あれ、今日は先輩呼んでないんですか?」
「ああ、今日は君と二人で話をしようと思ってな」
先生が席に座るよう促すので、向かいに腰を下ろす。
「最近、二人きりというシチュエーションに慣れてきた自分がいます」
「そのシチュエーションの8割ぐらいを私に分けて欲しいよ」
「それ、ほとんどじゃないですか」
「姉さんには、もう中学生の子どもがいるのに、私ときたらまだ結婚できていないからな」
「先生、独身だったんですね」
「その言葉は胸に刺さるから、女性の前ではあまり言わない方がいいぞ」
「先生、未婚だったんですね」
「言葉を変えても意味は変わらないぞ……」
先生がため息を吐きながら、背もたれに身体を預けた。
「でも、先生がに結婚願望があるのは少し驚きました。バリバリ働く女性のイメージがあったんで」
「それはそれで選択肢の一つなんだが、姪っ子の姿を見てると、やっぱり可愛くてな」
「そうですね」
力を抜いたまま、先生が少し笑った。会議室に穏やかな時間が流れる。
「……」
「……」
「……すいませんが、先生のお悩み相談のために呼び出されたのなら、俺もう帰りますよ」
「いや、今日君をわざわざ呼んだのは、君に色々聞きたいことがあるからだ」
席を立とうとした俺を先生が押しとどめた。
「そもそもの発端は、私がミッションとして、君たちにお付き合いをすることを命じたわけだが、現在、君は白金さんの事をどう思っているのかな?」
「どう思っている、といいますと?」
「異性として好きかどうかだ」
「そうですね……好きか嫌いかと言われたら、もちろん好きですよ」
「いや、そうじゃなくてだな」
俺の返答に先生が苦い顔を示す。曖昧な答えを言っているのは俺も分かっているのだが、何故か上手い言葉が出てこないのだ。
「なら、質問を変えよう。君は白金さんのどこが好きなのかな?」
「ん……笑顔ですかね」
「誰もイケメン回答を求めてはいないぞ」
「別に狙って言ってるわけじゃないですよ」
「言ってから、『俺なに恥ずかしい事言ってんだ……』とか思わなかった?」
「先生のおかげで、恥ずかしくなってきましたよ!」
先生がニヤついた顔でこちらを見てくる。姪っ子話の時のいい笑顔はどうした。
「じゃあ、白金さんの事をどれぐらい好きなのかな?例えば、母親何人分みたいな」
「随分と答えづらい聞き方ですね!」
「レモン何個分でもいいぞ」
「ビタミンCじゃないんですから!」
「で、実際のところどれくらいなんだ?」
「そう言われましても、なにかに例えたり他のものと比べたりするのは、難しいといいますか……」
「つまり、何物にも替えがたい、と。別にイケメン回答をもとめてるわけじゃないんだけどなー」
「茶化すなら、そろそろ帰りますよ」
「すいませんでした、もう少しここにいてください」
先生が両手を膝の上に置き、頭を下げた。生徒と教師の関係性を疑う光景である。
「では、最後に。先日、白金さんに黙って家に行った葉月さんとは、どんな関係なのかな?」
「えっ、桜夜ですか。まあ、普通に友達ですけど」
「そうか……。よし、今日はもう解散にしよう。わざわざ呼び出してすまなかったな。もし、相談事があれば遠慮せず私に言ってくれ」
「はい、それでは失礼します」
今日、なんのために呼び出されたのか、少し疑問に思いながらも、俺は鞄を持って、会議室を後にした。