第九章 司祭の弱点
お互いの体力がなくなった辺りで、ようやく追いかけっこは終わりを告げた。
そして、鋼の必死の説得の結果、何とかミスレイの誤解を解くことができたのだった。
「はぁ。なるほど。では、さっきまで遠くの方と通信していたのですね」
「はい。そういうことです」
さすがに神様と交信してました、とは言えないので、遠距離同士で通信するスキルを持っているのだと説明し、どうにかミスレイを納得せしめた。
「私はてっきり、コウ様が目に見えない神様とかと交信なさっちゃう方かと思って焦りましたよ」
「あ、あははははは!」
それはもう掛け値なしに真実そのものなのだが、鋼はごまかし笑いをした。
「で、誤解が解けたのはいいんですけど、そろそろ離してくれませんか?」
「え? もうちょっとくらいいいじゃないですか」
こうして話している間にもミスレイは鋼の金ぴかの法衣をなでなでさわさわしていた。
お互い疲労困憊となって追いかけっこが続行不可能になった時、話を聞く条件としてミスレイが提示したのがコレなのだ。
つまり、鋼の聖王の法衣をさわらせること。よっぽど感触が気に入ったらしい。
「このゴワゴワ感が気持ちよくて、本当に癖になってしまいそうなんです。
こうやってさわっていると、嫌なことも辛いことも何もかもがふわっと溶けてもうどうでもよくなって……ふわぁ」
「いえ、もう癖になってるというか、完全に中毒じゃないですか」
「中毒だなんて、そんなひどいこと……ふわぁ、もう、どうでもいいです」
「ちょ、ちょっと! もう終わりにしましょう!」
鋼はあわててドクターストップをかけた。無理やり服を引っ張ってミスレイの手から取り戻す。
ミスレイはしばらく未練がましく何度か鋼の服に手を伸ばしかけたが、
「また来た時にさわらせますから」
と言うとすっぱりとあきらめ、
「それで、通信の相手は恋人さんですか?」
現金なもので、今度は瞳をキラキラさせながら聞いてくる。
「いえ。それも誤解です。相手はただの……ただの、命の恩人、かなぁ?」
どちらがどちらを救っているのか今一つ不明瞭だが。
「なるほど。命を救ったところから始まるラブロマンスですね」
ミスレイがまた勝手な解釈をしていたが、今度は鋼もスルーした。
「金ぴかだったり、レアな装備を持っていたり、古代の魔法言語を知っていたり、おまけにそんなスキルを持っているということは、コウ様はやはり冒険者の方なのですか?」
「冒険者、ですか? いえ、違う、と思います」
「あら、そうなんですか?」
よほど意外だったのか、ミスレイが目を丸くする。
「私は、てっきり……。いえ、きっと事情がおありなんですね」
しかし、鋼の顔を見てすぐに納得してくれた。
こういうところは大人のお姉さんという感じで鋼としてもすごくありがたい。
「冒険者って、やっぱりなるのは大変なんですか?」
ふと興味がわいて、鋼はそんな質問をしてみた。
「? いいえ? ギルドに行ってカードを作ってもらうだけで大丈夫ですよ。
過去に犯罪歴とかがなければ、それだけですぐに冒険者に登録されるはずです」
「そうなんですか?」
「当然、ギルドのカードは身分証明になりますし……あ、身分証明になるカード、持っていますか?」
「い、いえ……たぶん、ないです」
身分証明になるカードというのは、現代日本で言う免許証や保険証のようなものだろうか。
しかしどの道、この世界で使えそうなカードなど鋼は持っていなかった。
「それは大変です! よかったら今から行って作ってきたらどうですか?」
「ぼ、冒険者カードを、ですか?」
「はい! あ、私、この街の冒険者ギルドには知り合いがいるので、紹介状を書いてあげますね!」
「い、いいんですか?」
鋼にとっては渡りに舟と言うべき申し出だが、あまりにとんとん拍子に話が進みすぎて気がひけていた。
「ええ。教会は困っている人を助けるのが仕事ですし、金ぴかの人に悪い人はいませんから」
「あ、あはは。ありがとうございます」
なんか一度思いっきり悪い人扱いされてたような気もしたが、あんまり気にしないことにした。
「それにしても、すごいんですね。そんなにお若いのに、もう冒険者ギルドにコネがあるなんて……」
では一筆、と言ってその場でさらさらと紹介状を書き始めたミスレイに、鋼は尊敬のまなざしを送った。
「ふふ。これでも、この教会の司祭ですからね。それくらい当然です」
「え、ミスレイさん。司祭、なんですか?」
教会の序列などは知らないが、鋼のマンガやゲームの知識では、司祭というのはそれなりに地位が高かったような気がする。
「若い、と言っても、私は捨て子でしたからね」
「え?」
「生まれたばかりの頃、教会の前に捨てられていたそうです。
その時からですから、もう教会にも十七年。充分古株ですよ」
そこはおそらく、ミスレイの境遇に驚くべきタイミングだったのだろう。だが鋼はそれ以上に気になることがあって、思わずこう口走っていた。
「え? ミスレイさんまだ十七歳くらいなんですか? てっきりもう二十歳を超え……痛い痛い痛い! 痛いです!」
「あなたは、なにを、言っているのですか? 私は、完全完璧に、花も恥じらう、十七歳です」
気が付くと、鋼の頭は一瞬の内にミスレイの右手に握られていた。見事なアイアンクローである。
「え? じゃあ本当に十七歳? 永遠の十七歳とか、十七歳と千日とかそういうのじゃな……痛たたた!
ちょ、やめ! 脳がミシミシ言って……! 待って! ほら! これ! これを!」
ミスレイのアイアンクローが鋼の頭部に食い込む中、鋼は必死で余ったミスレイの左手に自分の服の生地を押し付けた。
「そんなことでごまかされると……ふわぁ」
ごまかされた。鋼の命は救われた。
「ふわぁぁ。本当にこのゴワゴワした感触、癖になっちゃいそうですねぇぇ」
だから絶対もうなってるって、というツッコミを鋼は飲み込み、代わりに安堵の息を吐いたのだった。
そういう事情があったので、推薦状を受け取ってすぐ、鋼はその教会を辞することにした。
「もう、行ってしまうのですか? すごく、名残惜しいです」
立ち去ろうとする鋼に、切なそうにミスレイは声をかける。
もしかして自分との別れを惜しんでくれているのかと鋼は一瞬期待したが、ミスレイの右手がわさわさと何かを求めてうごめいているのを見て、すぐに勘違いだったと分かってがっくりした。
それでも相手は一応恩人なので、鋼は精一杯気を使うことにする。
「あの、次に来た時は、たくさんさわっていいですから」
「あ、そんな、別に私、催促したつもりでは……」
「そ、そうですよね」
「まあ、正直してましたけど」
「してたんですか!?」
ミスレイの言動は時々鋼の度肝を抜く。というより、服のゴワゴワに懸ける情熱が鋼には理解不能だった。
「と、とにかく、また来ますので、それまで、お別れです」
「はい。もう少し、さわったりお話したりさわったりしていたかったですけれど……」
「あ、あははは。それはまた、次の機会に」
この調子だと次来た時には「あ! ゴワゴワの人!」とか呼ばれてもおかしくないなと思いつつ、鋼は歩き出した。
その背中に、ミスレイの声がかけられる。
「私、ずっと待ってますから! 絶対、また来てくださいね! ゴワゴワの人、じゃなかった、金ぴかの人!」
「もうすでに呼ばれてる上に言い直しても正解してない!?」
そうして、最後まで鋼を驚かせ続けたミスレイと別れ、鋼はふたたび石造りの街に繰り出す。
外に出た鋼に、さわやかな風が吹き付ける。
「だいぶ、風が出てきたな。それに、さっきよりも暗くなってきた気もする。
そういうのは、この世界でも同じなんだな」
初めてこの世界に来た時は真上にあった太陽も、今にも沈みそうだ。
「今頃、きっと日本でも……」
そんな風に柄にもなくつぶやいて、感傷的な気分になろうとしていた時だった。
【た、た、大変なんじゃよー!】
……そういうセンチメンタルをまとめて吹っ飛ばす声が聞こえてきたのは。
そう、それは、
「し、シロニャか?」
【こ、コウか? よかった。とにかく大変なんじゃ! ワシはもう、どうしたらいいか……。
お願いじゃから、ワシを、ワシを助けてほしいのじゃぁ!!】
喧嘩別れしたはずの神様からの、SOSだった。