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009話 たまには読者に忠告しよう (間違いを指摘する前に、調べようよ考えようよ①)

●「小説家になろ◯」には日々、色々な内容の作品が投稿されている。

そうした作品へ多くの感想が書かれており、その中には作品中の間違いを指摘するものが結構ある。

だが、そうした間違いの指摘の中には、納得の行く指摘もあれば、それはどうなの? という指摘もある。

 今回は、その「それはどうなの?」という指摘について幾つか触れてみようと思う。



1.【王様、王子様は必ず有能?】


「小説家になろう」の作品の中には王様や王子様の出て来る作品が結構ある。

 そうした作品で、登場した王様や王子様が無能である場合、それを批判する感想を時々見掛ける。

 王様や王子様は国を治めるために子供の頃から帝王学や高度な教育を受けているから無能である筈が無いというものだ。


 いや、いや、いや。歴史上、無能の烙印を押されたり評判の悪い王様や王子様というのは古今東西幾らでもいるではないか。


 西洋ではイングランドのプランタジネット朝のジョン王などは、王子時代から無能な上に陰謀好きで、その上、王になってからは領土を大幅に減らした事からイングランド史上最悪の君主との評価を受けている。


 東洋では明朝の第14代皇帝の万暦帝は最悪の君主として有名だ。何せ中国の古い歴史書「明史」には「明は万暦に滅ぶ」とまで書かれている。

 明が実際に滅んだのは第17代皇帝の崇禎帝の時代だが、滅ぶ原因を作ったのは万暦帝という事だからだ。

 政治はそっちのけで個人的な蓄財に走ったり浪費をしたり、後半生の二十数年は後宮に引き籠って出てこず政治も蔑ろにするという生活をしていたらしい。

 

 日本の例も挙げておこう。

 王ではないが徳川幕府において九代将軍の徳川家重の評判は悪い。八代将軍吉宗の嫡男であったが、文武を顧みず能にかまけてばかりで、一時は廃嫡という話もあったらしい。

 江戸幕府の記録を纏めた「徳川実記」には家重の治世は八代将軍の遺功と幕閣の功績によりおさまっていたとあるくらいだ。


 世界史で愚帝と愚王を探せば幾らでも出てくる。

 実際の歴史においてそうした無能の烙印を押された王様や王子様がいるのに、なんで小説に出て来る王様や王子様が無能だとおかしいと言えるのだろうか。

 そんな批判の方こそおかしいだろう。


 自分で考えた王様や王子様の常識という枠を作り、それにあてはまらないものを批判するのはやめた方がいいと思う。そしてもっと歴史を勉強するべきだろう。




2.【男性名? 女性名?】


 何年か前に「小説家になろう」に投稿されている、とある人気作品に出て来た登場人物の名前で間違いを指摘している読者が複数いた。

 脇役の女性の名前だったが、その名前は男名で女性に付けるのは不適当という指摘だ。中には実際に有名な男性を例に挙げている読者もいた。

 だが、しかし、実際にはその名前は外国では女性にも使われていた。

 しかも某国の女優さんの名前が正にそれで、その女優さんは40年以上前に日本のCMに出演していた事もある。

 美食で有名な欧州某国の有名女性シェフの名前も同じだ。

 この事例を知っている読者さんもいるだろう。


 こうした男性、女性、両方に使われる名前というのは他にも結構ある。

 

 例えば「ケリー」だ。

 男性ではアメリカの大リーガーでケリー・ジョンソ◯がいる。

 女性では、アメリカの女優で映画「ハリー・ポッタ◯」の最終作でレイブンクロー寮付きのゴースト「灰◯のレディ」役をつとめたケリー・マクドナル◯さんがいる。

 こういう男性でも女性でも両方に使われているという名前はたくさんある。


 日本で「アキラ」や「ツバサ」は男子名にも女子名にも使われているが、それと同じだ。


 そんなわけで自分の知識を感想欄に書き込む前に、まずはそれが本当に正しいのか確認する事をおすすめしたい。




3.【二度目の人生なら経験を生かせるから失敗しない?】


「小説家になろう」には多くの「異世界転生物」の作品がある。

 そうした作品への感想で、主人公が前世での経験を生かしていないという批判を時々見掛ける。

 まぁ人によっては以前の経験を生かせる人もいるだろう。

 だが、しかし、人によっては以前に一度経験したからと言って必ず次の機会に生かせるとは限らないものだろう。

 

 古い諺に

「火傷、火に懲りず」

というものがある。同じ失敗を繰り返すという意味だ。

「二の舞を演じる」

「前車の轍を踏む」

なんていう諺もある。


 遥か昔から人は諺になるほど同じ失敗を繰り返した人が多いという事だろう。そうでなければ諺など作られない筈だ。

 一度の失敗で済めばいいけれど、失敗する気は露ほどもなくても時には同じ失敗をしてしまう事もあるのが人という生き物だ。

 そうした人は決して少なくない。


 例えば実業家にしても最初から成功する人もいれば、数回の失敗の後、ようやく起業を成功させたという人もいる。

 実名は出さないが、数度の倒産や挫折の後、成功しましたなんて体験談はビジネス系の本や雑誌でよく語られている話だ。そういう系統の本や雑誌をよく読んでる人は、そういう話がありふれている事はご承知だろう。


 会社での人間関係がどうしてもうまくいかない人がいる。

心機一転転職したが、それでも転職した先でまたもや周りの人とうまくいかない。自己啓発系の本や人間関係の本を読み漁り、新しい職場でどうにか良い人間関係を築こうとしてもいつも失敗してしまう。

何度転職しても同じ事の繰り返し。どこが悪いのだろう。そう悩む人もいる。

某コミュニティサイトではそうした人のお悩み相談なんて珍しくもない。


 世の中には結婚と離婚を繰り返す人もいる。

 バツ一では済まず、バツ二なんて人もいる。某芸能人なんかバツ三だ。


 だから主人公にもよるが、前世でたかが十数年、あるいは数十年の人生を一度だけ経験したからと言って、転生した後に前世の経験を必ず生かして失敗しないなんて考えている方が甘いだろう。


 逆に同じ過ちを繰り返すからこそ人を描く物語としてリアリティがあると言えるのではないだろうか。




4.【主人公の行動や性格が馬鹿すぎる? 主人公のマナーや常識が欠けている?】


 人は誰しも自分の人生という物語の主人公だ。

 では現在を生きる誰もが創作の物語に出て来る成功した主人公のような人生を歩いているだろうか?

 間違いをおかしたりはしないのだろうか?

 ニュースを見ればわかるように犯罪を犯し警察に捕まる者は幾らでもいる。

 2013年に激増したバイトテロなんて愚かな行為もあった。

 故意に行う犯罪は別にして、人は誰しも意図せずに多かれ少なかれ事の大小を問わずミスをおかす事もある。それが人間という生き物だろう。

 それはどんな偉人、知者だとて同じ事だろう。

 だからこそ「弘法も筆の誤り」とか「千慮の一失」という諺が昔からあるのだろう。

 少しくらい主人公がミスをしたり馬鹿に見えたとしても、それこそ人間らしさが出ていると言えるのではないだろうか。

 商業作品の主人公だって完全無欠の完璧超人みたいな人間ばかりではないだろう。

 ミスをするからリアルさがある。

 性格が完璧な聖人ではないからこそリアルさがある。

 そうは考えられないだろうか。

 

 マナーや常識も同じ事だろう。つい、うっかり羽目を外したり、ちょっと失念して軽いマナー違反をしてしまった何て間違いは誰しもある事だろう。

 

 ところで、とある作品で主人公のある行動をマナー違反だとし、その主人公を精神異常者呼ばわりしていた感想があった。

 だが、しかし、2012年製作の某テレビドラマでは、登場人物がその主人公のした行動と同じような事をしていたシーンがあったが、放送局に登場人物の行為がマナー違反だとか、非常識だという抗議があったという話は全く聞かない。

 当然だろう。あれをマナー違反などと思うのはその感想を書いた人くらいのものだろう。

 私に言わせれば過剰反応だ。

 とかく最近の世の中は何でもかんでもアラさがしをして難癖をつけようとする人がいるがそれと同じだ。


 2014年にキリンビー◯が缶チューハイのCMを一週間で打ち切った事があった。

 CMに使われていた蛙のキャラクターが未成年の飲酒を誘導するという抗議があったからだからそうだが、この蛙は別に可愛い系の蛙ではなく、どちらかというと不気味系の蛙だった。

 子供受けするキャラクターでもないのにCMを放送中止にするとは過剰反応だし抗議する方もモンスタークレーマーだ、という声がネット上で聞かれた。

 

 小説家になろ◯にもそういう読者はいる。

 過剰反応してモンスタークレーマーになるのはやめていただきたいものだ。


 また、常識とかマナーとかについて感想で書く人は、まず自分自身がマナーを守っているかどうかを顧みて欲しいとも思う。

 自分の作品に書かれた感想や活動報告のコメントには何も返事をしないでおいて、他の作者の作品に出て来る主人公のマナーをとやかく言っても説得力どころか、常識が無いのはどちらだという話になる。

 創作の実際にはいない人物のマナー違反と、実際に現実にいる人物のマナー違反ではどちらが、問題かは言わずもがなだろう。 

 

 常識とかマナーについて感想を書く時は、まずは我が身を顧みる事をおすすめする。 




5.【中世ヨーロッパの時代について】


「小説家になろう」に投稿されている作品の異世界物の中には「中世ヨーロッパ」というキーワードを付けている作品がある。「中世ヨーロッパ風」や「偽中世ヨーロッパ」なんてものも見受けられる。


作者さんとしては中世ヨーロッパ時代の頃のイメージを読者にもってほしいというところだろう。


過去にそうした中世ヨーロッパ風異世界物の作品の一つに銃が出て来た作品があった。


すると感想に「中世ヨーロッパ時代に銃はありません。おかしいです」という指摘が書かれた。


「中世ヨーロッパ」を舞台にした歴史作品を書いているならともかく、あくまでも「中世ヨーロッパ風」でしかない異世界の物語に、厳密な時代考証を持ちこまなくてもと思ったものだ。


まぁ、それはともかく、問題は「中世ヨーロッパ時代に銃はありません」という指摘が、実は正確ではないという事だ。


まず「中世」はいつ頃を指すのかという問題がある。

これはあまり厳密に定められているようなものではなく、結構幅があったりする。


私が遥か昔の学生であった時代には、西暦375年のゲルマン民族の大移動から西暦1453年の東ローマ帝国滅亡までを中世時代としていた。

「ブリタニカ国際百科事典」などでは4~5世紀から15世紀を中世としている。


そこで問題の銃だが、ヨーロッパでは14世紀に出現している。


「手砲」と呼ばれる物で、火縄銃の前段階のような火器だ。

1400年頃に使われたという「手砲」の実物が、デンマークの首都コペンハーゲンにある武器博物館やスイスのベルン歴史博物館に所蔵されている。

こうした火器について1364年にイタリアで書かれた文書が発見されてもいる。


また1470年頃に使われたという火縄銃がスイスのジュネーブ歴史美術博物館に所蔵されている。


5世紀(西暦401年~500年)から15世紀(1401年~1500年)を中世時代として見た場合、14世紀中頃以降の約百数十年間、銃があったわけだ。

中世前期や中世中期には確かにヨーロッパに銃はなかった。しかし中世末期には銃はあったわけだ。


「中世」と言っても長い期間なのだから、そこは注意が必要だ。



 ついでに言うと、◯◯ー知恵◯などで、「中世ヨーロッパ」は暗黒時代であり、イスラム世界の方が文化や科学も進んでいたとか、「中世ヨーロッパ」は田舎に過ぎなかったなどという説を見掛けたりする。


昔は学校でも「暗黒の中世」などという教え方をしていた。

 だが、しかし、現在の世界史の教科書では「暗黒の中世」を「革新の12 世紀」や「13 世紀革命」といった言葉に置き換えている。

 そもそも現代の文明レベルからすれば、過去の時代はヨーロッパに限らず、どこも「暗黒時代」になってしまうだろう。


 それに、そもそもイスラム世界とは何時できたのか?

 イスラム教が成立したのは西暦610年だ。

 つまり、西暦375年のゲルマン民族の大移動を中世ヨーロッパの始まりとすれば、それから235年はイスラム教自体がまだ無かった。二世紀以上もの間、イスラム教が存在していなかった。

 だから少なくとも中世ヨーロッパ初期の時代で言えば、ヨーロッパよりもイスラム世界の方が進んでいたとか、文明的であったなどとは言えない。

 

 イスラム教の教祖ムハンマドは西暦632年に亡くなるが、その時はまだアラビア半島さえ統一していなかった。

 それでもイスラム教は勢力の拡大続け、ムハンマドの死後100年が経った頃には東はインドのガンジス川、西は北アフリカの大西洋沿岸までを勢力圏にするほどの勢いを見せた。

 当然それは侵略戦争による勢力圏の拡大だ。

 イスラム圏の拡大は東西の知識や技術の流入をもたらす。

 ギリシャ、ペルシャ、中華の知識や技術がイスラム圏に入り科学、医学、数学、芸術などの分野で大いに発展した。特に発展した時期がイスラム教のアッバース王朝の時代であり、この頃をイスラム黄金時代とも呼ぶ。

 

 昔は「暗黒の中世」と呼ばれたヨーロッパに対し「黄金時代」と呼ばれるイスラム世界が同時代に存在したのだから、イスラム世界の方がヨーロッパよりも発展し素晴らしい世界であるように思えるのも無理はないだろう。


 だが、しかし、イスラム黄金時代もそれほど素晴らしい世界というわけでもない。

 何故なら戦争が絶えないからだ。

 イスラム教がアラビア半島を統一し更に拡大を続けるとビザンツ帝国(東ローマ帝国)と衝突し戦争となる。  

 100年以上経ってもその戦争は終わらず、アッバース朝で最も栄えた時代の指導者の第五代カリフのハールーンはビザンツ帝国(東ローマ帝国)に三度も自ら兵を率いて親征している。

 

 そもそもイスラム教の教祖ムハンマドが亡くなった後、ウマイヤ王朝が成立しイスラム圏を継いだが、そのウマイヤ王朝を武力で打倒したのがアッバース朝だ。つまり内乱で王朝交代が起こっている。

 

 それにイスラム圏の拡大は異民族の支配に繋がるが、不満を持った地方での反乱も絶えなかった。

 

 それだけではない。西暦869年にはイスラム商人によってアフリカからイラクに連れてこられて労働者として酷使されていた黒人奴隷達が立ち上がり「ザンジの反乱」という大規模な反乱を起こしている。この反乱は10年以上続いた。

 

 異民族や奴隷の反乱だけではない。

 アラビア半島では西暦879年にイスラム教シーア派から分派したカルマト派が成立し後に反乱を起こす。

 カルマト派の反乱は一時期勢力を拡大しアラビア半島を席捲しイラクとシリアでも大きな勢力となった。 最終的にはアッバース朝に敗れたもののその反乱は30年以上も続いた。


 つまりイスラム黄金時代において確かに科学や医学、数学、芸術などの分野が大いに発展したが、その裏では正に対外戦争、内乱、反乱、宗派上の争いが絶えず、正に血塗られた歴史を綴っていたと言える。

 

 ヨーロッパを「暗黒の中世」と呼び、イスラム世界を「イスラム黄金時代」と呼んでヨーロッパよりも一段上に置いたところで、戦争の血塗られた歴史を繰り返していた事はヨーロッパもイスラム世界も変わりは無い。

 少なくとも平和な時代ではなかった。

 中世を語る時、それは念頭に置いておくべきだろう。




6.【騎馬民族最強伝説について】


 チンギス・ハーンのモンゴル騎兵が一大帝国を築いた歴史があるせいか、騎馬民族は最強という説があるようだ。戦記物では騎馬民族にはまるで勝てないかのような感想を書く人もいる。

 

 だが、しかし、それなら何故、チンギス・ハーン以外の歴史に名を残して来た騎馬民族はモンゴル帝国のような巨大帝国を築けなかったのか。

 匈奴、柔然、鮮卑、烏桓、韃靼、契丹、突厥、等々それこそ後世の時代別の世界地図において名前と支配地域が記される騎馬民族が多数あった。

 これらの騎馬民族は世界とは言わずとも中国だけでも何故、支配できなかったのか。


 確かに騎馬民族は強い。しかし、無敵でもなければ不敗でもないからだ。


 秦の始皇帝に仕えた蒙恬将軍は匈奴討伐で功績をあげた。

 前漢の武帝に仕えた衛青将軍は匈奴の討伐で功績をあげた。

 三国志の時代、曹操は万里の長城をこえ烏桓を討伐した。

 他にも騎馬民族が敗北した例は幾つもある。


 一大帝国を築いたモンゴル軍でさえ無敗とはいかず、マルムーク朝のバイバルスには野戦で何度も敗北し、マルムーク朝を倒す事はできなかった。

 

 優れた指揮官と適切な戦略に的確な戦術を行使すれば騎馬民族を敗北させる事も可能だ。

 それが真理だ。

 決して勝てない相手ではない。戦史がそれを証明している。




7.【塩について】


 とある中世ヨーロッパ風の人気作品において塩の消費量について細かく数字を言っている感想を見掛けた事がある。

 一日に人が必要とする塩は◯◯グラムだから一ヶ月で◯◯◯グラムとなり、年間だと◯.◯◯キロになる。村人◯◯◯人分だと一ヵ月で◯◯◯キロになると計算していた。

 そんな計算はナンセンスだ。

 そもそも中世ヨーロッパ風の世界で科学レベルもそれに準じた世界でしかない。

 そんな科学レベルの世界の人達が、人が生きるのに一日に塩が何グラム必要かなんて事を正確にわかっているわけがない。

 

 しかも中世ヨーロッパの時代で言えば、人々は生活のために塩をたくさん使用した。食糧を保存するために肉や魚を塩漬けにしたり染色のために使用したりもした。

 人が生きるための必要最低限の塩があればいいというものではない。

 その時代、その土地の生活習慣に基づいた塩の量が必要なのだ。


 しかも使っている塩の必要量が古い。

 人が生きて行くのに必要な塩の量が一日あたり◯◯グラムって何時の時代の話だ?

 現在、厚生労働省が推奨する塩の摂取量は男性8グラム、女性7グラムだ。

 これは去年改定されたばかりの数値で、それ以前は男性9グラム、女性7.5グラムだった。

 WHOでは5グラムを推奨している。

 ◯◯グラムというのはかなり昔の話だろう。

 

 昔の常識や数字は現在とは違う事もある。たまには確認した方がいい。



 

8.【上から目線で物を言う、について】


 剣とか槍で戦う封建社会の時代で出世した主人公が臣下に向かって上から目線で物を言う事を批判している感想を目にした事がある。

 封建社会、しかも君主が上から目線で物を言って何が悪いのか。

 体制的には当たり前の話でしかない。

 民主主義で国民全員平等というわけではないのだから。

 いや現代日本の社会だとて会社組織では上司が上から目線で物を言うのは当たり前のことだろう。

 組織とはトップダウンだし、それが働かなければ組織は混乱する。

 まぁ最近はそういう事がわからない若い人が増えているようだが。

 そういう人物に限って後輩からタメ口をきかれると「後輩の癖に生意気な!」とヒステリーを起こすのだから始末に悪い。困ったものだ。

 

 ともかく、その時代、その世界に見合った言葉遣いだとか物言いというものはある。

 何でもかんでも現代と一緒と考えるのは間違っている。



●8つの項目について述べたが、その根底にあるものは副題の通り、感想を書き込む前に、もっと検索したり調べたり、ちょっと考えたりした方が良いのでは、というお話。


まぁ私も他人に偉そうな事は言えない感想を書いているのだが(苦笑)

明日、9月18日に第10話を投稿します。

よろしければそちらもお読み下さい。


この作品、ノンジャンルにしたままだったけど、投稿ついでにジャンル設定をしようかなと。

さぁ戦線復帰だ!

辛口エッセイだから今まで通り人気はでずにランク外作品になるだろうけど(笑)

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