第四十三章 ファンです!
「朝からひどい目にあった……」
武闘大会二日目。
鋼の朝は、波乱から幕を開けた。
【おぬしは! いい加減に自分の体をいたわるということを覚えるのじゃ!】
というのは、昨日、本選一回戦が終わった後に言われたシロニャからのお叱りの言葉だ。
試合が終わって鋼が闘技場を後にしても、シロニャからの小言は延々と続いた。
深夜三時を回り、なぜか話題が鋼の怪我と最後のファンタジーとゲームハードの歴史の関連性にまでおよんだところで、シロニャの電池が切れた。その辺り神様とか言っても所詮三歳児である。
そこからようやく眠ることができたと思ったら、午前五時にララナにたたき起こされた。ララナは何をしていたのだか、明らかに徹夜っぽいテンションで鋼に絡んでいき、ようやくララナを追い返した時には、鋼はすっかり目が覚めてしまっていた。
それでもせめてあと一、二時間くらいは二度寝しようと思った時、ベッドの下で何かが光ったのに気付いてしまった。
「ま、さか……」
そのまさかだった。光ったのはメガネの照り返しで、ベッドの下にはなんというか、予想通りの人物が潜んでいたのだ。
「お早う御座います。昨夜はお楽しみでしたね」
「何をだよ!」
M系最強ストーカー忍者の登場である。
そこで説教と説得と懇願と逃亡に二時間を費やし、そこで鋼は完全に二度寝をあきらめた。
仕方がないので、多少時間は早めだが一足先に会場に向かうことを決める。
「いやしかし、ホントひどい目にあった……」
というワケで、鋼は今、トボトボと一人、会場に向かって歩いているという次第だった。
ちなみにシロニャは昨日叱り疲れたのか、まだ一度も声をかけてこない。本当の一人ぼっちである。
そして一人ということは厄介事が持ち上がっても鋼だけで解決しなくてはならないということだ。武闘大会に出たことで鋼の顔も知られている可能性があるし、少し警戒しなくちゃな、と鋼が思った時だった。
「み、見つけましたぁ!」
巫女服の女性に、なぜかロックオンされていた。
駆け寄ってくるどこか見覚えのあるその姿を見ながら、鋼はぼんやりと、昔身内で流行っていたマーフィーの第一法則を思い出す。
いわく、洋画での彼の声の吹き替えには最近では必ず山寺こ……とか、そんなことを回想している場合ではなくて、
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
なぜか鋼の手を取って、感謝の言葉を言い募る女性という名の厄介事を、鋼は何とかしなくてはいけなくなったのだった。
「そ、そ、その……試合! 試合見てたんです!」
という言葉に、この巫女服の女性が以前、鋼の試合を見ていた観客の一人だったことを思い出す。
最前列にいたし、変わった服装だったので、鋼も覚えていたのだ。
しかし、この反応は何なのだろうか。
大会で見ていた選手を偶然見かけた観客の反応、と考えても、いささか熱狂的すぎる。ぐいぐい来すぎて怖いくらいだ。
これではまるで……、と思ったところで、巫女服の人はさらにぐいっと鋼に詰め寄って来た。
そして、口早に告げる。
「わたし、ほんとに、ほんとにほんとにファン、いえ、大ファンなんです!」
「あ、ああ。ありが……」
「リリーアちゃんの!!」
「うぇ?!」
結城鋼の驚愕。
こういう場合は普通鋼のファンだと言うのではないか、じゃあ何で話しかけてきたんだ、と鋼は戸惑ったが、彼女はまだ止まらない。
「試合中、わたし最前列の、一番下の段で、ずっと、一瞬たりとも目を離さずに見てたんです!」
「あ、ああ。ありが……」
「リリーアちゃんのスカートを!」
「HENTAI!?」
結城鋼の驚愕、ふたたび。
鋼は驚愕を通り越して分裂とかしそうになったが、幸いそれはさらなる驚愕発言によって先延ばしにされた。
「リリーアちゃん、ほんとガード堅くて、グラビアとかでも全然水着にならないし、スカートも何か魔法でもかかってんじゃないかってくらい鉄壁で、階段下で三日間出待ちしてた時も全然パンチラとかしなくて!」
「ああ、うん。そうなんだ」
適当に相槌を打ちながら、鋼は事情がようやく飲み込めてきたと考えていた。
「だからあの予選のあの時はもう何が何だかって感じで、だけど少なくともスカート押さえて恥じらう姿が見えてよかったみたいなことを思ってたんですけど、もしかすると本選でもまたああいうことが起きるんじゃないかなーとか期待して、なのに試合中、一回もそんなイベント起こらなくて、試合が終わってもう帰ろうかと思った瞬間に、こう! こう! 純白のですね! 花がですね! 満開で! わたしもう思わず、ほぁ……ああ、いえ、ほぁんっとうに、感動して、だからあなたにはすっごく感謝してるんです」
うん、つまり、こういうことか。
(この人、アイドルのスカートめくりに感謝して、僕にお礼言いに来たんだな……)
筋金入りの変態が、鋼の目の前にいた。
「そーですか。あなたはすごくリリーアさんのことがすきなんですね」
「はい! わたし、昔から偶像崇拝とか得意なんで!」
「ではかのじょのゆうしがみれてとてもよかったですね」
「ふひひ。あの純白を勇姿だなんて、鋼さんやっぱり紳士レベル高いですね」
「おほめにあずかりこうえいです」
ひどく残念な気分になった鋼が、それからもしばらくノーガード戦法で巫女服の変態さんの話を聞いていると、突然、彼女が手を打った。
「そうだ! 鋼さんにはこんなによくしてもらいましたから、何かお返しをしましょうか!」
「おかえし、ですか…?」
機械のようになっていた鋼の目に、ほんの少しだけ光が灯る。それは大体、ザ〇ⅡJ型のモノアイ程度の光量だったが、反応ありと見たその人は攻めてくる。
「あ、そうだ! わたし、この大会の審判もやってるので、もし鋼さんが望むなら……」
ニヤリ、と邪悪な笑みを見せる女性。これには鋼もあわてて正気に戻った。
「いやいやいいです! そんな不正をしてまで勝ちたいとは全然思ってないんで!」
というか、余計なことをされても困るというのが本音だ。
これはさすがに言いすぎたと気付いたのか、巫女服の女性も頭を下げた。
「うぁ、なんというか、サーセン。
考えてみればわたし神の代理人って立場があるんで、そういうことやっちゃいけないんでした」
「はぁ……」
何か思い込みが激しいと思ったら、宗教関係の方だったのか、と納得する鋼。しかも大会の審判を任されているのなら、リリーア並みの知名度があることだって考えられる。
これは早々に退却を、と思ったのだが、
「あ! そうです! ならせめて、祈らせてください」
「え? いや……」
両手をガッとつかまれて、
「あなたとあなたの道行きに、幸福と幸運の天秤が傾きますように。
そしてあなたの魂が、迷うことなく我が身許に召されますように」
変な台詞みたいな物を聞かされたと思ったら、
――チュッ。
トドメとばかりに手にキスをされた。
「うあぁあ!」
こっちの世界にやってきて色々な経験をしたが、いまだに女性に免疫のない鋼はあわてて飛びのいた。
「祝福が終わりました。これできっと、また会えますね」
一方、巫女姿の女性は、一仕事終えたような満足そうな顔をしている。
「じゃ、また次の試合もアレ、期待してます!」
「次は絶対そんなことしないですから!」
そんなやり取りの果てに、巫女姿の女性は、結局名乗りもせずに行ってしまった。
「今のは一体、何だったんだ……?」
首をかしげる鋼の下に、
【浮気者の匂いがするのじゃぁ!】
さらなる厄介事の芽が届く。
朝から、いや、昨日からの厄介事の連続。
「いい加減に勘弁してくれよ……」
と鋼が漏らしたのも、無理からぬことだろう。
【だが断るのじゃ!】
しかしシロニャが勘弁するはずがないこともまた、鋼にははっきり分かってしまっていたのだった。
「それで、浮気者とかどういうことだよ」
さっきの巫女服姿の人と恋愛的な何かを勘ぐっているのなら見当違いだぞ、と思ったが、違った。
【まさかとは思うのじゃが、またどこぞの巫女なんぞに唾つけられて、そこらのビッチ女神の祝福をつけられたりしとらんじゃろうな?!】
「ビッチ女神…!?」
初めて聞いたフレーズだった。あと何で男神に祝福されたという選択肢が最初からないのかも気にかかる。が、まあ問題はそういうことではなかった。
どうやら神様であるシロニャにとって、鋼が他の神様の加護だの祝福だのを受けるのは許せないことらしい。
たしかに鋼はミスレイを通じて戦女神とやらの祝福を受けたことがあるので前科はあると言えるが、その時は特に気にしていなかったはずである。何か信教の……ではなかった、心境の変化でもあったのだろうか。
「というか、シロニャは今までずっと寝てたのか?
もうすぐ、僕の試合が始まるっていうのに」
なーんてことを考えながら、鋼の口は動く動く。
もしかして何か特別なタレントでも持ってるんじゃないのかって勢いで、鋼の口はシロニャをごまかしにかかっていた。
【う。仕方ないのじゃよ!
一昨日ちょっととある知的遊戯を、そう、有識者の間でピーチマントレインと呼ばれる電脳遊戯を一人で99年プレイして徹夜したせいで、昨夜はちょっと眠かったんじゃから!】
「仕方ない要素が一つもないだろ、それ!」
しかも遊び方が寂しすぎた。
だがとりあえず話を逸らすことには成功したようだ。
【そ、それより、次の試合じゃよ!
おぬし、もう無理はせんのじゃろうな!?】
シロニャまで話を逸らしにかかってくる。
だが、そこには隠し切れない心の底からの心配や、不安が伝わってきた。
「……しないよ。絶対にしない」
【約束、できるんじゃな?】
その質問に答えるのに、鋼はちょっとだけためらった。
「ああ。考えが、あるんだ。傷一つ負わない内に、終わらせてみせる」
だが結局、はっきりとそう答えた。
その言葉に安心したのか、
【すごい自信じゃなー。戦場では増長してる奴からどんどんやられていくんじゃぞー】
シロニャはようやくこわばった口調を砕けさせ、冗談を言ってくる。
それに鋼も安心して、軽口を返す。
「いやいや。今回に限ってはそんなことありえないね。
そもそも、僕は無理に戦うヒッ!?」
最後、声がおかしいことになったのには理由があった。
それはもちろん、
「どうした? まるで、昼日中に幽霊を見たような顔をして……」
昼日中に出た幽霊、アスティエールさんのせいである。
「昨夜、ララナが私の部屋に訪ねて来てな……」
ザンバラバラバラ状態の髪。隈の浮き出た目元。青くなった唇。まるで覇気のない幽鬼のような表情。
見る影もなくなったアスティに事情を聞くと、ぽつぽつと話し始めた。
「何だか良くは分からないが、『があるずとおく』とかいう物をしようと言うので、部屋に上げたのだ。そうしたら……」
「まさか、午前五時くらいになるまでずっとしゃべり倒されて、全く眠れなかったとか?」
そうだとすると、鋼への今朝のララナの襲撃も、つじつまが合う。
「ふふ。そうだ。流石ハガネ。よくも分かる物だ。
しかも、請われて騎士団時代の話をしてやったというのに、最後には『ばーかばーか! 美人チートのリア充ばくはつしろ!』と意味不明な言を残して逃亡されたのだぞ?」
「それは……災難だったなとしか言えないな」
推測はできるが、お互いにとって不幸な出来事だったのだろう。
「このままでは試合にも差し支えそうだ。
だから早めに来て、この闘技場で適当な薬でも飲んで回復しようと思ってな」
「薬かぁ。ドーピングフィッシュスープならあるけど」
そう言って鋼が小瓶を取り出すと、アスティは顔をしかめた。
「やめてくれ。死ぬ」
「……だよね」
鋼はあっさりと小瓶を引っ込めた。
「今日は確か、お前の方が先に試合をするのだったな。
残念ながら、私は見に行けないが……」
申し訳なさそうに言うアスティを、鋼は手で制した。
「ああ、来なくていいよ。見応えのない試合になるだろうからね」
「そう、か? なら、いいが……」
鋼の言いように少しだけ眉をひそめながら、アスティはうなずいた。
「それじゃあ僕はもう行くよ」
「ああ。……がんばれよ」
そんなアスティの別れの言葉に、
「それは、僕の対戦相手にこそ言うべき台詞だね」
鋼は不敵に手を振って、応えた。
「…………」
闘技場の方向を見て、じっと何かを憂うような顔で立ち尽くすアスティ。
「おーい! アスティ!」
そこに、やけにツヤツヤした顔で元気一杯なララナが話しかけてきた。
「ララナか。お前はいつも元気そうだな」
「んー? そりゃ元気だよ。アスティの方はなんか元気なさそうだね?」
「何か、だと? それをお前が……いや、いい」
アスティはララナの罪悪感の欠片もない顔を見て、追及をあきらめた。
それよりも、アスティには気にかかることがあった。
「ララナは、ハガネの次の対戦相手を知っているか?」
「んー? たしか、ランクC+の短剣使い、だったかな?
大して強くもないんだけど、反撃をうまく決めてここまで来たみたい。
言っちゃ悪いけど、あんなの相手に負ける方が難しいと思うな」
あくまで能天気にこぼすララナに、アスティは、
「……だと、いいのだけどな」
どこか陰のある口調で、そうつぶやいたのだった。
「……ラトリス」
鋼は闘技場に向かう最後の廊下で、待ち構えるラトリスの姿を見つけた。
「お待ちしていました。
朝は慌ただしくてお伝え出来なかった対戦相手の情報を、お伝えに上がりました」
「いや、慌ただしかったのはラトリスのせいだからね!?」
この鉄面皮が忍者の業か、と鋼は戦慄したという。
それを無視し、鋼の横に並んで話し出す。
「では時間もありませんので、早速。
まず、これは昨日も話しましたが、今回の対戦相手はランクC+の短剣使いサミラス。
彼は基本的に守りを固めて相手の隙を見つけて反撃することを好み……」
「もう、いいよ」
しかし鋼はそのラトリスの言葉をさえぎった。
「もういい、とは?」
「そりゃ、ラトリスが念のため、対戦相手の情報をこんなに集めてくれたのはうれしいけどさ。
必要ないよ」
「……そう、でしょうか」
めずらしく、不服の言葉を漏らすラトリス。
それに対して、鋼は軽い調子で言った。
「他の人ならともかく、ラトリスは、僕の目的も知ってるんだろ?」
「……はい」
「だったらさ。いくら僕でもここでドジを踏んでつまずいたりしないって、分かってくれるよね?」
「…………はい」
ラトリスは、うなずいた。
他ならぬ鋼にそう言われれば、彼女にはうなずくしかなかったのだ。
「じゃ、僕は行ってくるから」
そうして、鋼は闘技場へと足を踏み入れる。
対戦相手の情報も、自らが傷つく覚悟も、持たないままで。
鋼が闘技場に入ると、
「さーて、第二闘技場、本選二回戦第二試合の実況は、わたし、リリーアが担当します。
みんな、よろしくー!」
聞き覚えのある呼びかけに応えて、観客が大きな歓声を上げる。
「また、あの子か……」
鋼は思うものの、今回はもう気にしない。
どうせすぐ終わらせるんだ、という気持ちがあったからだ。
鋼は闘技場に向かうが、対戦相手もろくに見ない。
ただ自信にあふれた足取りで、リングの上に上がった。
そして、とうとう、
「それでは! 本選二回戦、第二試合、スタートォ!」
試合が、始まる。
――決着は、一瞬でついた。
開始から、たったの一秒。
なんと大方の予想に反し、今までカウンター専門の戦法しか取っていなかったはずの対戦相手、サミラスが、鋼に向けて一直線に飛び掛かる……その前に、
「参りましたぁ!」
鋼は、さわやかな、あまりにさわやかな顔で、そう言い切ったのだった。