第二十九章 決着! 悪逆非道のストマックエイク!!
お腹を抱えてぷるぷる震えているクロニャを見て、
「……ぷっ! あ、あはははははっはっははげぶぁ!
あひゃははははは、う……がほっ! がほっ!
ほんとに、ほんとに効いちゃったよげふう!
あははははっははははははっはははっはっははげほふぅ!」
口から血を吹き出すくらいまで、鋼は大笑いした。
「なに、が、おきた?」
訳が分からないのは、クロニャだった。
「わたし、への、悪意、は、すべて、『絶対的隔意』が、ふせぐ、はず」
それは、毒を盛ることや、こっそり魔法をかけることに対しても有効なのだ。
「ひゃは、はは、……はぁ。悪意じゃ、なかった、からだよ」
ようやく笑い終えた鋼が、痛みをこらえながら、しかしいかにもなしたり顔で言う。
「ぼく、には、めんどうなタレントやスキルが、いくつも、あってね。
前に巨竜を倒した時に使った、『天魔滅殺黒龍灰燼紅蓮撃』とか、『ブレス無効』なんてのは、まだ、いい方で、その時に教えてもらったタレントの中には、一体何に使うのか、分からない、ようなものも、たくさんあったんだ」
「特に、『深爪の呪い』と一緒に教えてもらった、『神の左手』の効果なんて、ひどい、もんでね。僕は、こんなスキル、絶対役に立たない、と、思ってた、よ。
……今日、この瞬間、までは」
「ひだり、て? ……まさ、か!?」
あることに気付いて、クロニャは汗の浮かぶ顔をさらに蒼白にした。
「勘が、いいね。そう、『神の左手』の効果は、『僕が左手の親指で頭頂部にさわると、十分後にお腹を壊す』ってものなんだ。
あの時さんざん、謝ったけど、もう一度、謝って、おくよ」
そして、鋼は、最高の笑顔でこう謝罪した。
「悪気は、なかったん、だけどさ。
あの時、つい『左手』で頭をなでちゃって、ごめんね」
その言葉に、クロニャの顔からすぅーっと血の気が引いていく。
「あなた、という、人は……!」
無表情だったはずのその顔には、たしかに怒りと、それから羞恥の感情が浮かんでいた。
ちなみに『その瞬間』から正確に十分が計れたのも、昨日の朝にシロニャに教えられたタレントの効果だった。
世の中に無駄なものなんて何もないんだ、とか声高に宣言したい気分になる。
「そ、そうだ!」
クロニャが何か気付いたように言って、アイテムボックスから小瓶を取り出して、すぐに飲む。
「効果、ない…」
その小瓶の中身は、全ての状態異常を治す万能薬であったが、腹痛という状態異常と無関係なものに対しては何の効果もなかった。
「無駄。いや、君風に言えば、徒労、だよ。
君、にはもはや、二つの選択肢、しかない」
小瓶を手に呆然とするクロニャに、鋼は現実を突きつける。
「おとなしく、僕らに、降伏、するか。あるいは……」
「あるい、は?」
そこにあるかもしれない一縷の希望にすがって、クロニャは鋼を見る。
そんなクロニャに対して、鋼はあくまでもにこやかに、
「漏らしながら、戦うか」
死の宣告を、たたきつけた。
そんな無慈悲な現実に、
「や、だぁぁ!」
無表情無感動だったはずの異世界勇者は、かぼそい声で泣いたのだった。
「よし、アスティ、確保!」
「え? あ、ああ」
戸惑いながらも、アスティがクロニャの腕をつかんで拘束した。
「こ、この、程度!」
クロニャは能力を使って対抗しようとするが、ベストとは両極端にあるような今のクロニャのコンディションでは、悲しいほどの威力しか出ない。
「は、はな、せ! はな、して、トイレ、行けな……」
半泣きになりながらもがくが、能力なしにクロニャがアスティの腕力に敵うはずがなかった。
ちょっとかわいそうになったのか、アスティが鋼をうかがうように見るが、
「ダメ、だ。トイレに行きたい、なら、もう僕たちを狙わない、と、約束して、もらわないと、な」
鋼は頑として首を縦に振らない。
「なめ、る、な! この、く、らいで、勇者、が……」
「アスティ。クロニャは、お腹が、痛い、みたいだ。
ちょっと、さすってあげて」
「なっ…!」
完全に余裕を失った顔をするクロニャ。
まさか騎士様がそんなことしないよね、とほとんど媚びるような目でアスティを見るが、
「私としても、これは本意ではないのだが」
金髪の元騎士は、無慈悲にクロニャのお腹に手を伸ばした。
「ひうっ!」
元騎士の手がふれた途端、弾かれたように震え、ついで彫像のように硬直するクロニャ。
だが当然、さわるだけで終わりではなく、アスティの手は何かを促すように、ゆっくりとそのお腹の上を這いまわる。
「だ、め、や、めぇ……く! こ、こん、な、こと、で、わたし、が、いぅ! く、屈する、と……」
「アスティ。効果ないみたいだ、から、ちょっと、強めに」
「やめっ…!」
「すまんな」
瞬間、クロニャとアスティの声が交差して、直後、アスティの手が、クロニャのお腹をぐっと押す。
「あ、ぁ、あ、ぁ、あ、あ!!」
もはや普通の言葉を話すこともできないのか、壊れたスピーカーのように断続的に声を出すしかできないクロニャ。
だが結局、クロニャはこれにすら耐え切った。
「ぐぅ、ぅ!」」
唇を強く噛み締め、きつく目を閉じて、襲いかかる『波』を堪える。
「クロニャ……?」
鋼が呼びかけても聞こえないほど必死に、クロニャはその絶望的な戦いに没頭していた。
「仕方ないな。よく、聞こえてない、みたいだし、ちょっと、耳に『ふっ』て息を吹きかけて、やってくれ」
「な、なぁ。これ以上はさすがに……」
アスティはさすがにかわいそうになったが、鋼はうなずかない。
「いや、正義の、ためだし」
それは絶対嘘だろう、とアスティでも思うような理由で、続行を指示。
アスティは仕方なく、その秀麗な顔を目の前の小柄な少女の耳元に寄せ、ふっ、と息を吹き込んだ。
「あふっ!」
すると、ずっと力がこめられていたクロニャの体が急速に弛緩し、何かから解放されたように、小さくふるる、と震え、
「…あ」
その場に居合わせた全員の脳裏に、やべ、やっちまったか、みたいな危惧が生まれた。
しかし、
「はっ、はっ、はっ!」
一瞬後、荒い息をつくクロニャ。どうやらギリギリで思いとどまったらしい。
これには鋼もほっとした。
そして、
「……った」
「え?」
とうとう、クロニャの口が、小さく動く。
さらに鋼が待つと、今度ははっきりと鋼の耳に届く音量で、
「わかっ、た。あなた、の、ゆぅ、とおり、に、する」
クロニャはとうとう、降伏の申し入れをしたのだった。
「よし。じゃあ、もう僕らには、手を出さない、と、はっきり言って、もらおうか」
「も、もぅ、手、ださな、い」
蚊の鳴くような声で、追従する。
「襲ってきて、ごめんなさいは?」
「ご、め、んなさい」
屈辱もあるだろうに、クロニャは従順に頭を下げた。
「あと、とんかつ勝手に食べて、ごめんなさい、は?」
「あ、あれは、どくみ、で」
「アスティ、まだ足りないみたいだから、ちょっと彼女のお腹を……」
「ご、ごめん、なさい。かってに、とんかつ、ごめ、なさい」
一部滑舌がおかしくなっているが、クロニャはどこまでも素直だった。
本来なら、これくらいで解放するつもりだったのだが、
「うーん。それだけじゃ足りないな」
想像以上にいい反応なクロニャに、続行を決定。
「ま、まだ…?」
絶望的な顔をするクロニャに、
「お願いします、は?」
無慈悲な顔で、言い放つ鋼。
何か鋼の中で変なスイッチが入ってきて、痛みでたどたどしかったしゃべりまでなめらかになっていた。
「お、おねがい、します」
「おねがいします、ご主人様は?」
「ご、ごしゅじ…!?」
確実に悪乗りしていた。
「完全に悪役……いや、まさに外道の台詞な気がするけど……」
ちゃっかり傍観する姿勢のミレイユも、ちょっと引き気味だ。
しかし、ここまで来てクロニャに拒む選択肢はない。
「お、おねが、いします、ごしゅ、ごしゅ、じんさま……」
言った。
だが、さらに攻勢に出る鋼。
「我慢できないんです」
「が、がまん、できない、です」
「トイレにいかせてください」
「トイレ、いかせ、て…」
「もう一回」
「が、まん、できな、です。どう、か、はやく、いか、せて……」
もうクロニャは苦痛と屈辱で顔色が白くなったり赤くなったり大変である。
「まあ、そろそろ、いいか」
さすがにアスティの目が怖くなったので、鋼は切り上げることにした。
「じゃ、これ、外してくれる?」
鋼が自分を指さすと、
「んっ」
クロニャが何かをして、鋼は自分の胸を圧迫していた何かが消えたことを知る。
おそらく刺さったナイフとかを抜くと血が吹き出ちゃうのと同じ理屈だろう。
急にやばいくらい血が流れ始めた気がしたが、たぶん毒の回復効果で何とかなると見切りをつける。
「アスティ、放して、あげて」
流れる血のせいでふたたびたどたどしくなった言葉で、クロニャを拘束していたアスティにそう頼んだ。
「しかし、いいのか? 彼女が約束を守るという保証は……」
「勇者、だし、信じるよ」
「そこまで、言うなら……」
アスティが手を放す。
クロニャはくたっとその場に崩れ落ちた。
解放されたクロニャは、
「やく、そくは、まもる」
ゆっくりと、顔を上げて、鋼を見据え、
「でも、この、うら、みは、わすれ、ない!!」
最後の力で、苦し紛れに手に持った小瓶を投げつけると、
「あ!」
っという間のスピードで、ピューンと空をすべるように移動して、見えなくなってしまった。
「ふぅ…」
全てが終わったという安堵感で、アスティは大きく息をつき、
「だいぶ恨まれたようだが、あの様子ならすぐの再戦はなさそうだな。
しかし、今回は肝を冷やした。ハガネ殿も……」
後ろを振り返って、愕然とした。
「が、ふ……」
鋼の顔色が、恐ろしいほど悪くなっていた。
「な!? そうか、しまった、あの小瓶か」
クロニャの持っていた小瓶には『状態異常を打ち消す』効果のある薬が入っていた。それがこぼれて、鋼を延命させていた『毒』の状態異常が打ち消されてしまったのだ。
あの状況のクロニャにそんなことを考える余裕があったとも思えない。おそらくわざとではなかったのだろうが、起こった事態はまさに致命的だった。
「は、ハガネ殿、今、回復魔法を…!」
アスティが駆け寄ろうとするが、それはあまりにも遅すぎた。
鋼の顔は見る間に生気を失っていき、
「た、な………」
最後に鋼の口が動いて、仲間の少女に何かを伝えようとするが、その言葉すら、結局満足な音にならないまま、
「ハガネ、どの? ハガ、ネ……。
いやぁああああああああああああああああああああ!!」
――結城 鋼は、死んだ。