探検
「本当に絶景なんだよね?」
「本当に絶景だから。あと少しだから」
ウエストセンターを出た後、俺達は絶景を見るのとモンスター討伐のために、北の山にある洞窟に来ているのだが、
「さっきから15分ぐらいずっと暗闇の中を歩いているだけなんだけど」
「あと少しで着くから、ご辛抱よろしくお願いします……」
明かりをつけるとモンスターと遭遇するからという理由で、暗視スキルだけを頼りに光源がほとんどない洞窟を進んでいた。
「もしかして、暗闇の中で私のことを襲っちゃおうと考えているのかな?」
「な、なんでシロナまで橋本先生みたいな言うんだよ! 俺は襲う気ないからな!」
この時、暗闇でシロナは見えないが、俺の顔は真っ赤になっていた。というか、シロナは頭を除いて全身鎧装備なのだから、襲えるはずもないんだけど。
「でも、暗闇ではぐれるのはイヤだから、手、繋いでいいかな……?」
「……いいよ」
俺がシロナの声のする方へ手を伸ばすと、俺の手を探しているシロナの手とぶつかった。そのまま、手繰り寄せるようにして手を繋ぐ。
「シロナの手、暖かいな」
「アイク君がひんやりしてるんだよ」
二人並んで薄く水が張った地面をチャプチャプと音を立てて歩く。明かりをつけてないおかげで、道中でモンスターに遭遇することは一度もなかった。
手を繋いでから2,3分程歩き、何回か角を曲がった先で、俺達は思わず息を呑んだ。
角を曲がった俺達の視界に飛び込んできたのは、青や緑の光を放ちながら飛び交う無数のホタルだった。そして、その光が水面に揺らめき、反射することで、さらに洞窟内を淡い翡翠色に染め、幻想的な雰囲気を醸し出している。
「すごい……! ILにこんな場所があったなんて知らなかったよ」
「元々はレベリングのための狩場で時々来ていたんだが、道中で一度もモンスターに遭遇することなくここまで来た場合にのみ、この道が出現するんだ」
「ということは、アイク君も一度ここまで来ているんだ」
「いや、俺はネットでその情報を知ったから、ここに足を踏み入れるのは最初だよ」
「じゃあ、お互い初めての場所だね!」
シロナが満面の笑みをこちらに向けた。その笑顔を見ただけでも、ここに二人で来れてよかったと思える。
「それじゃあ、奥に進もう」
俺達は明るくなったにもかかわらず、手を繋いだままホタルの洞窟を歩く。最初は寒色だったホタルの色が黄色やオレンジ、または紫などに変化して、その度に俺達はその美しさに息を呑まずにはいられなかった。
しばらく歩くと、人が3人並んで歩けるかどうかの洞窟から、直径30メートル程ある開けた空間に出た。天井はドームのように高くなっていて、その空間をホタルが満たしている。
「アイク君、上見て!」
シロナが興奮した様子で頭上を指差した。その先を目で追うと、エメラルドグリーンに輝く巨大な結晶が天井から突き出していた。
「すごい……瞳が吸い込まれちゃいそうだよ」
「ああ、売却したら一体いくらになるんだろうな……」
「もう、なんでロマンの欠片もないことを言うかなー」
「でも、気になるだろ?」
「まあ、気になりはするけど」
お互い、天井を見上げながら会話する。ホタルの光を乱反射しているため、少し見る位置を変えただけで、結晶が妖しく揺らめいて見えた。
……いや、そうじゃない――――――
「壁まで退避するんだ!」
俺の声に反応したシロナがバックステップで後ろに下がる。その刹那
ズゴーーーーーーーンッッ!!!
と地面を穿つ音がして、水しぶきが盛大に全身にかかった。
「な、なに!?」
「どうやらゆっくり観光というわけにもいかないな」
水しぶきの中から姿を現したのは、10メートル近くある巨大な結晶を背中に載せ、6本の足を持つ翡翠色の甲虫だった。
モンスターの頭上に表示された名前はジャイアント・クリスタル・スカラベ。レベルは131。
レベルとしては倒せないことはないが、このサイズの敵と初見でやりあうのだ。なにが起こるかはわからない。
「シロナは敵の攻撃を防ぐ事に専念して! 俺は隙を見て攻撃する!」
「了解!」
シロナがストレージから銀色に輝く大盾を出現させる。俺は<虫特攻>の追加効果を持つ片手剣「インセクトキラー」を装備すると、敵の懐めがけてダッシュした。
右手に持つ剣を左腰に構え、僅かにタメを作る。その瞬間、刀身が鮮やかなオレンジに輝き、片手剣スキル、ブレイズ・スラッシュが発動。
スキルによって炎を纏い一気に加速された剣が、甲虫の腹へと吸い込まれていき、
カーーンッ!
と乾いた音がした。
「あれっ?」
予想を裏切るサウンドエフェクトに、俺は敵のHPバーを見た。そこには、少しの陰りもなく3本の緑色のバーが健康的に伸びていた。
「これって、まさかとは思うが……」
「もしかしなくても……」
「「斬撃耐性100%……」」
俺とシロナの声が重なった。そして、これは全くもって俺達の勝ち目は無いということを意味していた。
「撤退だ! 洞窟まで逃げるぞ!」
「そうしたいけど、そう簡単に行かせてくれそうにないよ!」
現在、俺は敵の真下に、シロナは甲虫を挟むようにして、通ってきた洞窟の反対側に位置している。このままでは、鎧装備に大盾を持ったシロナは逃げ切ることが出来ない。
「俺が時間を稼ぐ!その間に大盾をしまって逃げるんだ!」
「……了解!」
シロナが敵から少し距離をとって、ステータス画面を開く。俺はそれを確認すると、シロナに背を向けて洞窟まで一目散に逃げた。
「えっ、アイク君なんで逃げてるの? もしかして、私の事を犠牲にするつもりなの!?」
シロナが何か叫んでいるが、聞こえないフリだ。俺は走りながら、右手の甲を浅く切った。切り口から赤黒い血が空中に棚引く。
「アイク君のバカ! 裏切り者!!」
シロナが怒りMAXの表情で俺がいる洞窟を睨んだ。そして、もう逃げられないと悟ったのか、籠手だけ装備している腕で、振り下ろされる巨大な脚を受け止めようとする。
俺は出来たばかりの分身に全神経を集中させると、シロナと脚の間に分身を割り込ませた。
今まさにシロナを殺そうとする脚と、俺の分身の二刀流が激突し、ガキ-ーッン!!と重い音を響かせた。
「アイク君!」
俺の分身はシロナの方に首だけ振り向くと、早く行けと首を動かした。
「ごめんね、ありがとうっ!」
シロナは全速力で洞窟まで走る。その瞬間、分身の持っていた剣が折られ、脚の下敷きになった。
「アイク君!!」
シロナが立ち止まって俺の分身の方へ振り返る。だが、分身は意志のこもった目でシロナを見つめると、首を横に振った。まるで、俺の事は気にするなと言うかのように。
その意図を理解したのか、シロナはうっすらと涙を浮かべながら、再び走りだした。そして、シロナが逃げ切った直後、背後からささやかな破砕音が耳に届いた。
「アイク君!!!」
シロナが振り返って、分身がいた場所を見る。しかし、分身は既にホタルの淡い光の中に溶けた後だった。
「ああ……アイク君が……」
か細い声で呟くシロナの両目から涙が溢れる。
「一度逃げたのも、装備変更して私を守るためだったのに、裏切り者だなんて言っちゃった……」
シロナが涙で顔を歪ませて、その場に蹲った。
……えーと、どうしたらいいんだろう。なんか予想外の展開だぞ。
とにかく、居心地が悪い。いっその事、本体の俺もアイツに踏み潰されに行ってくるか。
こんな時にできるイケメンなら後ろから優しく抱きしめてあげたりするのだろうが、生憎そんなことは俺には出来ない。というか、ILにセクハラと感知されて牢獄送りになるかもしれない。
少し考え、俺は出来るだけ優しい声で呼びかけることにした。
「……シロナ」
「えっ」
俺の声に反応してシロナがピクリと動く。そして、顔を覆っていた手をどけて、こちらを振り向いた。
「ほんとにアイク君なの……?」
「うん、俺だよ」
俺が返事すると、シロナが俺の胸に飛び込んできた。
「アイク君、ごめんなさい……!さっき、あんなひどい事言っちゃって……」
「おわっ!ちょっ、鎧の角がゴリゴリ当たって痛い!」
「あっ、ごめん……」
俺の言葉に、慌ててシロナが離れた。
「でも、なんでアイク君がここにいるの?さっき、私を助けてあそこで……」
「えーと、それは……」
さすがにこれは言わないといけないよな。
俺はシロナに分身のスキルの事を包み隠さず説明した。
「……」
「……どうした?」
「なんか気持ちの整理がつかなくて」
「というと?」
「体を張って守ってくれたと思ってたのに、実際は分身が守ってたんだよね?」
「まあ、そうだな」
「アイク君が命懸けで私の事を守ってくれたのに、ひどい事言っちゃった、って後悔して泣いてた時も、すぐ側で見てたんだよね?」
「……そうなりますね」
「……さっきの私の気持ちを返してよ!!」
シロナが怒りと羞恥が綯い交ぜになった顔で、大声で叫んだ。近くを漂うホタルがザワッと動いた気がした。
「アイク君が側にいるのに気づかずに、あんなに泣くとか恥ずかしすぎるよ……」
「その、ごめん……」
「今日はもうお開きでいい……?」
「ああ。その、お疲れ様」
シロナは「じゃあ、またね」と言うとステータス画面を開いてログアウトしていった。どうやら洞窟に戻れば、あの甲虫からタゲが外されるシステムのようだ。
「次にログインする時はシロナを出口まで案内しないとな」
俺は水浸しになった装備を着替えて、今日の冒険を終わりにした。