第十三章 最低の冒険者
半分くらいは予感していたとはいえ、それは冒険者としてやっていこうかと思い始めていた鋼にとってはちょっとショッキングな宣告だった。
「それは、どういうことですか?」
キルリスはやはり言いにくそうに話し始めた。
「その、冒険者ランクHなんて想定されていなかったので、受けられる依頼がないんです。
街の雑用のような最低難易度の依頼でも、冒険者ランクFからなので……」
「あー」
それはそうだろう。
該当者が誰もいない冒険者ランクGやHの依頼があるはずもない。
しかも、冒険者ランクを上げるにはおそらく依頼をこなさないといけないから、依頼が受けられないとどうしようもない。
完全に詰んでいる。
それでもあきらめきれずに鋼は聞いた。
「冒険者ランクがHだと、受けられる依頼は本当に一つもないんですか?」
「あ、いえ。フリーランクの依頼なら、原則どのランクの方でも受けられます。
でも、ハガネさんの能力値で単独で受けられるものでは……」
心配してくれるのはありがたかったが、今は背に腹は代えられない。
「どんな依頼なんですか?」
「これですね」
キルリスが張り紙の一つを指さした。
「街の物見の、代行?」
期間は最大三日間。午前十時から午後八時までと書かれている。
「はい。基本的な仕事はそれになります」
ギルド経由の依頼らしく、張り紙に書かれていない詳しい事情までキルリスは鋼に教えてくれた。
「街の物見というのは、街に近づいてくる雑魚モンスターを倒したり、強力なモンスターが出た場合、街に警告を出す仕事ですね。
最近街を襲う魔物の数が減っているので、この機会にと物見から休日の申請が出てるそうです。
とはいえ、さすがに物見がいないのはまずいので、その間の交代要員をやってくれというのが依頼内容ですね」
「物見は門番とは違うんですか?」
「門番はレベル30以上の戦士でないといけないと決まっていて、モンスターの撃退の他に通行人のチェックなど様々な仕事をします。
物見は門番が雑魚モンスターにわずらわされないよう露払いをしたり、倒すべき強力なモンスターが来ることを事前に知らせるため、街より少しだけ離れた場所で仕事をするんです」
「要は門番の補助かー」
それなら何とかやれそうな気もする。
「この依頼がフリーランクなのは、最悪物見が何も仕事をしなくても、門番さえいれば一応街の安全は守れること。
逆に高レベルの冒険者なら、普通の物見以上の仕事をこなせるだろうというのが主な理由です」
「普通の物見なら門番に任せるようなモンスターも倒していいってことですか?」
「はい。この依頼、基本給は出ますが、基本は出来高制。
強いモンスターを倒せばボーナス、逆にモンスターを発見できずに門まで通してしまうとペナルティが課せられます」
「うーん。ちなみに、どんなモンスターがやってくるんですか?」
「弱いところだとレベル5のスライム、一番強くてレベル25のフォレストウルフくらいでしょうか。
ただ、ここ数日は比較的安全で、モンスターもこっちから探さないと見つけられないくらいです」
冒険者としては仕事が減るのであんまり喜んでもいられないんですが、とキルリスは笑った。
「うーん」
鋼は大いに悩んでいた。
失敗してもあまりリスクのない仕事のようだし、引き受けてもいい気もするのだが、現状レベル5スライムも倒せないだろう自分が受けても迷惑だろうということはさすがに分かる。
しかし、こちらもお金を稼がなければ死んでしまうワケだし、だけど物見なんてやっていても死んでしまうかもしれないし、と思考の袋小路に迷い込んでいた時だった。
「依頼を探している!」
後ろから来た銀色の何かに、鋼は吹き飛ばされた。
「うわぁあ!」
地面に頭からぶつかりそうになって、慌てて手をついた。
「あ、あぶねぇえ…!」
心臓が早鐘を打っていた。
こちとら最弱人間であり、人とぶつかったり転んだだけで死の危険があるのだ。今のはむしろ九死に一生スペシャルと言えた。
「死んだらどうする!!」
押しのけられた苛立ちと、死にかけた恐怖をごまかすため、鋼は自分を押しのけた人影に怒鳴った。
だが、鋼の声に困惑したように振り返ったのは、
「あれ? ……女?」
ファンタジー物の勇ましいヒロインのような白銀の鎧をまとった、金髪の美少女だった。
ミスレイはかなりの美人であったし、今目の前にいるキルリスもそれなりに身ぎれいにしているが、今鋼の前にいる少女は、それを上回る美貌を持っていた。
なんというか、もうすでにオーラが違う。
薄い白銀色の板金で作られた鎧に包まれた身体は、やや細身ながら完成された美しさを感じさせ、その上を流れる煌めく金の長髪は、ややキツめながら整っている顔立ちを豪奢に彩っている。
そんな彼女がピンと背筋を伸ばしたその凛とした立ち姿は、『聖女』や『聖騎士』という言葉がこれ以上似合う者はいないだろう、と鋼に思わせるほどだった。
だが残念ながら、彼女が女であることを指摘してしまったのは、鋼にとって不幸なことになりそうだった。
困惑だけに彩られていた少女の緑色の瞳に、すぐさま怒りと敵意がにじむ。
「私が女であると、貴様に何か不利益でもあるのか?」
最初半身だけで振り返っていた少女は、鋼の言葉に全身を振り向かせた。
それから苛立ちと侮蔑を感じさせる眼差しで、地面に倒れる鋼の姿を見やった。
「大体何だ貴様は! ほんの少し肩がぶつかっただけで、殺されかけただのと因縁をつけるとは!
そうやってそこに転がっていることだって、自らの実力不足が原因だろう!?
おまけにそんな金に飽かして集めたような、金色ばかりの趣味の悪い装備。まったく、男の癖に軟弱な!」
もしかすると、彼女には自分が女だということにコンプレックスがあったのかもしれない。
だから売り言葉に買い言葉のようなもので、こんな暴言が飛び出したのかもしれない。
そんな理屈は鋼にも分かったが、やはりその台詞には、鋼もカチンと来た。
もったいをつけて、ゆっくりと立ち上がる。
だが、その間にも鋼の頭の中はめまぐるしく回転し、これからすべきことを考えている。
「へぇ。自分が女だと言われるのが嫌なくせに、他人には『男の癖に』、なんて言うんだな」
「ぐっ。それは……」
「おまけに事実を確かめもせずに、因縁をつけただの、実力不足だのと決めつける。
どっちが因縁をつけてるんだか……」
「う、うるさい! 私は、騎士……いや、『元』騎士だが、心には正義の心と公平無私の精神を宿している!
謂れのない誹謗中傷を続ける気なら、決闘だって辞さない覚悟があるぞ!」
「そうやってすぐに暴力に訴えようとする人が、正義だとか公平無私だなんて笑わせる!」
「貴様っ!」
皮肉げに笑う鋼と激昂する少女。
たちまちの内にギルド内の空気が張り詰める。
実際少女などは、今にも帯剣を抜きかねない雰囲気だった。
「ギルドの内での刃傷沙汰は禁止されています」
そんな二人の熱を覚ましたのはキルリスの落ち着いた声だった。
少女はその声にハッとして、腰に伸びかけていた右手から力を抜く。
だが、もう一方の当事者であった少年、鋼は、それで矛を収めはしなかった。
「だったら、刃傷沙汰じゃない勝負ならいいんだろ?」
「ハガネさん?!」
鋼の弱さを知っているキルリスが思わずといった風に驚きの声を漏らした。
「私に決闘を申し込むというのか?」
少し冷静さを取り戻したものの、まだ感情の収まらない少女も、当然その流れに乗る。
「決闘じゃない。勝負だよ。まさか、正義と公平さの体現である騎士様がケンカなんてするワケにはいかないだろ?」
「む! 決闘とは喧嘩ではない! 互いの名誉を賭けた神聖な……」
「色々理由をつけても、どつきあうのは変わらない。だったら騎士らしく、人々を守ることで勝負っていうのはどうだ?」
「人々を守る、勝負?」
思ってもみなかった流れに、硬直する少女。
そこで鋼は、場の成り行きについていけていないキルリスを振り返った。
「キルリスさん! 冒険者ギルドの力で、この街の物見を代わってもらうことはできますか?」
「……はい。ちょうど物見の方たちから休暇の申請が出ているそうですし」
「なら、お願いします」
まるで、決定事項のように頭を下げる。
「ま、待て! 貴様は何をするつもりだ?」
思わぬ大事になり驚く少女に、鋼は告げた。
「分かるだろ。勝負だよ。
ルールは簡単だ。これから四日間、午前十時から午後八時まで、僕ら二人はこの街の物見を務める。
あんまり複雑な勝負にしても興ざめだからな。
先にレベル30以上のモンスターを倒した方が勝ち、っていうのはどうだ?」
「レベル、30か。いいだろう。だが、四日間でもしレベル30以上のモンスターが出なかった場合は?」
「その四日までに物見をしながら倒した、他のモンスターの討伐数で決める、でどうだ?」
「……いいだろう」
少女は警戒したような目をしながら、うなずいた。
「分かっていると思うが、手を抜いたりするなよ。これは……」
「するはずないだろう! 除隊したとはいえ、私は騎士だ!
街の治安維持の一角を担う仕事をないがしろにはせん!」
「なら、僕としても文句はない」
あっさり、鋼は引き下がる。
「勝負のルールはさっき言った通りだ。そして、敗者は……」
「何だ? 金か? それとも私の体でも求めるか?」
侮蔑と自嘲の交じったような笑みを浮かべる少女に、鋼は軽く首を振った。
「いいや、そんなものは必要ない。
少なくとも、僕が敗者に求めるのは謝罪だけだ」
「……そうか。なら、私も、それだけでいい」
鋼の言葉を耳にして、少女の勢いが目に見えて鈍った。
それを不思議に思いながらも、鋼は話をまとめにかかる。
「勝負は明日からでいいな?
なら、明日の九時半、ふたたびここに集合、キルリスさん……そこにいるギルドの人に物見についての説明を受けてから、勝負に向かう。
……何か異論は?」
少女はしばし考える仕種をした後、
「……ない。私が貴様を誤解していたとして、それも明日以降の勝負によって知ることができる。
そして、私が己を語る術もまた、この剣以外にない」
そう言うなり、踵を返し、ギルドを出ようとする。
「待て! まだ、一番大事なことを聞いていない」
それを引き留めるのは、当然鋼だ。
「一番、大事なこと?」
見るからに怪訝そうな表情で振り返る少女。
そんな彼女の目を一直線に捉え、少年は言った。
「僕はハガネ。ハガネ・ユウキだ。君は?」
少年の射るような視線に、少女は真っ向から応え、
「アスティエール。アスティエール・ベル・フォスラムだ」
それからはもう、一度も振り返らずにギルドを後にした。
「ふひゃぁ……」
そして、ドアが閉じて数秒後。
鋼は気が抜けたようにその場に座り込んだ。
そんな鋼に、キルリスがねぎらい半分、呆れ半分の言葉をかける。
「お疲れ様。でもよくやりますね、こんなこと」
「いや、ちょっとイラッとしたのも事実ですし。でも、内心ドキドキでしたよ」
それは事実だった。
鋼はできるだけポーカーフェイスを貫こうとしていたが、心臓は早鐘を打ち、手は汗ににじんでいた。
ついでに言うと、途中助言をしてもらおうと頭の中でシロニャを呼んだのだが、
【なんでじゃ。なんで全然盗めないのじゃ!】
という独り言が返ってくるだけだった。
たぶん、というか間違いなく、何かのゲームに夢中になっていたのだろう。
しかし、もちろん、鋼はただカッとなって少女に勝負を挑んだワケではなかった。
「と、いうワケで、物見の代行の依頼、お願いします」
目的は、当然コレ。
鋼単独では物見の仕事はできそうもないが、勝負にかこつけてあの元騎士様に働いてもらえば(しかもただ働き!)その限りではない。
もちろんアスティエールとかいう少女が倒したモンスターの分まで報酬をもらおう、なんてがめついことは鋼も考えてはいないが、彼女のせいで死にかけた分くらいは儲けさせてもらってもいいだろうと思っている。
「はいはい、了解です。でも、いいんですか? この仕事、期間は最大で三日ですけど」
鋼は勝負の期間は四日と告げていた。
「あはは。だって一日余分にとっておけば、いざとなったら依頼のお金をもらって最終日に逃げ出せるじゃないですか」
「うわ。ひどいですね。ミスレイの素質があるかもしれないですよ」
「その台詞こそ、ひどいですよ。僕はひどいことなんて何もしてませんよ。
僕はお金がもらえて幸せだし、物見の人は休暇がもらえて幸せ。
あのアスティエールとかいう人だって、街の人のために働けるんだから幸せですよね?」
「ふふ、ハガネさん……」
それを聞いて、キルリスは実に艶やかに笑うと、本当に楽しそうに、言った。
「――あなた、最低です」