断章3
「おはよ、ゆっきー。今日もしけた面してんねー」
いきなりご挨拶な挨拶をかましてくれたのは、クラスメイトの三枝 牧だ。
私とは、『ゆっきー』『マッキー』と呼び合う仲である。などと言っても私は基本、恥ずかしいから無難に『マキ』と呼んでいるけれど。
「しけた面なんてしてないよ。私はいつもこんな顔だよ」
「そーだねー。十日くらい前からは、そーかもねー」
やけに含みのある言い方だ。というより、意図する所は明白だった。
「別にそんなんじゃないし」
大人気なくも、つい拗ねたような言い方になってしまう。
「そんなんじゃないって、何がかなぁ? ちゃーんと自分で思い当たるところがあるんじゃん」
「そんなのないよ」
これがこの友人の悪い所である。マキは追及が巧みであり、人を追い込んで面白がるような所があるのだ。
「そお? じゃ、そんなゆっきーにここでクイズです」
意地の悪い笑みで指をぴんと立ててくるマキ。絶対に嫌な事を考えている。
「や、やだよそんなの。私やらないから」
と必死の抵抗も、マキにはてんで通用しない。手前勝手に問題文を読み上げ始める。
「朝は私をいやそーに避けて、誰もいない机を見つけて、はふぅとため息。
授業中はちらちらちらちら、誰か来ないか扉を見つめて、はふぅとため息。
昼休みはご飯も食べず、誰かを思って空を眺めて、はふぅとため息。
放課後は掃除にかこつけ、誰もいない机を撫でて、はふぅとため息、だーれだ?」
にやにやとしか表現出来ない笑みで、マキが私の顔を覗き込んでくる。恥ずかしさと屈辱に、頭の中が真っ白になった。
――そんな事していない。していないとは言えない。だけどそんなの認められない。抗弁しないと。
ごちゃごちゃの混沌を抱え込んで、私は叫んだ。
「私じゃないもん!」
うわぁ。うわぁうわぁうわぁ。
言ってしまってから、自分の顔が真っ赤になっていくのが分かった。
やってしまった。
失敗した失敗した失敗した。
「~もん」って。一体何歳だ、私。
教室の喧騒が遠くに聞こえる。いや、近くを回っている。教室中の人間が、私に注目している気がした。
いまだに脳味噌がぐるぐる回っている私に、少しばつが悪そうな顔でマキが近寄ってくる。
「あー。なんだ。そこまでとは思わなくて、ちょっとやりすぎたわ。ごめんね」
その、『わたしは分かってるんだけど』みたいな態度に、私の中の何かがブチッと音を立てて切れた。
「分かってない! マキはぜんっぜん、分かってない!」
「ちょ、ゆっきー?」
驚いたようなマキの顔、少しだけスッキリする。
なのに、
「ほ、ほら。その話は後でゆっくり聞くから、今は、ね?」
まるで、私が何か隠しているみたいに話している。気に入らない。そんなんじゃない。
私は先程に倍する勢いでマキに食ってかかっていた。
「その話って何? そんなの誤解だもん! 私、私は別に、あんなの全然好きじゃないもん!」
ぶちまけた。何だか解放されていく気分。
そうだ! 皆誤解してる。誤解は解かないといけない。
「クラスメイトだから! 心配してるだけだもん! 普通だもん! 好きじゃないもん!」
「分かった。分かった分かったから。ほら、少し落ち着こう?」
「落ち着いてる! 私は落ち着いてる! あんなのいなくなっても全然いつも通り! これっぽっちも気にしてないもん!」
「そういうことじゃなくて、ね?」
これだけ言ってもまだ分からないのだろうか。はっきりと言わなければ分からないのかもしれない。
なら、言ってしまおう。
「別に私はあんなのどうとも思ってない。あんなの、もう二度と戻って来なければ、戻って、来なければ……」
――あれ? どうして?
『戻って来なければいいのに!』とはっきり言ってしまおうと思っているのに。
口だけがぱくぱく動いて、言葉が出てこないなんて。
「もど、もどって、もどって、こな……」
焦る。焦る焦る焦る焦る。
目元が熱くなってきた。言葉はやっぱり出ない。口が私の言う事を聞かなくなってしまった。
どうしてだろう。なんで、なんで私は……。
「こらこら、何泣いてるのよ。あんた、暴走しすぎ」
ぱこんとマキに頭を叩かれて、少しだけ我に返る。
泣いてないと叫ぼうとした所で、手に水滴が落ちてきた。なにこれ?
「ほんともう、あんたって奴は」
抗議する暇もない。私はマキにぎゅっと抱きしめられていた。なにこれ?
「溜めこみすぎなの、あんたは。ほら、とりあえず行くよ」
そのまま肩を抱かれて、どこかに連れて行かれる。クラスのみんなも私たちを呆然と見ている。なにこれ?
だけど、前にも経験した事のあるような、マキのいつにない優しい手つきに、私は逆らう気もなくして、
「お騒がせしましたー」
いつも通りの軽い調子で話すマキに連れられて、私は廊下に出る。
――ああ。そうだ。
何となく覚えがあると思った。
マキのこの優しさは、病人を労わる看護師さんの優しさに似ているのだ、と気付いた。
「ちょっとは落ち着いた?」
ペットボトルのお茶をちびちびと飲みながら、マキの言葉に私は無言で頷いた。
数分前まで私を支配していた狂熱は既に覚めていた。今の私は明鏡止水の境地。諸行無常の只中にいた。
「マキちゃん」
「何?」
「私は、貝になりたい」
「……まあ、正直気持ちは分かる」
もう、死んでしまいたい。
そうして、全てのしがらみから楽になってしまえれば、でも、
「コウくん、死んでたらどうしよう……」
「え、なに? って、ちょっとあんたまた泣いてんの!? やめてやめてやめて! あんた今ちょっと情緒不安定すぎだから!」
慌てて寄ってきたマキのハンカチで、顔中拭われる。
荒っぽい手つきに抗議の気持ちも湧いたが、結局私は終始、されるがままだった。
そこから更に五分ほどの時間をかけて、私の精神もようやく安定期に入ったので、教室に戻る事にした。
マキはもうちょっと付き合う、と言ってくれたのだが、流石に授業までサボる訳にはいかない。やっぱりHRには間に合わなかったが、急に私の気分が悪くなったという事で誤魔化して、何とかクラスに復帰した。
クラスの皆は、表面上、いつも通りに接してくれた。
それどころか、時折顔を上げると、労わるような眼差しでこちらを見ている友達の姿が……。
ああ。優しさが痛い。
その日見つけた大発見。
今まで気付かなかったのだが、私は気付かない内にコウくんの席ばっかり見ていた。おまけに気付いたらはふぅはふぅため息ばかりついていたのだが、やめようと思っても気付かない内にため息をついているのでやめる事も出来ない。気付くとか気付かないとかややこしい。
「……はふぅ」
まただった。私はもう、はふぅ星人にでもなって、暗黒星雲の彼方に飛び立っていけばいいと思う。そうしたらもう皆の目を気にする必要もないし、もしかしたらそこにコウくんがいるかもしれない。
いや、何だこの乙女チックは。コウくんは宇宙にはいない。地球にいる。たぶん、いる。きっと、いる。いるはずだ。見つけてみせる。
そんな決意を新たにしている間に、放課後がやってきた。
「や、ゆっきー。自覚、した?」
「うん、不本意ながら。完膚なきまでに」
これは、まあ、からかわれても仕方ないレベル。蒲田くんとか、実は鈍感だったんだなって思う。
「というかね。さすがに今ほどじゃなけど、あんた、前からちらちらあいつ、コウくんだっけ? そいつのこと見てたのよねー」
「う、嘘!」
「いや、ここまで来てウソとかつかないって。というか、別にはじめっからウソとかついてないし」
でも、それが本当だったら、
「わ、私、昔からコウくんのこと、気になっていたというか、す、好き、だったって事?」
その言葉を口に出すのは、私にとっては非常に勇気がいったのだけれど、
「んー。あんたがあいつのことを好きなのかどうか、ちょっとよく分からないのよねー」
「えぇ! 今更!」
私に気持ちを自覚させた張本人であるはずのマキの突然の裏切り。私はもう何を信じていいやら分からない。
「あんたって結構澄ましてるけど、その実中身は小学生レベルじゃない? そりゃあもちろんあんたはコウくんのこと、気にはなってるんだろうけどさ。恋愛感情なんて高等なものがあんたの脳から生まれるか微妙というか、正直子供の言う『なんとかクン好き好きー』っていうのと大差ない気もするのよねー」
なんて事だろう。こういう事態になって初めて分かる、私の人物評価。かなり心外だが、今日の数々の私の奇行を踏まえれば、今の私には発言権がなかった。
「あんたのその想いはさ。もっともっと時間をかけるべきものだと思うんだよね。そうしたら……ちゃんとした恋になったか、それかストーカーになったか」
「ちょっと、マキ?」
「いや、ストーカーになってから恋になるって線も……」
すごい事を言ってくる。名誉毀損で訴えてもいいレベル。でも私は口を噤んでその暴言を甘んじて受けとめた。
実はその、ストーカーというほどではないけれど、一度だけコウくんの後をつけて家の場所を確かめたりはしてしまった事があったりして。思い返すだに、若気の至りという言葉が浮かぶ今日この頃。
「ま、こうなったらそれももう、難しいだろうけどね」
「………………」
唇を噛み締める私を見て、マキははぁ、とため息をつく。
「全くさぁ。あいつがいなくなってショックなのは分かるけど、あんたまでぽろっといなくなったりしないでよ」
「私が? 何で?」
「なんで、つーか。ほら、あいつ、行方不明なんでしょ。何があったんだか知んないけど、それを追いかけてあんたまでいなくなったりしないでね、ってこと」
ああ。そういう事か。でも残念。それは杞憂もいい所である。
「大丈夫だよ。コウくんの手がかりなんて何も見つかってないし、追いかけようがないから」
「はぁ。そういう言い回し選んでる時点で、会える方法があるならいなくなったって構わない、って言ってるような気がするんだけど」
「そ、そうかな」
本当に、そういうつもりじゃ、なかったんだけど。
「そうだよ。というか、あんた鈍すぎ。人がどうとかってんじゃなくて、自分のことに」
「そんな事、ないよ。ない、はずだよ」
「あるの!」
そう強弁されてしまえば、私はそうなのかとしか言えなくなってしまうのである。
「たとえばね」
マキは突然、右手にある路地を指さした。
「この道は、あんたの愛しいコウくんへとつながってるとします。でも、一度行ったら戻れません。どうする?」
「え? え?」
「ほら、5、4、3、2、1、はい時間切れー」
マキがカウントダウンする間、私は動けないでいた。
「おや、意外。てっきりゆっきーは飛び込んでいくと思ったのに」
「ちょ、ちょっと。マキは私の事、どれだけ猪突猛進だと思ってるの? 戻れないとか言われたら、私だって行く訳ない」
朝にあんな醜態を見せておいて我ながら説得力がないけれど、本来の私は抑制の利いた人間なのである。
「だと、いいんだけどね」
全く信じていない口調だった。私はもう一言二言言ってやろうと口を開きかけたのだが、その時にマキの奥、ちょうどマキが示していた路地の奥に、見覚えのある姿を見つけた。
純白の子猫。シロニャン。私の、青い鳥。
何でそんな事を思ったのかは、私にも分からない。けれど、私がしなくちゃいけない事だけは、不思議と飲み込めた。
「ごめん、マキ。私、ちょっと急用を思い出した」
決断は一瞬。いや、たぶん決めるとか迷うとか、そんな判断すらしなかった。
――あの子猫を見ていると、胸が苦しくなる。
そして、この甘い疼きの正体を、私は前から知っていた。
だから私は――行かねばならない。いや、ただ、行きたいんだ、彼の下へ。
背中からマキの、
「まあったく、言わんこっちゃないよ」
という声が聞こえたが、私はもう、振り返らなかった。
そうして子猫を追って駆け出してみて、しばらく。
――何やってんだろ、私。
私は目下、激しい後悔に襲われ心の中において七転八倒していたりする訳である。
飛び出した瞬間はそれが何か意味がある事のように思えたが、やっている事はただの猫のストーカー。第一別れる口実が、『急用を思い出した』なんて、ベタ中のベタ。返す返すも赤面ものである。最前の自分の全ての行動が、私のイタさを保証する証左でしかないように思えた。
それを証明するように、子猫はただ優雅に散歩をするだけで、他の凡百の猫と明確な線引きが出来るような特別な行動は何もしていない。
これは完全なる無駄足! 私が、そう思いかけた時だった。
――あれ? 今あの猫、周りを見回した?
気のせいではない。まるで尾行を気にする犯罪者のように、油断のない目でちらちらちらちら、後ろを確認している。
慌てて隠れながら、私は胸の高鳴りを抑え切れなかった。
少し振り返る、くらいならともかく、あんな風に全方位を気にする仕種を猫が見せたのは、私は見た事がない。これは本当に、何かある、とか。
甘い見通しだと知りながらも、そんな期待から抜け出せない私。そして、シロニャンの様子を向こうから見つからないよう鏡を使って確認する、用意の良すぎるイタい私。
鏡越しで見難かったけれど、シロニャンは路地に入り込んだらしかった
「1、2、3、4、5……よし!」
逸る気持ちを抑え、心の中でカウントを刻んでから、路地に飛び込む。
間一髪のタイミング。更に角を曲がる、シロニャンのしっぽの先が見えた。追いかける。
――そこで私は、驚愕の映像を目にした。
「変身、した?」
細い路地に入り込んだシロニャン。子猫だったその姿が、私の目の前で、一瞬にして十二、三歳くらいの子供に変わった。
「う、そ…?」
だが、私が何度目を凝らそうと、目の前にいるのはどこか人間離れした雰囲気を持つ、白い着物を着た少女だった。
何が起こったのか分からない。ただ喉がからからに渇いて、心臓が16ビートで鳴り響く。
目の前で起こった、あまりに非現実的な状況に、私が不整脈になりかけた時、
「――!!」
それを倍する衝撃が、私の全てを塗り潰した。
少女は、誰もいない路地で、けれど誰かと話していた。
誰か? 誰か、とは?
それは、もちろん……、
「コウか? 何度も言っておるがな。ワシをそうポンポンと呼び出すのは……」
――コウ。その単語。
――見つけた。
――ようやく、追いついた。
――なら、私は。
「その話!」
その言葉を耳にした時には、私はもうその白い女の子の前に飛び出していた。
だって私は、肝心な時、考えるより先に動くタイプだから。
だから、叫ぶ。
身にこもる全ての想いを込めて、私は叫ぶ。
「その話、私にも聞かせてください! あなたが話している相手は、コウくん。結城 鋼くんですか!?」
――この道が、コウくんへと繋がる道だと、信じて。