第二章 シロニャのお猫様トラップ
唐突に子猫の姿から少女の姿になったその存在に鋼は本能的な畏怖を感じ、見た目が年下であるにもかかわらず敬語で呼びかけた。
「生き返らせる、ってどういうことですか? 僕は、助かるんですか?」
そういえば、さっきまで体を襲っていた倦怠感や違和感が消えている。この謎の少女が助けてくれたんだろうか。
そんな期待を込めて鋼は少女を見たが、少女は首を横に振った。
「残念じゃが、ワシにはそこまで損傷した体を癒す能力、というより権限はないのじゃ。しかし、別のことならできる」
「別のこと、ですか?」
「おぬしは、戦乙女、ヴァルキリーの伝承を知っておるか?」
おぼろげだが、覚えている。
鋼が昔やっていたゲームに、そういう内容のものがあった。
「たしか、勇敢な死者の魂をヴァルハラに連れて行ってくれる、とか?」
「そうじゃ! よく知っとったの!」
「って言っても、ゲームで見ただけの知識ですけど」
「心配するな! ワシもじゃ!」
それはむしろ心配になる要素なのでは、と鋼は思ったが、当然口に出すのは自重した。
「結城 鋼。おぬしは勇敢にも子猫を助け、その命を失った。よってワシが、別の世界の戦士としておぬしをよみがえらせてやろうぞ!」
いきなりすぎる提案だった。
それに、鋼にはそれ以上にどうしても聞いておきたいことがある。
「お話は、一応は分かった……ことにしておきます。でもその前に、いくつか聞いておかなければならないことがあります」
「なんじゃ?」
「一つ目は、あなたの正体です。
この不思議な空間を作ったり、別の世界によみがえらせると言ったり、そんなことができるあなたは、何者なんですか?」
その問いに、少女はよくぞ聞いた、とばかりにない胸を張って、言った。
「ワシは神様! 人の世の因果と転生をつかさどる神、シロニャじゃ!」
「……シロニャ、なんですか?」
「む、むろんじゃ」
「シロナ、とかではないんですか?」
「あ、当たり前じゃろう! ワシの名は創世神である母様からもらった大事な名前。間違えたりなどせにゅわ!」
言ったそばからもう噛んでいる。怪しさ満点である。
「じゃあ、シロニャさま」
「にゃ、にゃんじゃ?」
心なしか、少女は動揺しているように見えた。というかよく見ると、少女の額からはおびただしい量の汗が出ている。
鋼は内心ため息をつきながら、助け船を出した。
「ええと、やっぱり神様を名前で呼ぶのは畏れ多い多いので……。何か、他の呼び方はないんですか?」
「え? あ、そうじゃな! そうじゃよな! 神様を名前で呼ぶとかビビっちゃうもんじゃもんな! よーしよーし、ばっちこーい!」
焦った反動なのか、場違いかつ俗っぽいことを口走りだす少女を見て、鋼の中で少女の神秘性が八十パーセントほどダウンした。
「じゃったらもう少し詳しい話をせねばならんの。
ワシは、もっとも古い神、創世神である母様と、もっとも新しい神、――の神様である父様の間に生まれた子なんじゃ」
「え? 何の神様って?」
「――の神様じゃ」
やはり聞き取れない。
「すみません。もう一度」
「じゃから! と、とと、トイレの神様じゃよ!」
「あ、ああぁ。トイレ、の神様ですね」
いるんだ本当に、と鋼が思ったのは言うまでもない。
「トイレへの神様の需要というか信仰が、ここしばらくこの国、日本を中心に急に強まっての。
とりあえず新しい男神が作られてトイレの神様になったんじゃが、その神様がショタ好きの母様の目に留まってその毒牙に……もとい、運命的な恋愛の果てにできたのがワシなのじゃ」
「そ、そうなんですか」
(……ツッコミ所満載すぎる)
それまでとはまったく別の意味で、鋼は内心冷や汗をかいた。
「あれ、でもそれだと(流行的に)計算合わないような? ええと、失礼ですけど今のお年は?」
「ワシ? ワシは三歳じゃ!」
「三歳なんだ……」
それでもまだ計算が合わない気もするが、まあいいと鋼はあきらめた。
「あ、それになんとなく、しゃべり方に威厳があるというか、そんな感じがしていたんですけど……」
どこか古めかしいその口調は、まるっきりゲームなどに出てくるロリっぽいけど実は数百歳とかのキャラの口調そのものだ。
少なくとも『~じゃ』などという語尾で話す三歳児はそうはいまい。そもそも三歳児はそんなに堪能にしゃべることができないが。
「お、おお! そうか? そう思ってくれるかの!」
鋼は無礼な質問をしてしまったかとヒヤッとしたが、自称神様の少女はずいぶんとうれしそうに笑った。
「これはじゃの、つまりキャラ作りの一環なんじゃ」
「キャラ作り……」
またも神様の口から俗っぽい単語が出て、鋼は暗澹たる気持ちになった。
「そうじゃ! もちろん色々な神様の口調も研究しておるが、ベースは伝説のモテモテ王国を統治したという皇帝、ファーザリオン一世の言葉遣いを参考にしておるのじゃ。
ふむふむ。やはりにじみ出る威厳というのは隠せぬものじゃのう。ふしししし」
鋼は(王国なのに皇帝なのか……)とか内心思ったが、あまり関係なさそうなのでやっぱり口に出すのはやめた。
「話がそれたの。つまりワシは旧神様と新神様の間に生まれた、いわばハイブリッドなのじゃ。
じゃから……そうじゃな! ワシのことは気軽に神コロ様とでも呼んでくれ」
「ええと、じゃあ……神コロ様」
なぜハイブリッドだと神コロ様なのかは分からないが鋼はとりあえず言われた通りに呼んでみた。
神コロ様はすごく嫌な顔をした。
「やめるのじゃ。その呼び方は神様幼稚園でいじめられてた時のあだ名なんじゃよ……」
「じゃあ何で教えたよ!」
あまりのことについ敬語を忘れてツッコミを入れる鋼。
対する少女もそれにはあまり気にするそぶりもなく、
「むしろ強烈すぎるトラウマのせいでつい口から出てしまったのじゃ。さすがタイガーホース、名前の通り精強じゃな! ゼハハハハハ!」
やけっぱち気味に大笑いする少女に、もう突っ込まないぞと鋼は思ったという。
「もうシロニャでいいのじゃ」
やけっぱちから立ち直った少女の結論は、最初と同じだった。
「シロニャなんて変な名前だと思ったが考えてみれば怪我の功名。あだ名と思えばかわいいとは思わぬか? にゃはははは!」
ケガの功名とかあだ名とか言っている時点で噛んだことは確定だったのだが、鋼はもうとっくにこういうのはスルーするのがベストだと悟っていた。
「では、……シロニャ様」
「うむ。なんじゃ?」
「もう一つ質問があるのですが、先ほど仰っていたお猫様トラップとは何なのでしょうか?」
最初に聞いた時から疑問に思っていた。シロニャは鋼がお猫様トラップにひっかかったと言っていたが、それが何なのかを。
その答えによっては、たとえこのまま消滅してしまうとしてもこの話は断らなければならない。鋼は心の内でそう決めていた。
シロニャはことのほかあっさりと答えた。
「ワシの一番の仕事は、徳の高い人間に報いることなのじゃ。じゃから、弱々しい子猫の姿を模し、そのワシに善行を施したものを高徳の人間として恩恵を授けておる。
それが、お猫様トラップじゃの」
「っ! つまりそれは、車にひかれそうになったのはわざとだってことですか!?」
さすがの鋼もこれには声を荒げた。そんな神様の気まぐれのせいで死んでしまったのだとしたら、さすがに浮かばれない。
しかし、シロニャは首を振った。
「いや、アレには本当にびっくりしたのじゃ。きちんと横断歩道を渡っていたのに、まさか車が横から突っ込んでこようとは。
おまけに……普段はあれくらいさっと避けられるんじゃが、あの時は不思議と体がかたまってしまっての」
「は、はぁ」
それは猫の生理的な反応だろう、と鋼は思ったが、神様にはプライドもあろうと武士の情けで何も言わなかった。
「じゃから、感謝しとるんじゃマジで。子猫の姿の時は、ワシは力をセーブしとるからのう。あのままじゃと、ワシは一体どうなってしまったことか」
神様がマジでとか言うなよと思わなくもなかったのだが、それだけにその感謝の言葉には妙な真剣味が感じられた。
「つまりおぬしが行ったのは、人助けならぬ神助け。それはもう誇ってよいことなのじゃ!」
「そう、なんですか?」
「そりゃあもう徳ポイントもうなぎのぼり。本当は死んだあとの転生なんて、世界規模の善行を積まないとできないはずなのじゃが、こちらの事情もあるし神助けをしたことでオッケーになったのじゃ!
……あと、命を助けてくれた人間を見殺しにしたと知れたら、ワシはきっと母様に殺されるのじゃ」
「なるほど……」
最後のやけに切実な訴えが本音のような気もしなくもないが、鋼としてはここでこのまま死んでしまうのもやりきれない。
そういう事情なら、受けてもいいかなとは思い始めていた。
「でも、いいんですか?」
「? 何がじゃ?」
それでも自らの疑問を解決しなければ前に進めないのが、鋼の美点でもあり欠点でもあった。
言う必要のないことだと知りつつ、つい聞いてしまう。
「行為としてみれば神助けになるかもしれませんし、そのせいで死んでしまったので大きなことをしたような錯覚はありますが、僕が実際意識してやったのは猫を助けようとしただけですよ。
命を賭けてまで助けようとは思っていなかったですし、猫を助けるくらいのことをやった人は、いえ、それ以上のことをやった人は他にもたくさんいますよね。
でも、そんな人を差し置いて僕だけ転生するなんて、何だか不公平な気がします」
「ぐ、ぐぬぅ」
鋼の論理立てた訴えに、シロニャは何か論破された人が出すような呻きを漏らした。
「それに、子猫を助けたのだって小さくてかわいいものを好む僕の個人的な嗜好の問題でもあります。
これが醜いカエルなどであれば助けなかったでしょうし、たった一匹の子猫を助ける傍ら、僕は毎日食料としてたくさんの牛や豚の命を奪って……」
「う、うるさいのじゃぁああああああああああああ!」
鋼の言葉をさえぎって、シロニャは急に吼えた。
「毎回なんとなく善人そうなのをさらってくるだけで、こちとらそんなに深く考えてないのじゃ!
ぶっちゃけとりあえずこっちの作戦にひっかかった人間に機械的になんかご褒美あげるだけのルーチンワークなのじゃあ!」
「それは……あんまりバラしちゃいけないことなのでは」
「あ、あうう。しまったのじゃ。また母様に怒られるのじゃぁ」
どうやら神様の世界も世知辛いらしい。鋼は少しだけ同情しなくもなかった。
もちろん何かの手違いみたいな理由で死んでしまった自分の方がもっとかわいそうだと思わなくもなかったが。
「とにかくじゃ! ワシはおぬしが何を言おうと、ぜったいに転生させるのじゃ!
たとえおぬしが『殺してください! どうか殺してください!』と泣いて懇願しても、ぜったいに転生するのをやめないのじゃ!
おまえが泣くまで転生をやめない! もとい、泣いても転生はやめないのじゃ! 分かったかの?」
「は、はぁ……」
正直よく分からなかったが、反対するのもバカらしいということは分かった。
これでようやく転生の話に入るのかな、と鋼は思っていたのだが、
「し、しかしじゃな。その前になんじゃが」
「はい?」
なぜかいきなりシロニャは挙動不審に体をゆすったり両手をこすりあわせたりし始めた。
「さっき、ほら、神コロ様のくだりのとこで、おぬし、ワシにため口だったではないか」
「え? あ、あの時はすみません! つい……」
「いや、そうではなくて、その、むしろそういうのはちょっと新鮮でな」
そう言うと、さらに挙動不審にもじもじとするシロニャ。
「つ、つまり……別に、アレじゃぞ? ワシに敬語とかそんなんいらないんじゃぜ?」
「いや、でも仮にも神様ですし」
「いやいや、そっちがそんなに畏まっていると、こっちもやりにくいというか、威厳とか出しとかなきゃいけないんじゃもん」
「いやいやいや、それはむしろ出しておいてほしいというか、とにかくシロニャ様はやっぱり神様ですし」
「いやいやいやいや、おぬしはワシの命の恩人じゃし、遠慮なんてせんでいいのじゃよ?」
「いやいやいやいやいや、そこはそれ、いくら恩人であっても礼儀は……」
「いやいやいやいやいやいや……」
「いやいやいやいやいやいやいや……」
互いに譲らない譲り合いの末、結局鋼が折れた。
「分かりました。じゃ、敬語はなしの方向で」
「うむうむ。それと呼び方も、シロニャ様、じゃなくてシロニャ、でいいんじゃぞ?」
「じゃあ僕の方は、コウとでも呼んでくだ……呼んでほしい。親しい人はみんなそう呼ぶから」
「コウ、コウ、か。分かった。そう呼ぶとしよう」
「で、シロニャは転生なんて本当にできんの?」
「う、うん?! な、なんじゃろう。
質問の内容はたぶんさっきまでと大して変わらないのに、敬語をやめた途端、急にバカにされてるみたいに聞こえるのじゃ……」
シロニャは内心早まったか、と思ったが、さすがにすぐに言を翻すほど狭量ではなかった。
むしろ自分を鼓舞して見得を切る。
「甘く見るでないぞ、コウ! ワシは三年前から異世界転生のエキスパート! 人呼んでトイレの転生神とはワシのことじゃあ!」
「と、トイレの転生神!」
すごくかっこ悪い!と鋼が思った時、急にシロナがお腹を押さえ始めた。
「うぅ。しまった。それは神様幼稚園でいじめられてた時の二つ名じゃったぁ」
「何でいちいちそういう名前ばっかり名乗るんだよあんたは?!」
敬語をやめた途端ツッコミの容赦なさも上がっていた。
鋼は苦労して(よしよーしとか言いながらシロニャの背中をさすったりした)シロニャの幼稚園時代のタイガーホース(虎馬)を抑え込むと、シロニャはめずらしくキリッした顔で宣言した。
「よいか! このあと、おぬしはワシの力でこの世界を離れ、遠く異世界に生まれることになるのじゃ」
「やっぱり、元の世界に生き返る、ってワケにはいかないんだよな?」
「それはの。原因であるワシが言っても納得などできないじゃろうが、悪いがあきらめてくれ、としか言えんのじゃ」
「……そっ、か」
鋼は万感の想いを吐き出すようにそう漏らして、同時にそっと、心の中で世界に別れを告げた。
両親や友達、親戚やご近所さん、よく行ったラーメン屋に、思い出深い図書館の隅の席、住み慣れた家に、これから一年を過ごすはずだった教室。
今までの生活を彩ってきた、思いつく限り全てのものに、感謝と決別を済ませた。
そんなに簡単に割り切れるはずがなくとも、割り切れたフリをした。
シロニャは何も言わず、そんな鋼を見守っていた。
次に口を開いた時、鋼の口から出たのはいつも通りの軽い調子の言葉だった。
「異世界、ねー。ピンと来ないけど、どういう世界とかっていうのは分かったりする?」
それには何も言及することなく、シロニャもただ前と変わりないトーンで聞かれたことにだけ答える。
「うむ。おぬしが行く世界はもう決まっとる。いわゆる『剣と魔法の世界』じゃな。
魔法が飛び交い、魔物が跋扈する、RPGの舞台のような世界じゃ」
「……ますますピンと来ないな。というか、僕なんかがそんな世界に行っても数日も持たずに殺されちゃいそうだけど」
自慢にはならないが、鋼は今までろくに喧嘩もしたことがないし、体だって別に鍛えてはいない。
かといって交渉術に長けているワケでも、異世界で使えるような技術を持っているワケでもない。
特に変わった所のない高校生だと言える。
「そこはほれ、アレじゃ。それなりの特典が用意されておる。
少なくとも今回の場合、転生先には今までの記憶全てと、ワシら神の加護を持って行けるのじゃ」
「記憶はともかく、神様の加護?」
「特別な力や魔力、あるいは特別な技能や基礎的な能力を設定して……。
まあいいのじゃ。百聞は一見に如かず、案ずるよりも生むがやすし、じゃよ!」
そう言うと、シロニャは大仰な仕種で後ろを示した。
「これが、おぬしを異世界へ送り出す、転生マシーンじゃぁああ!」
鋼が見たその先には、なぜかテレビとゲーム機、それにコントローラーが置かれていたのだった。