第七十三章 掌中に踊る道化たち
「ハガネ!」
クロニャの姿を認めて、真っ先に出て来たのは彼女の顔を知っているアスティだった。
そのあと、馬車が止まった事情を察知して、次々に仲間が降りてくる。
「コウくん。この子、誰?」
短い言葉で聞くララナに、
「異世界勇者。……強いぞ?」
仲間たちにも聞こえるように少し音量を上げて、鋼が答える。
「上等!」
ララナはやる気満々だ。
横を見ると、
「ふ、ふーっ!」
シロニャはやっぱり全身の毛を逆立てている。
たぶん役には立たないが、志は立派だ。
鋼も戦う準備を、と思ったが、日本からの服を着ているからか、腰の辺りに強い違和感を覚えた。
(なんだろ? なんか、忘れてるような……)
それは気になったものの、のんびりたしかめている場合ではない。
今のところ、クロニャを倒せるような策もないので、とにかくいつでも逃げられるようにと身構えながら、クロニャを注視する。
他の仲間たちはというと、
「いつぞやの雪辱戦と行こうか」
「弟子の不始末の責任、取らせて頂きます」
クロニャに因縁のあるアスティ、ラトリスはすでに臨戦態勢。
一方でミスレイは、
「んー。ずっと馬車の中にいたから体がこわばってしまいました」
と伸びをしているし、リリーアは、
「ゆ、勇者とか、どうしてわたしたちの馬車を襲ってくるのよぉ!」
とすでに泣き声だ。
仲間の中でもかなり反応に温度差があった。
しかし、中でも一番好戦的だったのは、
「ミスレイさん! ボクに、適当に補助魔法かけて!」
真っ先にクロニャの前に躍り出たララナだった。
ミスレイはララナの要請を受け、
「めんどくさいですねー。
ええと、戦女神の神子たるミスレイが希う。我と我が盟約の……以下略!」
テキトーな呪文を唱えたかと思うと、ララナの全身が光を帯びた。
そのやる気のない呪文詠唱はなんなのだろうかと、その瞬間だけは状況を忘れ、鋼がミスレイをじとっとした目で見ると、ミスレイはにこっと笑った。
「あ、わたし、詠唱短縮アビリティ持ってますから。
それに、ララナ様は仰ってたでしょう?
『適当に補助魔法かけて』って」
「何その『人の嫌がることを進んでやりましょう』って先生に言われて、人に嫌がらせしまくる小学生みたいな理屈!」
鋼はエキサイトして怒鳴っていたが、ミスレイの魔法の効果はそれなり以上にあったらしい。
「うはっ! 体かるーい! ありがと、ミスレイさん!」
ララナはその場でぴょんぴょんと飛び跳ね、体の調子をたしかめてから、単身、クロニャの前に出る。
「それじゃ、ボクはこの子と遊んでるから、みんなはそこでトランプでもして待っといて!」
ララナの身勝手な言葉に、アスティは声を荒げる。
「ふざけるな! そいつは一人で勝てるような相手では……」
「だいじょぶだいじょぶ! もし本当にそういう敵なら、アスティがいたって足手まといにしかなんないよ!」
「なっ!」
その傲慢すぎる物言いに、言葉を失うアスティ。
「アスティ」
激昂するアスティを、しかし止める者がいた。
アスティが振り返ると、アスティの肩に手を置いた鋼が、ゆっくりと首を振る。
「ハガネ! しかし……」
「アスティ、お前には、お前がやるべき戦いがあるだろ?」
そう言って、鋼が差し出したのは、
「と、トランプ?」
ハートやスペードの絵柄が書かれたカードの束。
アスティの物問いたげな視線に、鋼はうなずいた。
「実は御者台にいた時から、ちょっとうらやましかったんだ」
こうして、毛色の全く違う二つの戦いが始まった。
やる気満々で腕を振り回すララナに困惑するように、クロニャが口を開く。
「わた、しは、話がある、と、言った」
「でもボクは今、遊びたい気分なんだ」
「理解、不能」
「だったら……体に教えてあげるよ!」
言った瞬間、ララナは自らとクロニャとの間の数メートルの距離を、ほとんどゼロにまで縮めていた。
「だ、大丈夫なの? あのララナっていう人、勇者と戦い始めるみたいだけど」
「大丈夫。あいつ、ああ見えて十歳なんだ」
「余計大丈夫じゃないじゃない!」
「よし、じゃーダウトしようよ、ダウト!」
「だ、だから、あんたらねえ! 仲間が戦おうって時に!」
「いえ、これは仲間の実力への信用の結果だ、という詭弁も成り立つと思いますが」
「自分から詭弁って言ってんじゃないの!」
「わ、ワシはどうすればいいのじゃ?」
「シロニャちゃん! あんただけがこのパーティの良心……」
「ワシの手では、やっぱりトランプ握れないんじゃが!」
「シロニャちゃん、お前もか!」
「じゃあシロニャちゃん、わたしの膝に来ますか? 一緒にやりましょう」
「ところでダウトとはどんな遊戯なのだ? 拳闘の類か?」
「トランプ配ってんのに何で殴り合いするのよ!」
――ララナの、高速移動。
それは別に、スキルやアビリティの結果でも、ましてや魔法や特別な技術の効果でもない。
単なる脚力。
単純ながら、それだけに破りがたい力。
常人離れした脚力が、非常識なまでの高速移動を可能にしていた。
しかし、
「徒労、と、知る、べき」
それは、クロニャの絶対防御『絶対的隔意』に阻まれる。
「へへっ、やるね……」
しかしそれを見てなお、ララナは不敵な笑顔を浮かべていた。
「ダウトってのは、簡単に言えば1から順番にカードを出していって、カードを使い切れば勝ち、というゲームかな。ただし当然指定された数字のカードを持っていない場合もあり得る。そういう時は2と言いながらこっそり3のカードを出すなどということもできるんだけども、その時疑わしいと思えば他のプレイヤーはダウトを宣言することが出来、ダウトを宣言されたプレイヤーが実際に違うカードを出していた場合は場のカードを全て自分の手札に加えなければならず、逆に正しいカードを出していた場合はダウトを宣言したプレイヤーが場のカードを全て自分の手札に……」
「いいから早くやりましょう! こうなったら芸能人の演技力と鉄面皮を見せてあげるわ!」
「ゴワゴワ神の加護がありますように。シロニャちゃん、がんばりましょうね」
「うむ! 今回ばかりはおぬしとの共闘もやぶさかではないのじゃ!」
「私は今回様子見としよう。ルール覚えるのも大変そうだ」
「誰も説明聞いてないし。もういいや、ええと、ジョーカー上がりってあり?」
「今日はありありルールじゃよ!」
「ありありって……いいけど」
「では不肖私、ラトリス・ブルレが審判役を務めましょう」
「ダウトというのは、審判まで必要なゲームなのか?」
攻撃をあっさりと防がれたララナが、静かに問う。
「ねぇ、知ってる?」
「なに? まめ、ちしき?」
クロニャは首をかしげる。
あとたぶんちょっとボケた。
しかしララナは、にこりともせず、
「『格闘』アビリティを極めて初めて出現するレアアビリティ『拳闘』。
その『拳闘』アビリティをマスターして出現する格闘系最終アビリティ『神拳』。
そして、その『神拳』をすら極めた者は、その最終奥義の名から、こう呼ばれるんだ」
「…?」
気付けば、彼女の拳に風が渦巻いている。
――否!
それは単なる風などでは断じてない。
彼女の拳に渦巻いているのは、凝縮された闘気の嵐。
手の中で渦巻き、暴れ回るそれを、
「行くよ。……ゴッドネス・フィンガー!!」
ララナは、解き放った。
それは荒れ狂う嵐となって世界を揺るがし、一直線にクロニャへと向かっていく。
「わ、ちょっ、カードが舞うって!」
「わ、ワシの体も飛ばされるのじゃぁああ!!」
「ああもう! 押さえて押さえて!」
「あ、今リリーアさんのカード、ちらっと見えました」
「う、うそっ!」
「ウソじゃないですよ。ハートの4とスペードの5でした」
「だからって口に出すことないでしょ!!」
「ほう。ダウトとは、心理戦や情報戦が重要なのだな」
しかし、クロニャは動じない。
迫り来る嵐を、正面から見つめ、
「わた、しの、『絶対的隔意』は……」
「無敵、なんだよね?」
「!?」
その視界の中、あまりに近くにララナの姿を認め、初めて動揺を見せた。
「行くのじゃ! ワイルドドローフォー!!」
「ちょっと?! 何でダウトにそんなカードがあるのよ!」
「リリーア。ワイルドドローフォーがあるんだったら早く出して、ないなら4枚引いて」
「ちょっ! あんたツッコミどうしたのよ!」
「リリーア様。今回はありありルールなので、当然ワイルドドローフォーも有効です」
「何そのルール! ていうか何でわたしだけアウェー!?」
「ところでリリーアさん。色は、白でよろしいのですか?」
「何でわたしに聞くのよ! というか白なんて色、トランプには……」
「いえ、恐らく先程の突風で一瞬だけ見えたリリーア様の下着の色の話かと」
「あんたは何を見てるのよぉおおお!!」
「あ、写真、撮ってなかった」
「むきゃぁああああ!!」
「……ダウトとは、かくも過酷なものか。参加しなくて良かった」
ほとんど密着した状態で、二人は言葉を交わす。
だが、クロニャの能力がある以上、その事態がすでに、異常。
「たしかに、もともとの『絶対的隔意』は無敵だったかもしれない。
でも、それはこの世界のシステムに組み込まれ、明らかに劣化している」
「それ、でも……」
「うん。それでも普通なら倒せないね。
でも、ボクは『システム的』に悪意や敵意を消すとされている『無我の極み』というスキルを持っている。
使用中は攻撃行動は取れないけど、この悪意がないとされている状態で、君を後ろから押したらどうなるかな?」
「!?」
「さよなら、勇者様!」
ララナの手が何の抵抗もなくクロニャの体を捉え、前方に押し出す。
その先には、いまだに力衰えないゴッドネス・フィンガーの渦があった。
「1よ!」
「はい。2、ですね」「2なのじゃ! ウソじゃないのじゃよ!」
「3! はい上がりー!」
「早っ! って、一巡目上がりとかおかしいでしょ! 何枚捨てたのよ!」
「え? 二十六枚だけど?」
「はぁぁ!? ダウト!」
「どうぞ」
「どうぞって、ちょっ!? これ全部ジョーカーじゃないの!」
「いやー、何か配られた手札全部それでさ。でも今回はありありルールだからOKだよな?」
「どんだけイカサマなのよ! むしろこの状況がダウトじゃないの!」
「ほほう! なかなかうまいことを言うの!」
「リリーア様、座布団で御座います」
「いるかっ! ていうかこんなの、やってられるかぁ!!!」
リリーアがそう叫んだ時だった。
「あ、ちょ、ちょっと、後ろ! 見てください!」
「え?」
リリーアが振り返ると、まるで何かの砲弾のように、クロニャが飛んできていた。
そして、
「きゃぁああああ!!」
「にゃぁああああ!!」
いくつかの悲鳴と、悲鳴にもならない声を巻き込んで、まるでボーリングのようにリリーアたちを蹴散らしていく。
『絶対的隔意』が自動発動して、リリーアたちを弾き飛ばしたのだ。
そして、最後、一番奥にいた鋼に向かってクロニャは飛んでいき、
――ぽすん。
気の抜けた音を立てて、その胸に収まった。
「え? 何? 何が起こった? ワイルドドローフォー?」
混乱する鋼の腕の中で、クロニャだけがうなずいた。
「やは、り」
「え? 何がやはり?」
「わたし、の力は、悪意、や敵意、に反応する。
あな、ただけ、は、飛ばされ、なかった、のは、それが、理由」
言いながら、見上げてくる瞳が、何だか潤んでいるような……。
鋼が正体不明の居心地の悪さを感じていると、
「やー! 失敗失敗! そりゃゴッドネス・フィンガーなんて悪意の塊だから、いくらこっちからぶつけに行っても散らされちゃうよね」
ララナが反省したようなことを言いながら、全然反省してないような様子でやってきた。
「これ、で、戦い、は、おわり」
それに対して、クロニャが戦いの中止を宣言する。
「え? なんで?」
ララナは不思議そうな顔をしたが、
「彼、が、ひと、じち」
クロニャがそう言って鋼の首に腕を回すにあたって、すぐにその表情を冷たく変えた。
「いくら勇者だからって、コウくんに危害を加えたら、容赦しないよ?」
恫喝するようなララナの言葉。
しかし、
「危害、は、加えない。ただ……」
クロニャは鋼にぶら下がるような体勢のまま、器用に首を横に振って、
「彼、は、わたし、の、もの」
「え?」
その唇を、鋼のほおに押し付けた。
「ちょ、ちょっとあんた! 敵相手に何してんのよー!」
「ち、小さい子相手にも見境なしじゃと!
じゃあ何でワシには手を出さんのじゃー!」
「そのような行為、神はお赦しになりませんよ(光の女神的な意味で)!」
「そんな小さな子にやられっ放しでいるとは、ハガネ様は実はMっ気があるのですか?
見損ないました。全く、もしもの時のために用意したボンテージ衣装とバタフライ眼鏡が役に立つ日が来るとは! 着替えて来ます!!」
当事者よりも、周りから大ブーイングが巻き起こる。
そして、さすがにぽかんとしているララナに、クロニャは高らかに宣告する。
「次は、唇、に、する」
おそるべき脅迫であった。
それを聞いて、ララナが観念したように両腕を下ろした。
「……分かった。ボクの、負けだ」
こうして、不毛なる争いは終結したという。
「そも、そも、わたしは話し合い、にきた。
戦う必要、なん、て、なかった」
「いや、それを早く言おうよ!」
「実はボクは薄々気づいてたんだけどね!
ま、いいじゃん!
これが最後のギャグパートになるかもしれないし!」