第三十章 彼女の『最悪』の幕切れ
「ヒール! ヒール! ヒール!」
鋼にとりすがったアスティが必死で回復魔法を唱えるが、それは全て不発だった。魔法は結実するものの、それが効果を発揮しないのだ。
それはつまり、鋼がもう完全に死んでいることを示していた。
それでも鬼気迫る表情で必死にヒールを唱え続けるアスティだったが、その後ろから接近する人物がいた。
「あーはいはい。ちょっとどいて」
そんな調子でアスティを押しのけると、近づいてきた人物、ミレイユは手早く鋼の首筋に手を当てる。
「うん。こりゃ完璧脈ないわ」
そうやって確認を済ませると、
「じゃ、いっちょやりますか」
そう言って、懐から短剣を取り出す。
「ま、待て! 貴様、一体何を、」
「お仕事、だよ」
アスティの制止のかいもなく、ミレイユの短剣は、あっさりと鋼の体に吸い込まれていった。
「やめろ! まさか、貴様もそうだったのか?!
寄ってたかって、ハガネを殺そうと!」
「なに言ってんの? もう、死んでるじゃん」
「貴、様ぁああああ!」
挑発的なミレイユの態度が、アスティの逆鱗に触れた。
だが、ミレイユはその焼け付くような視線を正面から受け止める。
「いいよ。三十秒だけ、付き合ってあげるよ」
「ふざけるな! 貴様が三十を数える前に、斬り伏せる!」
次の瞬間、抜き放たれたアスティの剣と、ミレイユの短剣が、ぶつかった。
疲労で動きが鈍っているとはいえ、アスティの放つ苛烈な斬撃の嵐を、
「よっ、とっ、たっ!」
ミレイユは軽い掛け声でいなして、避けて、逸らして、躱して、一撃もかすらせない。
「この、ちょこ、まかとぉ!」
それに苛立ったアスティが大ぶりの一撃を見せて隙ができると、
「ほい!」
すかさず袖に仕込んだ投げナイフで反撃する。
「こんなもの!」
アスティはさすがの反射神経で回避。ナイフはかすかにアスティの足をかすっただけで地面に落ちるが、
「はい。おしまい。三十秒もかからなかったね」
それで充分だった。
「何を世迷言を! ま、だ、わたし、は…?」
アスティの身体ががくっとくずおれる。
「麻痺毒。即効性。切れるのも早いけど」
面白くもなさそうに、ミレイユが種明かしをする。
「あんたは強いけど、それだけ。視野が狭いし、すぐ頭に血が昇る。
今の一件だって、あたしに斬りかかってくるのは最悪、ヒールを唱えるのだって下策。本当に彼を救いたいと思うなら、せめて蘇生魔法の使い手を探しに教会に走るべきだった」
「!? いる、のか、この街に。蘇生魔法の使い手が……」
アスティが驚くのも無理はない。蘇生魔法は一部の人間にしか使えない魔法で、大きな街の大きな神殿に一人か二人、いるかいないかといったところだからだ。
「いるよ。戦神の大司祭ミスレイ様は、十四歳の時に蘇生魔法を修められたって話」
「だったら、今から……」
「もう遅い」
動かない体で浮足立つアスティを、ミレイユは冷徹な声で制する。
「ミスレイ様にはもう式神を飛ばしておいたけど、蘇生魔法が使えるのは死後数分だけ。クロニャはそこまで考えてあたしたちをここまで誘導したみたいだし、もう間に合わない」
「そ、んな……」
「それに、もうそんな必要もないしね」
そう言い放って、ミレイユが後ろを振り返ると、そこには、
「ごほっ、ごほ、ごほ! あー、死ぬかと思ったぁ……」
せき込みながらも起き上がる、鋼の姿があった。
「は、ハガネ!? 一体、どういう……」
アスティは混乱するが、その顔にさっきまでの絶望はない。
しかし鋼はアスティを手で制して、ミレイユに頼み込む。
「その前に、ミレイユ。ちょっと僕に毒かけて。まだ傷が完治してなくてさ」
「……そんなこと頼まれたの初めてだけど。はい」
「おお、元気になってきた!」
毒を受けた鋼の傷が、見る見るうちに回復していく。
「そ、それで、これはどういう!?」
なおも状況がつかめないアスティに、ミレイユがため息交じりで説明する。
「アスティには見えてなかったみたいだけど、さっきまでの三十秒、彼には死神が憑いてたの。あの短剣を突きつけた時に、タナトスコールを使ったのよ」
「タナトスコール? あれはたしか、即死技では?」
「毒でHPが回復するなら、即死で蘇生くらいするんじゃないかってのが使った理由。実際生き返って、あたしもびっくりだけど」
ミレイユは肩をすくめた。
「指示したのは彼よ。死ぬ直前、彼が何か言ったでしょ。あれがそう」
「し、しかし、私には何も……」
「読唇術が使えるのよ、あたし。だから彼は、あたしに向かって口を動かした。たとえ声が出なくても、メッセージが伝わるように」
「そ、んなことが……」
アスティは呆然とつぶやいた。
「……まったく」
一方、ミレイユは不満を隠さなかった。
実際冷静にこの場を見ている第三者でもいれば、ここで死神が登場するだろうというのは気付けただろうとミレイユは踏んでいる。
それだけに、アスティの察しの悪さは苛立たしくもあった。その苛立ちの半分が、護衛対象をみすみす死なせた自分のふがいなさにあると、分かってはいても。
「まーまー。とりあえず無事だったからよかったなってことで。
僕もそんなことで本当に生き返るとは思ってなかったけど。
何でもやってみるもんだな……」
そしてなぜか、一度死んだ当事者の鋼が、一番能天気だった。
しかしさすがに、鋼の表情も明るくはない。
「だけど、やっぱりあの勇者が言ってたことも一理あるかもな」
めずらしく沈痛な表情で、何かを思い知るように、ゆっくりと話す。
「こんなぽんぽんぽんぽん死んだり生き返ったり、これじゃ、命が軽いなんて言われるのも少し分か……」
「ふざけるな!!」
だがその言葉を、アスティの声がさえぎった。
「命が、軽いなどと言うな!」
麻痺毒の抜けきらない体で、よろよろと鋼の方へ歩いていく。
「あ、アスティ?」
驚く鋼に、今にもぶつかりかねないほど、近付いて、
「私が、私がお前が刺されたのを見て、どれだけ心配したか。
お前が死んでしまったのを見て、どれだけ悲しんだか。
なのに、お前は、お前はそんな……」
後はもう、言葉にならなかった。
アスティは体ごと鋼にぶつかっていき、その胸に顔をうずめる。
鋼の胸の中から、押し殺した嗚咽が聞こえた。
目線だけで鋼はミレイユに助けを求めたが、ミレイユはただ面白そうに二人を眺めてにやにや笑っているだけ。助けてくれるつもりは毛頭ないらしい。
「悪かったよ、アスティ」
鋼は観念して、アスティの小さい体をぎこちなく胸の中に抱き寄せる。
「馬鹿だ。貴様は、大馬鹿だ」
涙声のアスティは、まるで年相応の少女のように、甘えるように鋼をなじる。
「悪かった。もう、言わないから……」
「当たり前だ、馬鹿」
鋼は自分の胸の中ですねたようにしゃくりあげるアスティを愛しく思いながら、その光り輝くようなアスティの髪を優しく撫でた。……左手で。
「……あ゛」
「え?」
ちなみに鋼はこの件でこれから数年、アスティからねちねちと責められ続けることになるのだが、それはまあ先の話である。
都合により日毎の更新が困難になったので、これから更新ペースを落としたいと思います。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。