第二十八章 その左手には神が宿る
(いったああああああいいいいいいぞおおおおおおおおおお!!)
胸を貫かれて地面に倒れ伏しながら、鋼はまだ生きていた。
胸の中心に、異物感がある。
きっと自分の様子を克明に描写したらR15指定は確実だろうというくらいには重体だという確信がある。いや、この胸の傷は、致命傷、と言ってもいいかもしれない。
それなのに生きているのは、たぶん毒のせいだ。毒のステータス異常がHPを回復し続けてるせいで、何とか延命できているんだろう。
そう鋼は判断していた。
むしろ問題は、
(いたいいたいいたいいたすぎるぅうううう!!!)
胸の辺りからビンビンに感じる痛みの波である。
テレビや漫画のヒーローとは違って、普通の特に訓練も受けてないような一般人は、銃で撃たれたり骨折の一つでもすれば痛みで悶絶して敵と戦うどころじゃなくなるし、盛大に血を吹き出したら失血のショック症状で気を失う。
そして今、大体その両方の状況を体験している鋼が、曲がりなりにも一応正気を保っているのは、これはもうすごいことなのではないかと自分で思っていた。
とにかくこの痛みから気を逸らさなければならない。
そして、そんな時のための特効薬が鋼にはあった。
(シロニャァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!)
地面に這いつくばり、起き上がることもかなわないその身の代わりに、心の中で絶叫する。
そして聞こえるのは、久しぶりでもないのに何だかやたらと懐かしい声。
【な、なんじゃ? 何が起こったのじゃ?】
(あ、いや、呼んでみただけ)
なんとなく適当な嘘を言ってしまう鋼。
だが、そういう嘘がさらっと出てきた辺り、少しずつ調子を取り戻している気もした。
【ちょっ、おまっ! ワシ、今は本当に忙しいじゃぞ!?
そういう台詞はせめて付き合い初めのカップル風に言うのじゃ!】
(べ、別に。ただ、ちょっとお前の名前、呼んでみたかっただけでさ)
【ふ、ふぉぉおおおおおおおおお! キタコレキター! …なのじゃ!】
シロニャのテンションが100に上がった。
シロニャはスーパーハイテンションになった。
(というワケでシロニャ)
【うむ! 何でも言ってみるのじゃ!】
(すごく面白いことを言ってくれ!)
【なんという無茶振り!
じゃ、じゃが、今のワシに不可能はないのじゃ!】
スーパーハイテンションが不可能を可能にした。
【で、ではここで小話を一つ】
(どんとこい!)
満を持して、シロニャ渾身のネタが鋼に炸裂する。
【と、となりの塀に、かきねが出来たんだってー。
へー、かっこいー】
(………………)
【………………】
(お前には、ツッコミすらも生ぬるい!!)
【いまだかつてないダメ出しじゃと!?】
絶対にすべるだろうと予想はしていたが、鋼の予想すら軽くぶっちぎるすべりっぷりだった。
だけど、おかげで、
(だいぶ、気がまぎれた。ありがとう)
【え? こんなんでいいのかの?】
シロニャになごまされ、癒されたせいなのか、あるいは痛みに慣れて来たのか、鋼はさっきほどの激痛を感じなくなっていた。
最後になるかもしれない機会だ。その気持ちを素直に伝える。
(ああ。シロニャは最高の仕事をしてくれたよ)
【な、なんじゃよ急にほめたりして……。
いつぞやの死亡フラグみたいで気持ち悪いのじゃ!
別にこのくらいいつでも……】
明らかに照れた様子で、シロニャが何か言おうとして(鋼の予想では明らかにデレ発言)、しかしその時、空耳だろうか、
【シロニャーン! つづきー!】
なんていうシロニャじゃない女の子の声が聞こえた気がして、
【す、すまんのじゃ! またの!】
シロニャの気配は遠ざかっていった。
(これ、なら、何とか、やれる……か?)
気がまぎれたせいか、痛みは驚くほど気にならなくなっていた。
なんとなくイカサマのにおいもしたが、まあ我が身に宿るタレントにいちいち嘆いたり驚いたりしてもキリがない。
脳内麻薬がばしゃばしゃ出まくってる可能性だって否定できないし、と自分をごまかし、鋼はあまり気にしないことにする。
(とにかく状況把握!)
と顔を上げた鋼の目に飛び込んできたのは、
「おろ?」
思わぬ至近距離で驚いたように目を見開いた、
(ミ、レイユ?)
アサシンの少女の顔だった。
「あの、さ。もしかしなくても、見えてる、よね」
先に我に返ったミレイユが、おそるおそる、みたいに聞いてきた。
声を出そうとして、代わりに血が出そうになり、あわてる。
「あ、声出さなくていいよ。一応読唇術とか覚えてるから」
それを察したのか、ミレイユがありがたい提案をしてくれる。
鋼は無言でうなずいた。
『なんで、ここに?』
「えーと、な・ん・で・こ・こ・に、だね?
まあ、そりゃあ仕事しに来たというか、あんたを助けようと思ってこっそりやってきたんだけど」
『こっそり?』
鋼は首をかしげる。
「やー。こう見えて、隠形というかハイドというか、とにかく人に見つからないようにしてるからねぇ。
というか、あんたに何でこっちが見えてるのか気になるところかも」
『え? いや、普通に見えてるんだけど?』
「普通、普通にかぁ。あたしの十数年の修行も、普通に見られちゃ浮かばれないね。しかも、別に『発見』してる訳じゃないみたいだし。
それももしかしてタレント?」
『……かも』
どうも、ミレイユは他二人が激しいバトルを繰り広げている隙をついて、鋼を助けに来てくれたらしい。
『あー、それはともかく、何だか胸の辺りに違和感あるんだけど……』
「ん? まあ、聞かない方がいいんじゃないかな?
昼間のとんかつを戻したくなければ」
『……そう』
想像はしていたが、やっぱり『見せられないよ』状態のようだ。
ただ、鋼はとんかつを一切れも食べられなかったので、戻す可能性はゼロだということだけは主張しておきたい。
「で、あたしとしてはさっさと回復して逃げちゃいたいんだけど」
『あ、たぶんそれ無駄だよ。ただのダメージなら、毒の効果で回復してるはずだし』
「なにそれ、継続ダメージってこと? 厄介だなぁ……」
念のためミレイユが応急処置を試してみたが、ほとんど効果はなかった。
「と、なると、あいつを何とかしなきゃいけないワケか」
『何とか、なるかな…?』
表面上のんきそうな二人の近くで、今もアスティとクロニャは超人バトルを繰り広げている。
「こっち見えてないみたいだし、隙ついて一撃入れれば殺せるかも」
『いや、殺しちゃうのはまずいでしょ』
言いながら、鋼はアスティたちをあらためて見る。
あいかわらず、自分の正気を疑いたくなるような激戦が続いていた。
基本はアスティが叫びながら斬りかかって、クロニャが弾く。
その繰り返しだ。
ついでに、何か色々叫んだり動揺したりやっぱり叫んだりしているが、内容を簡潔に要約するならこんな感じだろうか。
アス「くそーきさまーなぜハガネをうらぎったー!」
クロ「ごめーんわたしだってやだったけどせいぎのためにはしかたなかったのー!」
最高潮に盛り上がったテンションで、今にもどっちかが泣き出しそうな雰囲気だが、鋼は今一つ乗り切れないでいた。
アスティが自分の死に逆上するのはまだ分からなくもないのだが、クロニャが自分を殺したことに強い罪悪感を持っていることにちょっと違和感なのだ。
(会ってたぶん二時間くらいしか経ってないんだし、裏切ったってほど親しくなかったと思うんだけどなぁ……)
実際鋼は、ハメられたなとは思っても、裏切られたとは感じていない。
さすが異世界の勇者、ただ一回食事をしただけの人相手にものすごい感情移入度である。
『二人とも、いい人だよなー』
しみじみとそう思う。
「あんた、あんまりいい人って感じしないよね」
苦笑しながらつぶやかれた。
『そりゃ、悪かった』
「いや、そういう感じじゃないだけであんたはいい人だって。自分を殺しに来た相手を殺すのためらうくらいだし。ま、甘すぎるとは思うけど」
『失礼な、僕は微塵もためらってなんかいないぞ』
「へぇ?」
『もうとっくに殺さないって決断してる』
「……ふぅん?」
ミレイユの目が、鋭く細くなった。
たぶん、危険な兆候だった。
「でもさ。いいの? あの子、この世界を滅ぼす、みたいなこと言ってるけど?
ここでその子を生かした甘さが、後でもっとたくさんの人を殺すかもしれないよ?」
冗談めかしていても、ミレイユの目は本気の色をたたえていた。
返答次第では殺される。そんなことを考えてしまうほどに。
『いや、クロニャは世界を救う人を殺そうとしているだけで、世界を滅ぼそうとはしてないし、そもそもそんなことはできない』
「できない? どうして?」
ここが一つの正念場、鋼は考えながら口を動かす。
『あっちでアスティは頑張ってるけど、見るからに実力差がある。
たぶん本気を出せばアスティなんて三秒でミンチにできるのに、殺したくないから今もああやってじゃれあって話まで聞いてるんだ。
それに何より、僕が死んでないのは気付いてるみたいだし、後一押しで殺せるのにまだためらってる。
やっぱり勇者だしさ。たぶん大義のためでも他人にひどいことできないんだよ。
断言する。あれは中盤辺りで「今回だけですよ」とか何とか言いながら共闘してなし崩しに仲間になって、魔王との最終決戦とかにはちゃっかり味方として隣にいる感じのキャラだね』
「………………ふぅむ」
ミレイユはしばらく悩むようなそぶりをみせたが、
「ま、納得しとこっか」
うなずいて、明るい顔を見せた。
鋼もほっと息をつく。ついた拍子に喀血して、
「わっ! きたなっ!」
飛び出した血を避けようとミレイユが飛びのいた。
……死にかけてる相手に対する遠慮とかないんだろうか、と鋼はちょっと思った。
ミレイユは何食わぬ顔で戻ってくると、指を立てる。
「ま、向こうもあんまり時間はなさそうだし、ささっと補足。
今のあいつ、クロニャは確かに情に流されそうな甘い奴だけど、あたしがギルドの控室で会った時は機械みたいな奴で、正義のために人殺し、とか平気でやりそうに見えた」
早口でそこまでしゃべって、息継ぎをしてまたまくしたてる。
「それがあんたに会って雰囲気がやわくなって、食事の時には普通の子供くらいに見えた。あたしにもそこんとこよく分からないけど、名前つけられたり、あんたとかあのバカ騎士とかがアホやってたのが本当に楽しくて、『勇者』とかになる前の感情とか人らしさとか、そういうのが少し戻ってきたんじゃないかな?
だから……」
ミレイユの真摯な瞳が、鋼を射抜く。
「あんたがあいつを生かしたいなら、勇者としてではなく、クロニャとしてのあいつを倒さなきゃならない。
……出来る?」
その質問に対する鋼の返答は、会話の前から決まっていた。
「らく、しょう!」
そこだけは苦しくても肉声で答えて、親指を立てる。
「なら、任せたよ」
ミレイユはあっさりと言って、身を翻すと、
「あ、でっかい隙はっけーん!」
殺さないとかいう約束はどこへ行ったのか、ナイフを振りかぶってクロニャの後頭部に投げつけていた。
(さて、それじゃ、ちょっと頑張るか)
自分のやるべきことを、ざっと確認する。
とはいえ、もう決着自体はついている訳で、あとはどう落とすかを考えるだけ。
それに、そんなに悠長に考えている時間もない。
この公園にやってきてから、既に四分近くが経過している。
こうなればもう、時間との勝負だ。
三人の話に割り込んで、視線がこっちに向いたのを見計らって、叫んだ。
「ツッコミが、追いつかないじゃないかあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああがぶぅぇぼはぁ!!!!!!」
叫び終わった後、ちょっと血を噴いてしまったのはご愛嬌。
鋼の言葉に、敵であるクロニャだけでなく、アスティにある程度事情を知るはずのミレイユまでが、一様にこいつ何言ってんだという顔をした。
だが、鋼はそういう顔が欲しかったのだ。
殺伐とした殺し合いで浮かべるような表情ではなく、ただの等身大の人間の、滑った馬鹿野郎を見る呆れた視線が、心地よかったのだ。
……半分くらいは負け惜しみだけれども。
ちなみに適当にしか聞いていないクロニャたちの厨二ワードを全てをきちんと言えたのは、『瞬間記憶復元』のタレントのおかげだ。役に立つじゃないか『瞬間記憶復元』。
そして、ようやく我に返ったクロニャが、鋼に問いかける。
「なぜ…。なぜ、この、状況、で、そ、んなこと、が、言える?」
仲間はみんなクロニャの能力に手も足も出なくて、鋼自身は瀕死の重傷。
だが、
「死に瀕してなお、ジョークを言えるのが真の粋人だ!
……と僕は言ったという」
「あんたが言ったのかよ…」
ミレイユが突っ込んでくれた。でも、
「嘘だった。言ったことない」
「言ってないのかよ!」
二段オチにしっかりついてくるミレイユ。心強い。
「ゆーき、はがね。あなたに、恨み、は、ない。
でも、あな、たの、無軌道さ、それ、に、見合わない、力、は、世界、のために、なら、ない。
あな、たに、英雄の、器は……」
「なら、いいじゃん」
クロニャの言葉をさえぎる。
ごふっ、と血を吐いて、のどから血抜きをしてから、告げる。
「世界救うから、殺す、ワケだろ?
英雄の器じゃない、なら、世界滅びるんだから、いいじゃん」
鋼の言葉に、クロニャがきょとん、とする。
アスティも、あ、そういえば、みたいな顔をした。
「け、けれど、型に、はまらない、力は、世界を、ほろびから、救う可能性も……」
「世界を、救うようなら、それって、いいことじゃないか。
僕の力は、ほかの世界にも、きっと、こふっ! プラスになる」
詭弁ではあるのだが、一定の説得力を持っていた。
アスティなどはその通りじゃないか、という顔で、鋼を尊敬のまなざしで見ていた。アホの子なのがバレるぞと忠告したくなった。
実際ここまでは、前座。
あんまり時間がないので鋼も迷ったが、相手を揺さぶれれば上等と思っていただけなので、よしとする。
「……ま、君がどう考えようが、関係ないんだけど、ね」
「な、に?」
その言葉に……。
鋼の敵意を読み取って、空気が変わる。クロニャから、勇者へと。
それは、本来であればまずいこと。
だが鋼は、そんなものをブッ飛ばすつもりでいた。
「僕はたしかに、『英雄』じゃ、ないし、そんなの、なりたくも、ない、けど……」
やはり胸に穴をあけたまましゃべるのは無理があったのか、だんだん話すのがきつくなる。だが、ここでやめるワケにはいかない。
鋼はまさに死力を振り絞る。
「ただ、一つだけ、げふっげふっ! 明らかな、ことがごふっ! ある」
鋼は、盛大に血をまき散らしながら、決定的な言葉を、告げる。
「予言、しよう」
それは、宣戦布告。そして、勝利の宣言。
鋼は、
「君はこれから、ぼくに負げぼうばはぁ!」
「ぼくに負げぼうばはぁ……って、なに?」
大事な台詞の途中で吐血したせいで、大変かっこ悪いことになった。
「君は、僕に負けるって、言ったげぼぁ、んだよ!」
どうも吐血癖がついてしまったのどを酷使して、鋼は何とかその台詞を言い切った。
「しかも!!
君を負か、ぐふっ、すのは、厨二病な名前がついた必殺技でも、武器称号が2ケタあるような超絶武器でも、超大規模、がふぅ! 魔法でも、ましてや謀略、でも、ない」
そう、ここからが重要なところ。
「食べ物の取り合いで、騒ぎ立てたり、頭を、なでられて、かおを、赤く、するような、かふ! ただの、ふつうの、日常」
そしてもう一度、今度こそ鋼は高らかに、宣言する。
「ただの日常パートに、君はげっふぅ!! ……負ける!!」
鋼の言葉を聞いても、クロニャは揺らがなかった。
「ばかな、仮定。信じる、根拠が、ない」
だが、
「信じなくて、いい!」
それはもう、どうでもいいのだ。
だってそれはすぐ、後ほんの数秒で、実現するから。
「がふ、アスティ!」
今まで棒立ちだったアスティに、鋼は指示をする。
「六秒後、クロニャに斬りかかれ!」
「…!? ……承知!!」
アスティは、何も分かっていないはずなのに、うなずいてくれた。
そして、
「五、四、さ…がぼぇ! 二、一、今だ!」
鋼のカウントがなくなると同時に、アスティがクロニャへと飛び込んだ。
それは、戦闘の初めの頃と比べれば、明らかに精彩を欠く動きと、斬撃。
しかし、
「当たっ、た?」
クロニャがとっさに回避したため、服をかすっただけだが、その剣はクロニャまで届いていた。
「あの瞬間、から、ジャスト十分! 君、の、負けだ、クロニャ!」
勝利を確信した、鋼の声。
確かに、誰がどう見ても、クロニャには何かが起こっていた。
誰にも全く傷をつけられなかったはずのクロニャが、脂汗をかき、自分の体を抱くようにして、潤んだ目で体を二つ折りにして、うずくまっている。
そして彼女は、あまりにも切実な表情で、彼女の敗北を決定づける、致命的な言葉を、言った。
「……おなか、いたい」
そうしてそれが、アスティが向こう数年に渡って鋼を責め続けることになる、英雄と勇者の対決の、最低最悪な幕切れの始まりだった。