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004話 たまには作者を叩いてみよう(テンプレ批判、ライトノベル批判への苦言・その②)

昔は漫画を読んでいると「漫画ばかり読んでいると馬鹿になる」と言われたものだ。

さらにはテレビでアニメを見ていると「アニメばかり見ていると馬鹿になる」とも言われたものだ。

だが最近、巷では「ライトノベルばかり読んでいると馬鹿になる」と言われる事もあるらしい。

そして似たような事を言う人は、ここ「◯説家になろう」にもいるようだ。

「ライトノベルを読んでも無駄」

「プラスになる事は何一つ無い」

「何がいいのかまったく理解できない」

そうした批判を書き、ここ「小◯家になろう」での「ライトノベル」が強い現状に不満を漏らす人達には幾つかの共通点がある。


①純文学至上主義。

②思い込みが激しい。

③道理を知らない。

④執筆歴が長い。

⑤作家を目指している。

⑥自分を他人より優れていると思っている。

⑦自分は特別な存在だと思っている。


全部が当てはまる人もいるし、幾つか当てはまるという人もいるだろう。

自分は「ライトノベル」批判をしているが、全く当てはまらないと主張する人もいるかもしれない。

そういう人は自分を見つめ直すか、歯に衣着せぬ知人にでも判断を仰いだ方がいいだろう。


こういう「ライトノベル」批判をする人は純文学を高尚な物と認識し、ライトノベルは低俗であるとしてその価値を認めない人が多い。

困ったものだ。

価値なんてものは相対的な物であり、その対象に関わる人により変わって来るものでしかない。

絶対的なものではないのだ。

先に「漫画ばかり読んでいると馬鹿になる」という言葉を書いたが、数か月前にテレビで、鬱病に苦しむ人が、漫画「◯◯◯ー◯」を読んで元気を貰い、鬱病が改善されたという話を報道していた。

これは漫画を読んだからといって必ずしも読んだ人全員にとってマイナス要因になるとは限らないという一例だろう。

それは、ここ「小説◯になろう」のライトノベル作品も同様だろう。

「ライトノベルは何も生み出さない」

「もっと他の作品を読むべきだ」

みたいな事を言って批判する人もいるが、それはその人の思想の押し付けであり偏見だ。

以前、某人気作家さんの某作品の更新が日曜日にあった時、感想欄で、

「これで明日からの仕事も頑張れます」

というような感想の書き込みを目にした。

凄く同感だった(苦笑)

某人気作家さんの某作品が完結した時は感想欄に

「今まで感動を有り難う」という書き込みがあったのを目にした。

これにも同感だった。

「ライトノベル」の作品を読んで慰めや悦びや感動を見出す人もいる。

それどころか、このサイトで「異世界ハーレムチート」の作品を読み、今度は自分もそうした作品を書く側に回り、人気が出て書籍化され小説家デビューとなった人が何人もいる。

「ライトノベル」は何も生み出さないどころか、新たな「小説家」を生み出し、その作品は沢山の人に「悦び」を提供している。

だが、「ライトノベル」「異世界ハーレムチート」を批判する人にはその事が理解できない。

何故なら自分自身の価値観が絶対的に正しく、それがこの世の真理だと思い込んでいるからだ。

思い込みが激しいのだ。

中には「ライトノベル」など読んでも将来生きて行く上では役立たないから、もっと役立つ物を読むべきだとか、精神的強さが身に付くような有用な事に時間を掛けるべきだとか言う人もいる。

逆に問いたくなる。

そういう事を言う人が「小説家◯なろう」で書いている作品、それが純文学であれ他のジャンルであれ、それを読めば、将来役に立つのか? 精神的強さが身に付くのか? 有益なのか? と……。

きっとそうした批判を言う作者さんは自分の作品が他人に役立ったり、何かしら身に付いたり、有益になると思い込んでいるのだろう。

そうでもなければ、そんな事は言わない筈だ。

何せ、もし「役に立たない」「何も身に付かない」「有益ではない」と答えてしまえば、それは自分が批判する「ライトノベル」と同程度の価値しか自分の作品にも無いという事を自ら認める事になる。

つまり自分の作品が自分の言うところの「読むだけ無駄な作品」だという事を自ら主張する事になる。

そうしたら

「あなたの作品は読むだけ無駄なのですね。では読みません」

「無駄な執筆に時間を費やすな」

「書くのをやめて有益な事をしろ」

と言われてお終いだ。

当然、そんな事は思わないからこそ、「小説家に◯ろう」で作品を発表し「ライトノベル」を批判しているのだろう。

大した自信だ。

凄い自信だ。

他人に対し自分の作品がそこまで有益だと思い込んでいるのだから。

だが、そこで考えてみるべきだろう。

何故、自分の作品を読んでくれる読者の多くがブックマークや評価をしないのかを。



「十人十色」という言葉がある。

人はそれぞれ考え方や好みが違うという意味だ。

世の中には多種多様な価値観があり、人はそれぞれ大切にしている物がある。

そして、人は誰しも自分の大事にしている物を批判されれば不愉快になるし時には怒りもする。

それは当然の話だ。

そして「小説家◯なろう」には「ライトノベル」「異世界ハーレムチート」が好きで、特定の作品を大切に思っている読者もいる。

自分の書いた「ライトノベル」「異世界ハーレムチート」の作品を大事に思っている作者さんもいる。

これも当然の事だろう。

だが、「ライトノベル」批判をする人の中には「ライトノベル」や「異世界ハーレムチート」より「もっとまともなものを読むべきだ」なんて事を言う人もいる。

つまり「ライトノベル」「異世界ハーレムチート」はその人にとって「まともではない」のだろう。

だが、そうした作品を書いている作者さんは、その言葉を見てどう思うだろうか。

一生懸命書いた作品を貶されて喜ぶとでも?

「まともではない」なんて思われて喜ぶ人は殆どいないだろう。

大変な侮辱だ、それは。

あるライトノベルのプロの作家さんはご自身の作品を、自分の子供のようなものだと後書きで書かれていた。

アマチュアでも同じように感じている人はいるだろう。

そうした自分が大事にしている作品を批判されれば作者、読者を問わず不愉快になったり、反発したり、否定するのは人として「当然の感情」だろう。

それを「ライトノベル」批判をする人は理解していない。

『人の価値観はそれぞれ違う』という事をわかっておらず、『他人に対する思いやり』にも欠けているからだ。

純文学を読んで、長年執筆して来たりして、長年、作家になるための努力をしてきたのはいいけれど、人と人との関わり方については疎かにして来たから、他人への配慮が乏しいのだ。

だから平気で「ライトノベル」批判を行い、しかも他の作者や読者を侮辱する言葉を平然と書いて、他人を不愉快にさせる。

困ったものだ。


自分が書いた「ライトノベル」批判の作品に、反論の感想や厳しい感想を貰う事で、ようやく少しはそれを悟る人もいるが、大抵の人は理解しない。

「ライトノベル」批判の作品への反論の感想や厳しい感想は、それを書いた人への裏返しに過ぎない。

簡単に言えば、自分がやった事を今度は自分がやられているだけだ。

「ライトノベル」批判をして、他人を不愉快にさせた、その行いが今度は感想欄で跳ね返ってきているに過ぎない。

単なる因果応報だ。

ところが、こうした「ライトノベル」批判を書く人は、自分が絶対的に正しいと思い込んでいるから、自分の作品への批判は不当であり、自分だけが被害者だと思い込んでいる。

中には作者の側に立つ感想を書く読者もいるから、それを縁として懸命に反論する。

最も見苦しいのは反論する場合、相手により言葉遣いを変えている人だ。

賛同意見には丁寧な言葉遣いをするが、自分の意見に反対する感想にはまるで酔っ払いの如く、チンピラの如くヒステリックな荒い言葉遣いをする者もいる。

これが作者・作品への反対意見の感想が荒い言葉で書かれているのなら心情的に理解もできるが、丁寧語で冷静に書かれている反対意見にまで、荒い言葉遣いをしているのは呆れてしまう。

人と人との対話というものを理解していない。

嫌いな奴、自分に同調しない者には何をしてもいいと思っているのだろう。

まるで子供だ。

TPOを弁えていないのだ。

長年、純文学を読んで作家を目指しているとは言ってもその程度だ。


「ライトノベル」を批判している人は、物の道理が理解できていない。

『世の中には多種多様な価値観があり、人にはそれぞれの価値観がある』

『他人に対する思いやりをもつ』

『他人を尊重する』

こういう事を理解していないから「ライトノベル」批判をして摩擦を起こす。

理解していたなら他人を攻撃するような事や侮辱するような事は書かないだろう。

きっと、こうした「ライトノベル」批判をしている人は実社会でも他人とトラブルを起こしてばかりいるのではないだろうか。

自分ばかりでなく周囲の人のためにも社会のためにも是非、物の道理という事を学んでほしいと思う。

純文学よりも実用書や自己啓発書を読む事をおすすめする。

それが本人と社会のためだろう。



結局のところ、「ライトノベル」批判、「異世界ハーレムチート」批判を書く人の奥底には、自分の作品が持て囃されない事や、未だ小説家デビューができていない事への不満がある。

そして人に褒められたい。

承認されたいという欲望が押さえ切れない。

何よりプライドだけは超一流のため、この現状が許せない。

そして他人は自分を尊敬するのが、誉めるのが正しいと思い込んでいる。

だから、

「(僕・私)には十年以上の執筆歴がある」とか

「みんながラノベを読んでる時でも(僕・私)は昔から純文学を読んで来た」とか

「(僕・私)は小説を書く学校に通っている」とか

「(僕・私)は編集の人に文章を誉められた事がある」などなど、

自慢話をする。

そうやって自分の作品が書籍化されない事を、作家としてデビューできない現実を誤魔化し、自分をより良く偉く見せようと必死になる。

そして自分の努力だけが尊い物と思い込んでいる。

だが、そんな努力をしている人は別に珍しくもない。


殊に「コミケ」(世界最大の同人誌即売会、毎年8月と12月に開催)や他の同人誌即売会に行けば、そんな人は沢山いる。

長年、小説を執筆し出版社の賞に応募しながら、他に自分の作品を同人誌、個人誌にしてコミケで販売している人は珍しくもない。

そして何度、応募しても賞は取れず、販売する同人誌、個人誌にしても大して売れないという人も少なくない。

働きながらも余暇の殆どを一生懸命に小説を書く事に費やして、

原稿を印刷所に持ち込んで高いお金を払って印刷を依頼して同人誌・個人誌を作り、

飛行機や電車や夜行バスを使ってコミケ会場に来て、

朝10時の開会から夕方16時の閉会まで行き交う人々に

「読むだけでもいいので見て行ってくださーい」

と恥ずかしいのを堪えて声を掛け、

しかし立ち止まってくれる人は少なく、

ましてや買ってくれる人は極々僅かでしかないという同人作家さんは珍しくもないのがコミケの世界だ。

勿論、赤字だ。

一回のコミケで売れた同人誌・個人誌の冊数は一桁なんて話は珍しくもない。

売れたのが片手の指に足りない数という話すら珍しくない。

それでも、頑張って10年、20年と活動を続けている同人作家さんなんて全国に幾らでもいる。

陽の目をみないなんて人は大勢いる。


「小説家にな◯う」も同様だろう。

小説を書いている人は皆、多かれ少なかれ努力しているものだ。

「ライトノベル」「異世界ハーレムチート」にしても何の努力も無しに書き上げるなどという事はできない。

「異世界ハーレムチート」を書いたからと言って必ずランキング入りするわけでもない。

ブックマークも感想も貰えず「なろう」の作品の海に沈没してしまっている「異世界ハーレムチート」作品も多いのだ。

ランキング入りしたらしたで厳しい読者の目に晒され、大がかりに加筆訂正したなんて作品も幾らでもある。

作品内での話の参考にするために何冊もの書籍を読んだり、ネットで情報を集め、それを作品に生かす努力をしている「小説家になろ◯」の作家さんも珍しくない。

自分だけが努力しているなんて思うのは思い上がりの傲慢でしかないのだ。

だが、「ライトノベル」批判をする人は、自分が特別だと思い込んでいるからそうした他人の努力を認めない。

困ったものだ。


正直、こういう「ライトノベル」批判をする作家が、「ライトノベル」に出てくるテンプレの三流悪役のヤラレ役に被って見える。

自分は頭が良いとか、実力があるとか自慢して傲慢な態度で他人を見下し、主人公に難癖を付けて突っかかって行って返り討ちにあうヤラレ役だ。

まぁこういう「ライトノベル」批判をする人は読まないから知らないだろうが。

「◯説家になろう」で批判を書いても主人公がいないから、そのままやられる事が無いというだけだろう。


そもそも、「小◯家になろう」の読者にはジャンルに拘らず幅広く読んでいる人もいる。

「純文学」「詩」「推理」「ファンタジー」など色んなジャンルを読んでいる人もいるのだ。

一つのジャンルを批判してそういう読者の反感をかって、もしかしたら自分の作品を読んでくれたかもしれないのに、その可能性を潰すとかは……考えもしないのだろうなぁ。

きっと、そんな読者には読んでもらわなくて結構だとでも思っているのだろう。


「そういうお前はどうなのだ。これまでに書いて来た事はお前自身に当て嵌まるのではないのか。批判ばっかりしやがって」

と言う読者もいるかもしれない。

人には防衛本能がある。

私も「小説◯になろう」の片隅で「異世界物」を書いている一人だ。

「ライトノベル」批判、「異世界ハーレムチート」批判に対し防衛本能が発露したに過ぎんよ。

もし、「ライトノベル」批判、「異世界ハーレムチート」批判を「小説家◯なろう」で目にしなかったら、こんなエッセイを書く事は無かっただろう。

そもそもやったらやり返される事は覚悟しておくべき事だろう。

批判には反論が来るのが当たり前。

他人を批判して、それをそのまま何も言わずに受け入れろという方が虫が良しすぎるのだ。


この「小説家に◯ろう」で「ライトノベル」「異世界ハーレムチート」を批判する人にはっきり言おう。

「目を覚ませ」と。

そして更に言おう。

「現実から目を背けるな」と。

「小説◯になろう」で「ライトノベル」「異世界ハーレムチート」を批判したところで、あなた達の現状は何一つ変わらない。

せいぜい一時の満足感と、「小説家に◯ろう」約51万人の会員のうちから、ほんの僅かな賛同者を得るくらいのものだ。

それよりも『自分の作品を顧みる』べきだろう。

ここ「小説家にな◯う」では「ライトノベル」が強いとは言っても、全員が全員、そうした作品を読んでいる人ばかりではない。

純文学や他のジャンルを読んでいる読者もいる。

「ライトノベル」を好きじゃない読者、「ライトノベル」に否定的な読者だっている。

自分の作品の「アクセス解析」を見てみればいい。

読者が0という事は無いだろう。

「ライトノベル」の作品に比べれば人数は少ないかもしれないが、それでも読者はいるだろう。

その読んでくれた人数に対してブックマークや評価をしてくれた人数はどうだろうか。

きっと読んでもブックマークや評価をしてくれた人は少ないのではないだろうか。

そこを考えるべきだ。

「ライトノベル」よりも自分の作品を読んでくれたその貴重な読者の多くが何故、ブックマークをしてくれないのか、何故、評価を入れてくれないのか。

「小説家になろ◯」で「ライトノベル」よりも自分の作品を読んでくれるその貴重な少数派の読者の心を何故、とらえられないのか。

そこを考えるべきだろう。

そして、その理由は単純だ。

その作品に「光る物」が無いからだ。「力」と言い換えてもいい。

もっと分かりやすく言えば「良作」では無いからだ。

「良作」ならばブックマークもしてくれるし、評価もしてくれるだろう。

例えば現状ならジャンル別ランキングで純文学のジャンルならば僅か5人の読者が評価で満点を入れて、ブックマークしてくれれば日刊ランキングベスト10に入る事が可能だ。

ランキングに載れば更に他の読者の目に留まる確率も高くなるし、他のジャンルをメインに読んでる人も読んでくれる可能性が高くなる。

しかし、それができていない。

読んでくれている貴重な少数の読者の心さえ掴めずにいる事こそが問題なのだ。


「小説家にな◯う」で「ライトノベル」や「異世界ハーレムチート」を批判する暇があったら、まずは自分の作品を高める努力をするべきだ。

自分の文才を磨く事に力を注ぐべきだろう。

批判や自慢話を書いてる暇があったら文才を伸ばす努力をするべきだろう。

それが小説家になる一番の早道だ。

また道理という物も学び直すべきだろう。

でないと、実社会で他人と衝突するばかりで、そのうち深刻な問題を生じかねないだろうから。


「ライトノベル」「異世界ハーレムチート」批判をする人に繰り返して言おう。

「目を覚ませ」

「現実から目を背けるな」

批判する暇があったら自分の文才を伸ばす努力をしろ。

ここで「ライトノベル」や「異世界ハーレムチート」を批判していても小説家デビューはできない。

それが『真理』だ。





ここまで色々と書いて来たが、これを単なる「批判・攻撃」ととるか「箴言」ととるかは当たり前だが読者次第だ。



『「小◯家になろう」の片隅でひっそりと「異世界物」を書いている一作者より』



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