第六十三章 鋼の反省回
目が覚めるとメガネ。
「うわぁああああああああああああああああああああ!!!」
寝起きドッキリ体験を受ける率には定評のある鋼の今朝のおめざドッキリは、メガネと貧乳には定評のあるラトリスさん謹製のドッキリハプニングドッキリでした。
「な、なんじゃ?」
錯乱して変なことになっている鋼の声に跳び起きたのは、猫形態になって鋼の横に寝ていたシロニャ。
そのシロニャも、自分と密着している鋼がラトリスとかなりの密着度で密着しているのを見て、
「なんたる隙間率のなさ! これぞ貧乳、匠の技か!」
錯乱して何だか変なことを言った。
「ええと、それで、ラトリスは何でこんなことを?」
ようやく落ち着いた鋼がラトリスに問いかけると、いつもの調子でラトリスが答えた。
「はい。どうやらハガネ様の近くにいると体調が回復するようなので、無意識に近付いていったのではないかと」
「なんで、僕の近くにいると調子が回復するんだ?」
鋼の問いに、クリスティナがまじめな顔で、
「愛、ですね……」
と答えたのでとりあえず殴っておく。
「いたい……」
「自業自得だ」
という感じでお手軽にクリスティナを黙らせたところで話を再開。
「なんで、僕の近くにいると調子が回復するんだ?」
と、せっかく仕切り直ししたにもかかわらず、
「あの、でも真面目な話、ラトリスさんが元気になった理由、分かると思います」
発言したのは、またクリスティナだった。
「へぇ? どういうことなんだ?」
とりあえず、握り拳を用意しながら聞く。
「ぶ、武力外交はよくないと思います!」
と非常に腰が引けた態度を取りながらも、
「えっとですね。こう、よーく目を凝らして見ると、この部屋、少しだけ魔力があるんです。
というか、何だかハガネさんの体から、魔力が出てるような……」
それなりな衝撃発言をかましてくれた。
もしかしてそういうタレントが……とシロニャを横目で確認すると、
「あるのじゃ」
もはや以心伝心。
鋼が何か言う前に肯定してきた。
そして日に日に人間から遠ざかっている気さえする、鋼のびっくり人間っぷりである。
その辺りの詳細は別にどうでもいいのか、
「そのような次第ですので、魔力回復を」
と抱き着いてくるラトリスを、
「うわぁ!」
鋼はスウェーバックでかわす。
「どうして逃げられるのですか?」
「いや、逃げるってそりゃ!」
叫ぶ鋼に、
「ふむ……」
考え込むラトリス。
結果、
「ハガネ様、私がくっついていては、迷惑ですか?」
ラトリスは泣き落としにかかってきた!
芸が細かいことに、メガネを外して潤んだ瞳で見上げてくる。
その威力に、鋼は内心、息を飲んだ。
ダメだ、こんなのNOが言えない日本人には、ましてや思春期の男子には断り切れない、と思いつつ、
「うん。まあ、そりゃあね!」
意外と普通にそう言い切ってしまえる鋼は、日本人男子ではない疑惑が急浮上である。
「…そうですか」
そしてそれを聞いたラトリスが意外と普通にへこんだのはさすがに気が咎めたのだが、そこで終わらないのがラトリスだった。
「ではクリスティナ様。ご協力をお願いします」
「へ? わ、わたしですかぁ? で、でも……」
「今なら、ドサクサ紛れにハガネ様の体を触り回しても問題なしとします」
「クリスティナ、いっきまーす!」
ほんの数秒でクリスティナを陥落させる敏腕ラトリス。
「ちょ、ちょっと待った! 色々とおかしい!」
必死で抵抗するものの、クリスティナに実は意外とないワケでもないふくらみを押し付けられつつ右半身を封じられ、
「シロニャ、お前もか……」
「じゃって最近、スキンシップ不足じゃと思うんじゃ」
「お前も朝、ひっついてたくせにか!?」
わざわざ少女形態にもどったシロニャに左足を封じられ、
「では、失礼いたします」
動けない鋼に迫りくるラトリス。
そして、そんな喧騒を部屋の入口から呆然と見守る母。
「息子が、しばらく見ない間にとんだハーレム野郎に……通報、通報しなきゃ!」
「どこに!? っていうか誤解だよ母さん!」
ちなみに最後の鋼の台詞以外、ラトリスにあわせて大陸共通語で話しているので、母親に会話の内容は分かっていません。=通報=こわもて満載の警視庁到着=タイーホ=GAMEOVER!!
「いろいろと、ひどい目に、あった……」
鋼は絶体絶命の状態からかろうじてコンティニューできたが、数年ぶりくらいに母親からマジ説教をくらう羽目になった。
「はぁ……」
フラフラで部屋にもどってきた鋼は、シロニャに微妙な視線を送った。
「ど、どうしたんじゃ?」
いつにない湿度の高い目に、シロニャもちょっとだけ動揺しながらそう尋ねる。
「いや、母さんに『もう完璧に犯罪の域だから、頼むからシロニャちゃんだけはやめなさい』って言われてさ。
僕は『あいつああ見えて本当は三歳だから』って言い返そうとして、我ながらこれはないわぁ、と思って黙ってたらやっぱり怒られた」
「ぬ、ぬぅ! ワシは神様じゃぞ!」
「だからなんだよ……」
疲れ切った鋼。いつものツッコミにもキレがない。
ただ、恨めしげにシロニャの体を上から下まで眺めまわした。
「な、なんじゃ? そんなになめまわすようにワシの体を……ハッ! まさかワシの……」
「それはない」
「まだ何も言っておらんのに!?」
シロニャは今日も元気いっぱいだ。
「なんかあらためて考えると、シロニャってある意味すごいサバ読みというか、年齢詐称もいいところというか……」
鋼がそう言いかけると、
「ふ、ふざけるのではないのじゃ!
神様の年のことを言うなら、ワシなんてまだまだかわいいもんじゃぞ!」
なぜかよく分からないところでシロニャが切れた。
「よいか!? 分かりやすいところではアレじゃ!
向こうの世界にいる古神、つまり、向こうの世界を創った創世メンバーなんて、ほんとひどいもんじゃぞ!?」
「古神……」
聞き慣れない単語に、鋼の厨二病センサーがうずいたが、シロニャは無視して続ける。
「古神の中でも一番有名なルウィーニアなんてアレじゃよ? ずっと、たぶん生まれた時から姿だけは二十歳そこそこじゃよ?」
「え、ああ、まあ……」
しかし、戦の女神が七十代のおばあさんとかだったらそれは嫌だろう。まあ、幼女な戦女神とかだったら、逆に需要がありそうで嫌だが……。
「しかも精神年齢もそのくらい、いや、もっと前で止まっておるからの!
古神の中でルウィーニアが一番有名なのは、ベルアードにフラれたあやつが『もう男なんて信じないー!』とか言って、仕事に逃避してるだけじゃし!」
「また聞きたくなかった暴露話を……」
ここに光の女神の信徒とかいなくてよかった、と鋼は胸を撫で下ろす。まあ、ミスレイだったらこのくらいの話、むしろ積極的に加わって一緒に盛り上がりそうだが。
「数百年もずっと失恋を引きずるとかアホじゃろあいつ!
しかも酔うと、あの時ああしてればベルアードを……しか言わないのじゃ!
ほんっともう、信じられないほどうっざい女じゃよ!」
「いや、それもう年齢に関係な……」
突然のマシンガントークに、たじたじになった鋼が制止しようとするが、シロニャはまったく止まる気配がない。
「他のやつだってそうじゃ! サニーだって、もう数千年、下手すれば数万年生きておるというのに、人間から神になった時が若かったからって、ずっと若者気取りじゃぞ?
というか古神の中でも二番目に神格が高いというのに、『わたしは神様から力をもらっただけのただの人間』とか言い張っておるのがまったく理解できんのじゃ!」
「お前もう何か、ただ知り合いの悪口言いたいだけだろ」
「そ、そんなことはべつにないのじゃよ!?
あ、じゃが年齢詐称と言えば、あんのクッソいまいましいクロ……」
「クロ……なんだよ?」
「いや、いいのじゃ。あんな奴のこと、話す価値もない」
鋼としてはそれなりに続きが気になるところだったのだが、めずらしく低温な怒りを見せたシロニャは、そこで話を打ち切ってしまった。
「と、とにかくじゃ。神様にとっての外見というのは、年齢よりもその本質、性質によって決まるのじゃ。
じゃから、もう完全に神格が定まった古神のような神はともかく、ワシのようにまだ成長途中の神様なら、望む姿に自分を変えることじゃってできたりするのじゃ。
お、おぬしがワシにどんな姿をしてほしいのか希望を言ってくれれば、か、叶えなくもないかもしれんのじゃぞ?」
「え?」
「つ、つまり、おぬしの理想の姿になってやると言っておるのじゃ!」
不意打ち気味な提案に、鋼はしばし首をひねったが、
「うーん。いや、やっぱりシロニャは、そのままでいいんじゃないか。
うん、シロニャは今のままが、一番かわいいと思う」
「え、な、う、うぇ!?」
不意打ち返しされて、シロニャは大いに狼狽する。
「あ、あ、いや、あの、その……じゃな! あ、あまりに急すぎてなんと言ってよいか分からないのじゃが、おぬしの気持ちは……」
「やっぱり子猫のもふもふって最強だよな!!」
「だいたい予想通りのオチじゃが、アレは仮の姿なんじゃよ!?」
シロニャは涙混じりに絶叫した。
そんなこんなで始まった日本帰還後の二日目。金曜日。
鋼は今日は特に何もせず、部屋の整理や休養に時間を充てることにした。
どうやら体から魔力を出しているらしい鋼は、ラトリスのためにも部屋から動かない方がいい、というのは当然理由の一つだが、それ以外にも一応理由がある。
まず、鋼の部屋は一見片付いているようでいて、よく見るとかなり荒らされているという不思議な状態だということ。ちなみにその犯人がクリスティナだと分かった時には、MPポーションの件で上がっていたクリスティナ株が大暴落する音が聞こえるほどだった。
特にパソコンの一件。
魔法学院の制服に着替えたクリスティナがやたら鋼の前でポージングとかをするので、一体どうしたのかと聞いたら、
「え? でもこういうの、好きなんですよね?」
と微妙にパソコンの方を見ながら言われた時は、軽く目の前が真っ暗になったものだ。
だから、夜〇月と大体同じ程度の工夫を凝らして部屋の中に作った、鋼の秘密の図書館が暴かれていないか、確認したかったという意味合いもある。
あとはまあ、異世界ナイズされた鋼の思考回路を慣れ親しんだ現代社会の物にふれることで、少し現代に近付けておこうという目論見もある。
家の中ならいいが、外でいきなり大陸共通語なんかで話してしまっては、一瞬で不審者扱い余裕だろう。ついでに大陸共通語で話すラトリスがいるとむしろ逆効果になってしまうので、クリスティナに頼んでラトリスにも翻訳の魔法をかけてもらった。
その魔法にも六回失敗して七回目にやっと成功したので、こっちの世界に来て魔力が不安定になっているんだなと思ったら、クリスティナの火属性以外の魔法の成功率はもともとこのくらいらしい。
世界間移動についてはクリスティナの次元の扉を多少あてにしている部分はあったのだが、こうなると考え直した方がよさそうだ、と鋼は思った。
そして、何もしない時間を設けた、最大の理由は、
「ちゃんと、考えないとな……」
これからのこと、それに自分のことを、きちんと考える時間を作るためである。
昨日のマキの思いつめたような態度を思い出す。
あれはもちろん、真白と鋼、自分にとって親しかったはずの二人が自分に何も言わずに消えてしまったことがガシガシとマキの精神を削っていった結果だと思うのだが、鋼がまたマキに一言もなしに消えると思われていたことは、ちょっぴり鋼の胸にもこたえた。
振り返ってみると、たしかに自分でもちょっとだけ、無鉄砲なことをしたり、仲間にきちんと説明をせずに行動していた場面があったのではないかと我が身を顧みざるを得ないくらいには、それなりに。
そういえば武闘大会の時も魔法学院の時も、なんだか説明不足で仲間に誤解をさせてしまったようだし、ダンジョンの時は結局説明すら何もしなかった。
これはよくない、と反省したのである。
で、とりあえず手始めに、掃除をしながらラトリスに昨日分かった話を説明しておいた。
さすがに取り乱すかな、と鋼は思っていたのだが、
「そうですか。異世界ともなると、合流の手段も限られてしまうでしょう。
そう考えると、私がハガネ様と一緒に飛ばされて来れたのは実に幸運でした」
と、自分が異世界に飛ばされたことも、もどるのが困難だということもあっさりと受け入れてくれた。
ただ一つ口をはさんだのは、シロニャの祝福の下りで、
「私の聞き及ぶ限り、神というのは人を使徒にする程度で力を使い果たすという事はないはずなのですが。
例えば風の神ウィステ様は、気まぐれで日に三度、人に祝福を授けた事もあったとか。
他にも同時に十人の使徒を作ったという水の神の……」
「それは向こうの世界の古神とかの話じゃろ?!
ワシはその、そういう祝福とか苦手なんじゃよ!
決してまだ生まれたてで力が弱いとか、そういうことではまったくないのじゃ!
へっ! 大体神格の高いやつらはろくな力の使い方しないんじゃよ!
気まぐれで人にほいほい力を授ける、力ばっかりありあまった神様に、それに安易に乗っかる愚民共!
まったく、虫唾が走るのじゃ!」
なんだか心のやわらかい場所をえぐられたのか、シロニャがやさぐれてしまった他は、まあ問題がなかったと言えるだろう。
鋼としては、神の力に安易に乗っかるとかそういう部分では、ちょっと耳が痛かったところもあったのだが。
それに、ラトリスからの思わぬ情報提供もあった。
「ユーキ・マシロという人物なら、確か今、魔法学院にいるはずです」
「魔法学院?」
「はい。ハガネ様が卒業したのと入れ替わりで転入したと聞き及んでおります」
「ああ、そういえば、なんかそんな話を聞いたような、聞いていないような……」
正直に言えばよく覚えていないのだが、ラトリスが言うならそうなのだろう。
だとすれば、非常に好都合ではある。
好都合ではあるのだが……。
「ハガネ様?」
ラトリスの声に、我に返る。
「ああ、いや、なんでもない。掃除を続けようか」
ラトリスの怪訝そうな視線から逃げながら、鋼の思考は、一度囚われたある考えから離れることができなかったのだった。
ともあれ、そうして半日を部屋の中で過ごした、その結果、
「うーん。ハ〇ター×ハ〇ター、結構連載してるんだなぁ……」
鋼は積まれていた週刊漫画雑誌を、ある意味全部片づけることに成功した。
まあ、掃除には失敗した、と言い換えてもいい。
夕方、マキからメールが届いた。
文面は、
『昨日は取り乱してしまってごめんなさい。
ようやく少し、気持ちの整理がつきそうです。
ご迷惑でなかったら、明日、そちらに伺いたいと思います。
約束してくれたこと、嬉しかったです。』
という感じ。
ちなみにマキは普段のイメージに反してあまりメールを使わず、来るメールは重要な用件か連絡事項だけ。
しかもたまに来るメールがなぜかいつも丁寧語で絵文字等は一切使われないため、友達からは『マキの閻魔メール』と名付けられて恐れられているとか。
鋼も最初の頃は、本人とのあまりのギャップと、丁寧でありながら異様な迫力を持つ文面に、なんだか気圧されたのを覚えている。
「ふぅ……」
画面を操作してマキのメールを閉じると、鋼はため息をついた。
ぼんやりと、携帯の画面を眺める。
実は鋼のアドレス帳には、真白の電話番号とメールアドレスも入っている。
他ならぬマキが、「友達同士には仲良くなってもらいたいから」と言って、鋼に教えたものだ。
だが、今その番号に電話をしても、誰も出る者はいない。
彼女は、もうすぐ滅んでしまうという向こうの世界にいるのだ。
そしてずっと目をそらしていたが、向こうの世界の滅びを回避しなければ、アスティやララナ、ミスレイ、リリーアにキルリスといった、向こうの世界の知り合いも全員死んでしまう。
「参った、なぁ……」
鋼はずっと、世界規模の危機なんて鋼に解決できるような問題ではないと考えていた。そして、その考えは今でも変わっていない。
でも、今は少しだけ、解決が本当にできないのか、本当に何もできることがないのか、それをたしかめることくらいはできるのではないかと考えてもいる。
それに、真白。
彼女が向こうに渡った理由は今一つ判然としないが、その責任の一端が自分にあるのなら、できれば彼女を見つけ、彼女が望むのならこちらの世界に連れ帰りたい。あるいはせめて、マキともう一度きちんと話をさせたいとは考えている。
しかし、一番参ったことは、そのためには向こうの世界に行かなくてはいけないことだ。 実は、単純に行くのか、行かないのか、ということを言うなら、実は心の天秤はだいぶ行く、という方に傾いている。しかし……。
「問題は時間、だよなぁ……」
向こうの世界に行って真白を見つけ、そこからまたこちらの世界にもどってくるとなると、シロニャ任せではたぶんものすごい時間がかかる。行きの分のエネルギーをためるのに二ヶ月かかるのなら、帰りにも同じように二ヶ月かかるかもしれないし、転移した場所が魔法学院から遠ければ、あるいは二ヶ月の間に真白が魔法学院から去ってしまえば、真白を見つけるのにもっと時間がかかるかもしれない。
その間に魔王が復活したり、魔物が押し寄せてきたりで、真白が、あるいは鋼やその仲間たちの誰かが命を落としてしまう可能性を、鋼は否定しきれない。
「僕だって、死にたくはないんだけどなぁ……」
思わず口に出してしまった本音を、
「ん? コウ、今何か言ったかの?」
近くで猫になって丸まっていたシロニャが拾うが、鋼は何でもない、と首を振った。
ふたたび考え込む鋼を心配そうに見るシロニャの視線にも気付かず、鋼はふたたび思考に没頭する。
険しい道が、常に正解とは限らない。
すごく楽観的な見方をするなら、たとえば鋼が何もしなくても真白が一人で助かる場合、つまり自力でもどってくるか、魔王とやらを倒して世界を平和にする、なんてこともありえなくはないのだ。
死を覚悟してまで一刻も早く真白の下に駆け付けるのか、それとも鋼がそこまでする必要はないと楽な道を選ぶのか。
鋼は今、大きな選択に直面していた。
結局一日のほとんどを自室の整理という名の思索に費やした鋼は、完全に日が沈み、外が闇に包まれた頃になって、
「よし!」
ようやく晴れやかな顔で、立ち上がった。
そして、
「……シロニャ。ちょっと、話があるんだ。
外まで一緒に来てくれないか?」
「なんじゃよもー! せっかくマンガがよいところじゃったのに……」
猫形態のまま、器用に前足でマンガのページをめくるシロニャだけを呼びつけ、両親にはコンビニに行くと声をかけて、外に出る。
シロニャは、鋼に呼ばれた時こそは不満げな様子を見せていたものの、
「とうとう、決めたのじゃな。
やっぱりおぬしは向こうの世界に……」
どこか誇らしげに、だが、同時にどこか悲しげにそうつぶやくと、鋼のあとを追った。
外に出た鋼とシロニャは、ゆっくりと歩き始めた。
十一月とはいえ、今晩はかなり冷え込んでいた。
夜ということもあって、人通りはかなり少ない。
まるで世界に自分たちしかいないのではないかと錯覚するほど、静かな夜だった。
「月が、綺麗じゃな……」
「ああ」
見るといつの間にか、鋼の隣を歩いていたはずの猫は、着物を着た少女に変わっていた。
シロニャの言葉に、鋼は空を見上げる。
向こうの世界で聞いた話を、なんとはなしに思い出した。
「そういえば、向こうの月は赤いんだったよな。しかも、ずっと同じ場所から動かないんだって本で読んだよ。一度くらい、見てみればよかった。
いや、それとも……まだ、遅くないかな?」
鋼の、素直な感慨、に見えて、あることを示唆するようなその台詞。
しかしシロニャはそれをあえて無視するような形で、言葉を紡いだ。
「向こうの月は、不吉の象徴なのじゃ。
いや、象徴、ではないの。
人にとってアレは、不吉そのものじゃ」
「シロニャ?」
月の魔力がそうさせるのか、シロニャの様子も、いつもと違うように鋼には見えた。
「コウ。空に浮かぶ赤い月。アレは、魔王の封印なのじゃ」
「ま、おう…?」
鋼も以前からたびたび聞かされていた、しかし、一度もはっきりと説明されたことはなかったその存在。
それを、シロニャは今、話そうとしていた。
「魔王とは、あの世界に最初から組み込まれたリセットボタン。人の力によって挽回が絶望的なほどに魔物が勢力を伸ばした時、人の未来を刈り取るために必ず現れる、破滅じゃ。
このままの勢いで魔物が増え続ければ、聖王歴1999年12月に、あの世界で魔王が目覚めるじゃろうと言われておる」
たしか向こうの暦では聖王歴1997年だったはずなので、もう二年と少ししか時間は残されていないことになる。いや、それとも、真白の救出ということだけを考えれば、まだ二年ある、と考えればいいのか。
だが、それで鋼の決意が揺らぐことはなかった。
鋼はもう、決めてしまっていたのだ。
どうしようもないほど強固に、茨の道を歩むことを自らの心に約してしまっていたのだった。
「これは、宣言、というか、シロニャへの頼み、になるんだけど……」
そう前置きして、シロニャの顔を正面から見つめる。
シロニャの曇りない瞳も、鋼の目を正面から見返していた。
「まず、これから二ヶ月でたまるシロニャの神様としての力。それを世界移動のために……身勝手だけど、僕たちがもどるために使いたい。使って、ほしいんだ」
鋼としては、一世一代というくらいの勇気を振り絞って言ったその言葉に、しかしシロニャは、
「そうか。やはりおぬしは、覚悟を決めたのじゃな」
まるで予想していたかのようにうなずいた。
狼狽したのは鋼だ。
一方のシロニャは、まるで鋼のその反応すら予想していたとでも言うように、どこまでも泰然としていた。
「な、なんで……」
「ワシがおぬしを転生させた時、おぬしはどこにでもいるような、普通の学生の目をしとった。
じゃが、今日、外に出ないかとワシに声をかけた時のおぬしは……死に正面から立ち向かう、戦士の目をしておった」
その言葉に、鋼はハッとした。
「もしかして、シロニャ。
じゃあお前、今日僕がずっと考えていたことも、全部分かってて、それで……」
シロニャは自嘲するように笑った。
「なんとなく、じゃがな。
ふふ。ワシはこれでも神様じゃぞ。しかも、だれよりもおぬしの傍にいた神様じゃ」
そのシロニャの言葉に、鋼は唖然としながらも、どこか納得したような顔をする。
「…そっか。そう、だよな。
あ、はは。敵わないな、シロニャには……」
鋼は少しだけ笑って、すぐにまた、真剣な顔をする。
「ごめん、な。思いついた時、すぐ、話さなくて……。
やっぱりお前が、気を悪くするんじゃないかって思って」
「どうしてそう思ったのじゃ?」
本当に不思議そうに問いかけてくるシロニャに、鋼は歯切れ悪く答える。
「どうして、って。当たり前だろ。
だって結局は、僕たちだけの力で解決するのを早々にあきらめて、他の、しかもなんというか、すごく強大な、神様の力、ってのに、安易に頼るってことで、それはやっぱり、あんまりいい気持ち、しないだろ?」
よみがえるのは、シロニャの口にした、『気まぐれで人にほいほい力を授ける、力ばっかりありあまった神様に、それに安易に乗っかる愚民共』という言葉。
暴走しての言葉だったとはいえ、アレだって間違いなくシロニャの本音の一部だったはずだ。
「でもそれが分かってるのに、それでも僕は、自分勝手な望みのためにシロニャの力まで借りようとしている。
だからシロニャには、僕を怒る権利が……」
鋼の心の底からの、もしかすると初めてかもしれない、シロニャへの謝意。
しかし、シロニャはそれを、
「なんじゃ。そんなことか」
たったの一言で切り捨てた。
「そんなこと、って……」
普段のシロニャの言動からは考えられないような言葉に、鋼は絶句した。
だがシロニャは、淡々と続ける。
「ワシはただ、必要もないのに神の力に頼るやからを非難しただけじゃ。
むしろおぬしくらい切羽つまっとるなら、神の力でもなんでも、利用できるものは利用しないと怒っておるところじゃ」
「シロニャ……」
シロニャの意外な反応に、鋼はその名を呼ぶことしかできなかった。
「それに、おぬしが自分のためにワシの力を借りるのを、ワシが怒る?
そんなのはまるっきり逆じゃよ。状況がどうであれ、おぬしに頼られてワシが喜ばないはずがないではないか!」
そう口にしたシロニャの表情には、一点の曇りもない。本当にシロニャが心の底からそう思っているのが分かって、
「ありがとう……」
鋼は、それだけを口にするのが、やっとだった。
それから、お互いに照れくさそうに笑って、また月明かりの下を歩き始める。
「しかし、意外と決断が早かったものじゃな。
さすがのおぬしも、今回ばかりはもうちょっとは迷うものかと思っていたのじゃがな」
「あ、ああ。そう、だな。
真白のことがなければ、僕だってこんな決断はしなかったと思う。それに、今だって本当はどうするのが一番いいのかは分からない。
いよいよ異世界に行くって時になって、やっぱり死ぬのは嫌だって言って、逃げ出してしまうかもしれない。二か月後か、あるいはもうちょっと先か、とにかく土壇場になって、僕だけもどらないなんて言うかもしれない」
鋼は本音のつもりで言ったのだが、それをシロニャは一笑に付す。
「そんなことはないじゃろ。おぬしはやると言ったらむしろ過剰なまでにやる人間じゃよ」
「そう、かな? そういえば、マキは僕のこと、鉄砲玉みたい、とか言ってたけど」
「ほう、あのハスッパーもよく分かっとるではないか」
「誰だよハスッパーって」
いや、文脈上マキのことだろうと鋼にも見当はついていたのだが、シロニャのネーミングセンスは鋼の理解を軽々と飛び越してくる。
「というかじゃな。この時期に決断したのはちょっとは意外じゃったが、ぶっちゃけまあアレじゃ。
おぬしは誰が何を言おうと、結局は向こうの世界に行くじゃろうなとはワシも思っておったのじゃ」
「マジか……」
そんなに鉄砲玉だと思われていたのか、と鋼はちょっと落ち込んだ。
しかし無理矢理に立ち直る。
「ま、まあ、そういう評価を一新するためにシロニャに話したワケだしな!
僕は生まれ変わった! これからは一人で突っ走ったりしない!
どんな難題も仲間との友情パワーで全部解決していくんだ!」
「なんかそれもうさんくさいのう……」
胡乱なものでも見るような目で鋼を眺めるシロニャ。
そのシロニャに、鋼がふたたび頭を下げる。
「……というワケで、ラトリスとクリスティナにもこのことを伝えてほしいんだけど」
「おぬし……。新しく生まれ変わったとか友情パワーとか言いながら説明は他人任せじゃとか……あ、まあ、おぬしとワシはぜんぜん他人なんかじゃないのじゃけどな!?」
後半部分は綺麗にスルーして、鋼も答える。
「いや、だってさ。さすがにこういうの、僕からじゃ話しにくいだろ?」
体を張って頑張ります、みたいなノリは、自分で言うのはちょっと照れくさいのだ。
それをくみ取ってくれたのか、シロニャはうなずいてくれた。
「まあ、分かったのじゃよ。
おぬしに頼られてうれしくないはずない、なんて言ったばかりじゃしな」
「ありがとう、シロニャ」
お礼の言葉を口にしながら、鋼は自分が今までいかに一人で突っ走っていたのか自覚する。こんなに以心伝心な神様とか、呼んだらすぐに飛んできてくれる相棒とか、自分には変わり者だが心の温かい、得難い仲間がいる。
これからは仲間を信頼して、一緒に頑張って行こうと決意を新たにした。
さしあたっては、まず、
「それじゃ、シロニャ。コンビニに着いたら、何でも好きな食べ物、一つ買ってあげるよ」
こんなところから始めてみるのもどうだろうか。
そう思って鋼が申し出ると、
「よーし! ならばガリ〇リ君じゃ!
ワシはあの、誕生日やお正月などにしか食べられないという超高級氷菓子、ガリ〇リ君を所望するのじゃ!」
「どんな生活環境!?」
とまあそのような感じで、この寒い中アイスを買うためにコンビニに走るシロニャを見送って、鋼は、
「ほんと、安上がりな神様だなぁ……」
とつぶやいたのだった。
家に帰った二人は、そこで別行動。
予定通りにシロニャがラトリスとクリスティナに説明をしている間に、鋼が両親と話をすることになった。
まさに昨日の今日ではあるのだが、もう鋼の決心が翻る可能性がないのであれば早めに話しておくのが、また家を出ようという鋼の最低限の誠意というものだろう。
かといって、両親に全てを話して不安がらせることもない。
さすがに魔王がどうとかいう話や、向こうに行く手段とかそういう具体的な話は伏せて、ただ鋼が決断して、向こうの世界に渡ることを決めたということは正直に話した。
母親にはまた少し泣かれたし、何度も考え直さないかと言われたが、鋼の決心が固いことを知ると、二人は鋼の門出を応援して、精一杯サポートしてくれると言ってくれた。
その言葉に、鋼まで思わず涙ぐみそうになった時、
「コウ? こっちの話は終わったのじゃが……」
先にラトリスたちに説明を終えたらしいシロニャが顔を出した。
「ああ、今行くよ」
湿っぽい雰囲気は苦手だ。
鋼はこれを幸いと、シロニャと一緒に行くことにした。
「ラトリスたちは、認めてくれた?」
自分の部屋に向かいながら、シロニャに小声で尋ねる。
その返答は、
「もちろん! 鋼の勇気に二人とも感動しておったぞ!」
そんな、すごくいい返事だった。
「そうかぁ……」
対する鋼の返事はちょっと微妙だ。
実はラトリス辺りなら、
「その志は立派ですが、ハガネ様にそんな危険な事をさせる訳には参りません」
とか言って反対してくれるかもなぁ、とちょっとだけ思っていたのだ。
まあ実際にはそんなに危ないワケではないだろうし、向こうの世界の人の命の価値って、色々な意味でモスキート級みたいだしそんなものか、と鋼は納得することにした。
何だかそんなことで一日葛藤していた自分がちょっとバカみたいではあるが、逆に言えば仲間のお墨付きを得たのだ、と頭を切り替える。
「コウを連れて来たのじゃぞ!」
となぜか自慢げなシロニャに続いて部屋の中に入った。
入るとすぐ、やけにテンションの上がったクリスティナが飛びついてくる。
「えへへ! ハガネさん! 向こうの世界に帰るんですよね!
すぐ荷造りを始めましょう! さぁ! さぁ!」
「いやそんな今すぐは無理だから!
僕だってこっちで色々やらなきゃいけないこともあるし!
心の準備だってできてないし!」
苦心して、クリスティナを引きはがす。
「うぅ。こっちでやらなきゃいけないことって何ですか?」
「それこそ荷造りとか転移の下準備とかは必要だよ。
それに、何が起こるか分からないんだし、シロニャのエネルギーはできるだけたまっていた方がいいだろ」
「神の力が足りないのに転移なんかにチャレンジしたら、最悪次元のはざまに飛ばされて、*いしのなかにいる*状態になる可能性もあるのじゃ!」
よく分からないがシロニャも援護射撃をしてくれた。いいぞもっとやれ。
「それじゃ、いつから荷造りですかぁ?」
さらに食い下がってくるクリスティナ。
「何でそんなに荷造りしたいんだよ……。
まあこれは完全に僕の都合になっちゃうけど、クリスティナが向こうで学校に通ってるように、僕もこっちで学校に行ってるんだ。
今年度が終わるまで、なんて言わないけど、最低でも二学期が終わって冬休みになる12月20日までは、こっちで学校に通いたいと思う」
「じゃあ12月21日から荷造りですか!?」
すかさず斬り込んでくるクリスティナ。
「……まあ別に、荷造りくらいしたいならしてもいいけど。
だけどこういうのってタイミングとか思い切りの問題もあるから、僕はクリスマスを節目にしたいと思う」
某神様的には間違いなく特別な日だし、こう、聖夜に行動を起こすなら、何でも踏ん切りがつくような気も……しなくもない。
「クリスマス、12月25日じゃな。ワシの力がもどるのを1月10日前後とすると、そこまで二週間と少しと言ったところか」
そこで絶妙にシロニャが補足してくれる。いまだ本調子ではないラトリスの秘書キャラポジを奪う勢いである。
「二週間で何かをやるっていうのはなかなか難しいけど、シロニャの力がたまっても転移自体は先延ばしにできるんだし、二週間でも手がかりくらいはつかめるかもしれない。
だからクリスマスまでは各自のんびり過ごして、とりあえずそこからの二週間で情報収集、魔王や世界転移の方法を探る、でどうかな?」
「全体の方針としては問題ありません。けれど、マシロ様については何も手を打たなくて宜しいのですか?」
鋭い質問がラトリスから飛ぶが、
「まあ、魔法学院にいるって聞いたし大丈夫かなと思ってる。彼女については、見つからなかったらその時にあらためて考えるしかないと思う」
「そういう事ならそれで構いません」
すぐに納得してくれた。
そこからは質問もなく、
「じゃあとりあえず、基本方針はそんな感じで。
ま、一応魔王に挑もうなんて大きな話にもなってるし、慣れない世界で焦る気持ちもあるかもしれないけどさ。
みんな、イブの夜までは休暇だとでも思ってこっちの世界をのんびり楽しんで、クリスマスからまた動き出そう」
なんて適当にまとめた鋼の言葉にも、
「任せるじゃ!」「承りました」「分かりましたぁ!」
元気な返事を頂いた。
「あー、でも待った。早めに準備できる物は色々あるからね。
ラトリスにはタナトスコールを付加した武器を用意してもらって、突発的な事態にも備えて、できればクリスティナにも『血縄の絆』の代わりになるような……え? どっちも簡単にできるの?
でも『血縄の絆』はそう軽々しく……えぇ!? 使い捨てのもっと簡単な術式がある? じゃあ何で自分にもそっちを使わなかったよ!
て、クリスティナ! お前ホントは話全然聞いてなかったろ! まだ荷造りは早いんだって! というかお前もう帰りたいとかじゃなくて荷造りしたいだけだろ!
そしてシロニャァアアア!! 床にガリ〇リ君をこぼしたのなら……」
そんな風に、マイペースすぎる仲間たちにわーわー騒いで指示を出しながら、鋼は、
(これが、仲間と共に歩む、ってことなのかな?)
なんて、ちょっと調子に乗ったことを考えていたという。