第七十八章 たぶん間違った優しさ
組み伏せられた鋼を見て、アスティがとっさに動こうとしたが、
「それ以上近づけばこの男を殺す」
と言われてしまえば身動きも取れない。
アスティはパワーファイターというワケでもないが、どちらかと言えば力と技量で足を止めて押し切るタイプの戦い方をする剣士であり、『白夜の静謐』などの奇襲・高速移動系の技も持っているものの、人質を取られた状態で安心して使えるような物ではなかった。
動けないアスティたちと鋼。
少女はアスティたちを警戒したまま、鋼の突きつけたナイフをわずかに肌に食い込ませた。
「王女の居場所を言え。
そうすれば、命だけは助けてやる」
そして、自分の要求だけを端的に繰り返す。
「ちょ、ちょっと待った! 話がぜんぜん見えないんだけど!?」
喉にナイフを突きつけられながら、鋼が必死でそう尋ねた。
しかし、
「お前たちが事情を知る必要なんてない。
王女の居場所を話すか、それとも死ぬかだ。
さぁ、選べ!!」
黒髪の少女は聞く耳を持たない。
しかも、少女が動く度にナイフがぴくぴくと震えるので、鋼は生きた心地がしなかった。
シロニャが鋼の横で毛を逆立て、鋼の腰では木の枝がすごい音を立てて振動するが、さすがに状況を打破する手段はない。
と、そこで、
「ごめんなさい、ハガネさん。
もし死んじゃったら、わたしが責任を持ってゴワゴワの管理を致しますから」
少女の脅しを全く無視して、ミスレイが動く。
「ちょ、ちょっと何ですかその不穏な予告!?」
騒ぐ鋼をよそに、ミスレイが何かをつぶやくと、彼女がまとう空気が変わった。
見ているだけで自然と背筋が伸びるような、神々しい光があふれる。
鋼も何度か見たことがある彼女のワンオフタレント『神がかり』の効果だ。
「貴様! こいつの命が惜しくは…!」
激昂した少女がさらに鋼の喉にナイフを押し付けるが、
「『一寸転移』!!」
ミスレイは迷わず手にしたロッドの先端を鋼たちの方に向け、魔法を詠唱。
ちなみに使っていたのは先端に青いクリスタルがついているあのロッドである。
それちゃんと役に立つんだなと思いながら見ていると、鋼に魔法が発動。
鋼の体は強制的に、馬車の中の座席の上から、そこから二メートルほど離れた地面まで移動させられる。
が、これで少女から逃げられたかというとそうでもなく、
「……意味あるの、これ?」
少女にナイフを突きつけられているという鋼の姿勢は変わらぬまま、つまりは少女ごと、鋼は馬車の外に転移させられていた。
鋼の上の少女も心持ち困惑顔だったが、
「意味は、ありますよ。
というか、これで詰みですね」
自信満々のミスレイの言葉通りのことが起こる。
「ッ!?」
少女の後ろにいきなり何者かが現れ、一瞬の内に鋼の上から排除、拘束してしまった。
「状況は良く分かりませんが、この対応で問題ありませんか?」
「え? ラトリス!?」
自由になった鋼が顔を上げると、そこには見慣れたメガネの女性が、涼しい顔でナイフを持った少女を捕まえていたのだった。
「つ、つまり、あの転移はハガネのためではなく、ラトリスを呼び出すための物だったのだな?」
一番察しの悪かったアスティも、鋼が懇切丁寧に説明すると、ようやく理解した。
ミスレイは『神がかり』状態になると全能力値が上がるため、神聖魔法だけでなく、様々な魔法が使えるようになる。
さすがにあまり高度な魔法は使えないが、対象者をほんの少しだけ移動させる初級転移魔法くらいは何とか使用可能だ。
そこで、引き離せないと知りつつわざと鋼と少女を短距離転移させ、鋼と『血縄の絆』でつながれているラトリスを呼び出したのだ。
ちなみに似たような効果のスキルはこの世界にもどってくるためにクリスティナも利用したが、それは使い捨ての術式だったために効果は切れている。
「しかし、転移術式より先に本当にハガネが殺されてしまったらどうするつもりだったのだ?」
というアスティの疑問には、
「あははは。まあ、いざとなればラトリス様のタナトスコールとわたしの蘇生魔法で何とでもなりますから」
という非常に恐ろしい言葉が返った。
「それに、彼女からはあまり殺気が感じられませんでしたし」
まるで取り繕うようなミスレイの台詞だったが、それは鋼も感じていたことだった。
今思えば、喉に突きつけられたナイフが震えていたのは緊張のためだったのかもしれないし、そもそもが脅しの言葉にしたって子供が必死で背伸びをして大人のフリをしてるような、そんな無理矢理感があった。
「そうは言っても、やはりハガネ様の護衛に私かララナ様のどちらかが残っているべきでしたね」
そんなラトリスの言葉には、誰も反論できなかった。
どちらかと言わなくても脳筋のアスティ。さりげなくしたたかではあるが基本世間知らずのミスレイ。常識人ぶってはいるがたまに頭のねじが一本外れてるんじゃないかと思われる鋼。意外と逆境に弱くびっくりすると普通の猫程度の行動しか取れなくなるシロニャ。
索敵だの諜報だの交渉だのが得意なメンツが一人もいなかった。
とりあえずラトリスが合流したこともあり、情報交換をしようとしたのだが、
「その前に安全な所に参りましょう」
とラトリスが言って、手早く少女を拘束すると鋼たちは即座に移動。
あまり人の気配のない住宅地の地下に鋼たちは案内された。
ラトリスがこともなげに言ったところによると、『ラターニア国に用意してあるラトリスのセーフハウスの一つ』らしい。
ラトリスさんあんたマジ何モンだよ、とか鋼は思わなくもなかったが、ラトリスは普通に忍者だった。
まあ忍者だったらしょうがないなと鋼は追及をあきらめた。
そして、
「ええ!? 王女が『清めの塔』に入ったぁ!?」
地下室に、鋼の素っ頓狂な声が響いた。
鋼はラトリスにこちらの近況を話すと共に、ラトリスが入手した情報を聞いたのだが、これが驚きだった。
なんと王女はもう見つかっていて、すでにクロニャの守る『清めの塔』の中に無事に入ったという。
12月31日、どうやら王女は封印の儀式とかいう物を行うために外に出て来るそうだが、それまではひとまず安全と言えるのかもしれない。
いずれも伝聞なので百パーセント確実とまでは言えないらしいが、それなりの確度のある情報らしい。
ただ全ての情報が正しかったワケではないらしく、
「本当の王女はずっと前に死んでいて、今の王女は実はホムンクルスだという可能性も示唆されたのですが、とんだ陰謀論でしたね」
とめずらしくラトリスが苦笑のような物をもらした。
「まあ『清めの塔』に入ったんなら、本物の王族なんだろうな。
王様の隠し子とかいないなら本当に封印の巫女ってことになるだろ」
この辺りのファンタジー機能についてはどれだけ信用できるのか鋼には分からない。
しかし、他の人の反応を見る限りでは誤作動を起こすような類の物ではないみたいだった。
そして、その中でもかなり重要そうな情報。
「やはり、発見された王女は、髪の一部を不自然に切り取られていたそうです」
鋼の脳裏に浮かぶのは、少女が持っていた真っ白な髪の毛。
気を失っている間も、あれだけは手放そうとはしなかった。
それに、しきりに王女の居場所を聞いてきたあの態度。
いくら鋼だって、彼女が王女と無関係であるとはとても思えない。
しかし、一方で鋼は、どうしても彼女を疑い切れない。
逃げているところを助けたからだろうか。あるいは、鋼に突きつけた刃の震えを見てしまったせいだろうか。
全ての状況証拠は彼女が暗殺者だと言っているのだが、鋼には彼女がたくさんの人を殺すような人間にはとても思えないのだ。
それを察したかのようにラトリスが言う。
「今はアスティエール様が見張りされているはずですが、私達も様子を見に行きましょう。
食事を持って行ったようですし、そろそろ打ち解けて何かを話してくれたかもしれません」
「そう、だな……」
捕まえた少女に鋼たちの話し合いを聞かせるワケにはいかなかったので、見張りにアスティだけを置いて別室に監禁しているのだ。
ちなみに見張りがなぜアスティかというと、話し合いに必須なラトリス以外で戦闘能力が高いのがアスティだったからで、決してアスティが脳筋だから話し合いに戦力外通告を出されたからではない。……ということになっている。
話し合いを中断した鋼たちが少女を捕まえた部屋に近付くと、アスティの声が聞こえてきた。
「ほら、いいから口を開けろ。
そんなに意地を張ってもためにはならんぞ?
お前にだって目的があるのだろう?
だったらこんなことでごねていても不毛だと分かるはずだ。
分かったらさっさと受け入れろ。
どうしても嫌だと言うなら、私が無理矢理にその小さな口にこいつを突っ込んでやってもいいんだぞ?」
「ちょ、ちょ、ちょぉおおおおおお!!」
そのあまりに不穏当な響きに、鋼はあわてて部屋に飛び込んだ。
「な、何だ、ハガネ?」
中ではアスティが、肉と野菜のポトフ的な物を片手に持ち、イスに後ろ手に縛られた少女にスプーンを突きつけていた。
それ自体はまあ、予想の範囲内ではあったのだが、
「いやいや、今のは台詞的にやばいだろ!」
なんというか、さっきの言葉はまんま看守と囚人というか、完全に拷問吏の台詞だった。
いきおい込んだ鋼だが、
「そう、なのか…?
す、すまんな。無骨な言葉遣いしかできくて……」
「う……」
真面目にしゅんとされて、思わず言葉に詰まる。
普段の脳筋さとか当て馬的ポジションに隠れて意識されることはないが、アスティは実は絶世の美少女とかだったりするワケで、しおらしい顔を見せられると鋼でも多少罪悪感を覚えてしまう。
「と、とりあえず代わってくれ。
僕がもっと穏当な食事のあげ方を教えるから」
「た、頼む……」
というワケで、選手交代。
鋼はアスティからまだ温かいポトフらしき謎のスープ、言うなれば?スープ?を手に取って、少女の前に立った。
「悪かったね。アスティも、悪気があってあんなことを言ったワケじゃないんだ」
鋼はやわらかい口調を心掛けて話しかけるが、
「……どうだかな」
少女はにべもない。
「ま、まあとりあえず、これくらいご馳走させてくれないか?」
それではと、鋼は手に持った?スープ?を勧めるが、
「……施しを受ける謂れはない」
やっぱり少女はにべもない。
「ぐ、ぐぅぅぅ……」
とうなった鋼だが、その時、それに呼応するみたいにグウゥゥとどこかで虫が鳴いた。
「え?」
その出所は、意外にも目の前の少女のお腹。
驚いて鋼が視線を向けると、
「……た、単なる生理現象だ」
さっきまでのクールっぽい態度はどこへやら、少女は赤くなって顔をそらした。
ここがチャンスと鋼は一気にたたみかける。
「やっぱりお腹が空いてるんじゃないか。
ほら、まあとりあえず飲みなって!」
ぐいぐいとスプーンを押し出す鋼。
冷静になって考えれば別にムリにこれを飲ませる必要は全くないのだが、鋼はすでに目的を見失い始めていた。
「そんな毒が入っているかもしれないような物を、わたしが飲むと思うか?」
それでも抵抗する少女。
しかし鋼は、その言葉に勝機を見出した。
「なら、これに毒が入ってないって証明できたら飲んでくれるワケだ」
と素早く言い切って、
「え、いや、ちがいま…!」
少女が何かを言う前に、?スープ?を一口飲んで、
「ほら、毒なんて入ってないだろ?」
冒険者カードを少女の目の前にかざす。
もし毒ステータスにかかっていたら、カードに表示されるはず。
それがないということは、毒は入っていなかったのだ。
それは少女には分かったはずだが、
「も、もしかすると特定の具だけに毒が入っているとも考えられるし……」
往生際の悪い言い逃れをした。
「じゃあ全種類食べるよ」
鋼はそう言って、全種類の?にく?や?やさい?を食べて、
「……ほら」
またスプーンを差し出した。
「ま、待って! いや、待て!
そ、そのまま食べろと言うのか、そ、それって間接……」
それを見て、なぜか動揺する少女。
「そのまま……ああ」
鋼はちょっとだけ考えて、すぐに理由に思い当たった。
「まだ結構熱いもんな。火傷したら大変だ」
そう言ってひとつうなずくと、ふーっ、ふーっとスプーンに息を吹きかけて、
「ほら、口開けて」
ふたたびスプーンを口元に持っていく。
「え、あ、いや、その……」
最初のクールキャラはどこへやら、少女は何をされたというワケでもないのにしどろもどろだった。
それを迷っていると見た鋼は、さらにスプーンを押し出していく。
「ほらほら、あーん!」
そしてその勢いに負け、すっかり涙目になった少女は、とうとう、
「あ、あーん」
口を開け、鋼の差し出すスプーンを受け入れた。
そして、
「おいしい……」
やはり空腹は最高の調味料なのか。何だかよく分からないまま?スープ?を味わう少女。
対して鋼は、全く邪気のない顔で、
「それはよかった」
とうなずく。
一度食べてしまえば抵抗はなくなる物。
「じゃあ、次はどれが食べたい?」
という鋼の質問に、
「あ、じゃあ、その赤いのを……」
とすっかり険のとれた口調で素直にリクエストを出す少女。
「これか」
対して、そのリクエストに応え、?にんじん?をすくってかいがいしく少女の口元に運び、
「はい、あーん」
嬉々として食べさせる鋼。
急速に、二人の空間が出来上がりつつあった。
「な、何なのだ、これは……」
一方で、ワケが分からない思いをしているのはそれを見ている者たちだった。
アスティは慄然とした顔をして、仲睦まじげな二人を眺める。
もしかして自分が知らなかっただけで捕虜の扱いというのはこういうのが一般的なのだろうか、アスティはそう思ってラトリスを見る。
(……ふるふる)
視線を感じたラトリスは、静かに首を横に振った。
それを見て、ようやくアスティは安心し、やっぱり止めるべきか、と考えたが、
(……ふるふる)
今度は別の意味で首を振られた。
おそらく、順調に打ち解けて来ているので、非常に遺憾ながらこのまま放っておくしかないと言いたいのだろう。
アスティは続いてミスレイを見た。
今にも飛び出しそうなシロニャを抱えてなだめているミスレイは、一見いつも通りだ。
だが、よく見るとシロニャを撫でる手つきが非常に雑だった。
(皆、それぞれに我慢をしているのだな……)
そう思って、アスティも飛び出していきたい自分をグッと抑える。
ここにリリーアかマキか、せめてクリスティナでもいてくれたら愉快なツッコミでこの空気を破壊できたところだが、残念ながら残存メンバーのツッコミ力は低かった。
そして、彼女たちの試練の時は始まった。
「あ、あーん。…はむ」
「……どうだ? おいしいか?」
「は、はい」
「次は何がいい? そろそろ?にく?、行くか?」
「お、お任せで」
「なら?にく?で。
あ、まだ熱いから気を付けろよ」
「は、はい。…あーん。あつっ!」
「あのなぁ。気を付けろって言っただろ?」
「す、すみません」
「ふー、ふー!
ほら、今度は気を付けろよ」
「はい。…はむ。
……あ、お肉もおいしい」
「そうだろ?
毒見の時、僕もそれが一番おいしいと思ったんだ」
「あ、じゃあ、ひとつ、食べますか?」
「いや、僕は……」
「遠慮しないでください。
あ、あの、食べさせたりはできませんけど……」
「わ、悪いな。
じゃあ、遠慮なく……はむ」
「お、おいしいですか?」
「ああ。それじゃお返しに……あーん」
「はむ。……おいしいです」
「はは」
「ふふふ」
そんな感じで、少女が、
「ご、ごちそうさまでした」
と言って?スープ?を飲み切るまでの数分間、アスティたちはある意味地獄の時間を過ごしたという。
ようやく?スープ?が空になったところで、
「ほら! これが、穏当な食事のあげ方っていうも……」
鋼がアスティを振り返ってそうドヤ顔で言おうとしたら、
「「「「絶対違う!!」」」」
女性陣の怒りの大合唱が巻き起こったのだった。
それから、
「色々と不安は残りますが、彼女の相手はハガネ様が向いているようです。
私達は向こうで今後の方針について話していますので、彼女の様子を見ていて下さい」
「私たちがいないからと言って、くれぐれもおかしな真似をしてくれるなよ」
「あとで埋め合わせに百ゴワゴワ、いえ、二百ゴワゴワはさせてもらいますからね!」
口々に言いながら、女性陣は鋼を残して外に出て行った。
どうやら、少女から情報を引き出すのは鋼一人の方が都合がよいと判断されたらしい。
しかしただ一人。いや、一匹だけ、部屋に残った者もいた。
さっきから口数の少ないシロニャだ。
シロニャはしばらく何も言わずに鋼を見上げて、やがてぽつりと言った。
「やっぱりこんなのまどろっこしいと思うのじゃ」
「まどろっこしい?」
要領を得ないシロニャの言葉に鋼が疑問符を浮かべると、まるで愚痴をこぼすようにしてシロニャが言った。
「そうじゃ。零夜じゃったら、こんな事件、必殺『太陽の華』で一発なのじゃよ」
「闇堂って名前なのに技は光属性かよ!
……じゃなくて、しつこいなシロニャも。
僕はその、零夜?、みたいにはなれないって。
そんなに零夜がいいなら零夜の家の子になりなさい」
またいつもの軽口だろうと、鋼は軽く流す。
だが、シロニャは意外にも食い下がってきた。
「ワシは、零夜のようなやつといっしょにいたいワケじゃないのじゃ。
ただ、おぬしに零夜みたいになってほしいだけなのじゃ」
「いや、どう違うんだよ?」
鋼は付き合ってられないとばかりに首を振るが、
「……じゃって、おぬしが零夜みたいじゃったら、ワシはこんなにおぬしを心配しなくて済むのじゃ」
続けて聞こえたシロニャの声は、悲痛なほど真剣な響きが込められていた。
「ワシは、おぬしがその女にナイフを突きつけられた時、すごく怖くかったのじゃ。
それなのにおぬしは、そんな女とイチャイチャイチャイチャと……」
「いや、イチャイチャはしてないけど……」
シリアスな雰囲気でもツッコミはちゃんとする。
それが結城鋼である。
ただ、今回ばかりはちょっと分が悪かった。
「おぬしは、零夜とはちがうのじゃ。
ちょっと強い相手と戦ったり不意打ちを喰らったら、本当に死んでしまうかもしれんのじゃぞ?
なのに、おぬしは……」
そこでシロニャは言葉に詰まってしまった。
だが、シロニャが鋼を心配しているということは、鋼にも十分に伝わった。
「シロニャ……」
鋼はいくら言動が怪しくても、この少女は悪い人間ではないと、鋼の直感は告げていた。
しかし、傍目から見て危なっかしいことをしているのもまた、事実なのだ。
鋼は自分の行動を少しだけ反省した。
鋼ができるだけ、シロニャの目を正面から見つめるようにして、
「心配かけて、ごめん。
これからはもっと気を付けて……そうだな、その零夜って人の話でも読んで参考に――」
そこまで言った時だった。
「なにぃ!? 『零夜の奇妙な転生』に興味があるじゃと!?
こうしちゃおれんのじゃ! すぐにパソコン持ってくるから待っておるのじゃぁ!!」
シロニャがすごい反応を示し、すぐにワームホールを出してその中に消えていってしまった。
「……。……。ええー?」
複雑なのは残された鋼だ。
やっぱりあいつ、ただ単にネット小説が好きなだけなんじゃないか、とか思ったが、もういなくなってしまった相手にはツッコミも入れられない。
途方に暮れていると、
「ふふっ!」
後ろで笑い声が聞こえた。
イスに縛られている少女が、それでも心底楽しそうに笑っていた。
「コウさんたちって、本当に面白いんですね」
笑いをこらえながら、少女が言う。
名乗った覚えのない『コウ』という名前は、きっと会話の中で知ったのだろう。
だが、その名を呼ばれることも、鋼には全く不快感はなかった。
ついでに言うなら、その口調には最初の頃の堅苦しさ、刺々しさがない。
おそらくそれが彼女の素なのだろう。
一見冷静にそんなことを分析しながらも、
「別に、そういうつもりもないんだけど……」
変なところを見せてしまったと、鋼は動揺しきりである。
「でも、本当に楽しい。
こんなに笑ったの、わたし、本当に久しぶりです」
「久しぶり?」
貴重な少女の情報に、鋼の耳がぴんと立つ。
しかし、それには答えず、
「ねぇ、コウさん。……今、王女は『清めの塔』にいるんですね?」
あまりに唐突で予想外の台詞を、彼女は口にした。
「な、んのことかな?」
ここで動揺を見せてはならないと、鋼は何とかごまかそうとした。
しかし、その反応は少女に確信を与えてしまったようだった。
「やっぱり、そうですか。
最悪の場合、そうなってしまうとは思っていました」
「君は、一体……」
困惑して、鋼はそう口にした。
この少女が王女や魔王などと無関係であってほしかった。
だがやはり、彼女は何かを知っているらしかった。
少女は、そんな鋼を、どこか愛しい物でも見るように見つめると、
「……それ」
「え?」
「その、ペンダント、きれいですね」
全く場違いなことを言った。
自分の胸元に視線を移して、少女が白い石のついたペンダントを話題にしたのだと気付いた鋼は、なぜかテンパって弁解する。
「い、いや、これはこう見えて特製のチェーンがなければ放した瞬間すっとんで行っちゃう面倒な代物で……」
「…?」
よく分からないという風に首をかしげる少女。
それを見て、鋼はようやく落ち着いた。
「……欲しい?」
端的に、それだけを聞く。
「くれるんですか!?」
少女の声が、目に見えるほどの喜色を帯びた。
「わたし、家庭の事情であまり外に出たことがなくて、そういうアクセサリーに憧れてたんです!」
全力でくれくれアピールをする少女。
鋼は色々と考えたが、諸々の事情を勘案した上で、ここで少女にペンダントを渡すのも悪くないという結論に達した。
「ええと、なら……」
ペンダントを自分の首から外して、少女に近付いていく。
「あの、わたしの首にかけてください」
うれしそうに、少女が言う。
あまりのはしゃぎように、どこか不自然さを感じた鋼だが、あまり気にすることもなく、
「じゃあ…」
と言って、ペンダントを首にかけた……瞬間だった。
「え?」
一瞬鋼は、自分の目がおかしくなったのかと思った。
鋼の手が触れた場所、正確には鋼の『右手の小指』、幻覚の類を無効化するという『真実の小指』がふれた場所から、少女の髪の色が抜け落ちていく。
濡れ羽色と呼ばれるような艶やかな黒髪は一瞬で色を失い、白く変貌していく。
変化が終わった時、そこから現れたのは……。
「この、色……。もしかして君が持っていた髪と同じ……」
鋼がそこまで口にしたところで、少女が動いた。
この事態は彼女にとっても予想外だったのだろう。
少女は一瞬、大きく目を見開いたが、すぐに自分を取りもどし、
「ごめんなさい」
鋼の耳元でそうつぶやくと、イスに縛り付けられていたはずの右手を鋼の胸に当て、
「スタン・ボルト」
短く呪文を詠唱。
鋼の体を電撃が駆け抜けた。
「なん、で……」
ゆっくりと力をなくして倒れていく鋼の体を、白い髪の少女はまるで壊れ物でも扱うように受け止めると、
「騙すような真似をして、ごめんなさい。
もう聞こえてないかもしれませんが、今のは麻痺と気絶効果のある魔法です。
副作用もないので、二時間もすれば起き上がれるはずです」
労わるような動きで、少女の代わりのようにイスに座らせた。
目をつぶり、ぐったりとしてしまった鋼を哀しげに見下ろして、少女は語る。
「お役目を果たすためなら、本当はコウさんやお父様に協力をしてもらうべきだとなんでしょうね。
でも今は、王族で封印の巫女でもあるルファイナ・『シール』・ラターニアではなく、ただのルファイナとして行動したいんです」
そう言ってきびすを返した少女の髪は、一目見たらもう忘れられないほどの、目の覚めるような白い髪で、
「お母様の名誉を守り、お母様の仇を取る。
それが今のわたしの、一番しなくてはいけないことだと思うから」
ただその髪が一瞬、扉の前で、迷うように揺らめいた。
その手が、首元で揺れるペンダントに伸びる。
「……この、ペンダント。
わたしの初めての、もしかすると最後になる、家族以外の男の人からの贈り物です。
きっと一生、大事にしますね」
それだけを言うと、少女、封印の巫女ルファイナは、扉の向こうに消えて行った。
彼女の子孫が代々守り続けた、魔王の封印を守るために……。
そして何より、もう死んでしまった、彼女の母親のために……。
そして、部屋の扉が閉じられて数秒。
「ふぅ。見事な決意表明だったなー。
感動してつい起き出しそうになっちゃったよ」
そろそろかなーとばかりに、鋼は目を開けて体を起こす。
状態異常が反転する鋼にとって気絶と麻痺なんてもうマブダチ、アンパ○マンにとっての愛と勇気、武藤○戯にとっての『死者蘇生』と『光の護封剣』みたいなもので、そんなもので無力化されるはずがないのである。
平然と立ち上がった鋼はついさっきルファイナが出て行った扉に目を向けると、その奥にいるであろう彼女に向かって手を合わせた。
「けど残念ながら、詰めが甘すぎかな。
ペンダントを持っていった以上、居場所なんて丸分かりだし、何より――」
『ほう。その白い髪、貴女が本物の封印の巫女ですか。
何かあるとは思っていましたが、これは泳がせた甲斐がありましたね』
『え? あ、あなたは、さっき突然現れた……』
『貴女にはまだまだ聞きたい事があります。
申し訳ありませんが、もう一度部屋に戻って頂きますね』
『だ、駄目! わたしはお母様のためにも…って、あれ? もう縛られてる?』
『特殊なロープですので、爪に仕込んだ刃物如きでは切れませんよ』
『や、やぁ! ちょ、ちょっと待って! わたしは……』
『待ちません』
「――こんな狭い地下室で、ラトリスから逃げられるワケないのにね」
そして鋼は、
「うわああぁん! わたしはお母様のぉおお!!」
とほんの十数秒で部屋に出もどりしてきたルファイナと、
「コウ! パソコンを持ってきたからすぐ読むのじゃ!!」
ミニノートPCと一緒にワームホールから飛び込んできたシロニャに、
「おかえり二人とも。早かったね」
と優しく声をかけたのだった。