第五十五章 連合の崩壊
「どういうことなんですか?!」
鋼は交渉をリリーアに任せ、同じく交渉役をレメデスに任せてこちらの方にのんびり歩いてきた学院長に、小声で詰問した。
「いや、わしはなーんも知らんのじゃよ。
レメデスの奴が話があるって言うもんじゃから、てっきりこの前最年少で転入試験に通った美少女転入生の話かとのこのこついてきたら、ご覧のありさまじゃよ」
「最年少の、転入生?」
一瞬、頭の隅を耳のとがった少女の幻影が駆け抜けて、ハッと我に返る。
その話は気になるが、今は追及している場合ではない。
学院長が何も知らないとなると、事情を知っているのはレメデス一人ということになる。
鋼はリリーアとレメデスの話し合いを見守った。
「わたしたちは図書館でよからぬ計画をしてる者たちがいるって善意のタレ込みでここにいるだけだよ。
それで、マリルリール。
お前たちは一体、ここで何をしてるのかねぇ?」
「それは……」
リリーアが言葉に詰まる。
図書館で集会をすること自体は別に問題のあることではないし、学院長を倒して卒業資格を得る、というのも搦め手ではあるものの正当な手段だ。
だが、レメデスが『図書館でよからぬ計画』をしているという報告を受けた以上、リリーアは自分たちが集まった理由を話さなくてはならない。
かといって、素直に学院長を倒す計画を練っていました、と言えば、最低でもこちらは手の内をさらすことになり、数の利で学院長を攻めようとしたことが露見する。
最悪の場合ではルールが変更され、学院長との戦闘さえ難しくなってしまうだろう。
一体この窮地をどう乗り切るのか、みなの視線がリーダーであるリリーアに集まる。
高まるプレッシャーに、リリーアは一度顔を伏せ、しかしすぐに顔を上げる。
「分かりました」
そう言ってレメデスを見返すその目には、覚悟が宿っていた。
「わたしたちは……」
認めるのか、それとも……?
そんな風にみなが固唾を飲んで見守る中、リリーアははっきりと言った。
「わたしたちは今この瞬間をもって、学院長に挑戦します!」
「え?」
誰もが、リリーアの言葉に呆気に取られた。
弁解するとか、正直に告白するとか、そんな選択肢はリリーアが全てぶっとばした。
レメデスや学院長はもちろん、味方ふくめ全員がその言葉に呆然とした。
「お、おい! リリーア!?」
いち早く我に返った鋼は焦ってリリーアに駆け寄るが、一方のリリーアは楽しそうに唇を歪めていた。
緊張した様子で、しかし心底愉快そうに小声で鋼に返答する。
「大丈夫。今この場には五十人しか集まっていないけど、彼らは精鋭よ。
わたしが当初考えていた三百人体制よりも、きっと今のメンバーの方が強い」
「そんなに、か……」
それはつまり、ここに集まった人間は少なくとも普通の魔術師六人分の実力を持っているということだ。
しかし少なくとも、全員が『悔恨の波動』に対する抵抗を持っている。これが大きな強みであることは鋼にも分かった。
「充分に連携が取れるほどの時間が取れなかったのは残念だけど、作戦は一応決まっている。
今はそれよりも、事が露見して相手に対策を取られる方がつらいわ」
「なる、ほど……」
リリーアもきっと鋼と同じようなことを考えたのだろう。そして考えた結果、第三の道としてこの場で勝負を挑むことを選んだ。
ならばそれを尊重してやろう。鋼はそう考えた。
だが、
「なぁるほど。だぁから図書館での秘密の悪巧み、ねぇ。
あんたらの考えてたことはなんとなく分かったよ。
けどねぇ、忘れたのかい?
学院長に挑戦するなら、『学業の成果』って奴が必要だってことをさぁ!」
その流れを、レメデスが断ち切る。
リリーアが悔しそうに唇をかんだ。
それでもあきらめ切れずに、
「誰か、この中に……」
仲間の五十人を振り返って、何かを言おうとするが、
「ここは任せて」
鋼はそれを制して、前に出る。
「は、ハガネ? あんた……」
背中にかけられるリリーアの声を無視して、レメデスの前に立つ。
一度部屋にもどったりしなくてよかった、と鋼は思った。
もしもどっていたら、『これ』は置いてきてしまったかもしれない。
万感の想いを込め、
「レメデス先生。『これ』が僕の、僕たちの『学業の成果』です」
そう言って、連日図書館に持ち込んでいた『ある物』をレメデスに手渡す。
「こ、これは……」
渡された『それ』を開いて見た瞬間、レメデスの表情が変わる。
「そのノートは、一体なんなんじゃ?」
代わりに尋ねてきた学院長に、鋼は胸を張って答える。
「これは、レメデス先生が僕に出した課題です」
「なるほどのう。もしかして、わしにどうしても見せなかった勉強というのは……」
「これです! 完成させるのに、四十日もかかりました!」
学院長は鋼の顔と、レメデスの手にある鋼の努力の結晶、書き取りノート①~⑦を見ると、うなずいた。
「ほむ、よろしい。わしはハガネが図書館で、必死にそれを書いているところを見ておるしな。
わしへの挑戦を許可しよう!」
その言葉に反応して、そこら中から歓声が上がる。
振り返るとリリーアも、やるじゃない、みたいな視線を送ってくれた。
しかしその中で、一人だけ違う反応を示した者がいた。
予想外の物を出されて、さきほどまで呆けていたレメデスだ。
「待ってください学院長! これは……」
学院長の言葉に反応し、色をなくしたレメデスが、学院長につかみかからん勢いで制止の言葉を投げかける。
(まずい!)
学院長がノートを見たら、勝負が中止になる恐れがある。
鋼は焦ったが、
「くどいぞレメデス。生徒の努力に貴賤はない。
それにわし自身、この気概ある若者たちと戦いたくてたまらんのじゃよ」
幸いにも学院長は鋼の予想以上に勝負に乗り気だった。
レメデスにそう一方的に言い捨てると、
「転移!」
その一言で、レメデスを除く、生徒五十人を全員テレポートさせてしまった。
図書館の魔法無効化もおかまいなしである。
転移先は、学院の魔法演習場だった。
無人のそこに、学院長と、鋼たち学院生五十人、そして、
「なるほど。これが『血縄の絆』ですか」
『血縄の絆』の効果によって転移させられてきた、ラトリスが降り立った。
それを見て、鋼が唇を三日月形に押し上げる。
「ふふふ。学院長、あんたは大きなミスを犯した。
歩く労をいとい、安易に転移魔法を使ったおかげで、ラトリスという最強の……」
「ハガネ様。私は教師ですので挑戦資格が御座いません。
外で戦いが終わるのを待っております」
「ですよねー!」
最強の援軍は一瞬にして最強の傍観者に変わった。
そんな一幕はともかく、
「ほむほむ。数が多いのう。五十人ほどおるかの。
こんなに大人数での挑戦を受けるのは久しぶりじゃわい」
すっかりやる気になっている学院長が、腕を一振りする。
「…っ!!」
すると時を置かず、魔法練習場がドーム状の青い膜に覆われた。
「結界、ね。たぶん性質は闘技場とほとんど同じ。
あの一瞬で、たった一人でこんな結界を張るなんて……」
リリーアが気圧されたようにつぶやく。
「ほむほむほむ! この結界は、HPが0になるか気を失った者をHP1で外に出す仕組みになっとる。
じゃから、この結界の中からお主らが全員いなくなったらわしの勝ち、ということでよいかな?」
「それで結構よ。わたしたちが、学院長を倒した場合は?」
「わしが倒れればこの結界が解除される。そうしたらお主らの勝ちじゃな。シンプルじゃろ?」
「そうね。とても、とても素敵だわ。
この青い鳥かごを壊して、わたしたちは自由を手に入れる!」
学院長の、好々爺然としていながらも獰猛な笑みを、リリーアは同じく好戦的な笑みで返す。
少なくとも戦闘前の舌戦では、リリーアは学院長に少しも負けてはいなかった。
「お二方とも、宜しいでしょうか。
では、僭越ながら、私が開始の合図を上げさせて頂きます。
一分後に勝負を始めますので、各自準備をお願いします」
一人だけ中立な立場にいるラトリスが、試合の審判を務めることになった。
結界の外から透明なまなざしで、中にいる鋼や学院長を見つめている。
学院長は準備運動を始め、リリーアは全体に号令を出した。
しかし目の前に対戦相手がいるため、おおっぴらに作戦内容は口には出せない。
三十秒ほどで指示は終わり、リリーアは最前列、鋼の方に歩いてきた。
リリーアが鋼の背中辺りにぴたりと寄りそう。
「いい、ハガネ。
戦闘開始の合図と共に、わたしは『勲の詩』を歌う。
あなたはとにかく、学院長に突っ込んで」
「指揮……とかしなくていいのか?」
鋼の疑問は当然だが、リリーアは首を横に振った。
「後衛は、付け焼刃の連携でもそれなりの効果を上げられるように作戦は立てたつもり。
前衛に関しては不確定要素ばっかりだし、作戦なんて元々通用するか分からないでしょ。
同士討ちにだけ気を付けて、あとは各自の判断で攻撃でいい。
それよりも、あんたは絶対倒れちゃダメよ」
「何でだよ」
それは鋼だってそうやすやすとやられるつもりはないが、学院長の実力のほどは分からない。
あっさりやられることだって考えられた。
それに対して、リリーアは鋼の想像よりもずっと真剣な声で答えた。
「この中でわたしは一番あんたの実力を信用してるし、あんた自身を信頼してる。
前衛が何人やられても、あんたさえ立っていればきっとみんな勇気を出して戦える。
何よりわたしが、戦える。
だから、たとえ他のみんなが全員倒れたとしても……あんただけは絶対、倒れないで」
言葉の端々から、リリーアの信頼が伝わってきた。
自分の何が買われたのか鋼には分からないが、この信頼に応えなければならないということだけは分かった。
だから、
「……分かった。約束するよ」
鋼はあえてそう口にした。
それが、とても困難な願いだということが、理解できていても。
「ありがとう……」
一瞬だけ、鋼の手がキュッとやわらかいものに包まれた。
しかし、それはすぐに離れる。
そして、
「一分が経ちました。準備は宜しいですか?
……それでは、始めて下さい」
――試合が、始まる。
学院長を中心に、半円状になった学院生たちは一斉に身構え、鋼は学院長に突撃するために足を蹴り出し、リリーアは歌を奏でるために口を開く。
だが、その出鼻をくじくように、
「GIGIフラァァァァァァァッシュ!!」
演習場に、圧倒的な閃光が走った。
「くそ、出足をつぶされた!」
目くらまし系にも耐性があったのか、ちょっとまぶしいなと思った程度の鋼だったが、やはり攻撃のタイミングは逃してしまった。
それでもすぐさま学院長に突撃しようとして、
「なに、これ。こんなの、ありえない……」
真後ろからの声で周りの惨状に気付き、動きを止めた。
「とっさに人を盾にするリリーアも、それなりにありえないとは思うけど」
なんて減らず口をたたくものの、さすがに鋼もこれを異常事態だと理解していた。
「あれ、一発ネタじゃ、なかったのか……」
常ならぬ弱々しい声のツッコミが口からこぼれる。
頭の中に学院長、いや、GIGIの声がよみがえる。
『説明しよう! GIGIフラッシュとはGIGIの体内の魔力を爆発的に爆発させることにより爆発したような爆発力を生み出す爆発技である。
その範囲は半径数百メートルに及び、その範囲内にいる者は全員あっという間に昏倒する。
GIGIの百八の技の一つ、SSランクの超必殺技である!!』
つまり、学院長に挑んだ五十人の精鋭たちは、
「いやー、しっかし……」
唯一閃光の影響を受けなかった鋼と、偶然その後ろにいたリリーア以外、
「まさか本当に一瞬で……」
あの親切ぶっていたが裏のありそうなライルも、リリーアの横にいたファンクラブ会長の女子生徒も、ピンク髪の狂信的リリーアファンの男も、属性障壁を張れる研究家肌のレイスも、鋼の首に凶器を突きつけた暗器使いの少女サーシアも、例外なく、
「全滅、しちゃうとはね……」
全員が昏倒し、リングアウトさせられていた。
「こんな、こんなことって……」
リリーアが、まるで抜け殻になったように呆然とその場に座り込む。
その気持ちは、少しだけれど鋼にも分かる。
リリーアの頑張りも、それぞれの思惑も、魔法への対策も、必死で考えた作戦すら、何の意味も持たなかった。
理屈も理由もない。
強いて言うならこれが、学院長の圧倒的な『力』の結果だった。
「さーて、困ったな」
そう言って鋼は、
「ほーむほむほむほむほむ!!」
と高笑いをする学院長から、リリーアをかばうように前に立ち、
「この場合約束って、果たしたことになるのかな?」
首をかしげながら、木の枝を構えたのだった。