表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天啓的異世界転生譚  作者: ウスバー
第十二部 賑やか帰還編
70/102

断章6


「これがホンモノの電波って奴か、しょーじき甘く見てたわ……」


 マキさんに誘われて入った喫茶店、その一番奥のテーブルで、マキさんが額を手で押さえながらそんなことを言いました。

 ちなみに『電波』というのは通信に使う電気の波のことで、ビビッとくるらしいです。よく分かんないですか? わたしもよく分かんないです。


 マキさんは泣いているわたしを強制的に立ち上がらせると、おごるから何か食えと言って喫茶店に連れ込みました。

 そこで事情を話してくれと言われたので、わたしはラーナにある魔法学院の学生だったのだけれども事故で世界移動をしてしまってここに来たのだと説明したんです。

 それを聞いた時の反応が、そんなのでした。ちょっと落ち込みます。

 やっぱりこっちの世界だと魔法とかはあまり一般的ではないせいでしょうか。あんまり信じてもらっていない気がしました。


 しかしここで落ち込んでしまうのは二流のすることです。

 友達から『空気クラッシャー』と呼ばれるほど気遣いが出来るわたしは、空気が固まってしまう前にここで違う話題を振ることにしました。

「そ、それで、マキ、さんはお買い物ですか?」

「あたし? あぁ、そんなもんかな。探したい物があって」

 さらっと答えるマキさん。

 何だか早々に話が終わってしまいそうな気配ですよこれはまずいです。


 わたしは必死で食らいつきます。

「へ、へー。何買いに来たんですか? く、車ですか? ビルですか?」

 というかわたし、その二つしかこの世界の物をまだ知りません。

「や、一介の女子高生がそんな物を買いに来たりとかしないから」

 マキさんのわたしに対する『不審者を見る度』が30から60に跳ね上がりました。

 ちなみにこれが100を超えると『通報』されて『警視庁』というのがやってきて、『タイーホ』されてしまうらしいです。

 でも『警視庁』っていうのは『キャリア』と『こわもて』という生物が生息している建物の名前らしいんですよね。

 建物が追いかけてくるとか、さすが異世界ハンパないです。


「じゃ、じゃあ、何を買いに来たんですか?」

「え? ああ、正確に言えば買い物じゃなくて探し物だって」

「探し物?」

「もっと正確に言えば、探し人、かねー」

 そこでマキさんは少し遠い目をしました。


 それでも一流気遣い人たるわたしはこんなところで負けたりしません。

 果敢に話しかけます。

「あ、あの、人探し、では?」

「そーそ。それそれ」

 とても軽い調子です。

 この人にとってはどっちでもいいみたいですね。

「それで、どなたを探しているんですか?」

「んー。そういやあんたに聞くのも手か」

 そう言うと、マキさんはどこからか手のひらサイズの小さな絵を出して見せました。

 ハガネさんの知識からすると、『携帯電話』と言うらしいです。


 ちなみに『携帯電話』とは電波を使ってビビッと遠くの人とお話をしたり、あるいは文章を送ったりという通信機能のほか、今マキさんがやっているみたいに『写真』という瞬間的に目の前の映像を保存する機能とかもついてるすごいアイテムみたいです。

 携帯電話の『液晶画面』には、マキさんともう一人、控えめな笑顔を見せるマキさんと同じくらいの年の、かわいい女の子が映っていました。


「これがわたしの探してる奴なんだけど、見覚えは?」

「あ、あの……」

 わたしは少しだけ迷ったんですが、やっぱり聞かなくちゃいけないなと思って、勇気を出して言いました。

「も、もっとちがう写真はないんですか?」

「ちがう、写真?」

「は、はい。たとえば、もうちょっとこう、エッチな姿が載ってるのとか!

 あ、いえ! べつにわたしが見たいのではなくてですね!

 そういうのを見ると思い出すかな、とか……あの……」

「わるいねークリスティナちゃん。いまあいつの写真これ一枚しかないんだ。

 だから、これで思い出してもらえると助かるなぁ?」

 やってしまいました! マキさんは笑顔ですが目が笑っていません。

 そしてマキさんからの『不審者を見る度』が一気に80まで上がっています。

 そろそろチェックメイトです。


「す、すみません。見たことはないです」

 わたしは正直に言いました。

 そもそもわたしの世界では黒髪黒目の人って少ないんです。わたしの知り合いでは、やっぱりハガネさんくらいでしょうか。

 まあハガネさんはこっちの生まれみたいなので、当然と言えば当然なんですが。


 それでも全くお役に立てないまま終わったのでは申し訳が立ちません。

「その人、お名前は何て言うんですか?」

 ダメ元で名前を尋ねると、

「ん、こいつの名前? 真白。真白、夕希って言うんだけど……」

「マシロ……ユーキ?」

 なんと意外、そのファミリーネームにわたしは聞き覚えがありました。


 ――まさか、そのマシロさんという方も性王の一族!?


 そりゃあ性王なんですから、生めよ増やせよ地に満ちよを地で行っているのでしょうけど、異世界にまで親類がいるとは……。

 わたしが彼の一族の繁殖力に戦慄を覚えていると、その反応にマキさんが急に身を乗り出してきました。


「もしかして、何か知ってるの!?」

 よっぽどそのマシロさんのことが大切みたいです。

 わたしはその迫力にちょっとたじたじになりながら答えます。

「い、いえ。ご本人には面識はないんですけど、そのマシロ・ユーキさんの親戚かもしれない人を知ってるというか……」

「親戚? それ、どんな人?」

「え、えと、名前はハガネ・ユ……」

「ッ、コウ!?」

「ひぅ!」

 わたしがハガネさんの名を口にした瞬間、バンッと大きな音を立ててマキさんが勢いよく立ち上がって椅子が後ろに吹っ飛んでコーヒーがひっくり返りました。


「あーそうかぁ。あんにゃろめ。人も殺さないような顔して、こぉんな子を引っ掛けてたとはね。

 よし、そんじゃクリスティナちゃん。その話、お姉さんにくわしく話してみようか」

 そう呟くマキさんはとてもうれしそうで、顔は満面の笑みを浮かべているのに、その迫力、圧迫感はマシロさんについて話していた時以上でした。

 わたしは……、

『あの、マキさん。ちゃんとお話しますから、わたしの眼球にフォークを突きつけるのはやめてください。

 あとそれを言うなら虫も殺さない顔というか、どちらかというと人を殺しそうな顔をしているのは今のあなたの方だと思います』

 ……そんなことを思いながらも、現実にはなすすべもなく、

「は、はいぃ……」

 壊れた人形のようにコクコクと必死で首を縦に動かしたのでした。





 そこであらためて、わたしはマキさんに事情を説明しました。

 と言っても、さっきした話にハガネさんの話を付け加えただけなんですけど、それだけでなぜかマキさんには説得力のある話に変わったようでした。

「あいつが15歳とか、貴族の生まれとか、ところどころ信じらんないけど……。

 そのすっとぼけた性格を聞く限り、まー間違いないかなー」

 マキさんいわく、ハガネさんはこっちの世界ではちょっと変わったところはあったけれど、普通の人だったみたいです。


 性王の子孫で今は英雄と呼ばれているハガネさんが普通の人だったなんて、わたしには信じられませんでした。

 それをマキさんに話すと、

「ま、変に誤解とかされそうなとこも、あったしね」

 となぜか微妙な顔でうなずいていました。

 そしてさらに、わたしに対する『不審者を見る度』まで90に上昇。なぜ!?

 この世界って、本当に理不尽だなと思いました。


 今度はマキさんが事情を話してくれました。

 さっきのマシロという人はこの人の親友だったのですが、ハガネさんがいなくなって十日ほど経ったある日、突然いなくなってしまったのだとか。

 残されたのは、携帯の『メール』というのでマキさんに送られた、ちょっとしたメッセージだけ。


 その内容は要約すると、『ハガネさん見つけたから追いかけて異世界に行ってきます! キャハ☆』とのことです。

 どうやってハガネさんを見つけたのか。いかなる手段で異世界に向かったのか。本当にキャハ☆は要約に入れる必要があったのか。全ては謎に包まれています。


「ま、そんな事情でね。最後に一緒にいた時、あいつはこの辺りで何かを見つけたみたいだからさ。

 あたしはその手がかりっていうか、あいつが見つけたもんを探してたびたびここを探ってるってワケ」

「はぁー」

 でも、だとするとその友達がいなくなってから一月以上、この人は親友を探し続けていたことになります。

 この人は、見かけによらずに一途というか、友達思いというか、あ、いえ、見かけによらずとか言ったら失礼ですよね。

 ……それとも、もしかするとハガネさん目当ての部分もあるのでしょうか。


「あ、あの!」

 わたしはその辺りを聞いてみることにしました。

「ど、どしたの?」

 わたしは少しだけ迷ったんですが、やっぱり聞かなくちゃいけないなと思って、勇気を出して言いました。

 あれ、なんかデジャヴ?


 でもわたしの口は勝手に動いていました。

「は、ハガネさんとの関係をお聞きしてもいいですか!?」

「あたしと? もしかして、恋人だったとか、そういうの疑ってる?」

 マキさんがどこか不機嫌そうな、もしくは痛い所を突かれたというような顔でそんな風に問い返してきました。

 たしかに今の聞き方ではそう取られても仕方ありません。でも、違うんです。

「そ、そんな大それたこと、聞こうと思ったんじゃないんです。だって、相手はハガネさんだし。

 だから、ただ……関係、あったのかな、と」

「なんだそんなこと? そりゃクラスメイトだし無関係ってこともな……」

「肉体関係! あったのかな! と!」

「…………」

 わたしが肝心な部分を強調してそう尋ねると、マキさんは急に黙り込んでしまいました。


「さあって」

 そして、コーヒー(二杯目)を何事もなかったかのように飲み干すと、立ち上がってわたしの腕をつかみました。


「クリスティナちゃん。これからちょぃぃっと、外行こうか?」


 あれ? もしかして今ので100越えちゃいました?

 わたし、もしかしてタイーホですか?


 真っ暗になる視界と未来。

 その暗闇から、こわもて満載の警視庁が砂煙をあげて迫ってくる幻覚が見えました。シュール!!





 残念、いえ、幸運なことに、そのシュールは現実になりませんでした。

 わたしが連れて来られたのは、人気のないさびれた公園です。

 これってまさか……わたし、誘われてるんでしょうか!?


「魔法っての、ここでもちょっとは使えるんでしょ? それ、見せてくんない?」

 もちろん違いました。

 マキさんいわく、信じたいけど証拠がないとさすがに厳しいから、実際に魔法を使って見せてほしい、とのことです。


「火属性の魔法、とか得意なんだっけ? 何が使えるの?」

「ええと、『キャンプ・ファイヤー』とかなら」

「わ。学生っぽいね。それでお願い」

「はい!」


 と元気よく答えたものの、わたしは少し不安でした。

 こっちの世界でも本当にきちんと魔法が使えるのでしょうか。

 そんな不安を押し隠して、わたしは呪文を紡いで、

「燃え上がれ! キャンプ・ファイヤー!」

 わたしの杖から、燃え盛る火炎が湧き出てきました。

 もちろん威力は十分の一、向こうの世界に比べると大したことはないのですが、

「すっご! 人間火炎放射器!」

 マキさんもよろこんでくれたみたいで、やっぱりうれしいです。

「充分な威力あるじゃん。これ、やっぱりキャンプで使うの?」

「はい! 主な用途は陣地の焼き討ちですね。本来なら野戦用のキャンプを全焼させる程度の威力が……えぅ!」

 はたかれました。何で?


「あんたさぁ。異世界人だから電波なのかと思ったけど、もともとなんだね。読み違えてた」

「で、電波って何ですか!?」

 ビビッと来るんでしょうか?

 一目ぼれだったんでしょうか?

 やっぱり誘ってるんでしょうか?

 もうこのネタいらないでしょうか?


「あんた……向こうで天然とか言われてたでしょ?」

「は、はい。そういえば、たまに……」

 わたしがうなずくと、マキさんもやっぱりとばかりにうなずき返してきました。

「なーんかゆっきーに似てんなーと思ったら、やっぱその天然なところが似てんだよね」

「はぁ。そう、なんですか?」

 天然ってどういう意味なんでしょうか。

 向こうにいた時は、魔法で体をいじったりしてないって意味だと思ってたんですけど、もしかして違う意味なんですかね。


「あー、まあ、それはそれとして」

「はい?」

「あんたこれから、この世界では……」

「はい!」

「じゅもんつかうな!」

「は、い…?」

 過酷な命令をされました。



「な、なるほど……」

 この世界では魔法を使える人はいないそうです。

 で、もし不用意に魔法を使っているところを誰かに見られたら、警視庁よりも怖い黒づくめの『CIA(中央情報局)』や『KGB(国家保安委員会)』がやってきて、拉致られて拷問されて実験させられて解剖されちゃうらしいのです。

 というか中央情報局とか国家保安委員会とか意味分かりません。外国語ですか? ……あ、異世界語でした。


 そんなワケで魔法を封印することに不承不承納得するわたしです。

 エッチな拷問に興味がないワケではないですが、痛い拷問はぜったいに嫌ですからね!

「うーん」

 しかし困りました。

 わたしから魔法を取ったら何が残るでしょうか……。

 ……間違いなく、エロだけです。

 エロ百パーセントです!

 まあ、それはそれで。


「じゃ、次、行くよ」

 そんなバカな考えにひたっていたわたしの手を、マキさんが引っ張って歩きます。

「え? い、イクって、どこにですか?」

 マキさんはわたしを、どんな世界に連れて行ってくれるのでしょうか。

 そんな期待を込めたわたしの視線を、マキさんは真っ向から受け止めて、にやっと笑いました。

「ご両親のとこ」

 まさかのご成婚コース!?





「鋼さんのクラスメイトで、三枝 牧と申します。突然お伺いしてすみません。実は息子さんのことでお話があるんです……」

 というワケで、ハガネさんの家です。

 いえ、もう皆さんそんなことありえないって分かってましたよね。

 わたしだってなんか薄々、そんなことだろうと思ってましたよ。……ほんとですよ?


 そこからはもうマキさんの独壇場でした。

 ハガネさんのお母様と、それから遅れて帰ってきたお父様にも、順序立ててわたしたちの事情を話してくれました。

 わたしは時々相槌を打つくらい。


 ただ、一度だけ役に立ったのは、マキさんが、

「じゃ、クリスティナちゃん。ちょっと魔法、使ってみてくれない?」

 と言ってくれた時くらいです。



 魔法を使うなと言われたばっかりだったので、わたしはびっくりしました。

「いいんですか?」

「いまだけね」

 マキさんからお許しが出ました。なら、張り切っていきましょう!


「……偉大なる火の化身、レッドドラゴンよ。今こそその吐息をもって、全てを焼き尽くせ! ドラゴン・ブレ……ひゃっ!」


 突然マキさんがわたしに襲い掛かって口をふさいできました。

「あのさ。ここ、家の中なんだ。燃えたら、困るんだ」

「……ん、んん」

 マキさんは例の、人を殺しそうな目をしていました。わたしは必死でうなずきます。

「分かった? ……じゃ、何か言うことあるよね?」

 そう念押しされ、わたしはようやく、口を解放されました。


「ぷはっ!」

 わたしは大きく息をついて、それからきちんとマキさんの目を見つめて、言います。

「マキさんの気持ちはうれしいですけど、わたし、初めては男の人がいいで……はぐ!」

「な、に、か、言うことは?」

「ご、ごめんなさいぃ……」

 もしかするとわたし、マキさんのこと苦手かもしれない、と思った一瞬でした。


 そこからの話はスムーズに進みました。

 生存は絶望的だと思われた自分たちの息子が生きているかもしれないと分かって、ハガネさんのお父様とお母様はとても喜んで、わたしも少しもらい泣きしてしまいました。

 そのあと、ハガネさんが『きょにゅー』を『ぼっき』でやっつけて、『ぼっきで勇者』なんて英雄になったと話したら、二人ともまた目頭を押さえていました。よく感動する人たちだと思います。


 マキさんはそれから、自分の親友のマシロさんも異世界に行った可能性があること、自分は引き続き二人の捜索を続けることなんかを話していたようです。

 そして最後に、ハガネさんが戻ってくる手がかりになるかもしれないし、行き場がないのなら、とハガネさんのご両親がわたしをしばらく引き取ってくれると約束してくれました。

 驚きの、そしてびっくりするほどありがたい提案で、わたしはしばらく何も答えることが出来ませんでした。













「そして今に至るのでした、と」

 わたしが結城家に引き取られてから四十日ほどが経ちました。

 お母様とお父様はとても優しくて、こんなわたしにも親切にしてくれました。

 これで君もこの家の一員だよ、と家の合鍵を渡してもらった時は涙が出るほどうれしかったですし、わたしのことはおばさんじゃなくてお母さんと呼びなさい、と言われた時は本当に泣いてしまいました。

 今ではお父様、とお母様、で定着しています。

 あと携帯も買ってもらいました。スマホです。マキさんとはよくこれで連絡を取っています。


 お二人には本当に感謝しているのですけど、日本人にはありえない赤髪赤目は非常に目立つことと、やっぱり法律的にわたしはこの世界にはいない存在なのでバレたら色々まずいこともあって、恩を返す手段があまりないのが口惜しいところです。

 せめて家事で貢献しようとしたのですが、これがまた火事にしかなりません。

 いえ、ダジャレではなく。

 わたしにはあまり家事の才能はないようで、電子レンジを使えば卵を入れて電子レンジを爆発させ、ガスコンロを使えばフライパンを溶かし、オーブンを使えばメルトダウンを起こし、という具合でお母様にも早々に匙を投げられました。

 最近では簡単なお掃除くらいしかやっていない自分がふがいないです。


 逆に、そうやって悶々としているわたしを気遣って、お母様の方が簡単な仕事を割り振ってくれる始末。

 ただ、完成した合鍵を外に隠してくる仕事、あれだけは頂けないです。 

 思い出すだけで震えがとまらないのですが、あれはわたしがこの家に来て、一週間くらい経った頃。



 仕事が出来ないことが露見して、すっかりうなだれていたわたしに、お母様がこう言ってくれました。

「いつ鋼が帰って来てもいいように、このスペアキーを家の先祖代々の隠し場所にこっそり置いて来てくれる?」

「は、はい!」

 もちろんわたしは喜び勇んでうなずいたのですが、それが間違いでした。


「いい返事ね。じゃあこのスペアキーを家の横にある右から二番目の植木鉢……」

「あ、そこなら分かりま――」

「……から東に三歩、南に五歩、そこから90度左を向いて十七歩進んで、その場で右か左、自分の好きな方向に540度回転して、その時思い浮かべた1から9までの数字を倍にして八百一を足して四十で割った数を四捨五入して整数にした分だけ前に進み、そこから左に270度ターンした後、三歩進んで二歩下がる動作を五セット繰り返した場所に隠してきてちょうだいね」

「わ、わ、わわ、分かりました…!」

 わたしはその場で右に180度回転しようとして、

「で、でももう一度言ってください。メモ、取りますから!」

 振り返ってあわててメモ帳のところまで走りました。


 三回繰り返してもらって、何とかそれをメモ帳に書き取って、

「大丈夫? 今ので分かった?」

 というお母様の心配そうな言葉に、

「だ、大丈夫です。い、行ってきます!」

 そんなやせ我慢の言葉を返して、出発です。

 あれ、こいつ本当は分かってないんじゃないか、みたい視線が後ろからガンガン突き刺さってきます。まるで針のすのこです。アイアンメイデンです。逆ハリネズミになってしまいそうです。


 しかしわたしはそれを振り切って外に出て、件の植木鉢を見つけ、そこから東に三歩、南に五歩進……めませんでした!

 南に五歩も歩いたら、隣の家の敷地に入ってしまうのです。

「ど、どうしよう……」

 これは、塀を乗り越えろということなのでしょうか。

 でも、マキさんは勝手に他人の家に入ったらタイーホ、と言っていました。

 キャリアがすし詰めになった警視庁がわたしにのしかかってくる幻影がひさしぶりに現れます。この未来だけは回避したいです。


 結局、ずっとその場でおろおろしているわたしに、お母様が真相を教えてくれたのは二時間後のこと。

 これは要は数字のトリックという奴で、この通りに進むとどうやっても必ずスタート地点に帰ってくるらしいのです。

 わたしはお母様に手伝ってもらって、泣きべそをかきながら植木鉢の下に鍵を隠しました。

 だからこれは半分だけ嫌な思い出で、半分だけうれしい思い出です。



 そのような経緯もあり、今のわたしに任された主な仕事は、

「うん。今日も掃除おわり、です」

 いなくなってしまった、ハガネさんの部屋の掃除、です。


 同じ年頃だから、とよく分からない理由で任されたこのお仕事。

 もちろんわたしは全力でこなしました。

 ベッドの下はもちろん、百科事典の裏も、机の引き出しの底も、押し入れの奥までも完璧に掃除しました。

 なのに全然、エッチな本が見つからな……もとい、お役に立てている気がしませんでした。


 そこでわたしが目をつけたのが、パソコンです。

 現代の風俗についてもっと勉強したいから、とお母様に言って許可をもらい、徹底的に調べました。

 ここで全ての本棚の本の中身をたしかめたことが思わぬところで役に立って、分厚い類義語辞典の間からハガネさんが使ってるパスワードは入手済み。

 わたしはパソコン入門書を片手に、三日間に渡ってねっちりみっちりとした捜査を行い……そして、ついにハガネさんの秘密フォルダを発見しました!



 その秘密フォルダに何があったのか。

 それはあんまりにも秘密すぎてとても口には出せません。


 ただ一つだけ言えることは、ハガネさんは魔法少女だって全然イケる口だってことです。

 何だか俄然、勇気が湧いてきました。



 だからその日の夜、わたしは勇気を出して、初めて自分の力で、ハガネさんのために出来ることを考えて、お母様とお父様に提案しました。



 それは、『ハガネさんの好きな週刊少年漫画誌を毎週買っておく仕事』です!



 部屋を掃除して思いました。

 もしハガネさんが帰ってきた時、あの海賊王のマンガや、あの銀髪侍のマンガの続きが読めないとなったら、どんなに悲しむでしょう。……あんなにおもしろいのに。




 その仕事は当然今に至るまで続いていて、わたしが買った分のマンガがもう山を作っています。

 これをメンテナンスするのもわたしの仕事。

「じゃあクリスちゃん、お買い物行ってくるわねー!」

 と言って、いつものタイムセールに向かうお母様を見送ると、次はマンガメンテの時間です。


 どうしてもマンガ表面にたまってしまうほこりを払い、次は中身のチェック。

 折れたりしていたら大変とわたしはページを一枚一枚めくってたしかめます。

「ふーむ」

 その途中で、わたしはうなってしまいました。

 何もマンガの保存状況がおもわしくないワケではありません。

 ただ、この生徒会マンガのルビ振りのセンスはさすが過ぎると思うのです。

 ほんともう、毎回脱帽させられます。

 言ってみれば、『(バニシング)(ハット)』という感じでしょうか。だいぶ違う気もします。



「あれ?」

 気が付くと時間がバニシングしていて、ハッとしてしまいました。

 そろそろお母様が帰ってくる時間です。


「……ったら……か………言えば………は…いか!!」


 外から話し声が聞こえてきました。

「お母様!? お迎えにいかないと…!」

 わたしは階段を転がり落ちるみたいに駆け下りながら、玄関へ。


 お母様はいつも、わざわざ出迎えなくていいのよ、と言ってくれますが、やっぱり誰かが家にいて、扉を開けてくれるというのはいいものです。

 だからせめて、わたしはこの出迎えの習慣だけは絶やさないようにしているのです。


 今日は油断していましたが、わたしは玄関が開く前に、何とか扉まで着いて、


「………け…よ」


 何を言っているかは分かりませんでしたが、外から漏れ聞こえてきた声に、お母様が帰ってきたことを確信しました。


「あ、帰ってきたんですか? 今開けますね」


 いそいでやってきたことなんておくびにも出さず、わたしは鍵を開きます。


 満面の笑顔を用意して、わたしはゆっくり扉を開いて、そして……。







「お帰りなさ……あ、れ? あなた、は……」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ