第五十七章 概ねメロンの話
学院長に挑戦した次の日だった。
「で? 説明はしてくれるんでしょうね?」
鋼の前に、仁王立ちになったリリーアが立ち塞がる。
学院長との戦いではあれだけ呆然としていたくせに、立ち直るとすぐこれだった。
「何を説明すればいいんだ?」
ちょっと面倒くさそうに聞く鋼に、
「全部よ、全部!」
と言い放ってから、全部って何をだよ、みたいな鋼の表情に気付いたのか、リリーアは仕方なく言い直した。
「そうね。まずは、あんたがどうして『聖邪魂滅の書』を読めたかってところからかしらね。
あんた最初に本を見た時、ロゴスは読めないって言ってたじゃない!」
「いや、そんなこと言ってないって。
ただ、あの本は『難しくて読めない』って言ったんだよ」
鋼は『聖邪魂滅の書』を見た時、そこに書かれている言語、ロゴスについては完全に理解できていたのだが、それが記している内容、特に魔法の専門用語らしきものが全く理解できなかった。
だからこそ、この本を読めないのはまずいのかと思って焦ったのだ。
そもそも、全く知らない言語を見せられた時、普通は『難しい』なんて言葉は出て来ない。言葉が全く分からなければ、難しいも易しいもない。単純に『分からない』である。
「待って。そもそも何であんたがロゴスを読めるワケ?」
「最初は翻訳の首輪の効果かと勘違いしてたんだけど、タレントの効果で、かな。
神聖魔法言語とか、ロゴスとか、そういう古代の魔法言語が読めるみたいだ」
鋼は最初、『古代魔法言語習得』のタレントは神聖魔法言語を読めるようになる物かと思ったが、昔の魔法言語全てを習得していたらしい。
さすがの2000ポイントタレントである。
「でもあんた、最初の教本読めなかったじゃない!」
リリーアが叫ぶ。
実はその理由については鋼もしばらく思いつかなかったのだが……。
「うーん。あれ、五百年前の奴なんだよな。
たぶん新しすぎて無理だったんじゃないかと……」
「普通逆でしょ、それは!」
リリーアが憤慨する。
「……まあ、考えてみればおかしいとは思ったのよ。
あんた、書き取りの課題をやってる時、筆記用具とノートしか持っていなかったものね。
だったら何を書き取ってるのかって、少しは疑うべきだったわ。
あんたが読めないとか言うからすっかり騙されたわよ」
「あははは。ま、僕にはよく理解できなかった『聖邪魂滅の書』が、大陸共通語に訳すだけならスムーズにできたのは僕にも予想外だったからね」
そこはもう翻訳の首輪の不思議なメカニズム、としか言うしかない。
「わたしとしては、数ある魔道書の中で、どうしてよりにもよってあれを解読しようと思ったのか、そこもすごく疑問だけど?」
なんて言ってくるが、そこは別におかしなところではないと鋼は思う。
「いや、自然の流れだと思うけど。
ほら、よく知らないけど、未解読の魔道書なんてどこにあるか分からないし、そういうの探して変に目立ったり目をつけられるのも嫌だろ?
だからとりあえず学院長を待つついでに、目の前にあって訳し放題なあの本をやるのが無難かなって……」
「無難!? 今無難って言った?!
第一級の封印指定を受けていて、掛けられている魔術があまりに強力過ぎて閲覧なんて事実上不可能だからかろうじてあそこに置くことを許されている超危険図書を無難!?
あーあー、おかしいわね!
わたしったら急に大陸共通語が分からなくなっちゃったのかしら!」
「あ、翻訳の首輪貸そうか?」
「皮肉よ!!」
怒鳴られた。
「冗談なんだけど……」
鋼は少ししゅんとする。
やはりツッコミ役がたまにボケるとマジボケだと思われてしまう法則、のせいだろう。鋼はそうやって自分を無理矢理納得させた。
というかなぜだろうか。説明すれば説明するだけ、リリーアが怒り狂ってきている気がした。
「いや、そんな風に言うけど、大変だったんだぞ、色々!
下手にさわって壊したら大変だから、自分でページをめくれなくて、次のページを写すためには三十分待たなくちゃいけなかったり!」
『聖邪魂滅の書』は『悔恨の波動』の発動のため、三十分に一度ページがめくられる。
これは次を待つには長いし、別のことをするには短い微妙な時間である。
だからついゲームに集中して『三十分以上』狩りに没頭してしまうと、その間のページがすっかり抜け落ちてしまうことになるのだ。
また逆に、三十分に二ページ(見開きで一ページ)進むというのは、一時間に四ページ進むということ。一日は二十四時間なので、計算すると一日に大体百ページくらい進んでしまうことになる。
具体的には、昨日の夕方には115ページぐらいでも、翌日の昼には200ページ辺りまで進んでいたりする。だから、狙ったページを書き写すためには常にどのくらいまでページが進んでいるか把握をしておく必要がある。
そして、現在のページ次第では、授業をサボったり、作戦会議の前日のように深夜まで起きている必要まであったりするのだ。
「あと、さすがにこんなの書いてるところを学院長に見せられないし!」
最終的には見せることになってしまったが、何でも学院長は『聖邪魂滅の書』を一部解読するのに五十年をかけたらしい。
プライド的な問題もあるだろうし、学院長がいるところでは鋼は自分の作業の内容を見せないように苦労していた。解読作業が遅れた原因の一つである。
なんてことを、鋼は必死でリリーアに訴えたのだが、
「あのね。もう何か、しゃべらないでくれる? 頼むから」
「自分で事情を説明しろって言っといて!?」
すごく理不尽に言論の自由を封じられた。
その様子を見て、さすがに気の毒だと思ったのか、リリーアは鋼を眺めながら、けだるそうに話し始めた。
「そうね。ちょっと想像してみて?
あんたは友達と、八百屋の店先に並んだ超高級メロンを見て、いつかこのメロンを食べれるようにお互い頑張ろうね、って話すワケ」
「何の話?」
というか、この世界にもあるんだメロン、と鋼は思った。
「いいから聞きなさい。
で、あんたは必死に努力しながらお金をためてくのよ。たまにはその友達と会ったりして、苦労をぐちったり、でも同じ目標に向かって努力している人間がいるって分かって、元気を分けてもらったりしてね」
いい話じゃないか、と鋼はうなずく。
「で、一ヶ月ちょっとがんばって、あんたはようやくメロンが買えそうなくらいお金をためて八百屋に行くんだけど、実はこの前のメロンはセール品で半額になってたのよ。
つまり、お金が全然足りなくて結局買えなかったのね」
「悲劇だ!」
鋼はがっくりとした。
きっと見切り品だったのだろう。超高級なのに……。
「当然あんたは今のあんたみたいに、いえ、それ以上にがっくりとなってうなだれるでしょ。
そしたら隣にいた友達が言うのよ。
『うーん。一緒にここの八百屋のメロン食べたかったね。
でも念のためメロン農園を買っといたから同じメロンなら食べられるよ。
あはははっ』
ってね。
で、あまりのスケールの違いにぽかーんとしてるあんたに、そいつはいかに自分が苦労して農園を手に入れたかとか話し始めるの。
……どう思う?」
試すような、うかがうような視線で尋ねてくる。
鋼だってみんなのツッコミ役として、こういう時何を言えばいいかくらい弁えているつもりだ。
自信を持ってこう答えた。
「無神経な奴だなー、そいつ」
「あんたのことよ!!」
殴られた。
その瞬間鋼の腰についている木の枝が抗議するようにぶるると震えるが、
「あぁん!?」
リリーアがにらみつけると沈黙した。
ちなみに鋼の肩に乗っていた白猫は、とっくの昔に逃げ出して、ベッドの下で震えていた。
キャラが変わるほど恐ろしいオーラを醸し出しているリリーアを前に、鋼は必死で説得をする。
「ちょ、ちょっと待とう、リリーア!
お前はアイドルだろ! みんなの天使だろ!?」
今のリリーアではよくて撲殺天使くらいにしかなれないだろう。
しかし、そこでリリーアが顔をうつむかせているのを見て、鋼はさらに動揺した。
「あ、あの、リリーア?」
おそるおそる鋼が呼びかけると、
「……だって、バカみたいじゃない。
わたしは、同じ目的に向かって頑張ってるって思ってたのに、あんたは……」
言葉と一緒に、怒っていたはずのリリーアの足元に、ぽたり、ぽたりと滴が落ちる。
鋼は必死になって言葉を紡いだ。
「いやいや! 頑張ってただろ、同じ目標に向かって!
僕が解読を頑張ったのだって、抜け駆けとかじゃなくて、ただクリスティナの代わりをやろうと思っただけだぞ!?」
「クリスティナの、代わり?」
「そうだよ! クリスティナの新魔法を理由に学院長に挑戦するつもりだったんだろ?
だから僕が、本を解読してその代役を務めようと思っただけで、抜け駆けとかそういうつもりじゃ……」
鋼の必死さが伝わったのか、リリーアは少し笑ってくれた。
「……分かってるわよ、バカ。
あんたは手段が壊滅的に破天荒で常識皆無なだけで、本当は人助けが好きないい奴だってことくらい」
「いや、分かってないだろ、それ……」
必死さ以外は伝わってない気はしたが、鋼はほっと胸を撫で下ろす。
「……ハガネ様」
すると、まるでタイミングを計ったようにラトリスが現れる。
ラトリスは鋼にいくつかの紙の束を渡してきた。
「これは…?」
鋼が尋ねると、
「はい。ハガネ様の卒業証明書と特級魔術師の認定証です」
ラトリスはあっさり答えた。
「と、特級!?」
リリーアが後ろで大声を上げていたが、卒業してこの学院を出られるなら、鋼としては特級だろうが一級だろうが二級だろうが関係ない。
それはとりあえずスルーして、
「それで、学院長は? あれから、大丈夫だったのか?」
「はい。肉体的には問題ないそうです。
ただ、精神的なショックを理由に現在は療養中、レメデス様も付き添っています」
「そうか」
一番心配をしていたことが聞けて、鋼は少し安心した。
「証明書をもらえたってことは、これでもう出ていけるんだよな?」
「はい。私も先程職を辞して参りました」
「……よく簡単に許可が出たな」
鋼が呆れながら言うと、
「もともとそういう契約でしたし。相手は弱っていたのでちょろい物です」
「ちょろいって……」
ラトリスはしれっと答えた。
『血縄の絆』のことといい、何だか最近、シロニャだけじゃなくてラトリスまでちょっと変わってきている気がする鋼である。
と、鋼はそこで大事なことに気付いた。
「そういえば、リリーアは?」
そう言ってリリーアを見ると、彼女はツンと顔を横に向けた。
「わたしはもうしばらく、この学院でやっていくわ」
「あれ? 一応あの勝負、勝ったことになったんじゃ……」
条件は、学院長に勝った時にその場に立っている者、だったので、該当者は鋼とリリーアだけなのだが、少なくともリリーアは望めば一級の資格をもらえたはずだ。
しかし、リリーアは傲然と胸を張った。
「わたしは他人のメロンなんかに興味はないわ。
時間はかかるかもしれないけど、わたしは自分の力でここを卒業する」
「……そっ、か」
そうなると少なくとも、リリーアとはここで別れることになる。
もちろん一緒に冒険者をやるつもりでもなかったのだが、急にお別れとなると、鋼としてもやはり込み上げてくる物はあった。
「そんな顔するんじゃないわよ。
……ほら、これ」
鋼は小さい紙を渡された。
なんだろうと顔を上げると、
「それ、わたしのクリスマス公演のチケット。
もう二度と会えなくなるってワケでもないでしょ。
……イブの夜、またここに来なさいよ。
最高の歌、聞かせてあげるから」
そう口にしたリリーアの顔は、ほんのりと赤らんでいた。
「……ああ。ありがたく、受け取っておくよ」
鋼はそれを大切な宝物でもあるかのように、そっと押し頂いた。
それを確認すると、
「それではハガネ様。早速出発しましょう」
ラトリスが出立を急かす。
「え? もう行くのか?
別に今日じゃなくっても……」
あまりの展開の速さに渋る鋼。
しかし、ラトリスの次の一言が、鋼の決断を促した。
「いえ、門の外で、待っている者がおりますから」
「あんたがいなくなってせいせいするわ!
せいぜいまた来なさいよね!」
なんて涙ぐみながらよく分からないあいさつをするリリーアに別れを告げ、
「んー! 久しぶりに学院の建物を出た気がする!」
鋼は久方ぶりの自由を満喫していた。
が、そこに、
「お言葉ですがハガネ様。まだここは学院の敷地内です」
「え? そうなの!?」
いつでも冷静なラトリスが水を差す。
「学院の敷地を外れるのは、あの門を抜けてからです。
ほら、見えますでしょう?
あの、門ですよ?」
ラトリスが念を押すように言うが、鋼には当然見えていた。
「ハガネ!」「コウくーん!」「コウ様!」
門の前で鋼の名を呼ぶ、懐かしい仲間の姿が。
「アスティ! ララナ! ミスレイさん!」
矢も楯もたまらず、鋼は門に向かって駆け出していった。
「久しぶりだな、ハガネ。
ええと……十年ぶり、くらいだったか?」
「まだ四十日ぐらいしか経ってないよ、アスティ。
……十年ってさ、けっこう長いんだから」
「夢にまで見た生ゴワ……コウ様!
さ、さわっても、さわってもいいですか!?」
まだ門をくぐらない内からの熱烈歓迎ぶりだ。
一人若干方向性に疑問を覚えたが、まあ気にしない。
鋼が門を出ると、三人は我先にと駆け寄って来てくれた。
「すまないな。私は入学して潜り込もうかとも思ったが、学業は……うむ、ちょっと相性がな」
アスティがすまなそうにそう言えば、
「あっははは。ボクは魔法だけはあんまり得意じゃなくってね。魔力低いしさ。
ま、すぐにお務めを終えてくれて助かったよ!」
とララナ(魔力81)が笑って、
「わたしは、(ゴワゴワ教の)布教活動が忙しくて……」
と態度だけは申し訳なさそうにミスレイが言う。
いつものメンバーになった五人は、夕日に向かって歩き出す。
先頭のララナが振り返って叫ぶ。
「さぁ行こう! ボクたちの冒険は、まだまだ始まったばかりだよ!」
「それむしろ終わりの台詞だから!!」
ララナの確信犯的な台詞にツッコミを入れながら、
(やっぱり、僕の居場所はここなんだな……)
なんてことを、鋼は噛み締めたのだった。
とまあ、それで終わればよかったのだが、
「あら? コウ様、その猫…!?」
肩に乗っていたシロニャを見咎め、ミスレイが大声を上げた。
「にゃっ!」
それですっかり怯え癖のついたシロニャは、大慌てで鋼の肩を蹴って地面に降り、
「おわ!」
ミスレイの言葉にちょうど振り返ろうとしていた鋼は、後ろのミスレイ目がけて思いっ切りバランスを崩してしまって、
――むにょん!
その途端、顔に当たる、何かやわらかい感触。
「こ、コウさ…!」
めずらしく焦ったようなミスレイの声。
そして、
「お、っと?!」
鋼はさらにバランスが崩れるのを必死で止めようとして、
――むにゃん!
何やらやわらかい物をわしづかみしてしまった。
「あれ? これ……」
――むに、もにゃん!
というかあまつさえ、もみしだいてしまった。
「はじめて見た! これが伝説の『ラッキースケベ』か!」
「不埒な! ……とはいえ私にはあまり、幸運とも思えないが」
そこで、鋼はハッとした。
『幸せの青い鳥』の童話を思い出す。
(そうか。わざわざ探しに行かなくてもよかったんだ。
苦労してお金をためたり、八百屋に行ったり、農園を買わなくてもよかった。
本当の幸せは身近な場所に、仲間のところにあったんだ!)
という感じで、綺麗に収まらないかなぁ、と、
「コウ様、さようなら。来世でまたお会いしましょうね?」
目の前で腕を振り上げる戦神の化身を見ながら、鋼は思ったのだった。
ちなみに、その翌日。
「コウくん。やっと、やっと追いついたよ。
わたしが、今、会いに行くからね……」
最年少、たったの12歳で転入試験に受かった黒髪黒目の少女が魔法学院に足を踏み入れるのだが、それは全くの余談である。