0017話 たまには読者に忠告しよう(間違いを指摘する前に、調べようよ考えようよ②)
●「小説家になろ◯」には日々、色々な内容の作品が投稿されている。
そうした作品へ多くの感想が書かれており、その中には作品中の間違いを指摘するものが結構ある。
だが、そうした間違いの指摘の中には、納得の行く指摘もあれば、それはどうなの? という指摘もある。
その「それはどうなの?」という指摘について幾つか触れてみようと思う。
1.【トラックで轢いたら必ず業務上過失致死罪?】
この「小説家になろう」にはトラック転生物と言われる作品が結構ある。
主人公がトラックに轢かれて転生するという作品だ。
主人公が動物を庇ってとか、子供を庇ってとか、色々なケースがある。
そこで、出て来るトラックの運転手というのは端役であり、全く話の筋に出てこない事も珍しくないのだが、そういう点にツッコミを入れなければ気が済まない小姑のような読者もいる。作者をやり込めたくてしょうがないのだろう。
そういう読者が指摘する事は、トラックの運転手には何の罪も無いのに愚かな主人公が飛び出したおかげで、業務上過失致死罪になって刑務所行きとなり人生を台無しにされるという批判だ。
だが、トラックが人を轢いたからと言って必ずしも業務上過失致死罪になって刑務所行きになるとは限らない現実がある。
こういう所であまり出すべきではないかもしれないが、例えば昨年の夏、東京江戸川区で小学生がトラックに轢かれ死亡したが、東京地方検察庁は嫌疑不十分で不起訴処分としている。
やはり、こういう所であまり出すべきではないかもしれないが、交通事故の被害者による会がネット上には幾つもある。
そうした中で語られている事例の中には、トラックにお子さんが轢かれ亡くなったが、そのお子さんの方にも問題があったという事で運転手の責任は問われず不起訴になったという例が幾つも見られるのだ。
中には事故現場の人通りが少なく、事故当時はトラックの運転手と死亡したお子さんしかいなかったため、全面的にトラックの運転手の供述が通り、お子さんの方に問題があったとして不起訴になった例もある。今でもそのご両親は目撃者を探しているそうだ。悲しい現実だ。その、ご両親は信じていないようだが、トラックの運転手の供述が真実だという場合もあり得るだろう。
そういうわけで現実でさえ必ずしもトラックの運転手が人を轢いたからと言って全員が刑務所に行くわけではないのだから、トラック転生の運転手が業務上過失致死罪で刑務所に行くと決めつけるのは不当な批判だろう。
そもそも運転手については何も語られていない作品が多いと思うが、裏設定として運転手が居眠り運転をしていたとか、飲酒運転をしていたとか、薬物で正常ではなかったとか、色々な可能性も考えられるのではないだろうか。
「何の罪も無いトラックの運転手」と作者でもないのに勝手に設定を決めつける方こそ如何かと思う。
2.【神様は全知全能?】
この「小説家になろう」には脇役で神様が登場する作品が結構ある。
主人公が神様の手違いで死んでしまったり、それまでの人生を同情されたり、何かしらの神様の事情や思惑があって、一度は死んだ筈の主人公が異世界で新たな人生をやり直すと言う作品は珍しくない。
そこで読者が批判する訳だ。
全知全能の神様が間違いを起こすのはおかしいとか、有り得ないと。
だが、しかし……
世界の神話を見て見れば、必ずしも神様が全知全能で間違いを起こさないという存在ばかりでは無い事がわかる。
例えば日本神話……
天津国玉神は息子の天若日子が死んだ時、葬儀に訪れた阿治志貴高日子根神が死んだ天若日子にそっくりだった事から生きていたと勘違いし抱き着いている。
しかし阿治志貴高日子根神は間違われた事に怒り剣を抜いて暴れた末に出て行った。
この逸話からわかる事は神でも死ぬ。
神でも勘違いし間違える。しかも息子を見間違えている。
神でも怒る。
そうした事からは全知全能という感じは全くしない。
北欧神話を見て見れば……
盲目の神ヘズは悪戯好きの悪神ロキに騙され兄バルドルを殺している。
ギリシャ神話はやたらと人間臭い。
ゼウスはテミスと夫婦だったのにヘラに惚れ結婚するためにテミスと離婚する。
しかしゼウスの浮気性は以後も発揮されヘラは嫉妬からいろいろ問題行動をおかしている。
ゼウスの子アポロンは恋人コローニスの浮気を知って怒り殺害している。
神様が浮気したり嫉妬したり殺しているのだ。
能力的にはそれぞれの「神の力」を使えたりするが、それ以外の行動や感情が人間と然程変わらないという神は多い。
神様も色々だ。
世界の神話を読んでみるといい。
そうすれば「小説家になろう」に出て来る神様がおかしいなんて事は言えなくなるだろう。
3【誹謗中傷という言葉は無い?】
とある作品の中で「誹謗中傷」という言葉が使われていた。
すると読者さんが感想でそんな言葉は無いと言い、誹謗と中傷は似たような意味だから一緒に使われるべきではないと指摘していた。
誹謗中傷という言葉が使われ出したのはごく最近だとも言っていた。
まぁ昔は「誹謗中傷」という言葉は無かったかもしれない。
しかし、言葉というものは時代の流れと共に変わって来るものだ。
昔は無かったからと言って、今も無いのが正しいとは限らない。
そもそも「誹謗中傷」という言葉は今や広く世間に認知されている言葉だ。
国語辞典の「広辞苑」には言葉の使い方の一例として「誹謗中傷」が載っている。
日本の公的機関の公文書でも使われている。
調べれば三権分立における司法(裁判所)、立法(国会)、行政(内閣)の全てにおいて使われているのがわかる筈だ。
司法の最高裁判所では昭和の時代の判例で「誹謗中傷」が使われている例を見出せる。
立法の国会では参議院でも衆議院でも「誹謗中傷」という言葉を使っているのが記録から見出せる。
行政の内閣では内閣府や総務省、文部科学省で「誹謗中傷」という言葉を使っているのが記録から見出せる。
他には警察庁や公的機関では無いが日本弁護士連合会でも「誹謗中傷」という言葉を使っているのが記録から見出せる。
辞典に載り多くの公的機関でも使われている「誹謗中傷」という言葉を、昔は無かったからと言って今も無いと断じるのは明らかに間違っていると思う。
そういう批判をする人は時代の変化により言葉も変わっていくという事を認識するべきだと思う。




