その1
えーと、以前載せていた「転落」をリニューアルしたものです。
長くなったので、とても一つでは載せきれず、やむなくこういう短い連載となりました。
以前よりは文章を絞り上げてスマートにしたつもりなのですが、如何なものでしょうか。
やばーい!!
線路沿いの道を必死で走る俺。
頭の中では赤ランプの警報が全開で鳴り響いていた。
今月はえーと……考えるのを止めよう。
今日遅刻したら今度こそ課長は拳を振るうだろうなぁ。考えただけでもガクブルだぜ。
それにしても、まさか目覚し時計が止まってるとはね。よく起きれたもんだ。起きた瞬間に見た針が三時になってて、軽く吐きそうになったけど。まあ、走って何とかなるかもしれない時間なんだから、上出来ってことで。
ばさばさばさ……。
「うわっ……ぷっ」
突然どこからともなく飛んできた新聞紙が俺の顔に張り付いた。
なんじゃこりゃあ。引っぺがして見ると今日の新聞だった。
何でこんなものが飛んでくるんだか。なになに?今日の運勢?えーと、乙女座は……。
「電車に注意。予想だにしない事態に巻き込まれるでしょう」
どこの馬鹿だ、こんな性質の悪い占いを乗せたのは!!桃尻鳳仙花知らない名前だな。
その電車に乗るために急いでるんだって。アホか。こんな新聞、丸めてポイだ。
っていうか、そんなことしている時間も無いんだった。
やばーい!!
駅に入って構内を疾風のごとく駆け抜け、陸橋の階段を降り始めた瞬間、駅内に発車を告げるメロディが流れ始めた。
「1番線より、快速電車、発車いたします。尚、大変危険ですので、駆け込み乗車はご遠慮ください」
なんか、俺に向かっていわれてるみたいな……。まあ、そんなわけないし、例えそうでももう止まれん。
遅刻する だからエンジン 全開さ そしてブレーキ むしろ全壊
うむ、二秒で作ったにしては珠玉の出来だ。全開と全壊が見事な……えーと、対句?どうでも良いや、それどころじゃないし。
駅員の笛の音がホームに響く。それと同時に俺の足はホームのアスファルトを踏んだ。閉まり始めるドア。駅員が制止しようとするのを横目に、加速をつけて俺はその隙間に身を躍らせた。
駆け込み乗車もビックリの飛び込み乗車だ。標準体型でよかった。
ドアが完全に閉まり、電車はゆっくりと走り出した。
ふう、やれやれ、遅刻だけは免れたぜ。とはいえ、疲れた。
体力がなくなってるなぁ。もうおっさんかなぁ。
『三両目のお客様、大変危険ですので、駆け込み乗車はお止めください』
うるさいわい。お前が課長のパンチを食らってくれるなら、いくらでも安全に乗車してやるわ。
「おい」
俺が心の中で車掌を罵っていると、えらく凄みを聞かせた声が耳に入ってきた。
立っていたのは、まぶしい金髪、ジャラジャラピアスの若造。専門用語で言うところのいわゆるヤンキー。
よくよく見れば、似た様なのが後二人。実に没個性的だな。
「てめえ、何踏んでんだ」
そう言われて、初めて足の下に違和感を覚えた。下を見てみると、俺の靴の下にはもう一つの革靴が。
「ああ、ごめんよ。急いでいたもんだから。それじゃ」
必殺、うやむやのうちにトンズラ作戦。しかし、あっさり肩をつかまれて引き戻される。作戦は電光石火で失敗に終わった。
「おい、おっさん。舐めんなよ」
誰がおっさんか。まだ三十前だぞ。と心の中で猛抗議。
「人の靴、思い切り踏んどいて、なんだそのスカした態度はよ?何つーの?謝り方ってあるんじゃね?」
さりげなく、視線で助けを求めてみるが、他の乗客の皆さんは、完全に我関せずとそっぽを向いている。薄情者共め。
「だから、ごめんといったろう」
何と無く語調を強めてみた。多分無駄かなー。
「なあ、おっさん、ごめんですむならよ、警察はいらねぇんだよ」
うん、無駄でした。
「おお、タケオ君が切れちまうぜ」
「北高の核弾頭と言やぁ、おっさんも分かるだろ?手ぇついて、謝っちまえよ」
知らん。どこの世界の常識だ、それは。
「ここでシメちまってもいいんだぜ?とりあえず、足を踏んだ侘びに、慰謝料払えや」
あー、やっぱり。なんと言うか、変わり映えしないというか古典的というか、進化の過程で真っ当な人類から外れた亜種というか……。
「いい加減にしろ!!」
掴んでいる腕を払いのけようと、腕を振ったのがそもそも不味かった。
「ぐあっ」
なにやら良い感触があって、タケオ君その場に崩れ落ちた。一撃必殺とはこのことだ。
「タケオ君!!」
その他二名が慌てて倒れたタケオ君に駆け寄る。
よし、今だ。
俺はすかさずその場から早足で逃げ出した。
「あ、野郎、待ちやがれ」
ちぃっ、気付いたか。仲間でも思いやっていればいいものを。
「どけ」
とか
「うわぁ」
だとか背中のほうが妙に賑やか。どうやら手間取っているらしいということで、俺は歩調を速めた。
と言っても、先にあるのは先頭車両。そこまで行けばハイそれまでよ。さーて、どうしたものかな。
あいつらの若さ溢れる暴走の前には、俺の命など簡単に吹き散らされるに違いない。
「待ちやがれ!!」
「いや、この先は先頭車両だ。行き止まりだぜ」
ちっ、意外と頭がいいじゃないか。いっそ窓から飛び降りてやろうか。
そんなことを考えていると、電車がゆっくりとスピードを落とし始めた。しめた、次の駅に着いたみたいだ。俺は心の秤に命と遅刻をかけてみた。
答え、命。
一秒もかからずに答えがはじき出されたので、降りることに決定。
……まあ、課長はきっと命ぐらいは勘弁してくれるだろう。
「地獄谷〜、地獄谷〜」
どんな名前の駅だ!!
車掌のアナウンスが流れ、ゆっくりと電車が止まり始める。一番端のドアの前に立って、逃げる体制を作る。軽くストレッチも忘れずに。
「やべぇ、あいつ降りる気だぞ」
「おいてめぇ、動くな!!」
アホか。動くわい。
ドアが開くと同時に俺は電車を飛び出した。電車に乗ろうとしている人々を掻き分けて、流れを逆送し、改札に続くホームの長い階段を駆け下りる。上ってくる人たちにぶつかりそうになりながら、それでも俺は速度を緩めなかった。
階段を降り切った所で上を見てみると、その他二名が階段を下りてこようとしていた。いいのか、核弾頭を置き去りで。
「あ、いやがったぞ」
「待ちやがれ!!」
くそ、目が合った。さすがは野生動物との合いの子。勘だけは鋭い。
てゆーか、逃げよう。慌てて俺は再び全速力を開始した。人ごみの間を隙間を縫って出来るだけ急ぐ。まあ、この人ごみじゃああいつ等も追いつけないだろうけど。
「どけおらぁ!!」
「ぶっ殺すぞ」
何やら物騒な声。振り向くと、無理矢理人を押しのけて進んでくるその他二名の姿が見えた。重機かあいつらは。
やばいぜ、速度を上げなくちゃ。
そう思ったとたん、目の前に人が現れた。いや、立っているのに気づいていなかっただけだけど。
スーツ姿の男で、片手に携帯電話を持ったまま、驚いたような顔をしている。いやいや、そんな顔している暇があったらどいてくれ。というか、俺も避けなきゃ。
そう思うと同時にドンッという衝撃。ぶつかった弾みで俺は尻餅をついた。凄く痛い。
「うわ、ごめんなさい」
慌てて立ち上がりながら、俺はその人に駆け寄った。
ゆすぶってみても、声を張り上げてみても反応は無し。ノックアウトしてしまったらしい。まあ、生きてるっぽいけど。
「本当にごめんなさいね、お大事に」
彼には申し訳ないけど、放置決定。お詫びの心だけを置いて、俺は再び走り出した。
「おい、あそこだ」
後ろから、そんな声が聞こえたので、俺はさらに加速した。ごめんなさい、誰だか知らないけど、死なないでください。
改札を抜け、駅の外に出ると、丁度バスがついたところだった。ぞろぞろと降りてくる乗客たち。その雑踏の中に飛び込み、そのまま流れとは逆に歩いてゆっくりと駅から遠ざかる。
ここまでくればもう大丈夫だろう。駅から十分ほど走りつづけて、俺は公園のベンチでようやく一息ついた。
ふと、隣に雑誌が一冊置き去りにされていたので、何気なく手にとって見る。良くある週刊誌だった。落ち着きがてら何と無くめくって見る。
ほう、血液型占いか。えーと、俺はO型だから……。
「今週のO型は、無理をすると良くない運勢。何事も運命に逆らわず、流れに身を任せましょう。特に駆け込み乗車には要注意。とんでもないことがあなたを待っているかも」
うーむ、当たっているじゃないか。怖いぐらいに。誰だこいつは?桃尻鳳仙花とな?……どっかできいたなぁ?
「ラッキーカラーは緑青色、ラッキーアイテムは群書類従、ラッキースポットは忍者屋敷……」
よし、ラッキー頼みは無理。てか、こんな雑誌読みふけってる場合じゃなかった。
とりあえず、会社に電話しなければなるまい。怒鳴られるか呆れられるか、どっちみちろくなことにはならないだろうけど、まあ殴りまわされて大怪我するよりましだろう。
「……あれ?」
ない。両脇のポケットにも、ズボンのサイドポケット、果ては尻ポケットまで探ってみたけどどこにもない。
「……あれれ?」
参った。
遅刻はいいけど、無断欠勤は不味い。
殴られるどころか、下手しなくても首ちょんぱだ。
公衆電話……見当たらない。最近は随分と減ったなぁ。
いやいや、そんな場合じゃないのだ。
ええと、朝は間違いなく持って出た。電車の中、追いかけっこ……。そこまで考えて思い当たった。
さっき激突したときだ。そこしかない!!
時計を見た。始業までは後三十分。
俺は駅を目指して、ある意味、人生のラストスパート。あー、今日は走りっぱなしだな。
駅が見えた。どうやら、タケオ君御一行様はいなさそう。
今がチャンス。俺は駅へと足を向けた。
「すみません」
言いながら、改札の横にある駅員室を覗いてみる。当然のように駅員がそこに座っていた。
「どうしましたか?」
「携帯電話を駅で落としちゃったみたいで……。届いていませんか?」
「ちょっとお待ちください」
そう言って駅員は奥に引っ込んでいった。奥で他の駅員となにやら喋っている。
早くしてくれー。色々と急いでいるんだよう。
「ああ、最悪だ……」
呟いたのは俺じゃない。声の主はトイレから出てきた。ああっ、あの顔は。俺は慌てて顔を反対側に向けた。さっきぶつかった男だ。
あー、何でまだいるんだよ。結構時間経ってるのに。しかも何が「最悪」なんだろう。俺のせい?俺が悪い?
ちらりと盗み見ると、男は何故かこっちに向かって歩いてくる。や、やばいっす。
駅員さん、ぷりーづ、はりーあっぷ!!
そのとき、駅員が戻ってきた。
「あの、これですか?」
駅員が手に持っているのは、間違いなく俺の携帯電話。
「そうですそうです」
「じゃあ、一応拾得物の引取りってことで、こちらの書類に必要事項を書き込んでもらえますか?」
受け取ろうと差し出した手の中に、差し込まれたのは一枚の紙切れ。
住所や名前、勤務先なんかを書き込む欄がある。
ええい、面倒な手間をかけさせる。金釘流の殴り書きを見よっ!!三十秒ほどで全ての項目に書き込み、駅員に勢い良く差し出す。
「あ、どうも。えーと、書き漏らしはないかな……と」
緩慢な動きで書類をチェックし始める駅員。
「……あの、ちょっと急ぎで使いたいんですけどぉ」
「あ、そうですか。ではどうぞ」
最初っから渡せや。使えぬ男よ。貴様はそうして一生そこに座っているが良いわ。
ええと、会社の番号は……と。
「あの……」
会社の番号をプッシュしようとした俺の耳に、そんな声が飛び込んできた。
「はい?」
思わずそう返事しながら振り返ると、男は駅員室のほうを向いて立っていた。
騙された!!
「あっ!!」
そう叫んで、男の動きが止まった。男の体が小刻みに震えているのが見えた。
そうだろうなぁ。
そのまま無言で俺のほうに歩いてくる。俺は耳元まで持って行っていた携帯電話をゆっくりとポケットにしまいこんだ。
「あんた、さっき私を突き飛ばして逃げたやつだな?」
「いえ、違います」
沈黙。男の拳がプルプルと振るえる。きっと殴りたいんだろうなぁ。男の姿がふと課長と重なった。
「突き飛ばして、逃げたよな?」
「ごめんなさい」
人殺しの目をしていたので、すかさず体を二つ折りに近い角度まで曲げて謝る。
頭を鷲づかみにされて、引っ張りあげられた。
いけない……怒りで我を忘れている。
「今日は、とても大事なプレゼンがあったんだ……」
押し殺した声。ひん剥いた目と小刻みに震える体がすっげー怖い。
「それが、あんたのおかげで完璧に遅刻だ。さっき電話してみたら、先方はカンカンに怒っていたよ。会社にも目一杯怒られた」
ははは、と自虐的に笑う。もう完全に目が危ない。
「…もし、これで取引が縮小されようものなら、うちの会社の損失は五千万以上になる」
それは大きいですね。うちの会社なら間違いなく傾きます。
というか、いい加減苦しいんだけど。
おい、駅員。ボーっと見てないで助けやがれ。節穴か、貴様の目は。
「ここであんたをぶん殴ってもいいんだが、私は今からでも先方に謝りにいかなけりゃならない。とりあえず、勤務先と名前と電話番号を聞いておこうか。少なくとも、あんたの上司には一言文句を言いたい」
「いや、それはチョット…」
そうでなくても遅刻してるし、それはちょっと不味いですなぁ。とか言える空気でもないけど。
「あっ!!タケオ君、あいつ、あんなとこにいやがった」
突然、そんな大声が駅の中に響いた。
振り向くまでもない、学校サボりやがったな不良学生め。
改めて命の危機勃発。
けど、ラッキーなことに襟首の手は緩んでいた。
「とうっ!!」
俺は襟首を掴んでいた男を思い切り突き放した。
「うわっ」
もんどりうって倒れる男。
俺はそのまま、一応定期券を見せながら改札を駆け抜ける。
駅員は何が起こっているのか分からないのか、ぽかんとしていた。全く持って使えない男だ。電車の窓を全部拭く罰とかを推奨。
しかし、逃げる方向としてはまずったかもしれない。
だって、この先にはホームしかないわけで、そうすると電車が来ていなければただの袋小路と同じではないか。
必死だったとはいえ、我ながらなんて間抜けなのだろう。
「まもなく、一番線より普通電車、発車いたします。駆け込み乗車は大変危険ですので、お止めください」
駅の中に響くアナウンス。天の助けだ。しかも、一番線といえば、俺の会社の方面に向けて走ってくれる電車ではないか。俺は更に速度を上げ、階段を駆け上がった。
ホームに出ると同時に鳴り響く笛の音。閉まり始めるドア。デジャヴだ。
ならば行ける筈。
俺は勢い良くドア目掛けてダッシュし、駅員の制止を振り切って隙間目掛けてダイブした。滑り込む体、閉じるドア、走り始める電車。
ホームの上ではタケオ君御一行がこっちに何か怒鳴っていた。
今度こそ、勝った。




