断章2
突然だが、私はイタい子である。
それはもうイタさに於いては人後に落ちないという自負、自尊がある。全く自慢にはならないが。
しかし、現在の私はこれでもかなり自制を利かせている部分があり、一年ほど前はそれはもう酷かった。もはや思い出すだけで赤面物。顔から火が出るとはこの事だという程度には酷かった。
そもそもこのイタさの根源を探ってみると、所謂中二病なんて言葉に行き着く。この時期の少年少女特有の肥大化した自意識と他人の認識との乖離が生み出す比較的一般的な病理、いやさ、通過儀礼のような物である。
恐らく中学二年生くらいの時期なら、誰もが奇矯な行動を取った経験があるはずだ。例えば急に自分自身の前世の設定を作ってそれをノートに書き溜めたり、ヘアピンでドアの鍵をピッキング出来ないかと練習を始めたり、あるいはインドア派な人間なら、主人公=自分が異世界に転生して敵をばっさばっさとやっつけたり異性にモテモテになったりする小説を書くようなケースもあるかもしれない。
しかしそんな物は社会に受け入れられるはずもなく、当然ながら叩かれる事になる。小説の例で言えば、やれ主人公チートだのご都合主義だのこんな事は現実にはありえないだの最低だのと言われて潰されていくのは世の常だ。だから人は段々と経験を重ねていくにつれ、実は転生する時にものすごく時間をかけたとか、実は転生のシステムにバグがあったとか、そういう回りくどい理由付け、実のところは言い訳、を考え、自らの幼児的な英雄願望を巧妙に隠す防衛術を学んでいくのだ。
前置きが長くなってしまった。つまり高校一年生の当時の私は、そういった防衛術をまだ完全に会得していなかったのであり、極々稀にではある物の、そのイタい行動や発言を外に漏らしてしまう傾向があったのだ。……ちなみに私の防衛術は自らの妄想を己の内にのみ留め、完全に外に漏らさないようにシャットアウトする事である。
さて、ところで再び突然だが、実は我が校の図書館には利用者が絶対遵守せねばならない鉄の掟がある。
――すなわち、一度に貸出出来る図書は五冊まで、という不変にして不偏にして普遍の掟である。
そんな目で見ないで欲しい。私がイタい子だというのは既に前述したではないか、と抗議行動を行いたい。
はてさて、そんなイタい子の私であるが、当然図書館に入り浸っている。なぜ当然かと言えば、それはもう圧倒的に図書館とはファンタジーであり、文学少女とは憧れのステータスシンボルであるからだ。そしてまあ、当たり前だが本が好きだからでもある。
そんなイタい子で本好きの私が、六冊目の面白い本に出会ってしまったらどうするか。既に五冊は借りているので貸出は頼めない。かと言って、閉館時間が迫っているので読み切る事も出来ない。こういう状況であれば普通は諦めて次回に借りるなり読むなりするだろう。しかし私は普通ではない。遺憾の意を表明したくなる類の意味で普通ではなかった。では、どうしたか。……隠した。本を。
意味が分からない。そう思った方もおられるかもしれない。だが答えは単純である。次に来た時にその本が別の人に貸出されているかもしれない。あるいはちょうど読まれているかもしれない。その危険性を鑑みるに本を隠して次に私が手に取るまでの安全を確保するのが一番の上策だと……もちろん嘘だ。こんな見る限りドマイナーな推理小説をピンポイントにこの時期に借りていく人がいるはずがない。本音を言えば何か理由を付けて隠したかったのだ。本を。なぜか? 単純だ。図書館がファンタジーで文学少女がステータスなら、本を隠すのはロマンである。
また意味が分からないだろうか。だが、この感覚が理解出来ない人とは私は友達になれないだろう。
そして私は用心深い性格であるため、更なる布石を打つ。図書館の端、私の特等席に、暗号で本の隠し場所を記しておくのだ。
賢明なる読者諸兄なら、何も言わなくてももう分かってくれるはずである。本を隠すなんて変わった事をして、隠し場所を忘れるなんて事はあり得ない。学校帰りにキャトルミューティレーションされでもしない限りあり得ない。だが、本を隠すのがロマンなら暗号を記すのはドリームなのだ。いや、果たして本当にドリームだろうか。正直よく分からない。だが、当時の彼女、一年前の私にとっては本を隠せば暗号を残すのはごく当然の帰結だったのだ。
暗号は非常に初歩的で単純な物。五十音表を座標と対応させ、二つの数字で一つのかなを表す独創性の欠片もないタイプだ。撥音や促音、それに濁点半濁点については例外的な処理をしているが、それだって注意深く見れば分かるだろう。もちろん乱数対応をさせればもっと複雑な物だって作れるのだが、頭を使っても初見で解けない暗号とはドリームではないという私のこだわりによって単純な物にならざるを得なくなったのだ。
私はその暗号で『だいにほんじてんうら』と記す。
我が図書館には、生徒が自由に出入り出来るが利用者がほとんどいない書庫があり、そこに大日本国語辞典とかいう無駄にでかい辞典がシリーズで揃えられている。中身は国語辞典の親玉のような物なのだが、私はこの本が利用されているのを一度も見た事がなかった。この図書館の主とも冠される私だって、正直こんな物鈍器以外の何に活用出来るか良く分からない。しかも、辞典の類は貸出不可なので、その点を見ても非常に安全だ。
大日本国語辞典の裏に本を隠し、暗号を私の席の前、大きな机の端に鉛筆でこっそり書き入れると私は五冊の本を抱え、正にご満悦の化身といった表情で図書館を後にした。ご満悦の化身というのがどのような生態でどのような外見の生き物なのかについては黙秘権を行使する。とりあえず言えるのは主な移動手段がスキップだという事だけである。
しかしその私のご満悦の化身への形態変化は、その翌日には敢えなく崩れ去る事になる。意気揚々とスキップで向かった書庫の中、辞典の裏に隠したはずの本が影も形もなかったのだ。私は混乱した。
だが、私は私の特等席に異変を見出す事により、事態を完全に把握する事に成功する。あれだけ隅にこっそり書いたはずの暗号が綺麗に消されていた。これは迂闊だったと言わざるを得ない。誰にでも読める場所に、簡素に過ぎる暗号を配してしまったという手抜かりである。暗号を消した件の謎の人物は、恐らくそれを解読し、本を借り、そして証拠隠滅の為にご丁寧にも暗号を消去していったのだろう。私は自らの軽挙妄動に肩を落とし、新しい五冊の書物を抱えて図書館を後にした。
更にその翌日、私はスキップで図書館に向かった。これは良く考えればこのやり取りが実に非日常的で私の琴線を刺激していた訳であったり、同志が増えるかもしれないという期待に胸を躍らせていた訳では断じてないので誤解のない様して頂きたい。
だがそんな私のご満悦も、自分の席に着くまでだった。図書館の端、私の特等席の前の机には、暗号が刻まれていた。謎の人物からのメッセージだった。私は震える手でその座標の群れをなぞり、解読する。
「なんて、こと……」
それを読んだ私の口からそんな言葉が漏れたのは仕方のない事だと私は今でも思っている。実際には図書館の中だったので口の中でそう言っただけでたぶん誰にも聞こえていなかったのだが、だからといって私が受けた衝撃が軽かったとは誰にも言えないだろう。暗号で書かれていたのは、たった七文字。けれどそれは世界で最も罪深い七文字だった。
『まるがはんにん』
残念ながら、私はこの意味をすぐに理解出来てしまった。私が隠した本は推理小説で、被害者の令嬢の呼び名がマルガリータ。つまりこれは、世界で最も許されざるべき犯罪。推理小説のネタばらしであった。
「これは、私に対する宣戦布告か」
自らの声が震えているのが分かった。後、やっぱり図書館で大声はいけないので誰にも聞こえないくらいの音量で言ったのだが、そんな事は関係ない。私は怒っていた。怒り心頭に発す。怒髪天を衝くとはこの事だ。本当は怒髪冠を衝くの方が玄人風な言い回しで私は気に入っていたのだが、この時ばかりはそうは思わなかった。私の怒髪は、天を衝いていたのである。
図書カードなる個人情報保護法に真っ向から喧嘩を売るような旧時代のシステムならいざ知らず、コンピューター管理された本の貸出情報を入手するのは非常に困難だ。普通であれば、私はここで泣き寝入りする所だった。
しかし、私には犯人に心当たりがあった。あの男だ。
かつて私が図書館にやって来てお気に入りの席に座ろうとした時、私の席に我が物顔で座る一人の男子生徒がいた。礼節を弁えた私は、当然彼に自らの席を譲る事を決め、私はその時他の席に座った。あの時私が大らかな気持ちと人見知り故に見逃したあの男が、私にとうとう牙を剥いたのだ。
私は彼への復讐を決め、犯人の分かった推理小説と四冊の本を抱え、図書館を後にした。
翌日、私は実に複雑な気分で図書館に向かった。
実は私が以前隠した本、読んでみると犯人はマルガリータではなかったのだ。ではあの暗号が嘘だったかというとそうでもなく、小説最後の小ネタとして探偵が話すのだが、その事件には特別な読み方をすると丸と三角と四角と読み替えられる名前の人が揃っていて、犯人はその丸に当たる人だった。つまりあの暗号、『マルガ 犯人』だと思っていた、あるいは思わされていたのだが、実は『まる が犯人』が正しい読みだったのだ。この機転には私も唸るしかなかった。つまり私はまんまと彼に騙され、からかわれたのである。完全なミスディレクションの下でその本を読まされてしまって、正直に言えば純粋に読むよりも話を楽しめてしまったのが悔しい所だ。
そんな訳で私が前述の通り複雑な気持ちで図書館を訪れると、私の特等席には既に一人の人間が座っていた。黒髪黒瞳の、私と同じくらいの年齢の少年である。
……まあ私と同じ日本人で同じ高校の生徒なのだから黒髪黒目で同年代なのは当然だが。
接触するかしないか少しだけ迷って、用心深い私は距離を取ってじっくり観察する事にした。彼はいつもの私の席に座って、私も読んだ事のある有名な海外ファンタジーのシリーズを読んでいた。そんな彼のあまりに平和ボケした姿に、私の中で沸々と怒りが湧いてきた。
そう、彼は私のお尻が乗っていた席で、私が突っ伏した事もある机に、かつて私の手がページをめくった本を持って、悠然と座っているのだ。
突如生まれたあまりに強い敵愾心に、私の胸は早鐘を打ち、顔は火照り、視界には憎いその男の姿しか映らなくなった。そんな中で彼がふと顔を上げた時私と目が合った気がして、私は慌てて図書館から逃げ出し……戦略的撤退を敢行した。少しだけ急ぎ過ぎて、入口の段差でこけてドアに頭をぶつけた。
「あいつ、絶対許さない」
私は赤くなった額と熱くなった頬を冷ましながら、その強い決意を口にした。
今から思えば、それが私、真白 夕希と結城 鋼の初遭遇だった。
それから、私は彼と闘争という名の独り相撲を繰り広げていく訳だが、それはまた機会があった時に語る事にしよう。
人生とは、それだけではてしのない物語のような物なのだから――
「お待たせ。お茶持ってきたよ、ってマキ何をしてるの!」
「ん? ちょっと宝探ししてたら面白いそうなもの見つけちゃって」
「わ、駄目だってそれ日記!」
「ますます興味あんじゃん、ちょい見せなー」
「駄目駄目マキほんとやめて返して私の黒歴史ぃ!」