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天啓的異世界転生譚  作者: ウスバー
第十二部 賑やか帰還編
69/102

断章5

「ふわぁあああああ」

 わたしの朝は、そんな大きな大きなあくびから始まりました。

 あ、でも、そんなに責めないで欲しいんです。

 だって、誰だって親類縁者どころか知り合いの一人もいないような異世界にやってきてしまったら、困って困って眠くなるのが道理というものです。……たぶん、そうです。きっと、いえ、ぜったいそうだと思うんです。


「異世界、かぁ……」

 部屋の壁にかかった魔法学院の制服を眺め、わたしはもう一度大きく口を開け、今度はあくびの代わりに大きな大きなため息を吐き出しました。

 あらためてつらい現実を思い出してしまって、わたしは若干へこんでいました。

 二ヶ月前の何も知らない幸せな自分を思い返すたび、自業自得とはいえ、遠くに来てしまったなぁ、という思いはどうしてもぬぐいされません。


 けれどわたしは、そこでハッと気づきました。こうして腐っていても仕方ありません。人というのは自分にやれることをやるしかないのだとあの人も言っていました。

「でも、わたしにやれること、ってなんだろう……」

 魔法、でしょうか。でも、それだって……とまたネガティブな方向に考えが向きそうになるダメなわたし。

 どうも朝というのは後ろ向きなことばかり考えてしまって困ります。


 そこでわたしは、自分のお気に入りのフレーズを心の中で唱えることにしました。


 ――心はボロでも、故郷は錦。


 これは、あの人が教えてくれた日本のことわざです。意味はよく覚えてないですけど、きっと心がボロボロになっても故郷を思えばがんばれる、という意味だと思います。


「心はボロでも、故郷は錦」


 もう一度、口に出して唱えます。うんうん。だんだんと気分が上向いて参りました。

 そこで大きく伸びをして、窓を開けて外の光を目いっぱいに取り込みます。


 かくしてわたしは、ようやく一日の始まりを前向きに迎えることができたのでした。




「これで、よし!」

 わたしは朝の諸々の身支度を済ませると、最後に一張羅でもある魔法学院の制服に袖を通します。

 ――そう、これがわたしの戦闘服。

 まだ見習いとはいえ、いかにも魔術師然とした雰囲気を演出してくれるデザインで、この服も今ではわたしのアイデンティティを支えてくれる大事な物となっているのです。


 部屋の姿見に向かって、わたしは自分の姿をたしかめます。

 服に乱れは……ありません。

 今日も格好だけはピッカピカです。

 何しろ特殊な素材を使っているこの服は、何度洗濯をしても色落ちしたり糸がほつれたりということがありません。

 わたしの親友のようにオシャレに関心が高い人は敬遠するこの服ですが、そう捨てた物ではないとわたしは思います。この服はいつだって、まるで新品のような着心地をわたしに提供してくれます。


「あっとっと」

 制服の素晴らしさに感動している場合ではありません。

 次に髪の毛のチェック。

 こちらも……たぶん大丈夫そうです。

 火の精霊の加護を受けている証である燃えるような赤毛と炎のように揺れる瞳が、鏡越しにわたしを見返していました。

 と、そこで時間切れ。

 

「クリスちゃーん! 朝ご飯できたわよー!」


 階下から聞こえるお母様の声に、


「はーい! 今行きまーす!」


 勝手知ったる他人の家。

 すっかり慣れた様子で返事を返すわたしがいます。


 結城家にご厄介になってはや四十日。


 わたし、クリスティナ・ラズベルがどうしてこのような状況に陥ったかを説明するには、四十日前のある酒盛りの夜にまで時を遡らなければなりません。








 その夜、学院図書館から帰ってきたリリーアさんとハガネさんを出迎えて、その後リリーアさんの提案で、監禁部屋脱出のちょっとしたお祝いと、三人のお別れ会を兼ねて三人……と白猫さん一匹とでお酒を飲みました。


 リリーアさんは予想通りすぐに潰れてしまって、神様のお使いだという白猫さんもすぐに酔っぱらってハガネさんにじゃれついていました。

 そこで、一人だけお酒を飲まなかったハガネさんとまだ生き残っていたわたしとで、二人きりで宴会の片づけをして、少しだけですけどお話をしました。


 実はハガネさんについては、性王なんて人の子孫だし、どんなに優しそうな男の人も下半身は別だって聞くし、もしかして襲われちゃうかな、なんて思っていたのですが、それはわたしの誤解でした。

 ハガネさんは最後までわたしに紳士的で、何だかきゅんと来てしまいました。

 その時に確信したのです。


 ――真の性王とは、がっつかないものだ、と。


 あれくらい優しくてかっこよければ、女の人なんて向こうから寄ってきてしまうのでしょう。だから彼はきっと、性王でありながら、誰よりも紳士なのです。

 それに、わたしは見ていました。

 二日目の朝。白猫さんが耐え切れずに声を上げてしまったのですぐにやめてしまいましたが、ハガネさんが白猫さんを撫でている時の手つきのエロさときたら、尋常じゃありませんでした。

 まだわたしたちと同い年だそうですが、あの技量で確実に百人斬りくらいはもうヤッてしまっているとわたしは確信しています。


 一日目の夜に、いつ襲われるのかと布団の中で震えながらドキワクしていた自分をわたしは恥じました。

 それに、あのリリーアさんとの親しげな様子。

 あの二人は確実にできています。昨日だって、たぶんわたしがいなければ夜の魔法対戦を……とそこまで考えたところで鼻の奥にツーンとした感覚。

 どうやら鼻血が出てしまったようです。

 わたしは急いで洗面所へと駆け込みました。




「いけないいけない。二人ともお友達なんだから、そういう妄想はひかえないと……」

 鼻血を止めた後、洗面所の鏡に向かってわたしはそう言い聞かせました。

 それから深呼吸をして心を静めて、もう一度部屋にもどろうとして、


 ――もし、わたしがいないのをいいことに、二人が『おっぱじめて』いたらどうしよう。


 わたしの手は止まりました。

 そして、鼻血さんリターンズ。

 こんばんは鼻血さん、また会いましたね。今夜もあなたとは長いお付き合いができそうだよ。

 わたしはすぐさま洗面所に舞い戻りました。


 それからすぐに鼻血は止まりましたが、なんとなく恐くて部屋に続く扉が開けられません。

 今晩は魔法の実験をしようと思っていたのにどうしたものか、とわたしは途方に暮れて、そこではたと気付きました。


 ――そうか。迷うことなんてなかったんだ、と。


 やっぱり、わたしも酔っていたんでしょう。あるいは、ハガネさんにはっきり友達だと言ってもらって、浮かれていたのかもしれません。

 洗面所で魔法の実験をしてみようと思いつきました。





 一応万能の魔術媒体である魔法の杖は持っていますし、アイテムボックスは当然身に着けています。

 それに、洗面所という密室は、実験で大きな音を立てても隣の部屋にいる二人を起こさない、というメリットもあります。

 冒険者カードとかの貴重品、それに肝心のアイテムボックスと魔力を同調させる補助具は部屋の中ですが、その辺りはありあまるやる気で何とかなるはずです、きっと。


「よし!」

 気合は十分、やる気も十分。

 これから試すのは、アイテムボックスの効果を魔法によって発動させる大魔法です。

 いくら気合を入れても入れすぎるということはありません。


 さて、では実際の作業を開始です。

 まず、アイテムボックスを起動。

 異次元とつながる感覚を頭の中に刻み込みます。

 それから集中して集中して、自分に集められる限りの魔力を溜めます。

 それが終わったら、いよいよ呪文の詠唱と魔法の発動。

 呪文には、魔法言語は使いません。

 どうせ過去にはないオリジナル魔法です。魔法言語の力に頼らず、自分の魔力をうまく編み上げるためだけを考えて、自分の中でもっとも慣れている言葉を使います。


「いざ開け! 次元の扉!!」


 そう叫んでみて、一瞬、『あれ?』と思いました。

 なんとなく、いつもと感じが違ったような気がしたのです。

 ですがそんなことばかりを考えてはいられません。

 こんなわたしによくしてくれたリリーアさんのために、そして、わたしを友達だと言ってくれたハガネさんのために、この魔法は絶対に完成させなければいけないのです。


 そして今日は、なぜだか成功する予感がしました。いつもと手応えが違うのです。

(今回はきっと、うまくいく!)

 わたしはそう信じて、次元の扉を開こうと魔力を使い続け、結果……次元の扉が開くべき杖の先には、豆粒ほどの大きさの穴も、開いてはくれませんでした。




「けっきょく、ダメ、かぁ……」

 わたしははふぅ、とため息をついて、その場にへたり込みました。

「やっぱりわたしは落ちこぼれなんですかねぇ」

 口からネガティブな言葉が勝手にこぼれ落ちていきます。

 さっきの翻訳魔法の実験だって、成功したと思ったのに結局失敗。わたしは自分の感覚すら、もう信用出来なくなっていました。


 もう嫌になるなぁ、とわたしは視線を横に流して、

「じ、じ、次元の、扉?」

 足元、わたしが魔法を使ったのとは1メートルほど離れた場所に、とんでもない物を見つけたのです。

 信じがたい思いで、観察します。猫が一匹、通れるか通れないかというくらいのほんの小さな穴ですが、そこにはたしかに次元の扉らしき物が出来ていました。


「どうしてこんな場所に?」

 わたしは首をかしげますが、そんなことは大した問題ではありません。

 きっと次元の扉が出来やすい場所とかがあったのでしょう。時空間が安定しない揺らぎの場所とか、以前に誰かが次元移動をした場所とか……。

 何だか考えている内にそんなバカなことあるはずないような気がしてきましたが、でもきっとそうなんです。そうだと決めたからそうなのです。


「あ、ダメです! ダメですってば!」

 ぼうっとしている間に、次元の扉がゆっくりと消えようとしていました。

 わたしはあわてて杖を取り、魔法を使って次元の扉を維持します。


 とにかく、これがアイテムボックスの先につながっているとすれば、大発見です。きっとリリーアさんやハガネさんも褒めてくれます。

 問題は、それをたしかめる方法なのですが……。

「やっぱり、わたしが直接のぞくしかないですよね」

 魔法技術全盛期のこの時代ですが、最後に物を言うのはマジカルよりもアナログなんです。

 わたしは覚悟を決めました。


「まずは……」

 魔力をそそいで無理矢理に次元の扉を広げます。首がつっかえている内に扉が閉まって首チョンパ、なんて笑い話にもなりません。

 そうしてアイテムボックスの中には、新しいアイテム『なまくび』が増えましたとさ、ちゃんちゃん、とか……あ、ちょっとホラー風味ですけど、笑い話としても行けるかもしれません。

 でもとにかく、そんなことはわたしは嫌です。全力で扉を拡張します。


 魔力の残量も心もとなくなってきました。

 わたしは高レベルの自動MP回復アビリティを持っていますが、それだって即効性というワケではありません。

 扉を支えていられる時間はあとわずか。

 覚悟を決めて、次元の扉に文字通り首を突っ込むことにします。


 潜水の時の要領で、大きく息を吸ってからわたしは次元の扉の中に頭を突っ込んで、と思ったら、勢いあまって上半身が全部入っちゃいました。

 失敗失敗とわたしが体を戻そうとした、その瞬間、


 ――プオーン!!


 怪音を上げて、灰色の巨大な鉄の塊がわたしの目の前を横切って行きました。


「な、わ、っきゃぅ!」


 突然のことに驚いたわたしは思い切り冷静さをなくし、反射的に体をばたつかせます。そしてそれは、この場合最悪の行動でした。

 重心が前のめりになったわたしの体はするりと次元の扉を抜け、


「ふぇ?」


 扉の向こう側に、落ちてしまったのです。





 結論から言えば、そこはアイテムボックスの中などではありませんでした。

 立ち並ぶ信じられないほどに高い建物の山。晴れているはずなのにどこか淀んで見える空。何より轟音と共に道を行く、色とりどりの金属の箱。


 見たことのない世界です。想像したこともない光景です。

 わたしは、自分が何かとんでもない場所に来てしまったことにようやく気付きました。

 そして、


「次元の扉!」


 すぐに元の世界に戻ることを考えました。


 振り返ると、わたしがやってきた次元の扉は、無理矢理広げた後遺症か、よじれて今にも消えてしまいそうになっていました。


「た、頼みますから、まだ閉じないでくださいよぅ」

 わたしは震える手で杖を握りしめます。

 手に杖を持ったまま落ちて来たのは不幸中の幸いでした。

 わたしはさっきのように魔法を使って次元の扉を広げようとして、


「な、なんで…?!」


 魔法が使えなくなっていることに、愕然としました。


 いえ、わたしの魔法を使う能力がなくなったワケではないのです。けれど、わたしの使える魔法力自体が十分の一程度に減っていました。こんなちっぽけな魔力では、次元の扉を支える魔法なんて使えるはずがありません。


 それでもあきらめきれず、消えかかる次元の扉に魔力を注ぎ続けていると、

「あ、う…?」

 突然、すさまじい倦怠感がわたしを襲います。


 予想外の、しかし経験したことのある感覚です。

 これは、MPがゼロになった時の疲労感。

 でも、それはおかしなことでした。

 いくら必死になっていたからと言って、こんなに早くMPがなくなるなんてこと、あるはずないのに……。


 わたしは必死で原因を探ろうとして、恐ろしい事実に気付きました。

 この場所には、魔力が全く感じられないのです!

 これでは魔法の威力は当然ながら弱まりますし、MPの消費も早くなります。

 いえ、それどころか、たぶんここに存在しているだけでMPがどんどん減っていってしまうでしょう。


 そんなことを考えている間にも、MPが空になった時の、リリーアさんいわく『風邪と二日酔いがいっぺんに来たような感じ』がわたしを襲います。

 わたしはもはや立ち上がっていることも出来ず、その場に倒れ込みました。


 そして、そのまま指一本動かせず、ゆっくりと次元の扉が消えていくのをただ見守るほかなかったのです。





 わたしの唯一の希望だった、次元の扉が消え去ってしまってから数分後、

「よい、しょ、と」

 わたしはようやく回復し、倒れていた体を起こしました。

 幸いにもわたしに自動MP回復アビリティがあったからよかったものの、もし持っていなかったとしたら、ずっとMPゼロのままで動けなくなってしまっていたでしょう。


 次元の扉が消えてしまい、魔力不足から自力で開くことも出来ません。

 けれど、倒れている間に気付いた驚きの事実があります。


 ――どうやらわたし、ここの人たちが話す言葉が分かるようなのです。


 入口の方とはいえ、暗い路地に倒れていたわたしに気付いた人はいないようなのですが、道行く人の話し声は聞こえてきました。

 彼らの話す言葉は明らかに大陸共通語ではないにもかかわらず、わたしには理解できました。


 どうしてか、なんて、考えるまでもありません。

 昨日、ハガネさんに使った翻訳の魔法の効果です。

 わたしは神聖魔法言語を習得するつもりでハガネさんに魔法をかけて、ハガネさんの母国語を習得してしまったのです!




 よくよく思い出してみれば、そう考えるのが一番しっくり来るのです。

 昨夜のリリーアさんの言葉を思い出します。


『あんたたち、一体何話しているの?』

『何を言ってるのか、ひとっことも分からないわよ!』


 これはてっきり話している話題が分からないのだと思っていましたが、リリーアさんほどの人が適当なことを言うはずがありません。

 彼女が『一言も分からない』と言ったら、本当に一言も分からなかったに決まっています。

 つまりわたしとハガネさんはその時、ハガネさんの国の言葉で話していたために、リリーアさんには文字通り一言も理解出来なかったのです!


 だとすれば、わたしが『光よ!』と言っても魔法が出て来なかった理由も説明出来ます。そりゃあ魔法言語ではなく、単なる別の国の言葉ですからね。魔法が出た方がびっくりです。

 ちょっと不自然なのは、ハガネさんがどうしてわたしの言葉が変わったことに気付かなかったかということですが、たぶんハガネさんにとって自分の故郷の言葉があまりにも自然だったせいで違和感を覚えなかったのだと思います。

 白猫さんとは大陸共通語ではない言葉、たぶんその母国語、で話をしているようでしたし。



 さて、そうするとわたしにも新しい希望が出て来るのです。

 ハガネさんからもらった言葉が話されているということは、ここはハガネさんの故郷だと考えられます。

 つまり、ハガネさんと同じ方法を取れば、学院まで戻れるってことなんです。 

 ああ、希望、すばらしいです。


 わたしは暗い路地から出ると、そこには大きな通りがありました。

 あいかわらず、びゅんびゅんとすごい迫力で鉄の塊が目の前を通り過ぎていきます。

「う……」

 鈍い痛みと共に、その鉄の塊の名前が浮かび上がってきました。

 これは『自動車』、あるいは『車』、と呼ばれる乗り物らしいです。


「車、かぁ…」

 最初に車を目にした時はすぐ目の前を通り過ぎたような気がしていましたが、そうは言ってもわたしと車の間には二メートル程度の間が空いていました。

 なのにびっくりすることに、道を見ると歩いている人と車の間には一メートルほどの距離しかありません。

 あんな大きいもの、当たったら絶対大怪我です。怖くないんでしょうか。


 ハガネさんもぐつぐつ煮立った紫色の溶岩みたいな物をごくごく飲んじゃう人でしたし、こっちの人は全員人として何か大事な神経が……いえ、みんな豪胆なのかもしれません。

 でもわたしにはとても真似出来そうにないので出来るだけ車から離れた場所を歩きます。


 歩いていて、次に驚いたのは『ビル』です。正確には『ビルディング』と言って、背の高い建物のことを言うそうです。

 何でも高い物だと、軽く五十階を越えるとか。

 そんな神様が立てるダンジョンみたいな物で毎日を過ごすとか、ちょっと意味が分かりません。

 崩れたらどうするんでしょうか。


 と、そこまで考えた時です。

 わたしはようやく自分が何をしているのか把握しました。

 どうもわたしは、ハガネさんの使う言葉だけでなく、その言葉にまつわる関連知識も翻訳の魔法で手に入れているようなのです。

 もしかしてこれってトンデモすごいことなのではないでしょうか。


 これはこっちで過ごすのに便利だというだけではありません。

 脳がその記憶量に耐え切れないのか、使う時頭が痛くなっちゃうのが欠点ですが、考えてもみてください。これでこの近くの地理とか移動手段とかの情報を引き出せれば、きっと魔法学院に帰る方法が見つかるはずなのです。


 わたしはこの考えに有頂天になりました。

「ハガネさん。わたし、もしかすると頭のいい子なのかもしれません」

 今は遠い場所にいるはずのハガネさんにそう報告して、

「おっとっと、道の真ん中にいちゃダメですよね」

 通行人の邪魔にならないよう、さらに道の端に寄って、精神を集中します。


 そして脳内検索。

 地理的な知識と移動手段に関する知識。

 激しい頭痛と共に、わたしの頭の中にびっくりするほどたくさんの情報がなだれ込んできます。


 この世界は丸いということ。この世界には百以上の国があるということ。この世界では車の他に車がたくさん集まったような『電車』や、飛空艇のように空を飛ぶ『飛行機』などを使って移動すること。



 そして、そのどれを使っても、魔法学院には戻れはしないこと。



 ――そう。

 ハガネさんの知識の中に、わたしの知っている場所の記憶は全くありませんでした。

 その時わたしの頭の中に、わたしが必死で押し隠していた仮説が浮かび上がります。



 ――魔力がない国なんてあるはずがない。ここは、わたしがいた場所とは全く違う世界、つまり、異世界なのではないか、という仮説が。




「う、うそです、よね? そんなはず、ないです」


 わたしは痛みの引かない頭を酷使して、もっと深くまで情報の海に潜ります。

 頭の中にあふれるのは、さっきとは比べ物にならないほどの量の情報たち。

 人の生息域である地球と呼ばれる場所から離れることの出来る『宇宙船』という乗り物の存在。魔法を使える人間がいなくても、神様や魔法という考え方自体は存在していること。異世界転生、異世界トリップといった世界間の移動をモチーフとした物語。


 けれど、そこにわたしの世界に戻れる手段は、ありませんでした。



「あ、れ?」

 MPがなくなったワケでもないのに、わたしの体がぐらぐら揺れて、立っていることも出来ません。

 頭がぐるぐるして、どこが前なのか後ろなのか地面なのか空なのか、分からなくなっていました。

 歩いてもいない足がもつれて、わたしは地面に座り込みます。


 前後左右上下の感覚はなくなっているのに、冬の地面の冷たさだけは足からじわじわとせり上がってきました。

 それでも頭に残るのは、自分がもう戻れないという残酷な事実だけ。

「や、です。わたし、もう戻れないんですか?

 そんなのって、ないですよぅ……」

 わたしの口から泣き言がこぼれました。


 魔法学院からトーキョの街に迷い込んだ時もびっくりしましたが、その時はいつでも元の場所に戻れるという安心感がありました。

 それにその時のわたしには『魔法』という頼りになる相棒がいました。

 でも今のわたしには、そんな支えすらありません。


 見知らぬ世界。ただの一人も知り合いすらいないこの場所に、わたしは帰る手段すら持たずに放り出されてしまったのです。


 通りに人目もはばからずに座り込むわたしの前を、何人かの人たちが通り過ぎていきます。みな遠巻きに、わたしを気味悪そうに眺めていました。

 泣きそうになります。いいえ、もう涙がこぼれていました。


「リリーア、さん。ハガネ、さん。レメデス、せんせい……。

 帰りたい、わたし、元の世界に帰りたいですよぉ……」


 一度決壊してしまうと、もう止まりません。

 涙が、後から後からこぼれていきました。

 こんなことではいけないと思うのに、どうにかして止めたいと思うのに、ぜんぜん言うことを聞いてくれません。


 そんなわたしを見て、遠くからこそこそと何かを呟いていく通行人たちにみじめさが募り、ついには大声を上げて泣き出しそうになった、その時、


「ほらそこのあんた、何でこんなとこで泣いてんのよ。

 って、うわ。何その服! コスプレ?」


 わたしの顔に、影が差しました。



「ふぇ?」

 見上げると、そこにはわたしより少しお姉さんに見える女の人が立っていて、

「あー、まだガキじゃんかー。まさかとは思うけど、迷子だったり?」

「え? あう、ち、ちがいます。ただ、扉をくぐったら、消えちゃって、元の場所に戻れなくなって……」

「いや、それ完膚なきまでに徹頭徹尾迷子じゃん」

「え、いや、でもあの……」

 その人の矢継ぎ早の言葉に、わたしはしどろもどろになるばかりです。


「ああ、まあいーや。話はいいから動くな。あんたきちゃない」

「え、あ、ごめ……」

「だーから動くなってのよ!」

 その人は、辛辣な言葉とは裏腹の優しい手つきで、わたしの涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をハンカチで拭いてくれました。

 そして、もう一度わたしの間抜け顔を見て、大きく嘆息します。

「はぁ。迷子を探しに来てべつの迷子を拾っちゃうとか、あたしもつくづく運ないなー」




 これがあの人、三枝さえぐさ まきさんとわたしの、初めての出会いだったのです。



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[一言] やっぱりあれは禁断の魔法だったんだよ
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