依頼
2040年では、学校の授業はほとんど全てがパソコンやロッキーにデータとしてあり、教師は授業の用意にかける時間が以前に比べ大幅に短縮された。
そのため、その空いた時間を生徒の相談に使うことによって、生徒の心の健康を守り、社会で活躍できる人材を育てるというのが、今の時代の教育方針だ。
そのため、喜桜学園では担任を持ってない教師が休み時間や放課後に、生徒の相談を受け付けることになっている。国語教師の橋本もまたその一人であった。
橋本が昼休みに校内専用タブレットの中から、相談用メールボックスを開く。今日も2,3通の相談メールが届いていた。
「ん?」
彼女が少し首を傾げた。というのも、少々気になる名前があったからだ。
「……から相談が来たか」
一言誰にも聞こえない声で呟くと、彼女は静かにタブレットの画面を消した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
シロナと洞窟に探検に行ったその翌日のまた翌日。
4時限目を終えて机に弁当を開けていると、いつものように誠が弁当を持ってこちらにやってきた。
「なあ、今日の放課後、一緒に狩りに行かないか?」
なにか文章として致命的に間違っている気がしないでもないが、要するに放課後ILしようぜ、ということだ。
「オッケー、最近二人で狩りしてなかったしな」
「まったく、クウが急に色めきだしたからな」
「いや、そういうわけじゃないからな」
「じゃあ、一体どういうわけで?」
「ん……こーゆーわけ?」
「どんなわけだよ」
手話みたいに適当に手を動かして苦し紛れに返すと、誠は苦笑しながらあっさり引き下がってくれたので、そのまま会話のテンポを持っていくことにした。
「時間はどうする? 帰ってすぐにするか?」
「久しぶりにがっつりやるか」
「よし、狩場は……」
その時、俺のタブレットにメールが届いた。すぐに内容を確認する。
『こんにちは、桜夜です。ロッキーのネットワークの調子が悪いので見てもらえませんか』
「誠、悪い。夜からで」
考えるまでもなく即決だった。
「なにか用事か?」
「依頼入った」
「どんな?」
「ロッキーの調子が悪いから見てほしい、んだと」
「依頼主は?」
「同学年の女子」
「とりあえずくたばれ」
すぐさま暴言を吐かれた。誠はクールそうに見えて、その実、先輩の騒動の時のように騒いだりと、掴みどころのないやつだと俺は思っている。なんだろう、橋本先生じゃないけど、雰囲気は近いような。
「しょうがないな、夜から死ぬほど狩るぞ」
「なんか、本当に死にそうで怖い……」
「モブ1000体狩りか、大型龍5連続ツアーかどっちがいい?」
……目がマジです。
「どちらかというとモブ1000体で」
「まあ、お前のアレを使えば、一気に50体ぐらい消えるもんな」
「同時にMPも消えるけどな」
「そういや、クウは今レベルいくつだっけ」
「152」
「相変わらず差が埋まるどころか開く一方だな」
「そういう誠はいくつだよ?」
「138。あともう少しでチャンピオンズトーナメントに出れるのになー」
「けど、140台で1対1に出たら、歯が立たないこともあるけどな」
俺も140になりたての時に大会に出てみたが、初戦が160オーバーの相手で、それなりに善戦はしたが負けた経験がある。
「確かに、勝つためには何か1つ相手に勝る武器がないといけないよな」
「まあ、ただレベルを上げただけでは格上には一生勝てないな」
「俺もウェポン・トランス・リベレーションのような必殺奥義があればなー」
その時、つけたままにしていた画面に桜夜のメールが追加で表示された。
『放課後に校門で待ち合わせでいいでしょうか。返信待ってます』
俺はすぐにオッケーと返そうとして、思いとどまる。これって先輩に見られたら、まずくないか? いや、別に後ろめたい事をしてるわけではないんだけども。でも、だからと行って付き合ってる女の子に内緒で他の女の子の家に行っても良いものだろうか。
「なあ、もし付き合ってる人に内緒で他の女の子の家に行くのって、どう思う?」
「不貞行為だな」
「飛躍しすぎな」
「でも、普通に考えてアウトだろ」
「ですよねー」
これ、どうしたものか。行きづらいし、かと言って、桜夜に先輩と付き合ってる事を言うのも話がズレてるし…
……橋本先生に聞くことにしました。
『藍海です。突然ですが、今の俺の現状で、依頼が理由で女子の家に行っても大丈夫ですか? 出来たら返信早めでお願いします』
ものの十秒もしないうちに返信がきた。
『相手は誰だ』
なんか、怖い。五文字から放たれる圧がすごい。
『2年の葉月さんです』
怖かったのですぐ送ると、またしても返信が速かった。
『お前には依頼主への守秘義務がないのか!』
向こうから聞いといて、答えたら怒られました。
『すいません。以後気をつけます』
『仕方ないので、今回は特別に行ってよしとします』
ひとまず先生からオッケーが出た。
「さっきからメールばかりして、そんなに依頼がきているのか?」
「ああ、ちょっとな」
俺は桜夜に『了解』と送ってタブレットの画面を消した。
6限終了後、一番で教室を出て急ぐ。
先日の先輩の時のように話題になるのは避けたいので、近くのコンビニに待ち合わせ場所を変更してもらった。
早歩きでコンビニまで行き、お菓子とジュースを買ってコンビニから出ると、桜夜が店の前で待っていた。
「悪い、少し待たせたか」
「いえ、今ちょうど着いたとこですよ」
「ここから、桜夜の家までどれくらいかかる?」
「私が歩いて、15分ぐらいです」
それからILや勉強の話をしながら、閑静な住宅街を進んでいく。桜夜の家は、学校を挟んで俺の家とは反対側にあるようだ。
話題が少し底をついてきた時、桜夜の家に到着した。俺の家と同じ二階建てで、2台分ある駐車場には車が止まっていない。
「今は、母が買い物に行っていて私一人なので、リラックスしてもらって大丈夫ですよ」
桜夜はそう言うが、それは逆に女の子の家に女の子と二人きりという状況でもある。リラックスできようか、いやできない。
桜夜が玄関で顔認証と指紋認証の2つを解除する。ピピッと音が鳴って、玄関のドアからカチャリと音が聞こえた。
「お邪魔します……」
片手にジュースと菓子の袋も持っておずおずと入る俺。
そのまま、桜夜に案内されて二階の桜夜の部屋と思われる場所へ。
「今コップとお皿を取って来るので待っててください」
そう言って、部屋に俺1人が取り残される。
……落ち着かない。よくわからないが辺りをキョロキョロと見てしまう。
桜夜の部屋は物が少なく、勉強机とベッド、タンス、クローゼット、ロッキーしかない。
そわそわしながら、袋から菓子を取り出したり、タブレットをつけて意味もなくスクロールしていると、桜夜が戻ってきた。
「すいません、勉強机の裏にある折りたたみ式の机を出してくれませんか」
「オッケー」
壁と勉強机の隙間を見ると、脚が折りたたまれた小さな丸テーブルが見える。手を伸ばして取り出すと、埃が積もっていた。
「ああ、あまり人が来ないので、使っていなくて……」
と言いながら机の横に掛けてあった、埃を取るモケモケでさっとひと撫で。
「これでオッケーです。ロッキーを見る前に、先に食べましょう」
「そうだな」
俺は菓子を皿に開けて、桜夜がオレンジジュースをコップに注ぐ。
「えーと、ネットワークの調子が悪いって言ってたけど、具体的にどの辺が悪いの?」
「リープするところまでは行けるんですけど、そこからがネットワークに接続出来ませんの表示が出るだけで……」
「うーん、このロッキーってネットには何で繋がってる?」
「家のWi-Fiです。そうじゃないと、通信料がとんでもないことになりますから」
「なら、一回Wi-Fiの電源を落としてみて」
「Wi-Fiの機械なら、一階にあるのでついてきてください」
桜夜とともに階段を降り、一階のリビングへ向かう。壁際にあるテーブルの一つにそれは置いてあった。
桜夜が機械の電源を落とす。ランプが全て消えるのを確認。
「よし、電源入れてみて」
もう一度電源ボタンを押す。しばらくしてランプが点灯。
「これで繋がったか確認しよう」
「わかりました」
二階の部屋に戻る。
「えっと、藍海くん……」
「ん?」
「確認したいのですが……」
「おう、そうだな」
「その、タイツに着替えるので、少しの間出てもらえませんか……?」
桜夜がタイツをきゅっと握って、少し顔を赤くしてもじもじしていた。
「えっ、ああ、ごめん!……じゃなくて、ネットに繋がってるか確認するだけなら、別にリープしなくていいよ」
「えっ、そうなんですか!?」
「取説読まない人が多いから知らないかもしれないけど、ロッキーの背中部分に動作不備の時に備えて、ロッキーのコンディションを示す小さい画面があるんだ」
「知らなかったです」
「このままだと画面が見えないから、ロッキー動かすの少し手伝って」
俺と桜夜でロッキーを抱えるようにして、息を合わせて持ち上げた。扉の反対側の面に、画面を覆う蓋があった。
「よし、ここの蓋を開けると」
タブレットよりもう少し小さい画面が現れた。今月の電力消費量などが表示されている。
「うーん、ネットワーク接続はなしになってるな……」
「どうしてでしょう……」
「最近リープ以外でロッキーの操作をしたか?」
「いえ、せいぜい勉強用のソフトとILを差し替えたぐらいで……」
「それだ!」
俺はロッキーの側面に回り込み、蓋を開ける。
そこにはソフトとディスクを飲み込むための細長い2つの穴と、その下に幾つかのボタン。その中のWi-Fiのボタンの上のランプが点いていなかった。
「これだよ、桜夜!」
「気がつかないうちに押しちゃったんですね」
「よし、画面を確認してみて」
「あっ、今『ネットワーク接続 Wi-Fi』って出ました!」
桜夜がパアッと顔を輝かせて、こちらを向いてにっこりと微笑んだ。その笑顔に思わずドキッとなってしまう。
「よし、これでひとまず依頼完了!」
「ありがとうございます!これで、また一緒に冒険できますね」
「そうだな。とりあえず、ILに行けるかどうか試してみるか?」
「それもいいですが、まだ時間もありますし、先日言ったどこかに一緒に出かけませんか?」
「せっかくだしそうしようか」
「少し支度するのですいませんが部屋の外で待っててもらえませんか」
俺は荷物を持って部屋を出た。部屋から、タンスを開け閉めする音が聞こえてくる。
「お待たせしました」
数分後、部屋から桜夜が出てきた。
私服に着替えており、胸元に小さなリボンがついた白のブラウスと、薄いベージュの膝丈スカートというファッションだ。右手には小さな白のハンドバッグを持っている。
「その、変ですか……?」
「い、いや、全然変じゃないよ!」
無意識のうちに桜夜をじっと見てしまっていた。お世辞抜きで可愛いです。
「それじゃあ行きましょうか」
玄関へ降り、俺がローファーを、桜夜がこれまた白のサンダルを履いた。出掛ける準備が全て整ったその時、目の前のドアからピピッという音がなった。
「お母さんです、どうしましょう!」
桜夜の私服だけで40分も考えてしまいました。