第五十六章 長い戦いの終わり
「しっかし参ったな……」
鋼としては、今回は足止めをするだけのつもりでいたため、学院長とガチバトルなんて想定すらしていなかった。
だが、後ろのリリーアは完全に使い物にならないし、なのにリリーアのために勝ってあげたいという気持ちはある。
「仕方ない。とりあえず枝レーザー!」
今一つ覇気に欠ける掛け声と共に、鋼の持つ枝から極太レーザーが出て学院長を襲う。極太レーザーの正体は、たぶんレーザーとは名ばかりの光魔法的な何か。
しかし、
「ふん!」
監禁部屋の壁すら壊した極太レーザーは、学院長のデコピン一発であらぬ方向に弾き飛ばされてしまった。
「おでこに当たってないのにデコピンとはこれいかに……」
鋼は早々に現実逃避の台詞を口走りながら、そこそこに焦っていた。
内心では、
(あれ? これ、無理ゲーじゃない?)
みたいなことを考えていたのだが、リリーアの手前、弱音も吐けない。
「もういっちょ頼むぞ、相棒!」
鋼はそう叫ぶと、学院長の方目がけて木の枝を投擲した。
「ほむ?」
それは、学院長のはるか上を弧を描いて飛んでいき、その向こうに落ちた。
だが、それは鋼の計算通りだった。
「今だ、木の枝ブーメラン!」
適当な技名がつけられているが、単に木の枝を敵の奥に投げてもどる時にぶつかってもらうだけの非常に他力本願な技だ。
ばびゅーん!
忠実な鋼の相棒は、すさまじい勢いで鋼の手に向かって飛び、途中にいる学院長の背中に激突して、
「ふんぬらば!」
学院長の背中の筋肉に弾かれた。
「うそぉ!!」
と鋼は声を漏らすが、嘘ではなかった。
弾かれた木の枝は学院長に当たらないルートで鋼の手にもどってくるが、当然ながら学院長にダメージはない。
本職の前衛職であるマッシを倒した一撃は、学院長には全く通用しなかった。
むしろ余裕の表情で、
「ほむほむほむ。お主の力はこんなものかの?」
なんて挑発してきている。
そして鋼の力はこんな物だ。というか、さっきまでの攻撃だって九割が木の枝パワーなのだ。
こんな怪物じみた相手と戦って、勝てるはずがない。
「下手すりゃ勇者級じゃないか、アレ」
それでもこの世界は滅ぶって言うんだから、魔王ってのは相当強いんだろうなー、なんて現実逃避をしながら、打つ手を探す。
まあそうは言っても、全てを捨てる覚悟で挑んでも全く勝てる見込みがない、とまでは鋼も思わない。
とっさに思いつくのは、巨竜をぶっ潰したアレと、ダンジョンをぶっ潰したアレだ。
巨竜をぶっ潰したアレの欠点は、消費HPが100%なことと、終わるのに十日かかることだ。
消費HPのことは、もしかしたらリリーアの歌スキルでHPを増やすなりして解決できるかもしれないが、もしそれを乗り越えても、そこから十日間、あの学院長にひたすらここで木の枝を振り続けるような生活が待っている。それは正直御免こうむりたい。
それにもっと現実的な問題として、たぶん十日間もリリーアが我慢できないというのもある。リングアウトしたら負けのこの状況で、十日もここで過ごせるとは思えない。眠ったら気絶扱いになってリングアウトとか、必死に我慢してリングに留まった結果餓死、なんて結末はあまりに悲しい。
この勝負、鋼の勝利条件はリリーアを守りながら勝つことだけであって、鋼だけが勝っても何の意味もないのだ。
となるともう一つの、ダンジョンをぶっ潰したアレ、ということになるのだが。
(結界あるし、意外と行ける、か?)
鋼がちょっとだけそんな風に思った時だった。
【だ、ダメじゃぞ、そんな物を使っては!
それではよしんば学院長を倒せても、学院は人が住めない場所になる!
核の冬が来るぞ!】
「あ、やっぱり? 結界に阻まれるなら何とかなるかとも思ったんだけど」
【エゴじゃよ、それは!】
「ノリノリだな、シロニャ」
神様からのストップがかかった。
それにしても、と思う。
シロニャも昔は人間なんてどうでもいい、みたいなスタンスだったのに、変われば変わるものだな、と感慨深くなった。
もちろんこんなことを考えているのも鋼一流の現実逃避の賜物である。
しかし学院長は、鋼が種切れになったのを目ざとく見抜いたようだった。
「ほむほむほむ。そっちが来ないのなら、こっちから行っちゃうぞい」
宣言すると、なぜか学院長は着ているローブをはだけ、上半身を露出させた。
「ふんぬ!」
そして、気合の一声。
学院長の体が一回り大きくなる。
「いやいやいや……」
鋼は首を振った。
ローブの下の体は、毎日感謝の正拳突きとかしてそうなくらいムキムキだった。
「お主は魔法に抵抗力があるそうじゃからのう。
久しぶりに、肉弾戦などというものを楽しんでみちゃうかの。
ほーむほむほむほむ!」
そう言って、鋼にすさまじい殺気を叩き付けてくる。
「では、楽しませてくれよ、若人!」
言うなり表情を消し、攻撃姿勢を取る。
それを、鋼は何の動揺もなく見ていた。
その様は、さながら明鏡止水の境地。
なぜなら、鋼はすでに一つの結論に至っていたからだ。
つまり、
(それ、無理)
こんな奴に絶対勝てるワケねー、という結論である。
魔法だけでも恐ろしいのに、こっちの攻撃は効かないし、おまけに肉弾戦とか言ってくるし、明らかに歴戦の勇士みたいな雰囲気を醸し出しているし、勝てる要素がまるでない。
(あー、でも倒れないって約束しちゃったし、せめて弁慶的に仁王立ちのまま気絶か死亡してリングアウトするか)
そんな風に鋼が悲壮な、けれど非常にせこい決意を固めた時だった。
「がぁくぅいぃいんんちょぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
空の彼方から赤い彗星がドップラー効果で青方偏移で真っ赤に叫びながら青い結界をぶち抜いた。
何を言っているか分からないだろうが、鋼もよく分からなかった。
一方、突然の乱入者の姿を見て、学院長は興が削がれた、とばかりに嘆息した。
「しつこいぞ、レメデス。見て分からんか?
この仕合、今が良いところ……」
「そんなことは、どうでもいいのです!!!」
「な……」
さしもの学院長も、レメデスの剣幕に一瞬たじろぐ。
いつも小言を言うレメデスも、さすがに学院長を怒鳴りつけるようなことはしない。
だが、レメデスはそれこそそんなことは些末なことだと言うように、学院長に迫った。
「とにかく、これをご覧になってください!
あなたならすぐに分かるはずです!!」
「し、仕方ないの。そこまで言うなら……」
学院長は渋々、レメデスが大切そうに抱えてきた物に手を伸ばす。
そして、
「こ、れは……」
一目見て、絶句。
その後、何かに取り憑かれたようにページを手繰り、
「わし、の、五十年……」
目をぐるんと回転させて、その場で卒倒した。
「が、学院長? 学院長ぉおおおおおお!!」
レメデスの絶叫が閑散とした演習場に響き渡り、同時に結界が解除される。
昏倒から目覚め、結界の外から戦いを眺めていたみなが呆気に取られる中、
「勝者、リリーア・鋼連合」
ラトリスの静かな声が、戦いの終わりを告げた。
戦いは終わった。
しかし、結界の外で戦いを見守っていた人間は狐につままれたような顔をしているし、それは内側にいる人間も同じだった。
いや、当事者である分だけ、その混乱はなお深かったと言える。
「わたしたちの、勝ち?
勝ったって、なに?
ぜんぜん、ワケがわかんない!
どう、なってるのよ?
一体、何が起こったのよ!!」
事態の推移についていけず、いつになく取り乱すリリーアに、鋼はのんびりとした口調で告げる。
「まあ勝敗についてはともかく、とりあえず僕の卒業は確定したんじゃないかな?」
しばらく、その言葉の意味はリリーアの頭に染み込んでは行かなかった。
数秒経って、ようやく理解して、
「なに、言ってるの?」
信じられない物を見る目で鋼を見上げるリリーアに、鋼は辛抱強く説明する。
「ほらアレ、見えるだろ?
完成させるのに、思ったよりずいぶん長くかかっちゃったけどさ。
僕の『学業の成果』が正当に評価されるなら、そういうことになると思うんだ」
そうしてリリーアがあわてて追った鋼の視線の先には、学院長が取り落とし、レメデスが必死で拾い集めるノートの束。
一冊30枚(=60ページ)×7冊で、つまりは『400ページの本に匹敵する情報量』を持つ、書き取りのために『大陸共通語に訳された』とある文章があった。
そして、その一冊目。
表紙に『書き取りノート①』と書かれたノートの最初のページをめくると、そこには元になった本の書名が記されている。
――すなわち、『聖邪魂滅の書』と。