第五十章 失われた魔法の使い手
「『悔恨の波動』っていうのは、地味だけど相手を傷付けずに無力化するには最適な魔法よ」
リリーアは、一応倒れたレメデスを介抱しながら、そう解説する。
「僕には効かなかったみたいだけど、一体どんな効果なんだ?」
鋼が尋ねると、少しだけ考えてから答える。
「簡単に言えば、相手の持つトラウマや罪悪感を増幅させる魔法、かな。
だから、壮絶な過去を送ってきた人や、心に何かやましいことがある人には効果が強いの。
何でも、相手をすくませる竜の咆哮と同じ性質のものらしいわ。だから、戦意高揚の効果がある『勇気の詩』で多少軽減できるのよ」
それに、わたしには後悔するような過去なんてないしね、と胸を張るリリーア。
自信過剰もここまでくれば賞賛に値するかもしれなかった。
「それより、やっぱりあんたには効かなかったみたいだけど、やっぱりタレントの効果?」
「ああ、それは……」
そうだろうと答えたかったが、今のところ思い当たるタレントがない。
こんな時のための手帳かと思って久しぶりに手帳を開き、最新の発動を探して、
『超高級耳栓』
一瞬で閉じた。
竜の咆哮と同じとは聞いたけど、いくらなんでも耳栓はちょっと違うだろ、というのが鋼の感想だ。
「どうしたの?」
とリリーアが聞いてくるが、鋼はあくまで何でもないと言って押し通した。
「それより、レメデス先生はどうするんだ?
目覚めてまた襲ってきても、対抗手段はないだろ」
「ん。もちろん誠心誠意、『お話』させてもらうつもりよ」
そう言うと、リリーアは小さな声で歌を口ずさむ。
すると、悪夢にうなされていた様子のレメデスに変化があった。
「こ、こは……。んん? わたし、は…?」
目を覚まして呆然とするレメデスに、
「レメデス先生、少し、お時間を頂けますか?」
リリーアはそう言って、まるで淑女のように小さく膝を折ったのだった。
その後、レメデスとリリーアの話し合いは、意外にも本当に丁寧かつ厳かに、そして穏当に進んだ。
リリーアが最高級の猫をかぶっていたこともそうだが、弱っていたせいかレメデスから常時バーサークみたいな雰囲気が抜け落ち、ある程度普通の教師みたいな態度を取っていたのが大きな理由だろう。また、レメデスがしきりに時計を気にして、話を早くまとめようとしたこともその一助になって、話し合いはリリーアたちにとって有利な方にまとまった。
その結果、リリーアが勝ち取ったものは二つ。
一つは、明日からあの監禁部屋を出て、寮での生活を再開すること。
もう一つは、とりあえずレメデスによる特別補習は終わりにして、通常の授業に復帰すること。
そのための条件として、絶対に学院を脱走しないこと、別途レメデスの出す課題を必ず完遂することが義務づけられたが、なかなかの好条件だと言えよう。
その後、話し合いの終わりくらいにはそれなりに回復していたレメデスは、一足先に図書館を出て言ったが、鋼たちはもう一度、『聖邪の魂滅』の前に戻っていた。
そこで、リリーアから今回の件の種明かしがあった。
「昔は本の盗難とか借りたまま返さないとか、色々トラブルが多くて苦情が出てたらしいわ。
それで学院長は、この本を図書館の盗難避けに使うことを決めたそうよ」
「盗難避け?」
「そう。この本を見て、何か気付かない?」
リリーアにうながされ、鋼はもう一度本を眺めた。
「あれ? もしかして、ページが変わってる?」
「あ、やっぱり本当に見えてたんだ」
「だからそう言ってただろ」
信じていなかったのか、と鋼は少し呆れた。
「そういうワケじゃないけど……。
実はこの本にも常時『悔恨の波動』がかけられてるのよ。
だから、普通なら直視したら気分が悪くなるか、ひどい時は増幅されたトラウマや罪悪感に押しつぶされて幻覚や悪夢を見ることになる」
「あ、もしかして……」
リリーアの言った症状が、レメデスの苦しみ方と重なった。
「そういうこと。
この本は学院長の魔法によって、三十分に一度めくられるの。
そして、この本に宿った魔力を利用して、ページがめくられるごとに『悔恨の波動』が図書館全域に広がるようになっている。
しかも、図書館の入り口にかけられている特別な魔法によって、ここの本は貸出処理をしないと絶対に外に出せないし、その申請には絶対に三十分かかる」
「じゃあ泥棒なんかがいたら……」
「盗みを働こうとした罪悪感に押しつぶされて、動けなくなるってこと」
よく考えられているシステム、なんだろうか。
鋼は思わず納得しかけてしまったのだが、
「ただまあ、致命的な欠陥があってね」
そう言って、リリーアは図書館を見回した。
「まさか……」
鋼があることに思い至ると、リリーアはそれを肯定するようにうなずいた。
「そ。この図書館、そのせいで利用者が激減しちゃったらしいわ」
本末転倒すぎた。
「あと、この本、たしか四百ページ弱、見開きで言うと二百ページくらいあるんだけど、その最後のページまで行くと一気に最初のページに戻るのよ。
そうするといつもとは比べ物にならないくらいの『悔恨の波動』が図書館中に広がってね……」
「どう、なったの?」
「過去に生徒が一人、廃人になりかけて、学院長の責任問題になったわね。
それからはページが巻き戻る前にはアラームが鳴るから逃げ遅れる人はいなくなったみたい。あ、あと、図書館の前にあの警告が付け足されたのもそのせいよ」
「それで廃止にされないってのが逆にすごいね」
リリーアはそれにはうなずいたが、
「でも、わたしたちにとっては好都合だわ」
目をらんらんと光らせて、鋼を見た。
「……何が?」
嫌な予感をびんびんに感じながら鋼が聞くと、
「学院長ね。基本的に神出鬼没で学院長室以外のどこに出て来るか分からないんだけど、自分のこの仕掛けが相当気に入っているらしくて、唯一、図書館のこの場所にだけは足しげく通っているそうよ。
普通だったら、この本の前で待機するなんて、自殺行為なんだけど……」
「ええと、もしかして…?」
「ええ、そうよ!
あんたには、この図書館に常駐して『敵』の偵察をする任務を申し渡すわ!」
やはり、と言うべきか、リリーアはノリノリで鋼に厄介事を押し付けてきた。
ともあれ、さすがのリリーアも今日からずっとここにいなさい、とかそういう無体なことを言うほどワガママでもなく、鋼たちは一度あの監禁部屋に戻ることになった。
ちなみにもう部屋の鍵は受け取っているので、今日からでも自由に外出はできるそうだ。
「それにしても、レメデス先生も結構あっさり僕らを解放したよね。
もうちょっとあの部屋で生活するハメになるかと思ってたけど」
道中、鋼がそう漏らすと、リリーアはあっさり答えた。
「まあアレは引き締めというか、罰ゲームというか、お仕置きというか、生徒を反省させて真面目にさせるためのものだからね。
あとは底辺の場合は学力の底上げとかには効果あるだろうけど、わたしたちはそれぞれ真面目にやればある意味優秀だから、向こうも引き際を考えてたんじゃない?」
「そ、そうなんだ……」
この世界は魔法のおかげで技術レベルだけは現代日本に比肩しているけれど、教育制度とかは結構遅れてそうだなぁと鋼は感じた。
しかし逆に言えば、そういう制度がいらないほど真面目で善良な人が多いのかもしれない。
その後、
「もしかしてわたしと同じ部屋で暮らす生活が名残り惜しいなんて思ってる?
あ、アイドルのわたしと一緒に暮らしてたって自慢したい気持ちは分かるけど、他の奴らに漏らさないようにね」
「思ってないし誰かに話したりしないよ……」
なんて疲れるやり取りを経て、監禁部屋へ。
「それじゃわたし、汗かいたからお風呂入って来るわ。
ついでにシロニャも洗ってあげるから」
「な、にゃー!」
なんて言ってリリーアがシロニャの首根っこをつかんでお風呂へ向かってしまったために、鋼は補習でぐったりしたクリスティナと二人きりになってしまった。
「ひどいです。わたしが先生と二人きりで勉強している間、お二人は図書館で遊んでたって……」
クリスティナの恨めし気な視線が鋼に突き刺さる。
「い、いや、今後の作戦を話し合ってたんだよ。
あー、それより、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
早急に話題の変更の必要性を感じた鋼は、図書館でリリーアにした、『翻訳の首輪』に関する話をもう一度クリスティナに話してみた。
「それ、おもしろいですね!
ハガネさん、『神聖魔法言語』を話せるんですか!?」
「え? あ、いや……」
そういう意味で言ったワケでもないのだが、話せてしまうのは事実。
キラキラした視線の圧力に負けて、
「ああ、まあ……」
鋼は小さくうなずいた。
「だったら、昔試していた魔法をやってみましょうか」
クリスティナは意気込んで言った。
「昔試してた魔法?」
「はい! 実は『翻訳』系アイテムの効果を魔法で再現しようとして、相手の使っている言語を習得する試作魔法みたいなのを作り出した気がするんです」
「すごいじゃないか!」
それはもう十分新作魔法と言えるんじゃないだろうか。
「いえいえ。それが大陸共通語以外を話す人が周りにいないので、一度も試す機会がなくて……」
「あー」
それで、作り出した『気がする』、なのか、と鋼は納得した。
「えへへ。創作は爆発ですからね。色々やってるんです」
どこか照れたように話すクリスティナ。
ちなみにそんな風に二人が話している間も時折、
【だ、ダメなのじゃ! 猫形態にそんなことされたら溺れちゃうのじゃ!
やめ、にゃ、がぼがぼがぼ……】
みたいな断末魔が頭に響いたので、鋼は無言で合掌しておいた。
そんな鋼の不審な動作にもまったく頓着せず、
「た、試してみて、いいですか?」
そう話して鋼ににじり寄ってくるクリスティナは、完全にマッドサイエンティストの顔になっていて怖かったが、鋼が振った話題のために無下に断るのも気が引ける。
「ま、まあ、ちょっとなら……」
しかたなくうなずく鋼にクリスティナが人を不安にさせるような満面の笑みを見せる。
「じゃ、行きます!」
そう言うと、クリスティナは一転、真剣な顔で集中を始め、
「あの、ちょっと変な感じがすると思いますけど、動かないでくださいね」
「え、いや、ちょっとそういうの聞いてないけど!」
あわてる鋼の頭に、ゆっくりとその手を近付けていく。
そして、
「うぁっ!?」
脳の中をいじくられるような、何とも言えない不快感の後、
「やった! 成功しましたっ!」
クリスティナが歓声を上げた。
「本当に?」
いぶかしげな鋼の視線にもめげずに、
「こうして話せているのがその証拠ですよぅ!
へへへ。見ててくださいね。
光よ!」
クリスティナは高らかに叫び、……何も起こらなかった。
首をひねったのは、当然クリスティナ。
「あれー。ハガネさん。わたし、ちゃんとしゃべれてますよね?」
と言ってくるが、鋼には何とも言えない。
クリスティナのしゃべりはいつも通り自然というか、いつもより自然というか、何の違和感もない。
もしかすると鋼の大陸共通語の知識をさらに吸収したとかだろうか、と鋼は考えるが、答えは出なかった。
「うーん。手応えあったのになぁ。
やっぱり、失敗だったんですかねぇ……」
落ち込むクリスティナ。
そこに、
「あんたたち、一体何話しているの?」
いぶかしげな顔をしたリリーアが風呂場から上がってきた。
手には、ぐったりしたシロニャを抱えている。
「今ちょっと新作魔法が爆発で、成功したのに魔法が失敗して……」
「何を言ってるのか、ひとっことも分からないわよ!」
クリスティナの必死の解説をばっさりと切って、リリーアが部屋の中に入って来ると、
「そんなことより、今日は祝杯よ!
このメンバーで過ごすのも今日が最後だから、お別れ会をかねてね」
ララナに続く、宴会好きの性質をそこで露わにした。
用意周到にも、リリーアは食堂で会った友達に色々と頼んでいたらしい。
この展開を読んでいたとも思えないが、ともあれ続々やってくる食料や飲み物を受け取り、すぐに夕食兼酒盛りが始まった。
宴会が始まってからしばらくは何だか違和感があったのだが、それもすぐになくなって、三人と一匹は大いに盛り上がった。
まあ結局、鋼はお酒は遠慮して、ジュースの類ばかりを飲んでいたのだが、他の二人と一匹はガンガンとお酒を飲みまくった。
リリーアは意外にも酒に弱く、一番先に酔いつぶれてしまった。
なぜかシロニャも猫の姿のままお酒を飲み、今は完全に猫化して鋼の手にじゃれついたり甘噛みしたりして楽しんでいる。
必然的に、まったく飲まなかった鋼と、これまた意外にもお酒に強かったクリスティナが後片付けをすることになる。
後片付けも大体終わったところで、
「僕はもう寝るけど、クリスティナは?」
と聞くと、クリスティナは申し訳なさそうに答えた。
「あ、あの。さっきの実験で、失敗だったんですけど、何だか意欲がわいちゃって……。
もうちょっと、今やってる魔法の方、色々試してから寝ます」
今やっているというと、前に話したアイテムボックスを魔法で再現するという奴だろう、と鋼は当たりをつける。
「ああ、うん。無理しないようにね」
と鋼が最後にそう声をかけて眠ろうとすると、
「ありがとうございます!
でも、わたしもリリーアさんや、ハガネさんのお役に立ちたいですから」
なんて健気なことを言ってきた。
「クリスティナ!」
「は、はい!?」
もうここで会話を切り上げようと思っていたにもかかわらず、鋼は思わず、声をかけてしまっていた。
そして、普段あまり言わないことを口にする。
「あの、さ。今日で二人とは別の場所に行くけど、でも……」
「はい! わたしたちは離れても同志ですし、その、も、もうお友達、ですよね?」
上目づかいでおずおずと尋ねてくるクリスティナに、
「もちろん!」
鋼は今日最高の笑顔で答えたのだった。
で、その翌日。
いつの間にか、クリスティナは部屋から姿を消していた。
そもそも昨夜は鍵を閉めて寝たし、その鍵は鋼のポケットにある。
「一体、何があったんだ?」
途方に暮れる鋼に対して、そこに落ちていたクリスティナの冒険者カードを取り上げて、リリーアは言った。
「んー。ま、カードがここにあるってことは、生きてるってことだし、これで大体見当はついたかも」
そう言ってリリーアが見せた冒険者カードの二つ名欄、そこには、
『偶然だけど時空魔術師』
と書かれていた。
唖然とする鋼に、
「ま、大丈夫よ。所詮クリスティナだから」
と軽く言ってのけるリリーアの言葉を聞いて、鋼はなんとなく、
(クリスティナとは何か忘れた頃にぽろっと再会することになりそうだなぁ……)
とぼんやりと考えていた。