第四十九章 魔法図書館戦争
「ここが、学院図書館……」
久しぶりに外に出た鋼は魔法学院をそれとなくリリーアに案内され、すれ違う学院生や先生に見事な外面のよさを見せるリリーアに呆れながらも色々な物に興味を示し、ならせっかくだからと食堂に寄ってご飯まで食べてその後そこで出会ったリリーアの友人たちにうわーリリーアちゃんその男だれーこいびとーとかうわーその猫なにー超らぶりーなんですけどーきゃーわいーとか騒がれた挙句に実は彼こそは幻の転校生ですえーぎゃーまさかーははーっそれにこっちは実はかみさまですえーぎゃーまさかーへへーっみたいなやり取りを経てすっかり意気投合して騒ぎまくって食堂のおばちゃんに追い出されて散り散りになりまた二人と一匹にもどったところで我に返ってそれじゃあ当初の目的通り図書館行くかということになった……くらいで特に変わったこともなく、鋼たちは図書館の前までやって来ていた。
学院の校舎の一番奥。そこに、四階まである天井をぶち抜いて、巨大な部屋が作られている。それが、学院図書館である。
大きな両開きの扉の上にはやはり大きなプレートが掲げられていて、そこには、
『この門をくぐるものは、一切の邪念を捨てよ』
と書かれている。
「なんか、すごく物騒な雰囲気がただよってる気がするんだけど」
すっかり怖気づいた鋼がリリーアに振り向くが、
「単なる警告でしょ。大丈夫、たぶん死にはしないわよ」
リリーアは取り合わない。
さっさと扉を開けてしまう。
「あたかもフォローのような発言でありながら、よく聞くと実は何にも否定してないよね」
「いいから、行くわよ」
さっさと中に入っていくリリーアにくっついて、鋼もあわてて中に入った。
「うわぁ……」
思わず鋼が声を上げてしまうほど、そこにはたくさんの本があった。
視界の全てを本が覆い尽くして、目をくらませてしまうほどだ。
日本で広い図書館と言うと鋼には国会図書館が思いつくが、ここはおそらくそれ以上だった。
入る前も、ずいぶんと広いスペースを取ってるなと思っていたが、それどころではない。高さが明らかに元の校舎よりも高く、広さもまた規格外だった。
そしてそのスペース全てを使って、これでもかとばかりに本が詰め込まれているのだ。
「詳しくは知らないけど、少しだけ時空を歪めてるらしくてね。外より中の方が大きいらしいわよ、ここ」
「ふぇー」
鋼の口から間抜けな声が漏れる。
そんな青狸みたいな真似をリアルでやってしまう建物に自分が入ることになるとは思わなかったのだ。
しかし一時の驚きが過ぎ去ると、不自然な点にも気付いてくる。
「あのさ。魔法学院の生徒って本読まなかったりする?」
「なに言ってるの? そんなワケないでしょ」
「だよなぁ。もしかして、魔法以外の勉強って自分でしなかったりとかは……」
「ありえないわよ。わたしみたいのはむしろ少数派。
授業以外でも常に勤勉に学んでいるのが魔法学院生の基本姿勢よ」
やはりそうだったのか、と鋼はリリーアの言葉に納得すると同時に、非常に納得しがたい事実に気付いてしまった。
「じゃあさ、どうしてかな?」
「何が?」
「僕の目が正しければ、こんっなに広い図書館でイスも机もたくさんあるのに、誰も利用者がいないんだけど?!」
その言葉にリリーアはあーやっぱりそこに気付いちゃったか、というような表情を垣間見せ、
「とりあえず、それも含めて話したいからこっちに来て」
と鋼を奥に引っ張っていった。
引かれて歩いていく鋼に、
【コウ。気をつけるんじゃぞ】
シロニャの声が届く。
「シロニャ?」
不審に思って肩を見ると、白猫は鋼と同じくらいきょとんとして鋼を見返してきた。
(猫の方、じゃない?)
鋼が首をかしげると、さらなる声が響く。
今度ははっきりと分かった。
【残念ながらそっちのワシは、今ちょっとその、会話できなくなっておる。
今話しているのは本体の方じゃ】
声は、鋼の耳ではなく、頭に直接響いていた。
(どういうことだ?)
鋼もリリーアに聞こえないようにオラクルに切り替える。
【この図書館、どうも魔法を阻害するような仕掛けがしてあるらしいのじゃ。
オラクルなどの神様的な力は普通に使えるんじゃが、その白猫を動かす仕掛けには戯れに半分くらい人間の魔法を取り入れとるワケでじゃな。
なんというか、体自体は魔法ではなくてワシの分身じゃから消えないのじゃが、分身するに当たってワシの本性というか、根源的な部分を織り込んで作ったものであるからして、あたかも本当に動物的な欲求を優先する傾向もあってじゃな……】
(つまり?)
長ったらしい説明をぶった切るように鋼が聞くと、
【ワシと感覚がつながっとる以外、ぶっちゃけ普通の猫になっとるんじゃ】
シロニャはあっさりと答えた。
【って、そうじゃなくてじゃな!
ワシの分身がそんなになっちゃうような仕掛けがあるのじゃから、おぬしも気を付けろと……。
おい、コウ!? 聞いておるのか?】
(そうか……。そう、なのか……)
もちろん聞いてはいなかった。
ただ鋼は、シロニャの言葉に重々しくうなずくと、
「ほーら、喉ごーろごろ!」
器用に引っ張られて歩いたまま、肩の上の白猫をいじり回し始めた。
【ば、バッカ、ちょ、やめるんじゃよ!
そんなとこ撫でられたら、気持ちよいではな……うにゃー!!】
頭の中でシロニャが騒ぐが、鋼は止まらない。
実は鋼も撫でたかったのだが、通常状態でやると釣られてシロニャが変な声を出すので、どうしても犯罪チックな光景になってしまい、自粛していたのだ。
「みーけんにのっどうら、ひっげのよこー!」
【だからダメじゃって、あ、うにゃ、う、う、うなー!】
めずらしくノリノリで、鼻歌まで歌いながら白猫をいじり倒す鋼の手管にシロニャは危うくユニバースしそうになったが、
「……あんた、何やってんの?」
スカートめくりの時よりマッシの時よりも冷ややかな目をしたリリーアによって、救われることになった。
一方で窮地に陥ったのは鋼だった。
声は漏れていないはずなのになぜ、と思ったのだが、
「なぁに、どうしてバレた、みたいな顔してんのよ!
あんたの変態っぷりなんて、その子の表情見れば一目瞭然でしょうが!」
猫に、表情だと…と鋼が肩口を見ると、件の白猫は前足で器用に顔を隠しながら顔を心持ちうつむかせ、
「…にゃん」
はじらいの仕種を見せていた。
普通の猫だなんてとんでもない。なかなかに芸達者な猫である。
こうなればもう、鋼に取れる手段は一つしかない。
「あ、あははは…」
「笑うんじゃないわよ、変態」
「……ええと、今のは」
「しゃべるな変態」
「…………」
「息するなHENTAI」
「いやいや、それはさすがに死んじゃうから!」
「分かったわ。じゃあ、皮膚呼吸までなら許す」
「よかっ……って、よくないだろ!
結局死ぬだろ、それ!!」
「だから?」
「……………………」
「……………………」
この結果。
一人の少年が、無言で息を止めながら腕を引かれて歩くという奇妙な光景を生み出すことになったのだが、自業自得である。
それから息を止めすぎて顔色がやばくなった辺りで、ようやく自主呼吸権を返還された鋼は、リリーア監視の下、特に何事もなく目的地に向かい、
「あんたに見せたいのは、これよ」
やってきたその広大な学院図書館の中心に、それはあった。
「これって……本?」
裏側からなのでよく分からないが、まるで吹奏楽の時に楽譜を置く譜面台を一回り大きく立派にしたような台座の上に、本が一冊、置かれているようだった。
「もう一度だけ聞くけど、あんた変なトラウマとか、現在進行形でものすごく悩んでることとか、そんなのないわよね?」
「またその話? 僕には何もないよ、そういうのは」
二度もそういう話をするということは何か意味があるのだと考えられたが、鋼にはその理由が見当もつかない。
ただ、素直に思ったところを答えた。
「なら最悪の場合でも大丈夫ね。
ちょっとその本、見て来てくれる?
少しだけでいいわ」
「……分かった」
流れ的にこれから見ようとしている本が危ないものだというのは鋼にも想像できたが、ここは素直にうなずいた。
はっきり言えば、好奇心の方が勝ったのだ。
「あ、念のためにこの子はこっちで預かっとくから」
そして、安全のためと称して鋼の肩から白猫を引き取っていく。
しかしその手つきを見る限り、目的がそれだけではないのは明白だった。
【刻の涙が見えるのじゃ……】
ドナドナされていくシロニャが何か言っていたが、今はリリーアに逆らうとか鋼にはちょっと考えられないことだった。
素直にシロニャを預け、台座に向かう。
【にゃー! そこはさわっちゃダメなのじゃよー!】
脳裏に反響するシロニャの悲鳴をとりあえず無視して、
「根性見せなさいよ。期待、してるんだからね」
小声でつぶやかれたその激励の言葉にプレッシャーを感じながらも、台座の正面に回り、ひとつ、大きく息を吸って覚悟を決める。
意を決して顔を上げ、台座に鎮座している本を見て、
「な、そん、な……」
鋼は思わず絶望の声を上げた。
「ッ! どうしたの!?」
あわてて駆け寄ってくるリリーアに、鋼は虚ろな目を向け、告げた。
「これ、難しすぎてじぇんじぇん読めないんだけど……」
「当ったり前でしょうがバカァ!!!」
叫ぶなり、リリーアは鋼の腕をつかんだまま、ぐったりとその場に崩れ落ちた。
「はあぁ。もう、驚かせないでよね。
何かあったのかと思って、本当に心配しちゃったじゃない」
「ご、ごめん…?」
鋼は一瞬リリーアの本気の心配に感謝しそうになってしまったが、考えてみればリリーアはそのくらい危険なことをさせた張本人でもあるワケで、あまり素直に喜べないところだった。
「それで、この本は?」
複雑な思いを振り切るように、鋼は尋ねる。
リリーアもすぐに立ち直って答えてくれた。
「これは、『聖邪魂滅の書』と呼ばれる最古の魔道書のひとつで、今はもう失われてしまったもっとも力ある言語『ロゴス』によって書かれているとされているわ」
「聖邪、魂滅の書……」
おののくように、鋼はその名を繰り返す。
リリーアはその声を聞いて、さすがのハガネもこの本には畏怖を感じたのか、と考えたが、実は久しぶりに厨二の匂いのする名前にわくわくを抑え切れなかっただけだったりした。
「念のためもう一度聞くけど、あんたはこの本、ちゃんと見れたの?」
「いやだから! さっきも言ったけど、難しすぎて……」
「ふぅん。見たはいいけど、難しすぎてまったく分からなかった?」
「だから、そう言ってるだろ! こんなの……」
何度も確認するリリーアに、鋼が少し苛立つと、
「さっすがハガネね! あんた、文句なしだわ!!」
リリーアから、まったく予想外の賞賛の言葉を受けた。
「え? あれ? でも、全然分からないって……」
混乱する鋼に、リリーアは答えた。
「わたしは『見て来い』って言ったのよ。
一言も、『読んで来い』なんて言ってないでしょ?」
「そういえばそうだったかも……」
リリーアの言動を思い返すと、たしかに『見る』ことにこだわっていた気がする。
「と、いうことは?」
「さっきも言ったでしょ。合格よ、それも文句なしのね」
合格したら面倒な役回りをやらされるだけだと分かってはいても、リリーアの言葉に、鋼は少しだけうれしくなる。
「そもそも現代に『ロゴス』で書かれた本を読める人間なんていないし、読めちゃったらまずいわよ」
「まずい、って?」
「あまりにも内容がすごいらしくてね。
部分的にでも、この本を読んで無事だったのは一人だけ。
ほかの何人、何十人もの魔術師が、この本を理解しようとして発狂したり廃人になったりしたらしいわ」
あっさりとそんなことを言ってのける。
「廃人……!」
この女なんてことさせんだよ、と鋼は思わず絶句してしまった。
(つまりアレか。暗記用の単語帳程度の大きさでも、魔道書の原典はそれだけ大きな力を持つとか、そういう理屈か?)
鋼が思わずそんなバカなことを考えると、
【ばかもの。原書の力とはそのくらい大きいものなのじゃ】
何かこういうことに関しては絶対に機を逃さないシロニャまでも話に加わってきた。
とりあえず面倒なので黙殺する。
読めなくてよかった、というところは理解できた。
だが鋼には、それで、はいそうですか、と納得するワケにはいかなかった。
「でも、僕はこういうのをしてるんだけど……」
と、自分の『翻訳の首輪』を見せると、
「わ、すごい! それ『翻訳の首輪』じゃない!
……魔物用みたいだけど」
やっぱり魔物用であることが発覚した。
「『翻訳の首輪』って言うくらいだから、これさえあれば『ロゴス』とかいうのも翻訳してくれるんじゃないかと思うんだけど?」
鋼はおずおずと、それでもそれなりに自信を持って尋ねたのだが、
「まさか!」
リリーアには一笑に付された。
「わたしは専門じゃないから詳しくはないけどね。
この『翻訳の首輪』ってのは着けている間、この首輪の製作者の言語的知識を自分の物にできるアイテム、みたいなものなのよ。
ほとんど自動発動してるから、あんまり本人は意識しないみたいだけどね。
ええと、だから性能差はあるけど、少なくともこれを着けたって『ロゴス』だの『神聖文字』だの『元素魔法言語』だのを読めるようになるはずないのよ」
「な、なるほど……」
そういえば『瞬間記憶復元』が使えないためうろ覚えだが、ミスレイにこれを渡された時、大陸共通語だけしか翻訳できないと聞いた気がする。
「そもそもあんた、昨日の本読めなかったじゃない」
「…あ」
そうだった。
前回気付くべきだった。
完全な鋼の勘違いだった。
実はさっき、ほんの少しだけ、
「この首輪使えばどんな本でも解読余裕じゃね?」
みたいなことを思っていたことは、鋼だけの秘密である。
しかし、それで思いついてしまったことがひとつ。
脱線と分かっていてもリリーアに聞いてみる。
「じゃ、じゃあ、仮に『ロゴス』……はさすがにアレだとしても、例えば『神聖文字』なんかを完全に読める人はいるよね。
その人が、『翻訳の首輪』を作ったとしたら、めちゃくちゃ売れる?」
鋼としては会心のアイデアかと思ったのだが、なぜかリリーアには呆れたようなため息をつかれた。
「あのね。『ロゴス』はもっての他としても、『神聖文字』にしたって完全に読めるとか、そんな人間いるはずないでしょ。
仮に『神聖文字』、つまり『神聖魔法言語』を完全に使いこなせたら、それは話す言葉全てを『神聖魔法』として使うことができるってことなのよ」
「え……」
予想外の返答に固まる鋼。
「それができるとしたら、それは光の女神様本人か、いるとは思えないけど古代から生き続けてる魔法使いの生き残りか、あるいは唯一現実的なところで……十数年前に生まれたっていう、光の女神の生まれ変わりとか言われてる神子様ならもしかすると可能かもしれないけど」
「あ、いや、もういい。分かったよ」
想像していたよりもずっと、『神聖魔法言語』とやらは難しいらしい。
そうすると、会った時に『神聖魔法言語』で会話をしてみせたミスレイって意外とすごい人なのかもしれない、と鋼は思った。
そして同時に、とあるタレントの効果でそれと同じ、もしくはもっとすごいことができる自分は……と考えて、鋼はぶるると体を震わせた。
厄介事は勘弁してほしい。これはますますリリーアには本当のことを言えなくなった。
なんて鋼の思考を、まるでトレースしたみたいに、
【ふふん。ようやくワシのすごさが分かったようじゃな!
ポイント2000のタレントは伊達じゃないのじゃ!】
どこからともなく、声が聞こえた。
いや、犯人は丸分かりなのだが。そして別にすごいのはシロニャではないのだが。
【じゃ、じゃからその、べ、べつにワシに惚れ直したりしてもよいのじゃぞ? ん?】
(いや、それはない)
【な、なんじゃとー!
……あ、つまりもうワシへの好感度はマックスじゃということか】
(いや、それもない)
【う、うにゃー!】
最近猫化の激しいシロニャを適当にいなしていると、それを考え込んでいると見たのか、
「ま、それについてはあとでクリスティナに聞いてみなさいよ。
あいつの専門、火の魔法の他には魔法道具の効果を普通の魔法で再現することだから、力になってくれるかもよ」
リリーアが、一応フォローの言葉をかけてくれる。
「そろそろ本題に入るわよ。
これを見てもらったのは、あんたにわたしたちの『敵』を知ってもらうため」
「僕らの、『敵』?」
「そうよ。この本にかけられている魔法、それこそが……」
鋼の疑問に、リリーアが力強く答えようとした、その時、
「べぇんきょうさぁぼってぇぇえぇえぇる、わるいごはいねがぁああああああああああああああ!!!」
図書館の扉が轟音と共に開くと、その奥から登場シーンのホラー度に定評のある例のあの人が飛び込んできた。
「やばっ! ここに来るまでにちょっと寄り道しすぎたかも!」
さすがのリリーアも、これには表情を変えた。
「やぁぁっぱりさぼってるねぇえ! こぉねこちゃんたちぃいいいい!!」
図書館中に響くような声で言うと、レメデスがこちらに駆け出してくる。
まだ遠すぎてレメデスの姿は豆粒くらいの大きさにしか見えないが、それがどんどん大きくなっている。ものすごいスピードだった。
「逃げるわよ!」
固まる鋼の手を引いて、リリーアが動き出す。
「で、でも、転移魔法とか使われたら……」
鋼の懸念には、
「ここは魔法禁止空間だから、ある一つの魔法を除いて魔法系のスキルは全部使えないわ」
と冷静に返してくる。
しかしだとすると、レメデスのあの速度は魔法を使っていない素のスピードということになる。
「化け物じゃん……」
思わずこぼしてしまうが、
「その化け物につかまらないようにしっかり走る!」
と逆に喝を入れられた。
しかし、そんなことを言う割には、最初鋼の手を引いていたリリーアの方が少しずつ遅れ始めている。
「というか、逃げ続けて何とかなるものなのか?」
「大丈夫! あいつ、頭に血が昇って今の時間も把握してないわ!
とりあえず時間を稼げば……」
なんて言うが、リリーアの走る速度はそんなに速くない。せいぜい高校の陸上部レベルだ。
いや、それだって十分以上に速いのだが、後ろから迫るレメデスは完全に人間離れした速度で追いかけてくるのだ。
このままでは確実につかまってしまう。
「こういうマンガのキャラみたいなことは、できるだけやりたくないけど」
鋼は生存のために葛藤を振り切って、
「え? あ、ちょっと!」
両腕でリリーアを抱え上げた。
もちろん俗に言うお姫様だっこスタイルである。
「わ! ちょっと! ダメだって!」
リリーアがもがく。
やっぱりいきなり男に抱えあげられたらリリーアだって驚くのか、と鋼は思ったが、
「アイドルに男は厳禁なんだってば!
噂が立つだけでもずいぶんマイナスなんだからぁ!」
怒っているポイントはさすがリリーアだった。
だがそのおかげでずいぶんスピードが上がる。
抱えたリリーアの体もまったく苦にならない。
チート成長した筋力と敏捷は伊達ではないのだ。
「これなら?」
と思って後ろを振り返ると、
「にぃがぁさぁなぁいぃよぉおおおおおおおおおお!!」
思ったよりもずっと近くにレメデスがいた。
このままでは追い付かれる。
「な、何かないのか?」
「わたしの歌じゃレメデス先生には効かないし、あんた、武器は?」
「物騒だから置いてきた」
かわいそうだけど、地面を陥没させるようなアイテムを図書館に持ち込むワケにはいかない。
一応言い聞かせて部屋に置いて来てしまった。
「あ、いや、待てよ」
「え、なに?」
そこで鋼は思い出した。
今は他の武器は持っていないが、もしかしたら。
一縷の望みにかけ、鋼は叫んだ。
「来い! AIBOOOOOOOOOOOU!!!!」
はがねは なかまを よんだ!
しかし なにも あらわれなかった!
しばらく放心して、しかしすぐに我に返ったリリーアが鋼の耳元に叫ぶ。
「無駄よ! ここは学院の中とは言っても、入口以外は空間的に断絶しているわ!
どんなに呼んだって来るワケない!」
(学院の、中…?)
鋼はその言葉にひっかかりを覚えたが、それについて詳しく考える間もなく、
ばっびゅーーーーーん!!
いつもよりも三割増しくらいの速度で、見慣れた木の枝が飛んでくる。
「よしっ!」「うそぉ!」
鋼の快哉の声とリリーアの驚きの声が重なる。
「なぁんだってぇ!?」
猛スピードで突撃してきた木の枝は、突然感じた気配にあわてて振り向いたレメデスをあっさり跳ね飛ばし、
「なんとぉおおおお!!」
しかし、レメデスは吹き飛ばされた先の書棚に両手両足をついて、堪えてみせた。
「うわっ!」「うそぉ!」
今度は鋼とリリーアの驚きの声が重なる。
が、それでもいくらか距離を稼げたことはたしかだ。
「いつも悪いな、相棒」
感謝の言葉と共に鋼は木の枝を握りしめ、距離を稼ぐ。
だが、やはり鋼よりレメデスの方が若干速い。
このままでは追い付かれるのは時間の問題だ。
「どうする? このままじゃ……」
「もうすぐ時間が来るわ。
それに備えて、今から『勇気の詩』を歌う!
大丈夫だと思うけど、よく聞いて」
鋼の質問をさえぎって、リリーアが一方的に告げる。
「時間? 勇気の詩? なにそれ?」
「『勇気の詩』はバードのスキルよ!
魔法系じゃないから、ここでも使えるの!
いいから聞きなさい!
タダでわたしが歌うなんて、滅多にないんだからね!」
「何でもいいから早くしてくれ!」
鋼は悲鳴を上げる。
もうレメデスがすぐ近くまで迫っていた。
「~~~♪ ~~~♪」
リリーアが、歌う。
鋼は初めてリリーアの歌声を聞いたが、それはたしかに、まぎれもない歌手の歌声だった。
とても切羽詰まった状況で歌われたとは思えない、悠然としたその歌は、とても綺麗で鮮やかで、まるで鋼の体に染みわたっていくようだった。
鋼の従姉だった藍理も歌がうまかった記憶があるが、リリーアはそれ以上かもしれないと思わせるほどだ。
歌詞も感動的で、がんばっていつも一人で歩いていく女の子が主役の詩みたいだったが、なんとなく懐かしい気分になった。
だが、そんな感慨にふけっている暇もなかった。
鋼にしがみついていたリリーアの手が、何かを知らせるように急に鋼を強く抱きしめ、
【コウ! 何か、何か来るのじゃ!】
頭の中に、めずらしく切迫したシロニャの声が響き、次の瞬間、
「……え?」
図書館を、たぶん何かが駆け抜けた。
胸の中のリリーアが歌を止めて強くうめき、肩にしがみついていた白猫がびくんと飛び起き、手に握っていた枝すらわずかにぶるっと震えた。
鋼たちを追っていたレメデスにいたっては、
「う、うあぁああああ! あんたは! あんたたちはぁ!!」
頭を押さえて地面を転げまわっている。
しかし、唯一、
「ええと、今、何かあった?」
鋼だけは、何の影響も受けてはいなかった。
それに答えてくれたのは、立ち直ったリリーアだった。
「これが、あんたに見せたかった『敵』の力よ」
「『敵』の力?」
その質問に答える前に、リリーアはちょっと顔を赤くして、
「そ、それより、もういいから下ろして。
やっぱりちょっと、はずかしい」
「あ、ああ。ごめん」
いそいそと鋼から飛び降りると、鋼から少し距離を取って、服を直す。
「それで、さっきのことだけど……」
鋼の質問に、リリーアはいまだに何かに苦しんで悶えるレメデスを一瞥し、
「これが、わたしたちが破らなくちゃいけない力。
この図書館で唯一機能する魔法にして、『聖邪魂滅の書』から読み取られた唯一の魔法。
学院長の最強魔法『悔恨の波動』よ」
そう、はっきりと答えたのだった。
「ちょっと待って、リリーア」
リリーアの台詞をいったん棚上げして、倒れたレメデスも気にせず、鋼は真剣な表情でリリーアに向き直る。
そして、
「その前に、ひとつだけ、どうしても言っておかなくちゃいけないことがあるんだ」
「……なによ?」
「これは、逃げてる時に気付いたんだけどさ」
鋼はそう前置きしてから、大きく息を吸って、自らの不満を声高にぶちまけることにした。
つまり、
「あまりの大きさにごまかされそうになったけど、ここ実は図書館じゃなくて図書室だよね!?」
「どうでもいいわよそんなこと!!」
どうしたってツッコミをやめられない鋼の性分なのであった。