断章4
「新しい、旅立ちか」
私は感慨深く呟く。今日から私は、この世界を捨て、何が待っているか分からない、全くの未知の次元に旅立つ事になっている。少しくらい感傷的にもなろうというものだ。
「何が未知の次元じゃよ! 散々ワシを脅して向こうの世界の情報を引き出したくせに……」
どうやら考えている事を口に出してしまっていたらしい。言葉尻を捉えて後ろできゃんきゃん騒ぎ立てる白猫を睨み付けておとなしくさせる。猫の癖にきゃんきゃんとはこれ如何に。
――でも、そういえば初めて会った時も、こんな感じだったかも。
思い起こせば、遥か遠くに思えるあの日々。というほどの時間は経っていないけれど、シロニャンとも初めて話をした時には大体このようなやり取りがあった。
「お、おおおおぬし、どこから見とった!」
シロニャン(もう猫ではないけど)は、私の姿を見て激しく動揺して、言わずもがなな事を口走った。
「どこからって、もちろんこの場所からですけど?」
「いやいや、そういう話じゃないんじゃが」
シロニャンはまだもごもごと言っていたが、そんな些末な事象にかまけている余裕は、少なくとも私の側にはなかった。
「それより聞かせてください。コウって、結城 鋼くんの事ですよね?」
「う……」
明らかに動揺する素振りを見せるシロニャン。私の中で図星率が100%ほど上がって、200%になった。一粒で二度図星だ。
私もだいぶ動揺している。落ち着かなくては。
「ちゃ、ちゃうよ?」
しかし、私の目の前に立つ少女は、あくまで白を切る。白猫だからって生意気な。
「ゆ、結城 鋼なんてワシ知らんのう。コウっていうのも鋼の音読みじゃなくて、足の甲という意味じゃよ?」
「馬鹿を言わないでください。足の甲と話をするはずがないでしょう!?」
「し、してたんじゃもん! 腕の筋肉に話しかける感覚でちょっと話をしてたんじゃもん!」
「あなたは売れない芸人ですか!?」
「と、とにかく知らないものは知らないのじゃ。た、たぶん、結城 鋼なんて人間は、もうこの世にはいないのじゃ」
「え? いま、なんて……」
「あ……」
しまったのじゃ、という顔をして、シロニャンが口を押さえるけれども、それはもう遅い。
今、図星率が300%を超え、私の中に真実が舞い降りてきた。
けれどそれは――最悪の真実。
「こ、殺したんですね?! あなたが、コウくんを、殺したんだ!」
「え? ええっ!? ワシがぁ?!」
しらばっくれようとする犯人。
「とぼけても無駄です。既に、既に状況証拠は全て揃っているんです!」
そして、それを追い詰める名探偵(私)。
「ちょっ! 状況証拠だけって、それアレじゃよ! 一番冤罪になりやすいパターンじゃよ!」
「真犯人はみんなそう言うんです」
「冤罪じゃよー! というか、冤罪以下じゃよ! コウは今も異世界でぴんぴんして……あ」
「あ」
冤罪は晴れた。
この事件に、加害者も被害者もいなかった。
そもそも事件じゃなかった。
いえ、分かってましたよ?
シロニャンは人を殺すような顔してないですし、でも思いついたら何となくノッちゃうのがイタい子のイタい子たる所以なんです。ご了承ください。
それはともかく、実に結果オーライ。
「やっぱりコウくんの事知っているじゃないですか。とにかく、お願いします。コウくんの居場所、教えてください」
「やじゃよー! なんとなく理知的っぽい雰囲気で騙されそうになったけどおぬし絶対天然系じゃもん!
ワシは天然とDQNには関わり合いになりたくないんじゃよー!」
「天然? 今、私の事を天然と言いましたか?」
その言葉に、私の堪忍袋の緒の耐久力が加速度的に減少していくのを自覚した。
『天然』
たった二文字。されど二文字。その謂れのない誹謗中傷にさらされ、私が今までどれだけの精神的外傷を負ったことか。
この猫は、その報いを受けなければならない。
――今、すぐに!
「どうしたんじゃ、天然娘? 何をぼうっと……」
「私を、天然と、呼ぶな」
我に返った私が怒りを堪えてたしなめると、シロニャンはブルブルと震えながら頷いた。相変わらず大袈裟な猫である。
初めて私が天然と呼ばれた時も、私の尋問|(という名のくすぐり)を行うと大袈裟に怖がり、すぐに全てを白状した。
それを聞いて、私は大いに逆上したのを覚えている。コウくんが死んだ原因がこのバカ猫にあり、そしてコウくんがもうすぐ滅びる世界へと生まれ変わらされたと知ってしまったからだ。しかもそれをコウくんに伝え忘れていたらしい。
その時点でシロニャンに対して残っていた敬意や神に対する畏怖が猫殺ぎ、いや、根こそぎ吹き飛び、私は異世界に旅立つ事を決めた。一瞬、マキの顔が頭をよぎったが、マキだってこれくらいの非常事態であれば許してくれると思う。
だって、このままではコウくんは世界の滅びに巻き込まれてまた死んでしまうのだ。それを救えるのは私しかいない! ……多分。
そういった事情から、私はコウくんと同じ世界に転生をする事を決めた。
シロニャンは「理由もなしに転生させられない」「おぬしはまだ生きてるから転生は無理」だのと色々ごねてきたが、「私もコウくんと同じようにお前の命を救ったのを忘れたのか」「じゃあ今ここでむごたらしく自殺してやる」と丁寧に理屈を説いたら素直に納得してくれた。最初からそう言えばいいのである。
更に転生マシーンという何の捻りもない名前の機械だけを置いてどこかに行こうとしたので、捕獲して向こうの世界の情報を吐かせる事にした。
「な、何でワシがそんなこと……」とぐちぐち文句を言っていたが、やはり情報は力である。折角事情通が目の前にいるのに、全く未知の次元に前情報も何もなしで飛び込んでいく人間の方が私からすれば気が知れない。向こうの世界での地理や注意点、一般常識を今の内に教えてもらう事にする。
それと、たびたびコウくんとオラクルとやらで通信するのが妙に苛ついた(友達が携帯で恋人との甘々トークをしてるのを隣で見ている気分)ので、私に教えている間はオラクル禁止にした。それに対してもシロニャンはだいぶごねたが最終的には一応納得。たびたび、寝ると嘘をついてオラクルしに行っていたのは知っているが、それは見逃してやった。あまり締め付け過ぎても仕方ない。
そうやって私はシロニャンを生かさず殺さずのスタンスで調整しながら、出来る限りの知識を搾り取った。
「それではもう一度確認するのじゃが、これで『転生キャラエディター』のボーナスの割り振りは終了でいいんじゃな」
言われて、私はまた深く過去に囚われた意識を、何とか現代に戻した。
「もちろん」
言葉だけは平静を装って、シロニャンに答える。
『転生キャラエディター』。この機械にも随分と悩まされた。まだ悩んでいないとは言い切れない。それでも熟慮に熟慮を重ねた上で能力は決めた。これ以上はないと私は信じてもいた。
シロニャンからはシロニャンを助けたボーナスで200ポイント、更にまだ現在生きていて年も若いという事で追加で100ポイント、合計300ポイントのボーナスをもらってキャラメイクを始めた。
こういう物には慣れていないので、やはりシロニャンに解説を頼んだ。特に前世ボーナスなどの説明はやはり役に立った。
「たとえばこの社交力などは、生前の交友関係の広さによってボーナスが乗るのじゃ。
ちなみに、ここに来た奴らの社交力の平均は8じゃから、7のおぬしは少しだけ低めということになるんじゃが、3と比べ……いや、何でもないのじゃ」
歯切れの悪さは気になるが、社交力についてはその通りだと思う。私はそんなには友達がいないのだ。よく話す相手なんて、両手の指で数えられてしまうくらいである。
それはそれとして、試しに上がっている能力をポイントに戻してみる。……1ポイントずつしか増えない。どうやら増やす時と戻す時ではレートが違うらしい。悪徳商法である。
それを指摘すると、「も、もうバグはないんじゃぞ! あんな錬金術は二度とさせんのじゃ!」とシロニャンが息巻いていたが、何なのだろうか。
とにかく、前世ボーナスを全部ポイントに戻すと138ポイントになった。元のボーナスポイントと合わせて438ポイント。多いのか少ないのか分からない。
「57の倍以上じゃな。不憫な……」
とシロニャンが目頭を押さえていたので、もしかするとあまりよくないのかもしれない。
一度初期化して、前世ボーナスから分かる自分の特性を考えてみた。筋力へのボーナスがたった11しかないのに対して、知力のボーナスが17、魔力に至っては29もある。意識した事はなかったが、もしかすると私には霊感でもあったのだろうか。
なんにせよ、魔法メインで魔法使い系を目指すのが適性からすると正しいようだ。
――魔法使い。あるいは魔術師。なんと魅惑の響き。燃えるじゃないか。
想像するだけで背筋をぞくぞくとした快感が登ってくる。
私の乏しいファンタジー知識の中で、魔法使いのイメージはトールキンの指輪物語よりル=グウィンのゲド戦記なのだが、向こうの世界ではどうなのだろうか。そういえば魔法のことについてはシロニャンにあまり聞いていなかったなと思いながら、私はアビリティとタレントの吟味に移った。
ざっと流して調べてみて、私は呆れた。どう考えても役に立たない物が多過ぎる。『完全体内時計』や『瞬間記憶復元』くらいならともかくとして、『黄金聖闘士化』や『シメサバとの蜜月』、『神の左手』なんてタレントを活用出来る人間がいるなら見てみたいものである。
仕方がないのでシロニャンも巻き込んで、50ポイント消費の『インドア派宣言』〈筋力の必要経験値を10倍にする代わりに、知力の必要経験値を半分にする〉のように、魔法使いに使えそうなタレントを精査していく。
などという経緯を経て、私とシロニャンの知識を総動員して(させて)考えたキャラクター設定だ。
あくまで魔法主体のスタイルながら、不意打ちや毒などの搦め手にも対応出来るように、そして『少年期編スキップ』はポイントが割高で手が出なかったので、その下位タレント『幼少期編スキップ』で12歳スタートでコウくんとの再会を果たす事にした。
うん。同年というのも惹かれるが、3歳差なら許容範囲内だろう。後ろで「ワシとは12歳差じゃな……ふぅ」という声が聞こえてきたが、当然無視した。
可能な限り隙がなく、完成されたボーナスの割り振り。向こうの世界の魔物や風土、特産物、地理、勢力、人々の気質などの様々な情報。携帯のメールのみとはいえ親しい人に別れは済ませ、異世界に向かう覚悟は決まっている。
これで私の転生はほとんど万全の状態だと言い切れる、はずなのだが、なぜだろう。これだけやってもコウくんに届く気がしない。しばらく会っていない間に彼を神格化し過ぎてしまったのだろうか。でも、私のこういう勘はよく当たるのでちょっと不安だ。
「不安なのかの? べつにやめてもいいのじゃぞ?」
すると、その不安を見透かしたようにシロニャンが目の前に立っていた。目を見れば分かる。こいつ、私が怖気づいて逃げるのを期待している。だが生憎と、そういうレベルの悩みはもうとっくの昔にどこかに放り捨ててあるのだった。
「このボタン、押せばいいんだよね?」
返事の代わりに、そう確認してやる。
私の前には『転生キャラエディター』の『決定』のボタン。こんなチープなボタン一つで私の今までの人生が終わって、新しい人生が始まってしまうなんて、とても信じられない。いや、信じたくない。けれど、シロニャンはあっさり頷いた。
「そうじゃな。……それはそうと、別れの前に一つだけ、聞きたいんじゃが」
マキに質問される前に感じたのと同種の嫌な予感。まずいな、これ。これでヤな事が起こったら私の勘は本物かも。などという裏の思考とは独立して、私の口はシロニャンに言葉を紡いでいる。
「なに?」
想像したより冷たい声。でも、シロニャンは全くひるまずに言った。
「で、おぬしはコウのどこが好きなのじゃ?」
突然のキラーパスだ。その一撃は仲間すら打ち砕き、簡単にその綻びを露呈させる。
なんて。実はこういう事は、マキにやられて耐性がついている。悪い予感は不発だった。私は充分な心の余裕を持って、冷静に切り返した。
「あ、あいつの事なんて、全然しゅきじゃないから!」
……また、やってしまった。
しゅき? しゅきってなんでしゅか~? 真白ちゃんは、一体なんちゃいでちゅか~?
そんな幻聴が聞こえてくる。
「ふふ。分かったのじゃよ。おぬしはコウのことなど、全く『しゅき』ではないんじゃの。納得したのじゃ」
最後の最後に反撃出来て満足した、そんな心の内が如実に表れているような顔でシロニャンが頷いた。きっとその瞬間、私の何かは切れてしまったのだろう。後悔すると分かっていながらも、私の口が、無意識の内に動き出す。
「……柔らかそうな黒髪」
ぼそぼそとした声だったので、シロニャンには聞こえなかったのかもしれない。あるいは私が俯いていたので、声が届かなかったのかもしれない。
「ん? 何か言ったかの?」
なんて言いながら、こちらに寄って来る。でも、大丈夫。まだまだある。まだまだまだまだ、いくらでもある。だから私の口は動く。
「外を見る時の憂いを帯びた横顔、時々する抜けた言動、意外とよく通る声質……」
今度はシロニャンにも聞き取れたみたいだった。だが、その顔に浮かぶのは、
「おぬし、それはまさか……」
戦慄の表情。どうやら理解したらしい。
そう、これは全て、わたしの見つけたコウくんの素敵な部分。そうだ。気になるのなら、答えてあげようじゃないか。
たとえこれから一日中でも、いや、この命尽き果てるまで!
「実はかなりお人好しな所、蒲田くんと話している時の楽しそうな顔、常識人ぶってるけど根は破天荒な所、制服の夏服からのぞく二の腕、かなりイタズラ好きな所、笑った時に見える歯並び、ツッコミの時ちょっと声を張り上げてしまった事を恥じ入る時の顔、繊細そうな指先、真白って呼ぶ時に一瞬ためらうあの感じ、黒板の小さな字を見る時の細められた目、弱ってる人といる時の優しい態度、思わず飛び込みたくなる胸元、まとってる空気感、キラキラした瞳、その目でたまにこっちを正面から見てくる時なんてもうたまらない、校歌斉唱の時最初は適当にやろうとしてるのに最後は真面目に歌ってしまう所、暑い日に襟元を緩める仕種、嫌いなパプリカに顔をしかめる表情、先生にユウキって呼ばれた時に一瞬こっちを見てくれた時の連帯感、本を読んでる時の無意識の仕種、頑張ろうと思った時の椅子の座り方、全力で運動した後に呼吸を整えながら空を見上げる癖、疲れてる時でも友達に笑顔を忘れない所、困ってる人を見かけて精一杯気にしてない振りをしながら声をかけるタイミングを計っている時の姿、英語でRの発音がうまく出来なくて何度もやり直している姿、水道で手を洗いたいのに下級生の女子が数人で占領していた時のわたわたした姿、運動靴から覗いたくるぶし、日常のちょっとした事も素敵な出来事に変えてしまう遊び心、状況適応能力が高い所、男の人なのに結構触り心地が良さそうな唇、手のあたたかさ、ふざけて他人のメガネをかけた時のあの……」
「も、もうやめるのじゃあ! 分かったのじゃ! 悪かったのじゃ! なんかかゆい! すごくかゆいからほんともうやめて……許してくれなのじゃあ!」
そしてしばらくの後。
「あ、あのじゃな。その、元気出すのじゃ」
「…………」
「正直ちょっとマニアックじゃなと思ったりもしたが、それだけ人を好きになれるということは素晴らしいことではないか。よく知らんのじゃけど」
「…………」
「うむ。その……ワシも初めてストーカーというものを目の当たりにして、ずいぶん勉強になったのじゃよ?」
「…………」
――私は、貝になっていた。
なぜだろうか。やったら後悔するのが分かっていて、どうしても突き進んでしまうのは。そしてなぜ、何度後悔しても人は同じ過ちを繰り返してしまうのか。若さ故の過ちとは、どうしてこのように青く苦いのか。
「……なにかひみつ」
「え?」
「シロニャンもなにかひみつゆって。それでちゃら」
私は同じ所まで相手を落とす事で、精神の安定を図る事にする。えげつないなどと言うなかれ。もはや私の尊厳は、そのくらいしなければ回復出来ない崖の淵にまで手が届いてしまっているのだ。
「な、なんでワシが……」
「わたしのきいたから。だからひみつ。それでちゃら」
ごねるシロニャンになおもたたみかける。シロニャンは渋々口を開いて、
「う。さ、サドンデスだつ……やっぱりいいのじゃ」
また閉じた。
「おうじょうぎわわるい。はやく」
シロニャンはしばらく迷っていたようだったけれど、観念して話し出す。
「い、一瞬、ほんとに、一瞬だけなんじゃが……」
何だか前とは違う話らしいけれども、それを指摘する気力すらない。
「こ、コウのシャワーシーンを見たことがある、のじゃ……」
「へー。こうくんのしゃわーし
――なんですと!?!?
「いつ!? どうやって!? どこまで!?」
「な、なんじゃいきなり! ちょっと前じゃよ。オラクルで、その、コウ近辺の静止画が見えるんじゃ。どこまでというのは何がじゃ?」
「静止画!?」
たぶんその時の私の顔は、かのムンクの叫びもかくやというほどに歪んでいたはずだ。その時の私に一切の理性はなかった。ただ、獣の如き欲望、謂わば獣欲とでも言うべき物を私の体を乗っ取り、我が物顔で私を動かしていたのであった。当然そこには私の意思は一欠片すらもなく、私はただ欲望のままに動かされる操り人形のような存在であったのだ。……もちろん、言い訳である。
「ゆ、ゆずって!!」
「え、ゆ、だ、ダメなのじゃ! というか、無理なのじゃよ!?」
ドン引きするシロニャンの腰に、私は恥も外聞もなく縋り付いた。それはもちろん欲望という名の悪魔が我と我が身を支配していたからであり、私の理性は自らの浅ましい行為に必死で抵抗するも、虚しく……まあそんな感じです。お察しください。
「わ、分かっ、いえ、分かりました。ならば、こちらも5ポイント払います。いえ、10ポイントまでなら出します!」
「いやいや! ポイントとかそういう使い方せんから! というかあの奇跡のバランスで築き上げたキャラメイク、崩れちゃうんじゃぞ?!」
「な、なら、100ポイント! 100ポイント出します!
いえ、湯煙なしの映像なら、150まで出しても構わない!」
「こ、この女、駄目じゃあ! よく分からんが、全然ダメじゃあ!」
――そうして、私の旅立ちは一日伸びた。