第三十九章 吸引力の変わらない、ただ一つの……
無事に予選を勝ち抜いたアスティは、
「さっすがアスティ! 雑魚には滅法強いね!」
「目眩ましからの斬撃。所詮小細工ではありますが有効な手法です」
「……お前らはどうして素直に人を褒められんのだ?」
鋼たちとふたたび合流。仲間たちからの熱い声援に顔をしかめていた。
一方で鋼はというと、アスティの出迎えにも参加せず、
「あぁー。おなかいたいー。試合でたくないー」
【おぬし、意外とプレッシャーに弱いタイプだったんじゃな……】
闘技場の隅で一人、おなかを抱えてうずくまっていた。
「いや、だって考えてもみろって! 剣とか槍とか持って戦うんだぞ?
ほんとそんなの文明人がやることじゃないよ!」
【すごく今さらじゃのう……。
おぬし、瀕死になりながらも異世界勇者とかに勝ったじゃろうが。
それに比べれば、今回は命の危険がないんじゃから……】
「いいや! よく考えてみるんだシロニャ!
あいつら死なないのをいいことに、平気で人に武器向けるんだぞ?」
【む? う、うん? そりゃそうじゃろ?】
「剣と槍なんて言うから分かりにくいけど、要は刃の長い包丁と、柄の長い包丁だよ。それを使って周り中から襲いかかってくるんだぞ?」
【う。それは、ちょっと……】
身近な物に例えられたことで想像がリアルになったのか、わずかにシロニャは言いよどむ。
「想像してみろよ。
『ゲッヘッヘ。シロニャちゃん、ちょっと腕もらうよー』
とか言いながら、自分の腕に少しずーつ剣、もとい刃の長い包丁が入り込んでくるんだぞ」
【う、うぁあああ!
や、やめ、やめるのじゃ!
ワシ、そういう痛い系の話ダメなんじゃあ!】
「あるいは、
『だいじょーぶだいじょーぶ。どうせ死んでも平気だから』
なんて笑いながら、槍、もとい柄の長い包丁が、少しずつ喉に食い込んで……」
【ぴぎゃぁあああああああああああああ!!!!】
かくして恐怖は伝染する。
絶叫が鋼の脳内を埋め尽くした。
【そ、それはダメなのじゃ! 武闘大会超恐ろしいんじゃよ!
むしろそんなの拷問大会なのじゃ!】
「だろ! それが正常な反応だよな!」
声を弾ませて喜ぶ鋼。
同志が増えてうれしかったのだが、
「……なぁ。ハガネはあそこで何をやっているのだ?」
その姿が周りにどう映っているかも、仲間を増やしても根本的解決にならないことも、全く考えていなかったのだった。
現実逃避をやめた鋼は、仲間たちととりあえず他の試合を観戦していた。
アルファベット順だとするならHは8番目。全部で26もあることを考えると、Hブロックの試合は前半だと思われたのだが、まだ呼ばれていなかった。
闘技に使うリングは何個かあるので、単純にアルファベット順ではなく、何か複雑な割り振りで試合が行われているのかもしれなかった。
鋼はもはやあきらめきった無気力な瞳で漫然と試合を眺めていたのだが、見ていると突然、会場が今までにない感じに騒がしくなった。
見ると、実況席に小柄な少女らしき人物が駆け寄っていた。そして、
「では、ここで第一闘技場の解説者交代です! 予選後半の実況は……みんなお待ちかねの、この人だぁああああああああ!!」
「はーい! みんな、おっ待たせーっ!」
――ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
その人物が壇上に上がった途端、試合の決着が着いた時以上の歓声が聞こえてきた。
「誰だ、あれ?」
この世界に詳しくない鋼は首をかしげるが、彼女が何かする度に、わあああああ、と歓声が上がる、中には興奮しすぎて、ほっほぁああああああ、とか叫んでいる人もいた。
【い、今のは……】
反応を示したのは、シロニャも同じだった。
「あれ? やっぱりシロニャもあの子、知ってるのか?」
【ぬ? いや、それは知らんが、今一瞬、サニーの声が聞こえたような……】
サニーとはたしか、この世界にいる審判の神だったはずだ。その声が今、聞こえたとなると……。
不愉快な想像が頭をよぎったので、鋼はあわてて考えるのをやめた。
それよりシロニャに気を取られていたせいで、壇上の少女の自己紹介を聞き逃してしまっていた。
隣にいるラトリスに小声で聞く。
「ごめん、ラトリス。ちょっと自己紹介聞き逃しちゃったんだけど、あの子、誰?」
すると、ラトリスがめずらしく驚いたような顔をした。
「ご存知、ないのですか? 彼女こそ超学院生アイドル、リリーアちゃんですよ」
「いや、彼女こそ、とか言われても」
この世界に来て十日と少ししか経っていない人間に、そんなものが分かるはずもない。
そもそも、こちらの世界にアイドルという概念があること自体が初耳である。
あと、さりげにラトリスがちゃん付けしているのも気になった、が、ここはツッコんではいけない場面と鋼は正しく認識した。
「そういえばハガネ様は世知に疎い所がありましたね。
彼女、リリーア・マリルリールは国の最高の魔法教育機関であるラーナ魔法学院に在籍しながらアイドルをしている、現在世界に一人しかいない現役の魔法学院生アイドルです」
「はぁ……」
そもそもその魔法学院とやらがよく分からないので、気のない返事にしかならない。
「ラーナ魔法学院は正真正銘魔法のエリート校で、最先端の魔法の行使や研究が行われる魔法技術の粋が集まる場所です。
基本的に入学資格は15歳から与えられ、研究職に進まなければ18歳で卒業します」
「なるほど……」
魔法学校と言われると、鋼には魔法を使えない初心者が魔法を学ぶみたいなイメージがあったが、ラーナ魔法学院は違うようだ。
一通り魔法を知っている者がさらに専門的な魔法を学ぶ場所。現代日本で言えば大学とかに近いのかもしれない。
年齢的に考えれば高校みたいな場所とも言えるかもしれないが。
【じゃったらそこで落ちこぼれたらアレじゃな。
リアル魔法科高校のれっ】
「それで、その学校の生徒がアイドルをやるっていうのはすごいのか?」
思い出したように現れて、余計なことを言おうとするシロニャをさえぎって聞く。
アイドルが名門校に入るのも、名門校の生徒がアイドルになるのも、すごいと言えばすごいが、どちらもありえないことではないと思ったからだ。
「あそこは歴史がある反面、堅い校風と厳格さで知られています。何でも入学したら最後、鬼のような教師陣が生徒を無理矢理にでも卒業まで持っていくとか。
嘘か真か、授業放棄をした生徒を追いかけて大陸を渡った教師の逸話も残っています」
「そりゃ、追う方も追う方だけど、逃げる方も逃げる方だな」
日本にいた時、鋼だってそんなに授業が好きではなかったが、さすがにそれで海外にまで逃亡しようとする気にはなれない。
「そんな学院からアイドルが出たとなれば、彼女は特例が許される程に優秀か、余程のコネでも持っているのでしょう。どちらにせよ、前例はない事です」
「そりゃ、そうだろうなぁ……」
むしろそんな学院に入ったのにわざわざアイドルをやろうとする彼女の気持ちがよく分からないが、きっとまあ事情があるのだろう。
「ところで……」
そこで、少しラトリスの声の調子が変わった。
「うん?」
「さっきから、Hブロックの選手が呼ばれていますが、行かなくて宜しいのですか?」
「先に言ってよ、それ!」
鋼はあわてて駆け出した。
幸い、試合には余裕で間に合った。
そして、案内に従い、闘技場の石舞台までスムーズに行くことはできたのだが……。
(こわい。超こわい)
殺気立ったみなさんの熱気に中てられて、鋼は試合が始まる前から若干グロッキー状態だった。
しかし、ここまで来てしまえば開き直って来るのも鋼の特徴で、
(よし、とにかく最初は逃げまくる。で、逃げ切れないのは枝で払う。
大丈夫。ラトリスさんからもらった薬もあるし、斬られて痛くても我慢する。
それで残った奴を相手にする。これしかない)
もはや作戦でも何でもない作戦を立てて、じっとその時を待つ。
「はーい。では、次の試合は、予選Hブロックです!」
実況席から声が聞こえ、顔を上げる。
それは、つい先ほど聞いたのと同じ声。偶然にも、鋼の試合の実況担当は、あの学院生アイドル、リリーアだった。
「おおっと、ここでみなさんに耳寄り情報です。
なんとこのHブロックには、前回大会準優勝、今大会の優勝候補の一角の『暴風竜』マークレイ選手がいるみたいです。
マークレイさーん、がんばってくださーい!」
とても武闘大会で聞こえるとは思えないような、血なまぐさいやり取りとは無縁そうな、能天気で明るい声が闘技場に響く。
しかし、観客はそれで盛り上がるのだから、リリーアというアイドルの人気はたしかに本物なのだろう。
さらに、それに応えて、
「全く。予選くらいは目立たずに勝利を頂こうと思ったが、ままならないね。
これも有名税ということか」
なんて声が、鋼のすぐ『隣』から聞こえてきた。
「あいつが、マークレイ」
「たしかに前回大会にいた…」
「暴風竜……」
「最初に潰すか…」
石舞台の選手たちはあたかも人垣が割れるような勢いでさっとマークレイから距離を取る。しかし、それに乗り遅れた少年が一人。
あ、やばいと鋼が思った時にはもう遅かった。
「なんだ、あいつは……」
「マークレイの仲間?」
「とりあえず、潰すか」
気付けば、周囲から向けられる敵意の輪。
「いや、あの、僕は……」
などと一応弁解しようと試みるものの、果たせるはずもなかった。
【おぬしもなかなか難儀じゃのー】
なんて完全に他人事と思ってのたまうシロニャに、
(うるさいな。こうなったらこっぴどくやられて、お前にグロ映像見せつけてやるからな)
【ぴぎゃああああ! グロは勘弁なのじゃよー!】
ささやかな復讐をして気を晴らしても、状況が好転するはずもなく。
極めつけは、
「君も、私の近くにいたばかりに災難だったね」
「は、はぁ…」
当のマークレイからの同情の視線。
「だが、君は何も気にしなくていい」
「はい?」
その時が鋼が、何だこの人、頭沸いてんじゃないか、と思ったのも、無理からぬことだろう。
しかしマークレイは止まらない。
「暴風はね。全てを吹き飛ばすんだ」
鋼に、というよりは、彼の前にいる目に見えない観衆にでも聞かせるように、言葉を紡ぎ続ける。
「そこに例外はない。敵も味方も、奴らも君も、何もかもね」
その様子に鋼が病的な何かを感じて思わず距離を取ろうとした時、
「それでは! 予選Hブロック、試合スタート、です!」
リリーアの声が、試合開始を告げた。
緩やかに静止していた時が急激に動き出す感覚。
試合開始という合図を境に、武器防具を携えた選手たちが、まさに暴徒と化して獲物に襲い掛かる。目標はもちろん、『暴風竜』マークレイ……と、その隣に立つ少年。
試合がスタートした瞬間、鋼は反射的に、一斉にこちらに向かってくる武器を持った者たちに目を向け……ずに、隣にいるマークレイを見ていた。
一斉に襲い掛かってくる周りの選手たちを、軽視したワケではない。しかしそれ以上に、マークレイの様子に、何か看過できない物を感じたのだ。
そしてその予感は、現実になる。
「排斥の暴風・サイクロン」
軽くつぶやいて、マークレイが指を鳴らした、瞬間だった。
マークレイを中心に『暴風』が吹き荒れた。
「あ?」
最初はただの風だった。マークレイに向かって武器を振り上げようとした男は、その顔を風が撫でるのを感じた。
「なんだ?」
次に感じたのは、壁だった。マークレイに向かって駆け寄ろうとした男は、自分の体がまるで何かに当たっているかのように、前に進めなくなっていることに気付いた。
「これ、まさ、か、ぼう、ふ……」
そして、その正体に思い至った時、全てが手遅れだった。
マークレイのいる方から不可視の、しかし圧倒的な圧力が迫り、男の体を浮かす。踏ん張って耐えようにも、既に男の足元に地面はなかった。
自分の意思とは無関係に、体が浮き上がる。巻き上げられる。
そしてそれは、男にだけ起こった現象ではなかった。
マークレイに殺到した者たち全員、いや、闘技場の端で、マークレイと選手たちの戦いを傍観する腹積もりだった者たちにすら、暴風は襲い掛かる。
それはまさに、『暴風』。
圧倒的なまでに暴力的な、支配者の風だった。
武器も、防具も、人も、それどころか、魔法さえも飲み込んで、大きな渦に巻き込んでいく。
巻き込まれた者は、一切の自由意思を無視され、その暴虐に甘んじるしかない。
例外は、術者であるマークレイと……その隣、もっとも暴風の影響を受けるはずの、一人の少年だけ。
それ以外の全ては、暴風にさらされ、巻き上げられ、飛ばされ、翻弄されて、次々とリングの外に飛ばされていく。苦し紛れに暴れる者、いちかばちかと魔法を使う者、対抗呪文を唱える者などがいたが、関係なかった。
術者以外でただ一人、風の渦巻く中で平時のように立ち尽くす鋼は、巻き上げられ、飛ばされていく選手たちを見て、呆然とつぶやいた。
「人がゴミのようだ……」
キョートー武闘大会、予選Hブロック。
その戦いは、予選大会でも類を見ない、波乱の展開から始まった。