第十八章 ただしそれには十日はかかる
絶叫と、激突の後、
「何が、起きたんだ……」
アスティエールは、目の前で起こった信じがたい光景に、絶句した。
そして事態は、誰一人想像もつかなかった方向へと収束していくことになる。
鋼にかばわれたアスティエールは、すぐには動けなかった。
自分で思っていたよりもHPMPの消耗が激しく、また、鋼に助けられ、よく分からないが怒られたらしいという状況に、彼女の頭はとっさについていけなかったのである。
また、それからの鋼の行動から、目が離せなかったというのもある。
鋼は巨竜を倒すことをアスティエールに宣言すると、近くに落ちていた枯れ枝を拾った。
すると、その枝が見る間に金色へと変わる。
(まさか、装備した物に特別な魔力を纏わせているのか?
私の聖色と同じ、特殊タレント持ち?)
アスティエールは自分が生きているから、鋼にかばわれたということは分かっていた。
しかし、『豪炎のブレス』の中、鋼が無事でいられた理由が分からなかった。
自分が渡した『無敵の丸薬』を使ったとしても、アスティエールでさえ吹き飛ばされそうになったブレスの圧力に、レベル2の鋼が耐えられるはずがなかったのだ。
だが、特殊タレント持ちであるなら、それにも納得できる。
だが、鋼がアスティエールを前に仁王立ちになるに至って、彼女にそんな考察をする余裕はなくなった。
鋼がアスティエールを守るため、盾になろうとしていることに気付いたのだ。
「だ、駄目だ。逃げてくれ……」
自分でも驚くほどかすれた声が出る。
縁もゆかりもない自分を守ろうとしてくれていることは、正直に言えばアスティエールには嬉しかった。
自分に近付くため、あるいは自分を利用するため、彼女に助力する人間は数多くいたが、アスティエールにはそんな思惑は全て透けて見えていた。
だからこそ、鋼が何の下心もなく自分を助けようとしていることが分かったし、嬉しくもあるのだが、だからこそそれ以上に、こんな場所で自分のために彼に死んで欲しくなかった。
そんな彼女の不安を和らげるように、鋼はアスティエールに一瞬だけ振り向き、小さくうなずいた。
(自分に任せろと、そう言っているのか?)
自分に都合のいい考えだとアスティエールは思ったが、それ以外の解釈が思い浮かばなかった。
だが次の瞬間、事態は急変する。
強力なブレスを吐いたことで体を休ませていた巨竜が、ふたたび動き出したのだ。
(ま、まずい…!)
案じたのは、自分ではなく鋼の身だった。
鋼が『無敵の丸薬』を飲んだのは見ていた。しかし、『無敵の丸薬』が防げるのはダメージを負うことだけであり、攻撃が強ければ当然吹き飛ばされるし、容易にバランスを崩される。
連続で苛烈な攻撃を受け続ければ、反撃など出来ない内に20秒などあっという間に過ぎ、そのまま封殺されてしまうだろう。
焦燥に駆られ、巨竜の瞳を見る。
そこからアスティエールは、ただの魔物とは違う、悪辣な知性を感じた。
そして警告する暇もなく、巨竜が動く。
小さく技名らしきものをつぶやき、頼りない木の枝を振りかざそうとしている鋼に、
「GYOOOOOOO!!」
狡猾な巨竜は、バインドボイスを放つと同時に尻尾の一撃を繰り出した。
鋼をかばおうと飛び出しかけていた体が、その咆哮に強制的に硬直させられる。
予想外にも、鋼は巨竜の咆哮などなかったように手にした金の枝を振り上げているが、そんな物では巨竜の一撃に一瞬たりとも耐えられないのはアスティエールから見れば明白だった。
「ハガネェエエエエエエエ!!」
よぎる不吉な予感にアスティエールは叫ぶが、そこで信じがたいことが起こった。
「……え?」
鋼の持つ金の枝と、巨竜の尻尾がぶつかった瞬間、巨竜がその動きを止めた。
圧倒的な能力差、速度差、質量差。
どんな強化がなされていても、木の枝程度に受け止められるはずのない巨竜の一撃が、見事に止められていた。
――鋼の使った技の名も知らないアスティエールには、だから知る由もない。
鋼の使った『天魔滅殺黒龍灰燼紅蓮撃』には、『最初の一撃が当たった瞬間相手はストップし、残りの攻撃が全て当たる』などという性質があることなど。そもそも、そんな反則的な特殊効果を持つスキルが存在していることすら、想定の端にも登らない。
だから、
「何が、起きたんだ……」
それから起こったことは、アスティエールにとってはなおさら、完全に想像の埒外だった。
攻撃に使った尻尾だけではなく、完全に全身を硬直させた巨竜の速度を吸い取ったように、猛然と鋼が動き出す。
尻尾とぶつかった木の枝を振り抜き、まず一撃。
当然ながら木の枝が巨竜から離れても、まだ巨竜は石像のように固まったまま。
過日のように巨大なオブジェに成り下がった巨竜の体に、鋼は返す刀で二撃目を加える。
それから先は、まるで嵐のようだった。
三撃、四撃と鋼は縦横に木の枝を振るい、その速度がどんどん上がっていく。
鈍重としか言えなかった最初の一撃とは比べ物にならない速度で枝を振るい、際限なくその速さは上がる。
しかも、その体は一箇所に留まってはいない。
尻尾から体方面に駆け抜けながら、手にした金の枝で巨竜の体を打つ! 打つ!
打ち込み、斬り上げて、ぶっ叩いて、打ち払って、斬り込んで、返して、痛打し、打撃、殴打、打擲、その連打、連打連打連打…!
上がり続けたその速度は、既に人が目で追える限界を超えていた。
常人をはるかに凌駕したアスティエールの動体視力をもってしても、縦横に巨竜の体を駆ける鋼の姿を追いきれないでいた。
(なんて、速度だ。はっきりとは見えないが、おそらく一秒に百発以上を打ち込んでいる)
茫然と、アスティエールはつぶやく。
「これは、スキル、なのか? しかしこれは……既に人間の業ではない」
鋼の動きはアスティエールが見たどんな英雄、豪傑よりも速かった。
アスティエールがそう漏らす間にも鋼のまるで豪雨のような攻撃は続いている。
残像が見えるほどの速度で移動しながら目に見えぬ速さで斬撃を加える。
剣士を、いや、戦いを生業とする者の理想形とでも言える形で、攻撃、攻撃、攻撃、その繰り返し、繰り返し、繰り返し……。
魅了されたかのように、その様をじっと眺めていたアスティエールは、ぽつりと言った。
「しかし、これはいつになったら終わるのだ?」
動きを止めた巨竜と、その上を目に留まらないほどの速さで動く少年とを見ながら、アスティエールは一人、首を横にかたむけた。
「なぁ! これ、一体いつまで続くんだ?」
同刻。似たような言葉を口にした人間がいた。
今もめまぐるしく動いて巨竜を攻撃し続けている鋼である。
ここまでの展開は、完全に鋼の思惑通りだった。
だがここに来て、ようやく気付いた、あるいは思い出したことがある。つまり、
(『天魔滅殺黒龍灰燼紅蓮撃』は一億とんで二千発の連続攻撃って言ってたけど。
一億二千発って、もしかしてとんでもなく多いんじゃないか?)
ということ。
鋼の言葉を受けて、シロニャが計算する。
【ええと、携帯の電卓機能使うからちょっと待つのじゃ。
一秒間にざっと120発攻撃しているとして、一日は60×60×24で86400秒じゃから……。
……うむ、出たのじゃ!】
「どのくらいになった?」
【ざっと十日じゃな!】
聞いた瞬間、鋼の頭を春の風が駆け抜けた。
アハハハハハ!春風さーん!待ってよー!ワタシハルカゼチガウヨヨウセイヨー!妖精さーん!待ってよー!アハハハハ!ツカマエテゴランナサーイ!アハハハハ!待てこらアハハハ!アハハハハハ!たーのしーいねー!アハハハハ!待ってアハハハハハ!ほらつかまえアハハハちゃうぞハハハハ!タダシソレニハ十日ハカカリマス!
「はっ!」
鋼は二秒くらいで正気に戻った。
「……えっと、冗談、だよな?」
【何を言うのじゃ! ワシは銀竜の次に冗談が嫌いなのじゃ!
完全に完璧に本当じゃよ! このペースなら後十日くらいかかるのじゃ!】
「待て待て待て待て! 十日? 十日って言ったのか?!」
【うむ】
「何とかならないのか?」
【ならん】
「こう、ほら、僕のタレントを使って何か……」
【あ、思いついたのじゃ!】
「ほ、ほんとか?!」
【うむうむ! エル・シドなんてどうじゃ!
ばっちり有名じゃし、シドって名前はゲームにもよく使われて……】
「古今東西の話じゃねぇえええええええええええ!!」
命を懸けて女の子を救って、なのにいつも通りの締まらない結末に、
(だけどまあ、英雄なんて柄じゃないし、やっぱり僕にはこのくらいがちょうどいいのかもな)
なんて思う、鋼なのであった。
それから十日間、鋼はひたすら巨竜に攻撃をし続け、その戦闘のあまりの迫力とシュールさから観光スポットとして有名になったり、
それを見たとあるギルド員に金づるとして目をつけられたり、賭けの対象にされたり、騎士団がやってきたり、
蒼髪の司祭が変なことを言ったり、金髪の元騎士がツンデレ発言を残したり、鋼のしりとりスキルがうなぎ登りだったり、
棒切れ一本で巨竜を制す偉業から『棒切れ勇者』という褒められてるのかバカにされてるのか分からない二つ名がつけられたり、
功績よりもバカバカしさで人々の印象に残ったせいで、たぶん世界で一番イロモノなヒーローとして英雄の仲間入りを果たしたりするのだが、
それはまた、次の話である。
あ、ちなみに十日後、巨竜は無事に倒せましたとさ。