第三十二章 終焉の魔窟
「大変な事が起こりました、ハガネ様」
「いや、今この部屋にラトリスがいることだって充分大変なことだと思うんだけど」
鋼はあれから宿に戻り、風呂に入って旅支度と一緒に買った、日本のジャージっぽい上下でくつろいでいる所に、突然の乱入者が来た。
忍ぶ感じの人らしいけど、いくら何でもノータイムで窓を開けて一秒後には自分の前で片膝つけて座られたら、鋼がいくら鈍感でも驚くというものだった。
「今はそんなお戯れを仰られている場合では御座いません」
「いや、戯れてないけど……どうしたの?」
「トーキョの街の西門から数十メートルの場所に、新しいダンジョンが出現しました」
ラトリスはすごく深刻そうな表情でそう報告してくれたのだが、鋼には正直何がなんだか分からない。
「ええと、それは大変なことなんですか?」
鋼がそう聞くと、ラトリスはかなり渋い顔をした。
もしかして、ものすごい非常識なことを言ってしまったのだろうか、と鋼は焦ったのだが、
「失礼なのですが、その口調」
「え?」
「敬語に戻っています」
まったく違ったらしい。
この人の怒りのツボも分からないと思っていると、はぁとため息をつかれた。
「全く。これから私に敬語を使うのは、言葉責めの時だけにして下さい」
「じゃあもう一生使わないぞ!?」
鋼はすかさずツッコミを入れた。
額の汗をぬぐう。もしやこの人、プライベートではこういう感じなのか。
鋼は戦慄が隠し切れない。
素質はありそうなのですが、などと漏らすラトリスだったが、今は鋼をそっち方面に開拓するより本題の方が大事だと判断してくれたらしい。説明を続ける。
「ダンジョンが生まれる事自体は必ずしも悪い事ではありません。
ダンジョンからは無尽蔵の魔物と宝箱が生まれますから、冒険者の育成には非常に有利であり、またそこから生まれる魔物を倒す事で安定したマナの供給が見込めます。
実際、急速に栄えた都市の近くには必ずダンジョンの陰がある、と言っても過言ではありません」
ここまで聞く限りではダンジョンができることはいいことばっかりみたいに聞こえるが、問題はあるのだろう。
「必ずしも悪いことではない、ってことは、悪い場合もあるんだよな?」
「はい。無尽蔵に湧き出す魔物を倒し切れなければ、それはやがて地表に、街に押し寄せます。実際、唐突に滅びた都市の近くには必ずダンジョンの陰がある、と言っても過言ではありません。
ダンジョンが人里から離れた場所に存在して長い時間未発見だった場合、あるいは人里に近くてもそのダンジョンのレベルがその周辺の冒険者よりも高かった場合、そういうことが起こります」
今回、街の近くにダンジョンが現れたということだから、最初の条件は考えなくてもいい。
「ちなみに、今回出て来たダンジョンって、レベルは?」
「推定で60です」
「うわぉ……」
考えるまでもなく、アウトだろう。
A-のラトリスがレベル38、A+のララナだってレベル74なのだから、このダンジョンのレベルは冒険者ランクA相当ということになる。
「ダンジョンのレベルは、出現する魔物のレベルで決まります。よって、そのダンジョンを攻略するには、ダンジョンレベル+10レベル程度の能力が必要だと言われています」
「つまり、全員がA+ランクのララナレベルじゃないと、歯が立たない?」
「そういう事になります」
「もし、その魔物がダンジョンから出て来たら……?」
「早晩、トーキョの街は滅びるでしょうね」
あくまでクールに、ラトリスはそう言い放った。
「何か、方法は?」
いくら鋼でも、転生してから今までを過ごしたこの街が滅ぶと言われてはさすがに他人事ではいられない。
いつもより二割増しくらいに真剣な表情で聞いた。
「ダンジョンから魔物が湧きだすのを防ぐには、定期的に一定量、ダンジョン内の魔物を狩るか、ダンジョンを完全制覇するしかありません」
「完全制覇?」
「はい。一瞬でもボスを含めたダンジョン内のモンスターを全滅させるか、ダンジョン最深部、ボスの奥にあるダンジョンクリスタルに触れれば、ダンジョンは完全制覇され、消滅します」
どんどんモンスターが湧き出てくるようなダンジョンで、モンスターを全滅させるなんて現実的ではないだろう。
と、すると、最深部にあるというダンジョンクリスタルを目指すことになるとは思うのだが……。
「レベル70のパーティなんて、集まるのか?」
「無理です」
即答だった。
「それに、レベル70はダンジョンを探索可能なレベルであって、完全制覇を目指すなら、最低でもレベル80は必要かと思われます」
「レベル80……」
鋼が出会った中で一番高レベルなララナですら、完全制覇は難しいということだ。
「それで、ラトリスはどうすればいいと思うんだ?」
こうして夜に宿を訪ねてきたのは、すぐに鋼に何か手を打って欲しいからだろう。鋼はその真意を尋ねた。
ラトリスは予想通りの無表情で、あまりに予想外なことを言った。
「すぐに逃げて下さい」
一瞬、何を言われたのかが分からなくても鋼に責任はないだろう。
「え、と、どういう……」
「言葉通りの意味です。ダンジョンが出来たばかりで敵の少ない今だけが、唯一の勝機です。明日にでも完全制覇を目指してギルドが決死隊を募るでしょう。
そしてなまじ知名度があるだけに、ダンジョンの探索者候補としてハガネ様の名前が挙げられるのも早いと思われます」
「それ、で?」
「はい。断れば名声に傷がつきますし、参加すれば死にます。ですから、出来るだけ早い内に、出来れば今日中に逃げて下さい」
「その、決死隊、が成功する可能性は……」
「ありません」
「ぜ、全然?」
「私は、ギルド職員として、この近辺の冒険者の情報は網羅しています。近隣の街を含めて、全て、です」
「それでも?」
「それでも、です」
ラトリスが無表情の奥に押し込めた絶望が、ようやく鋼にも伝わってきた。
「騎士団等の援護も期待出来ますし、街の住人の避難は可能でしょう。けれどそれだけです」
「それだけ、って?」
「確実にこの街は滅びます。あのダンジョンをうまく封じ込め出来なければ、国も滅ぶかもしれません」
「まさか!?」
「定期的にレベル60の魔物が湧いてきて、倒さなければどんどん増えていく。そんな地域に、人が住めると思いますか?」
「けど、どこかにいるもっと強い冒険者がダンジョンを制覇すれば……」
「外に湧き出てくるほど魔物が溢れたレベル60のダンジョンを制覇するには、レベル100のパーティでもなければ無理でしょう。
そして私は、そんな高レベルパーティの存在を耳にした事はありません」
まさに降って湧いたようなこの状況のあまりの厳しさに、鋼は絶句してしまった。
「恐らく最善の、一番現実的な策としては、ダンジョン攻略は断念し、ダンジョンの入り口を包囲して出て来た魔物をその都度殲滅する『封じ込め』を行う事だと思います。
魔物がダンジョンから溢れ出す前に、昼夜問わず間断なく現れるレベル60の魔物を倒し続けられる戦力を集められるかが問題になりますが」
とにかく、ダンジョンに入っていくなんて自殺行為だと言いたいらしい。
それは、鋼にも分かる。ただ、もし『封じ込め』策を取ったら、もうダンジョンを制圧する機会も、この街が本当の意味で平和になる機会も、永遠に失われてしまうだろう。
それを聞いて貴方はどうしますか、という無言の問いかけ。
「その、もう少しダンジョンのことを教えてください」
それに、鋼はまだ答えることができなかった。
その意をくみ取ったのか、ラトリスは表向きは平然と、説明を続ける。
「今回のダンジョンは典型的な洞窟型。出入り口は次元連結型です」
「洞窟型、に、次元連結型?」
聞き慣れない言葉を聞き返すと、それを予期していたのだろう、ラトリスが解説を加える。
「洞窟型とは、ダンジョンの構造の分類です。具体的には、階層等がなく、転送魔法陣や仕掛け扉等もない、三次元構造の原始的な洞窟。蟻の巣穴を想像して頂ければ理解し易いかと思います」
想像してみる。かなり厄介そうだ。
「洞窟型の特徴は、道が狭く曲がりくねっている為、視界が利き難く、奇襲を受け易く集団戦が困難な事。ダンジョンの構造に法則性が乏しい為、マッピングが困難な事。それに、範囲攻撃魔法が効き過ぎる、事でしょうか」
「効き過ぎる?」
「はい。基本的に何処も狭く細い道で、しかもダンジョンの壁は決して破壊出来ず加えられた攻撃を受け流す性質があります。ですので、例えば爆発系の魔法等を使えば、周りが密閉されている分、広い範囲に効力を発揮します。
洞窟型ダンジョンで、百メートル先に撃ったファイアボールの余波で死んだ術者、というのはあまりに有名な笑い話ですが、あり得ない話ではありません」
「あー。そっか」
おそらくだが、ダンジョンの壁を壊してショートカット、というのを防ぐためにダンジョンの壁は攻撃を反射するようにできているのだろう。
鏡張りの部屋でフラッシュを焚くようなもの、だろうか。とにかく危険だというのは分かった。
「出入り口が次元連結型というのは、ダンジョン入口の内と外、それぞれにオーブ型のスイッチがあり、それに触れている間だけダンジョンの扉が開くタイプを言います」
「それって普通の入り口と何が変わるんだ?」
「オーブに触れていない間は地上とダンジョンは次元的に断絶しているので、中で何があっても外に影響はなく、中からダンジョン脱出の魔法を使っても脱出出来ません」
「それって、かなり厳しいだろ」
それはつまり、ピンチになってもすぐには脱出できず、来た道を自力で戻らなければいけないということになる。
「ただ、他のタイプと比べると、スイッチがある分魔物が相当量増えるまでは外に出て来る事の少ない、比較的安全な出入り口と言えます。実際、現在ダンジョンの入り口は、見張りの冒険者一人を残して全員がギルドに引き上げ、今後の対策を練っています」
そう言って、ラトリスは言葉を止めた。
まだ何か聞きたい事がありますか、と目で問いかけてくる。
「ありがとう。必要なことは、全部聞けた、と思う」
「それを踏まえた上で、ハガネ様はどういった結論をお出しになりますか?」
ラトリスの鋭い視線。鋼は、
「僕、は……」
口に出そうとして、ためらった。
はっきりと言ってしまえば、鋼がどうするかはもう決まっていた。
だが、それを口に出す勇気がなかった。
「……今すぐに、ここを発つつもりは、どうやらなさそうですね」
しかし、それでもラトリスは何かを読み取ったらしかった。
そしてそれは、別に間違ってはいない。
「すみません。優柔不断に聞こえると思いますけど、とりあえず明日、明日まで、待ってください」
誠意を込めて、鋼はラトリスに頭を下げた。
つもりだったのだが、
「残念ですが、看過出来ませんね」
「ダメ、ですか?」
「ええ。駄目駄目です」
ラトリスは、許してはくれなかった。
燃えるような目で詰問する。
「なぜ、敬語に戻ってしまわれたのですか?」
「ええ?! そこぉ!?」
鋼は話し合いが始まってから一番びっくりした。
「当然です。敬語は私を責める時だけ、と何度も申し上げました」
「それについては何度もは聞いてない!!」
「こうなったら、ハガネ様が敬語を使う度、鞭打ち一回、という事にしましょうか」
「ちょ、ちょっと罰が重すぎないか?!」
そうすればさすがに覚えるかもしれないが、敬語を使ったくらいのことでいちいち鞭を喰らうのは鋼だって嫌だ。
「むしろご褒美かと思いますが、早速どうぞ」
「は?」
ラトリスが鋼に乗馬用の鞭のような物を渡してくる。
「ハガネ様はさっき二回敬語を使われたので、二回私を鞭打って下さい」
「あんたにかよ! つうかこの状況でとか変態かよ! ちょっとは自重しろよ!」
鋼、流れるような三段ツッコミ。
それを聞いて、ラトリスはなぜかうっとりしていた。
「ハガネ様には、やはり素質があります。将来が楽しみです」
などと言いながら、ラトリスは窓に向かった。
「今晩はこれで失礼します。……あ、そうでした」
窓を開けながら、彼女は言う。
「先程、決死隊等を結成しても成功する確率はゼロだと申し上げましたが……。
前衛にララナ様とアスティエール様。中衛に私。後衛にミスレイ様。そして一応数合わせにハガネ様」
「え? 数合わせなの!?」
「そんなパーティが結成出来れば、あるいは、という思いもあります」
そこで、ラトリスは颯爽とその身を夜の闇に投げ出し、
「今夜一晩、ご存分にお考え下さい。私は、貴方に従います」
そんな言葉だけを残し、あっさりと去って行ってしまった。
「さ、て。大変なことになったなぁ……」
残された鋼は、ベッドにばたんと横になった。
巨竜の時はすぐに危険にさらされている人がいたせいで、鋼にはある意味考える時間がなかった。
だが、今回は……。
【いやっほぉう!! 今夜はパジャマでお邪魔女なのじゃぁあああああああああああ!】
「お、前は……」
今回は……なんだったか忘れるほど、能天気で空気の読めない幼神の登場だった。
【ありゃ? おぬしは何をしてるのじゃ?
なんじゃそれ? ジャージ? だっさいのう】
「ほっといてくれ」
言いながら、鋼は自らの姿を恥じるように横に置いてあった外套を着込んだ。
これも昼に買ったもので、体をすっぽり覆うほどの大きさがある。
「やっぱり衣服はかさばるよなぁ。アイテムボックス欲しいなぁ」
【だったら、買えばいいんじゃよ!】
「そうだなー」
一応皮肉のつもりだったのだが、通用する相手でもなかった。
【もしかして、外に行くのか? ガイシュツか? 既出なんじゃな?】
「お前の意味不明な言動とそのハイテンションの源泉はなんなんだろうなー」
【ワシにも分からんのじゃ!】
そういう無益な会話に無意識にちょっと癒されながら、鋼は部屋の外に出る。
【ところでこんな夜に一体何の用なんじゃ?
ま、さか、よ、夜這い?】
「しねえよ! はぁ。ま、強いて言えば……」
そこで鋼は人が悪そうにくっくと笑って、
「ちょっと、落し物をね」
と答えた。
翌日。
鋼が冒険者ギルドに顔を出すと、
「あ、ハガネさん! 大ニュース! 大ニュースですよ!」
パタパタと音を立ててキルリスが駆け寄ってくる。
なんかこの人見る度に子供っぽくなってくるなぁとか失礼なことを思いつつ、鋼もキルリスに声をかける。
「あ、キルリスさん。お金は払うので薬草か何かを一つもらえませんか?
ちょっと実験というか、ボックスに入れてみたいので……」
「あ、はい。薬草なら……って、薬草一個くらいあげますよ! それどころじゃないんです!」
「あ、どうも」
薬草を受け取って顔をほころばせる鋼に、キルリスはまくしたてるように説明する。
「じ、実はですね。昨日、街の近くでなんと、レベル60のダンジョンが見つかったんです!」
「へぇー。お、ちゃんと入った!」
キルリスの話を適当に聞き流しつつ、腕輪に薬草を入れて歓声を上げている鋼をじれったく思いながら、キルリスが声を張り上げる。
「レベル60のダンジョンなんて、普通なら誰も攻略できません! これは、もしかするとこの街も終わりなんじゃないかって、みんな悩んでたんです。
それが、なんと……」
リアクションに乏しい鋼の反応を引き出そうと、大げさな身振りで、ためにためて、
「たった一人の冒険者が、昨夜一晩でそのダンジョンを完全制覇してしまったんです!」
満を持して、そう言い放った。
しかし、
「まー。そういうこともあるんじゃないんですか?」
その報告を受けても、何の反応も見せない鋼。
「もーう! これってすっごいことなんですってばぁ!」
キルリスはさらに食い下がるが、やっぱり鋼は表情を変えることはない。
しかし、そんな鋼の頭の中では小柄な白い神様が、人が悪そうにくっくと笑っていた。
――こうして。鋼とダンジョンを巡る物語は、一晩で終わりを迎えたのだった。