第七十五章 真面目の始まり
「何か、だんだん人気がなくなって来てるんだけど、道、間違ってないよな?」
そう言って、鋼がすっかりガラガラになってしまった馬車の中を振り返る。
取り決め通り三組に分かれたので、鋼と共に来たメンバーは、シロニャ(猫分身)、アスティ、そしてミスレイの三人だけになっていた。
その中で、器用に地図を広げていたシロニャが怒ったように答える。
「む! 間違いないのじゃ! ワシの地図読解スキルによると、そろそろフィードラとかいう輩の城が見えてくるはずなのじゃ!」
「うーん。シロニャに地図読解能力があるとはとても思えないんだけど」
「な、なんじゃとぉ! ワシは地図がある分、デモ〇ズソウルよりSIR〇Nの方が怖くないとか豪語するくらい地図が大好きなんじゃぞ!」
「それ、地図読める理由になってないしなぁ……」
まあ鋼だって、腐った谷とか病んだ村では地図が欲しいなと思った口ではあるが、シロニャの言うことはやっぱり信用できなかった。
「いえ、方向は間違っていないと思いますよ。
ここから先に進めば、フィードラ様の住居もある町に着くはずです」
しかし、そこでミスレイがとりなすように言った。
「そうなんですか? でも、その割には進むごとにどんどん田舎の方に来ているというか、はっきり言ってどんどんさびれているというか……。
第二とはいえ、王妃の邸宅、なんですよね?」
側室だとか妾ではなく、王妃であるなら、国からそれなりの待遇で迎えられていていいはずだ。というかそもそも、王妃が王都から離れて暮らしているという時点でおかしい気がするのだが。
「フィードラ様のことなら、わたしも少しは聞いたことありますけど。
王妃と言っても、変わり者らしいですからね。
王様のことは愛してたみたいですけど、縛られるのが嫌いだったみたいです」
「はぁ……」
「そもそも王妃に迎えたのだって、王様の方から頼み込んだという話です。
たしか、子供ができたこともあってしばらくの間は王城で暮らしていたけれども、やっぱり研究がやりたいと言って自分の家、というかもう居城ですね。
そこに引きこもっちゃったとか」
「ええと、研究、ってなんですか?」
耳慣れない単語に思わず問い返す鋼に、ミスレイはあやしい笑みを見せた。
「さぁ? でも、恐ろしい物かもしれませんよ?」
「恐ろしい?」
王妃と恐ろしい研究というイメージが重ならず、ふたたび首を傾ける鋼。
その反応を待っていたかのように、楽しげにミスレイは言った。
「はい。だってフィードラ様って、この国で一番の錬金術師なんですから」
雑談をこなしながら進んでいくと、ようやく町らしき場所が見えて、人の姿も増えてきた。しかし、
「なんか、にぎわってるというより、物々しいな」
「ああ。あちらこちらにいる、鎧姿の者たち。
あれは十中八九、この国の騎士団の者だろう」
最初に鋼が期待していたような喧騒とは違い、ピリピリとした緊張感が辺りに漂っていた。
鋼に騎士団との接点はないが、元騎士だったアスティが言うのなら、きっと騎士団が出張って来ているのだろうと素直に信じられた。
そんなことを小声でささやき合っていると、鋼たちに気付いた騎士団の人間が一人、鋼たちに近付いてきた。
「……交渉はわたしに」
ミスレイが小声で鋼にささやく。
「ミスレイさん?」
意外に思って鋼が聞くと、
「ルウィーニア様はあれで意外と厳しめな神様ですからね。
あの人の神官をやってるってことは、犯罪行為とかやましいことをしてないってことになるんです」
口早にそう説明してくれた。
「冒険者の方々と見受けられる。
少し質問をさせて頂きますが、よろしいか?」
寄ってきた騎士が口を開く。
鋼に経験はないが、イメージとしては中年の警察官が職質しに来た、みたいな感じだった。
「騎士団の方が、何の御用ですか?」
鋼やアスティより先にミスレイが前に出て、近付いてきた騎士に問う。
出て来たのが美人の神官だったせいか、騎士の態度が少しやわらかくなった。
「ああ、すみません神官様。
実はこの近くで事件がありまして、周りの者に事情をうかがっているところなのです」
「事件、ですか?」
不穏な単語に、ミスレイの眉が寄せられる。
鋼も、バリッバリに嫌な予感がした。
「事件の詳細についてはいくら神官様といえどもお教えできません。
それよりも神官様。申し訳ありませんが、身分証をお持ちなら見せていただけないでしょうか」
慇懃ながら、鋭い目付きで騎士が言う。
「それは……いえ、仕方ないですね」
ミスレイは一瞬渋ったが、やがてため息をつきながら、騎士にカードを突きつけた。
「ミスレイ・『ルウィーニア』・ハート、さま…?」
それを見て、騎士の態度が変わる。
「も、申し訳ありません。光の聖女様とは露知らず、とんだご無礼を……」
「いえいえ、そういうのはやめてください。また二つ名が増えちゃいますから」
「はっ!」
ミスレイの言葉に恐縮したように騎士が居住まいを正す。
どうやらすごいことが起こったらしいが鋼には今一つ事情がつかめない。
アスティにどういうことなのかを小声で聞くと、
「ごくまれにだが、神格化された英雄や神の名前がミドルネームとして個人につけられることがある。
これは望めばつけられるような物でもないし、もちろん親がつけるような物でもない。
その神と深い縁があったり、特別な功績を残した時に自然とカードに浮き上がるような類の物でな」
二つ名ともまた違うようだ。
「もしかして、めずらしい?」
「少なくとも、神の名がついた人間は歴史上にも数人いるかというところだ。
今生きている人間の中では彼女一人ではないか?
相当に高位の神官だとは思っていたが、神の名付きとはな。
私もかなり驚いている」
「な、なるほど……」
あんまりピンと来ないが、とにかくすごくすごいということは分かった。
「そ、その、申し訳ありません、聖女様がどうしてこのような場所に…?」
それでも騎士は職務熱心な人間なのだろう。
相手が聖女と呼ばれるような人間と分かっても、質問を続けた。
「わたしたちは……」
ミスレイがまた言葉に詰まり、ちらりと鋼をうかがう。
目的を話してしまってもいいか、ということだろう。
ここまで来たら今さらだ。
鋼はうなずいた。
「実は、ルウィーニア様から魔王の封印が危険だという神託を受け、知り合いの冒険者の方々と共にこの地に調査に来たんです」
その視線を受け、ミスレイが今回の旅の目的を明かした。
あらためてそんな風に言うと、まるで勇者みたいだな、と鋼は他人事みたいに思った。
それを聞いて、騎士の男は考え込むように黙り込んだ。
「そういう、ことでしたか」
「あ、わたしの名前と目的については、できればあまり広まらないようにお願いします」
ミスレイが、すかさずそう頼み込む。
「つまり、お忍びでのお役目、ということですね」
騎士はさらに難しい顔をした。
そして、
「これは、本来はわたしの口から話して良い物ではないのですが……」
渋い顔をしながら、話し始める。
「実は、この先のフィードラ様の城が、何者かに襲撃されたのです」
「えっ?」
鋼は思わず間抜けな声を上げてしまった。
最悪の事態が頭をよぎる。
「それで、フィードラ様、それに、ルファイナ様は?
ご無事なのですか!?」
さすがのミスレイもこれは予想外だったようだ。
声に少し動揺を見せて問いかける。
「残念ながら、フィードラ様は殺されていました。
その他、数名いた使用人なども全滅。
ただ、封印の巫女でもあるルファイナ様のご遺体だけは見つかりませんでした」
「逃げ延びた、ってことですか?」
決して安堵していい事態ではないが、最悪の事態は免れたようだと知って、鋼はホッと息をつく。
「分かりません。逃げたのか、さらわれたのか、あるいはもう殺されたのか。
フィードラ様の城を詳しく検分したいのですが、優れた錬金術師であった彼女は、城にも色々な防衛の仕掛けを作っていて、難航しています。
襲撃者がどうやってそれをかいくぐったのかは不明ですが、一部の死体に抵抗の跡がなかったことから内部犯の可能性も考えています」
騎士の顔は、すっかり苦渋に満ちていた。
鋼たちとしても、想像を超えた異常事態に、すぐには考えがまとまらない。
とりあえずお互いに聞きたいことは聞けたので、騎士との話はそこで終わりになった。
最後にその騎士は、
「これを……」
と言って、ミスレイに上等な布で出来た何かを渡した。
そこには、燃え盛る炎がかたどられた絵が縫い込まれていた。
「ラターニアの紋章です。騎士団が外部に協力を募る時に渡しています。
これを見せて、『正炎騎士団副隊長クレッグの指令を受けている』と言えば、たいていのところは通れるはずです」
思わぬ助力に、鋼たちは目を見張った。
「騎士団が介入してきたことで、もともとこの町にいた後ろ暗い連中も殺気立っています。
どうかお気をつけて。
無事に使命を果たされますように」
クレッグという名のその騎士は、最後にそんなイケメンな台詞を残して仲間の下にもどっていった。
「とんでもないことになってるなぁ……」
思いがけない展開に、鋼たちは顔を見合わせた。
何しろもう人死にが出ているし、封印の巫女は行方不明。
このままでは31日を待たずに魔王が復活することも考えられる。
別に王女がすんなり見つかるとも思っていなかったが、すでにここまでの事件が起きているとは想像していなかった。
アスティは比較的大丈夫そうだが、ミスレイと鋼は降ってわいた真面目なシチュエーションに、何だか困惑していた。
「あれ? シロニャ?」
そこで鋼は、今までずっと普通の猫のフリをしていたシロニャが、じっとクレッグから渡されたラターニアの紋章を見ていることに気付いた。
「この、絵柄、まちがいないのじゃ、これは……」
眉根を寄せ、さっきのクレッグに劣らないほどの難しい顔で紋章を眺めている。
「どうしたんだ、シロニャ?」
何か不審な点でもあったのだろうかとシロニャに問いかける。
すると、シロニャはハッとしたように鋼を見て、答えた。
「いや、リアルに炎の紋章じゃなと思って」
「結局ゲームネタかよ!!」
こうして、鋼の冒険史上、もっともファンタジー小説っぽい冒険が始まったのだった。